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托されたもの  作者: Aju


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1 チャン師匠


『伯爵令嬢のわたしは婚約を破棄されました』のサテライト作品(外伝)です。

同じ世界線上のものではありますが、全然毛色の違うお話です。



 その少年の行動の意味が確実になったとき、俺の胸の中にあった袋に亀裂が入るのがわかった。

 俺は、どうやら限界を迎えたらしい。



   *   *   *


「グレバ、そうじゃない。殺気をむき出しにするな。」

 師匠のチャンが俺の喉元に刃を突きつけながら言う。俺は、いつそこに刃先が来たのかまるでわからなかった。


 チャンは遠い東の国からやって来たという年齢のよくわからない男で、黒く長い髪に黄色っぽい肌、真っ黒な瞳は表情のよくわからない切長の瞼に挟まれて常にその全貌を見せなかった。

 カルーニエットという若い商人に雇われた護衛で、今は旅の中で俺に護衛としての訓練を施すよう命じられている。


 俺は‥‥といえば、雇われではなく奴隷だ。

 5歳のころ、貧しい村からカルーニエットに買われてきて、奴隷として使われて3年になる。

 チャンと違って給金は出ない。ただ、日々の残りメシが食わせてもらえるというだけだ。


 カルーニエットのもとには俺のような奴隷が何人もいて、その中で動きのすばしっこい子供何人かがチャンのもとに付けられた。

 護衛のできる戦士を育てることで、チャンのような護衛を高額で雇わなくてもよくなる——という商人らしい発想によるものだったようだ。


「グレバ、おまえは教え子の中でも頭抜けてスジがいい。」

 チャン師匠は俺のことをそう評した。

 俺だけに特に厳しかったのは、目をかけていてくれたからかもしれない。と、今はそう思える。当時8歳の俺には、ただただ訓練がキツかっただけにしか思えなかったが‥‥。


 チャン師匠と一緒にいたのは、それほど長い時間ではない。東と西を往復して商いの荷を運ぶ旅の一往復の間だけだった。

 その間にチャン師匠は、俺にできる限りのことを教えようとしてくれたようだった。


「おまえは戦士としての力は十分にある。砂漠一の戦士になる可能性もあるだろう。だからこそおまえのその殺気を殺す(すべ)を学びなさい。殺気を内に納めて表に出さない方法を——。」


 チャン師匠は隊商が眠りにつく夜に、俺に()の扱い方を教えてくれた。


「人体は‥‥いや、生命は全て、()の結ぼれだ。体が動けば気も動く。思いを持てば気は動く。戦いにおいて気の動きを読まれれば先手を打たれる。逆に気を読むことができれば、相手の(せん)を取ることができる。」


 まだ8歳の子供だった俺には師匠の言うことの半分もわからなかったが、それでも師匠の(げん)に従って懸命に訓練を続けた。


 頭のてっぺんから月の光が入って、へその下へと溜まってゆく。

 溜まった光を、右手の指先、左手の指先へと送り込み、そしてまた戻す。

 今度はそれを足で行い、足の裏からいったん抜いて、それから再び足裏から引き込んでへその下の光の塊に戻す。

 ‥‥‥‥‥‥


 ただのイメージのような気もしたが、師匠の言うようにしているうちに何かが体の中で動くのがわかるようになっていった。


「気には(よう)の気と(いん)の気がある。殺気は生命(いのち)を滅ぼす陰の気だ。殺気を陽の気で包んで納めなさい。それができるようになれば、一流の戦士だ。()の光の下を歩くことのできる一流の戦士になれる。」


 隊商の一往復が終わったところで、次の仕事に行くという師匠とは別れることになった。

 俺はもっと教えを受けたいと思ったが、そういうわがままを言う権利は奴隷にはない。


「ありがとうございました。」

 俺は万感の思いを込めて師匠に頭を下げた。


「陽の気で殺気を包むことだ。君にはまだ未来がある。それが訪れるまで、自分を大切にしなさい。」

 師匠は少し寂しそうな笑顔を見せた。

 そのとき俺は、師匠も俺との別れを寂しいと思ってくれたんだ——とそう思ったが、そのあと師匠の口から出たのは幼い俺には理解できない言葉だった。


「私のようにはなるんじゃないぞ。」


 え? どういうことですか?

 俺は‥‥師匠のようになりたくて、厳しい訓練にも耐えてきたのに‥‥


 しかし師匠はそれ以上は何も言わず、少し哀しげな目をしてそのまま人ごみの中に消えていった。


 今にして思えば、師匠も暗殺者だったのかもしれない。



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