表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
堤門探偵事務所 〜怠惰な不死者は、場末の探偵事務所でブラックコーヒーと厄介事を押し付けられる〜  作者: 真野真名
インターミッション

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/43

雨の夜の一条家




 京の夜は、雨が似合いすぎる。


 古い屋敷の奥、庭に面した座敷には、簾の向こうにひとつ、こちら側にひとつだけ灯があった。

 濡れた石と苔の匂いが、開け放たれた廊下から静かに入り込んでくる。


 烏丸左京からすま さきょうは、畳に手をついて頭を下げたまま、しばらく口を開かなかった。

 向こうが先に言葉を置くのを待っている。


「で」


 簾の向こうで、老人の声がした。


「矢吹町の“あれ”は、結局どうなっている」


「まず、銀髪の少女の件からご報告いたします」


「帰還者か」


「いえ。獣人です。おそらく、帰還ではなく漂着かと」


 雨が庭石を叩く。


「面倒だな」


「はい」


「対処は」


「堤門の御前に預けてあります」


 返答ののち、座敷の空気がわずかに止まった。

 老人が眉を動かした気配だけが、簾の向こうに揺れる。


「……あれが、よく承知したな」


「少女の方が、御前から離れないようです。あちらも手放す理由がなくなったのでしょう」


「拾った猫でも飼うような言い方だな」


「実態としては、そう遠くないかと」


 老人が、鼻で笑ったのか呆れたのか、判別しづらい短い息を漏らした。


「監視は」


「周辺に人を置けば、すぐ見つかります。嫌がらせと受け取られるのも得策ではありません」


「では放置か」


「いえ。御前から、保護者の名目で教育係を、との要請がありましたので、式を一柱つけております」


「監視も兼ねてか」


「はい」


「状況は」


「一度、呪具の回収に同行したようです。その後は目立った外出もほとんどありません。街で一件、少々派手な騒ぎはあったようですが、大事には至っておりません」


「その呪具の出所は」


「ネットでの出品だったようです。出品者の痕跡は、途中で完全に切れております」


「雑だな」


「雑ですが、矢吹では十分に通用します」


「嫌な土地だ」


「ええ。だからこそ、御前も居着いておられるのでしょう」


 簾の向こうで、湯呑が小さく置かれる音がした。



「次」


「久田野家の件です」


 烏丸は、わずかに顔を上げた。


「概ね、こちらの予想どおりでした」


「狐憑きではなかったか」


「ええ。少なくとも、あの家が長年そう呼んできたものとは別です」


「治癒方法は」


「治癒ではなく、抑制です。御前がお持ちの呪具で、症状を抑えております」


「解析は」


「手をつけておりません」


 返答は早かった。


「あちらの世界由来の物と見ております。迂闊に触れれば、御前に知られる可能性が高い。知られれば、敵対と見なされる恐れがございます」


 老人は、少し間を置いた。


「その娘ごと消えるのであれば、それで済む話でもあろう」


「悪手かと」


「そこまで言うか」


「ええ。御前は、ああ見えて妙に情の厚いところがおありです。手元に置いたものを、理で切り捨てる方ではない」


「あれに、そこまで気を遣う必要があるとは思えんな」


「代々、手出しは禁忌と伝わっておりますれば」


 雨脚が少し強くなった。

 廊下の先で、誰かが障子を閉めるか迷い、結局そのままにした気配がある。


「一条の力であれば、恐れることもなかろう」


「恐れているのではございません」


「では何だ」


「面倒を避けております」


 ひどく率直な言い方だった。

 老人も、一瞬だけ言葉を失ったらしい。


「……お前は時々、礼儀正しい顔でひどいことを言うな」


「恐縮でございます」


「していない顔だぞ」


「精進いたします」


 老人は小さく鼻を鳴らし、それ以上は責めなかった。

 責めたところで、相手がすぐに顔色を変える人間でないことは、昔から知っている。



「獣化薬の件は」


 その一言で、座敷の気配が少しだけ引き締まった。


 烏丸も、今度は紙をめくる手を止めた。


