7 土より花へ
これほどの使い手とは思わなかった。
俺でも危ないくらいだぞ。
見たこともない動きだ。人体というものはこんな動きができるものなのか? まるで野生の山猫だ。
しかし殺気が丸見えだ。それじゃ、その刃は相手に届かんぞ。
俺はこの相手と刃を交わすうちに、殺すのが惜しくなってきた。これほどの逸材を葬るのが惜しくなった。
逃げろよ。
戦っていれば、これほどの使い手なら、自らの力量が俺には及ばないことくらいわかるだろう?
なぜ逃げない?
カルーネンなら‥‥特に諜報系のカルーネンなら、生きてその情報を主人にもたらせと教わっただろう?
逃げるなら俺は追わないぞ?
アノスタコビッチがどうなろうと、もう俺にはどうでもいい。
それとも、この少年はカルーネンではないのか?
カルーネンにこんな使い手の少年がいるとは聞いたことがない。
「できるな、おまえ。なんという名前だ?」
しかし少年は答えず、ひたすらに爆発するような殺気と共に襲いかかってくる。
どこから襲ってくるのかわからないほどの巨大な殺気の塊だ。それを隠そうともしない。なんという馬鹿正直なやつだ。
しかも俺の動きから学ぶのだろう。その動きがみるみる研ぎ澄まされ、レベルアップしてゆく。
面白い!
こんな使い手とやり合うことができるとは、思ってもいなかった。俺を脅かすほどの使い手とまだ巡り会えるとは思ってもいなかった。
いいぞ、いいぞ、山猫くん。
相手が名乗らないので、俺は勝手に名前をつけて命と命の対話を続けた。そうしてその中で、俺は相手の殺気の質が俺とは違うということに気づいたのだ。
なんというか‥‥俺の殺気は陰そのものだが、こいつの殺気には少なからず陽が混じっている。
それがこの爆発的な気の正体で、その陽の気のために俺は押されているようだった。
何者なんだ? こいつ‥‥‥
刃が何度目かの火花を散らしたとき、俺はそいつの匂いに気がついた。
女?
少年ではなく、少女なのか?
これほどの戦闘力と諜報の才能を持つ少女。‥‥‥?
そうか‥‥。そんなものは、カルーネンの中には1人しかいない。
アリシアか。
おまえはアリシアだったのか。
ならば——。仕えているのはアノスタコビッチ。あの変わり者と言われている三女のお嬢様だ。
知っているぞ。一度見たことがある。変わり者などと言われているが、他の連中とは違う陽の光のような明るさを持つ少女だった。
おまえが守ろうとしているものは、それか。
そのために、おまえは命すら捨てようとしているのだな? それがその陽の殺気の本質なのか——。
あれが‥‥‥
あの、陽の光のような笑顔が‥‥。あれがおまえの‥‥‥!
———私のようにはなるんじゃないぞ
ああ! 師匠。
今こそあなたの言葉の意味がわかりました。
あなたは俺に、未来を見ていたんですね。
たどり着けなかった未来を、俺に託されたんだ——。
なのに‥‥俺ときたら‥‥‥
いや、違う。
俺の代ではたどり着けなかった——ということだけだ。
‥‥でも、今‥‥。目の前に、未来がある。
師匠と俺が、2代かかってたどり着こうとした未来がある!
俺はようやく、自分が本当に望んでいたものをはっきりとつかんだ。俺が欲しかったのは、託せる相手だったんだ。
そうだ。アリシア——。
おまえに託す。
今度こそ、陽の光の下にたどり着け!
俺と師匠の2代に渡る歩みを、おまえに託すから——。
それでこそ、俺と師匠が生きた意味があるというものだ。
さあ、かかってこい! アリシア。
そうだ。いいぞ。その調子だ。
俺が師匠から受け継いだ全てを、おまえに渡してやる。
ははは——。なんて吸収力だ。
最後におまえに会えたのは、神のお導きだ。
こんなにわくわくするのは、師匠との訓練以来だぞ——。
え?
もう、刃が届いたのか? 首の大きな血管が切れた。
早すぎる。まだ‥‥全部伝えきれていないのに‥‥‥
いや‥‥これでいいのか。
全てを伝える必要はないな‥‥。
おまえはあのアナスタシア嬢の、陽の光の下にいるのだ。
意識が遠のいてゆく。
知っているか?
俺の名前のグレバは「大地」や「土壌」を意味する言葉から取られたものだ。
土は真っ黒だが、その上に美しい花を咲かせるんだ。おまえはその花になれアリシアよ。陽の光の下で花になれ。
花は土のことなど知る必要はない。土の過去も知る必要はない。
ただ無心に花を咲かせろ。
それこそが‥‥‥
* * *
狭い路地にようやく差し込んだ月の光が、石の壁にもたれかかった男の顔を照らした。
その顔は、まるで眠っているように穏やかな顔だった。
了
そして『伯爵令嬢のわたしは婚約を破棄されました』へと戻ります。




