第126話 島での日常
SIDE:ノエル
ルガット先生による二回目の授業を受けてからは、特に大きな事件もなく島での日々が過ぎていった。
朝起きたら当然のように添い寝しているアイリスにおはようのハグをして、リビングで夜ふかしからの寝坊コンボを決めた三人娘を生温かい目で眺める。
「シャルと先に行ってて。私はお灸を据えてから追いかけるから」
「……ほどほどにしてあげてね?」
昨夜は賭けトランプにでも興じていたのか、ジュース瓶と金貨を抱いて幸せそうに眠る眷属たちの冥福を祈りつつ、私は床に散らばる女性服を避けながら良い匂いがする室内を玄関へと向かう。
ちなみにロレッタちゃんは惨敗したのかパンイチで転がされていたけれど、紳士な私はなるべく眷属のお尻を見ないようにしてリビングを横切った。
まったく、いつの間にポーカーなんて覚えたんだか……この子たちは私よりも島での生活を楽しんでやがるぜ……。
たくましい新人たちの様子にほのぼのしながら、私もそのうち混ぜてもらおうと心に決める。
グレースちゃんあたりは強そうだけれど、メアリーの力を借りれば合法的に服を剥ぎ取ることができるだろう。
たとえ眷属に性欲は抱かなくても、美少女の半裸というのは眼福なのだ。
「その時はアイリスも混ぜるのじゃぞ、主君。妾はまだ死にたくないのじゃ」
欲望が顔に出ていたのか、愛剣の忠告に私は苦笑する。
「それだと脱衣までは無理かな……」
背後で『べチッ!』「んぎゃっ!?」と謎の快音を発している婚約者を眷属たちと共謀して脱がせてみようかとも思ったけれど……アイリスはそこらへん本気でお姫様だから、無理に追い込んだら泣いてしまうだろう。
意外とアイリスの素肌って見たことがないんだよなぁ……。
彼女は夏に半袖を着るくらいで、基本的に露出の高い服装を好まないのだ。
「……しかし、それはそれでまた良し!」
だらしない美少女たちに囲まれて暮らしていると、ガードの固い美少女がとても魅力的に思えることを発見しつつ、玄関についた私は壁に掛けてある外套と髑髏の仮面を装備して外に出る。
玄関の扉を開けると外はまだ朝日が昇る前で、水平線の上に漂う雲が薄明かりの中で美しく輝いていた。
「んんっ!」
大きく伸びをしながら新鮮な空気を吸い込めば、エストランド領とは違った潮の香りが鼻の奥に広がって、私は目を細めて早朝の海をしばし眺めた。
故郷で朝に深呼吸すると土と霜で濡れた草の香りがしたものだけれど、これはこれで悪くない。
そうして離島の朝を十分に満喫してから、私は新居の外階段を下りて行く。
途中で二階の扉をノックすると、すぐにスティングさんが顔を出して、私はすっかり打ち解けた我が家の専属料理人に挨拶をした。
「今朝はオムレツが食べたいです。チーズをたっぷり入れたやつ」
「……貴様の内臓を具にしてやろうか?」
そんなことを言いつつも卵とチーズを取りに行ってくれる青年の姿にほっこりし、麻袋を片手に戻ってきたスティングさんといっしょに階段を下りる。
私がオムレツを食べていたらアイリスたちも欲しがるだろうから、袋の大きさからして彼女たちの分も食材を持ってきてくれたのだろう。
「妾知っとる……こういうやつをツンデレというのじゃ……」
どこで覚えたのか剣の姿のまま呟くシャルさん。
スティングさんとの修行で私の近接戦闘能力がそこそこ向上したせいか、最近のシャルさんは剣の姿でいることが多くなっていた。
まあ、以前は剣を持っていたところで咄嗟に抜いて戦うとかできなかったからね。
今なら急に誰かから攻撃されたとしてもシャルさんを抜いて防ぐことができると思うし、彼女が生首の姿でいることが多かったのは私の実力不足が原因だったのだろう。
スティングさんとの本気の実戦訓練の中で、私は母様から教わった剣術がようやく自分の血肉になっていくのを実感していた。
やはり実母が相手だと訓練に甘えが出てしまっていたのかもしれない。
というか母様は人にものを教えるのがかなり下手くそだったのかもしれない……。
『――死ぬ気で覚えろ』
『――技は盗め』
『――違う! そこは、グワッ、ではなく、グバッ、だ!』
とか言うタイプだからなぁ……。
エストランド領での訓練を思い出しながら遠い目になりつつ、私はスティングさんと並んで早朝の【学食通り】を下って行く。
「今日もカプランさん来ますかね?」
「絶対いるだろ。俺の料理を食べて血を吐いてでも、やつは参加したがるからな」
そんな会話をしながらいつもの訓練場所まで辿り着くと、そこには案の定、昇りはじめた朝日を眺める筋肉吸血鬼の背筋があって、彼は漢らしく私たちのほうへと振り向いた。
「来たかっ! ノエル、スティンっ! 我が愛弟子たちよっ!」