「化生水の系統ではありますが、当家から流出したものではございません」


「断言するか」


「少なくとも、表の保管系統からは出ておりません。ただ――」


「ただ?」


「ご存じのとおり、当家も一枚岩ではございませんので。まったく無関係とは申し上げられません」


 簾の向こうで、老人の沈黙が落ちる。

 重い沈黙だった。怒気ではなく、身内に対する諦めに近い。


「では、どこの手だ」


「国内ではなく、外かと」


「中国の情報機関が動いていたのではないのか」


「御前の下にいる女子大生の素人尾行から始まった偶然の産物です。ですが、結果として彼らの興味を惹いてしまったのは間違いないでしょう」


「ではアメリカか」


「その可能性が高いと見ております」


「根拠は」


「消去法です。それに、わざわざ矢吹町で騒ぎを起こしている」


 烏丸はそこで一度、簾の向こうを見た。


「御前の情報を、ある程度持っている相手と考えるのが自然です。おそらく、反応を見たかったのでしょう」


「試し撃ちか」


「あるいは測定です」


 老人の指が、湯呑の縁をなぞる音がした。


「戦後の混乱で、いくらか流れたからな」


「ええ。向こうは、ドイツや日本から集められるだけ集めたようですが」


「遅れているか」


「“あちら”の面では、まだ」


 烏丸の声音は、そこで初めてほんの少しだけ冷えた。


「彼らは国家事業としては熱心です。資金もある。人も集める。ですが、土台が浅い。歴史が足りません。ネイティブの系統や中南米の伝承を繋ぎ始めてはおりますが、焦りの方が強い」


「焦った連中ほど、余計なことをする」


「はい。だから矢吹まで手を伸ばしたのでしょう」


「中国は」


「昔は先進国でしたが、今は散逸がひどい。資料も文献も、人も、綺麗に残っておりません。再開はしているようですが、まだ拾い集める段階です」


「だから横から覗きに来る」


「その程度の余裕は、あるようです」


 簾の向こうで、老人がわずかに身じろいだ。

 座り直したのか、それとも背筋を伸ばしたのか。姿は見えないが、空気だけが変わる。


「つまり」


「矢吹町は、御前と、漂着者と、流出した呪具と、外の思惑が、まとめて寄る土地になりつつあります」


「最悪だな」


「はい」


「だが、まだ崩れてはいない」


「御前がおられますので」


「そこまで信を置くか」


「信ではありません。実績でございます」


 その返答に、今度こそ老人は短く笑った。

 愉快だからではなく、認めざるを得ない種類の笑いだった。



「お前たちは、あれを何だと思っている」


 雨音の向こうで、遠く雷が鳴った。


「漂着者、でございます」


「帰還者ではなく」


「はい」


「何年前の」


「およそ二百年前、こちらへ流れ着いたものと聞いております」


「長命ではあるが、所詮はその程度、か」


 烏丸は答えなかった。

 答えないということは、同意しているわけでも、否定しているわけでもない。

 一条家に長く仕える人間ほど、沈黙の使い方がうまい。


「……まあよい」


 老人がそう言った時、だいたい良くない方向に話は固まる。


「今はあえて敵対する必要もない。銀髪の少女も、久田野の娘も、獣化薬も、いましばらくは見ていろ。 ただし」


「はい」


「こちらを試している連中がいるなら、試されっぱなしというのも癪だ」


 烏丸は、静かに頭を下げた。


「御意」


「派手に動くな。矢吹は狭い。あれの耳も目も、妙に広い」


「承知しております」


「それと」


 老人の声が、最後だけ少し低くなる。


「家の中を見ておけ。外の敵より先に、内の愚か者が穴を開ける」


 その言葉に、烏丸は一拍だけ遅れて応じた。


「……かしこまりました」


 会話はそこで終わった。

 だが、雨は終わらない。


 烏丸左京が廊下へ下がると、庭の向こうに古い灯がひとつ揺れていた。

 京は静かだった。

 静かな土地ほど、水の底で何かが動いている。


 矢吹町の夜は荒れているというのに、ここでは湯気の立つ茶碗ひとつ、音を立てずに冷めていく。

 それでも、冷めた茶をそのままにしておけるほど、一条家もまた悠長ではなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