暑苦しいゴリマッチョは冬の寒さをものともせず、全身から湯気を立てていた。
「「…………」」
念のために言っておくけれど、私とスティングさんが彼に弟子入りした記憶はない。
しかし朝日を背にして白い歯を輝かせるマッチョの画というのは、朝からこってりしすぎて胸焼けしそうになったので、私とスティングさんは無言で剣と炎槍を構えた。
「おっ! さっそく戦るのか!? お前らは本当に勉強熱心だな! よかろう! 今日もこの俺が筋肉の真髄というものを教えてやるっ!」
我々としてはモストマスキュラ―のポーズで左右の大胸筋を交互にピクピクさせるゴリマッチョの姿が不快でやめさせたいだけなのだが、カプランさんは基本的に口で言っても伝わらないので肉体言語で語るしかない。
「「うおおおおおおおおおっ! 死ねぇえええええええええっ!!!」」
最初は朝の清々しい気分を穢された殺意に身を任せて、しかし戦闘を続けて行くとカプランさんが持つ高い肉体操作技術に敬意を抱きはじめて真剣に。
海の上を走り回り、二対一で戦う変則的な戦闘スタイルの訓練が加わったことで、私の朝練は悔しいことに更なる充実感を覚えるものになっていた。
私は【血液操作】で足場を作り、体内の血を操って愛剣を振るう。
強い神聖気を宿すシャルさんで攻撃するが、しかし筋肉ダルマはリドリーちゃん並みの軽快なフットワークでその全てを躱してみせた。
「おっ! 坊主は下半身の使い方はだいぶ上手くなってきたな! しかし背筋の使い方がぎこちないから、もっと脊柱起立筋を収縮させながら剣を振るったほうがいいぞ!」
背筋の一部を、キュッ、として見せるカプランさん。
「うわっ!? なんか具体的すぎてキモいっ!」
「キモいとはなんだっ!? キモいとはっ!?」
余裕でアドバイスしてくるあたり、あちらはまだまだ本気ではないのだろう。
「シッ!」
その証拠に、私が精神攻撃で生じさせた隙を狙ってスティングさんが炎槍による刺突を放つが、
「ふんっ!【肉体粘動】っ!」
カプランさんはまるで液体のように筋肉を流動させて、その一撃を悠々と躱してみせた。
続けて振るわれた鞭のようにしなる左ジャブの二連撃によって、私とスティングさんは吹き飛ばされる。
「くっ! こいつ巨体のくせにチョコマカとっ!」
「ちぇっ……今のは決まると思ったのに……」
「ハッ! まだまだ温いわ青二才どもがっ!」
プルプルになった肉体を再び引き締めて、ダブルバイセップスをする筋肉がウザい。
おそらく【血液操作】と【変身術】を併用して肉体の柔軟性を極限まで高めているのだろう。
ちょっと今の私では真似できない高等技術を息をするように使うあたり、流石は長い時を生き抜いてきた吸血鬼である。
そうこうしているうちに朝練場へとアイリスたちもやってきて、やたらと男臭い時間は終了した。
「あ! やってるやってる!」
「ご主人様~! お父様~! 私たちも混ぜてくださいませ~!」
海原で寝転ぶ私たちを見つけて駆け寄ってくるアルフォンスちゃんとロレッタちゃん。
怒れる女主人から逃げ出した二人を目にしてグレースちゃんがわざとらしく嘆息する。
「やれやれ、どうやらまだお嬢様気分が抜けないみたいです。あの子たちには追加のお説教が必要ですね、アイリス様?」
あっさり友達を売って女主人へと取り入ろうとする新米メイドへと、アイリスは呆れた様子でジト目を向けた。
「……あなたたちって三人とも図太い性格しているわよね? そういうところもノエルに似たのかしら?」
二人はそのまま朝食用の机を準備して、ちょうど人数分の椅子が揃ったあたりで青空の上を蝙蝠の群れが飛んでくる。
「む? バイロンか?」
カプランさんが呟いたとおり蝙蝠の群れは廃船の上に着地すると、数日前に目にしたイケメン執事の姿になった。
眷属たちが戦いたがっていたので、私はロレッタちゃんとアルフォンスちゃんにカプランさんの相手をバトンタッチしてもらい、海の上を歩いて実家の寄り親に挨拶をする。
「おはようございます、バイロンさんも運動しに来たんですか?」
私が訊ねるとイケメン執事は柔和に微笑んで挨拶を返してから首を横に振った。
「いや、今日はこれについて君と相談に来た」
そう言って彼が懐から取り出したのは見慣れたスマートメアリーで、私はアルフォンスちゃんが十数台のスマリーを購入していたことを思い出す。
あれは実家に送っていたのかと納得して、私は百枚以上の金貨を消費してくれた太客へとニッコリする。
「お買い上げありがとうございます! それで相談とはどのような内容で?」
機能の拡張はまだ一般に解放していないけれど、身内ならば少しくらいは考えてあげてもいいだろう。
リドリーちゃんもルガットさんのスマリーをバージョンアップしているとメアリーから報告があったし、ここで私がバイロンさんのスマリーを特別仕様に改造したところで怒られないはずである。
そんなことを考えつつ訊ねると、しかしバイロンさんは意外な提案を出してきた。
「こちらの魔道具に定期的に表示される文章……これはノエルくんの自由に変えることができるのでしょうか?」
定期的に表示される文章とは、リドルリーナ様を応援する目的で流している例のアレだろう。
前世の知識でこういった商売を知っている私は、バイロンさんを朝食の席に案内しながらテーブルメイキングをしていたアイリスを紹介する。
「宣伝契約をご希望でしたら彼女と相談をお願い致します。恥ずかしながら僕はそういった細かい話が苦手でして、だけど広告料はなるべく勉強させていただきますよ?」
パチッ、とウインクすれば『了解、お友だち価格ね?』と頷いてくれるアイリスが頼もしい。
「……すでに新型魔道具を利用した商売まで整えていたのですか……流石はメルキオルの子供と言うべきか……」
なんでもバイロンさんはプリメラーナ師匠の資産を管理しているらしいし、スマリーに流れる文章を見て広告事業を思いつくあたり、凄まじい商才を持っているのだろう。
そうして私には難しい数字の話をアイリスに任せ、私はバイロンさんにお茶を出すため廃船のキッチンへと向かう。
テーブルメイキングを終えたイザベラちゃんも他の二人に混ざってカプランさんとの訓練をはじめてしまったため、ここは私が給仕を担当するとしよう。
なにやら私の影から『ぷるっ……』と怒りのオーラが滲み出しているけれど、相手はまだ子供なのだから優しく見守るように告げておく。
……エストランド領に戻ったらメイドのメの字も知らないようなお嬢様たちの有り様に、マーサさんとかイザベラさんあたりが鬼になると思うから、今くらいは自由を満喫させてあげてもいいだろう。
いや、その前にリドリーちゃんの逆鱗に触れるかな?
そんな未来を金眼で見ながらキッチンへと入ると、三人娘と入れ替わりで訓練を抜けたスティングさんがすでに朝食の準備をはじめていた。
「なんだ? 朝飯ならまだだぞ?」
「いえ、ちょっとお茶を淹れたくて」
「……それなら俺が淹れてやろう。貴様が淹れると貴重な茶葉が台無しになるからな」
そう言って手際よくティーポットのセッティングをしてくれるスティングさん。
新米メイドたちよりこの人のほうが働いてくれてるんだよなぁ……。
そんな事実に私はろくにマティアス探しをしていないことを少しだけ申し訳なく思う。
いや、べつにまったくしていないわけではないんだよ?
なんなら今もちゃんと島中でメアリーが住民の会話を盗聴して捜索しているし。
というかルガット先生から【変身術】の基礎を習った今だからわかるのだが、遺伝子レベルで自在に変身できる吸血鬼を地道な捜索で探すのは不可能に近い。
少なくとも地道な聞き込みや科学調査で探すのは絶対に無理だろう。
見つける可能性があるとすれば私やアイリスの魔眼を使用することなのだが……それを実行に移そうとすると【眷属化】した金眼イビルアイから全力で拒絶されるから、おそらくマティアスを未来視の力で無理に探すことは死亡フラグなのだと思う。
むしろ金眼イビルアイは今の私がマティアスと出会わないように全力で暗躍している節まであるから、『探さない』のではなく『探せない』と言ったほうが正しいのだ。
まあ、相手はカプランさん並みかそれ以上の実力を持つ吸血鬼なのだから、現状で見つけたところで返り討ちにされるのは確実である。
だから今のところはメアリーの情報網を島中に張り巡らせながら、少しでも自分の実力を底上げすることに集中しているのだが……今の私はなにか大切なことを見落としている気がしてならなかった。
それはマティアスとは別の、もっと根源的なことだ。
今の私に足りないもの。
吸血鬼として強くなるために必要不可欠ななにか。
そこらへんアイリスやシャルさんは気づいているみたいなのだが、彼女たちは私がそれを自覚することを待っているため聞くことができない。
唯一すんなり教えてくれそうなのはプリメラーナ師匠だけど……師匠は師匠でリドリーちゃんを攫ったままメイドの借りパクを決め込んでいるので、おそらく半月後にある師匠の授業まで顔を出すつもりはないのだろう。
そうして『マティアス探し』という課題の意味を考えて私が悶々としていると、スティングさんが私の様子に気づいて声をかけてくる。
「なんだ? 珍しく静かじゃないか?」
「……ちょっと悩んでることがありまして」
「小娘たちの躾に関してか?」
「いえ……」
それは時間が解決してくれると思うから、あまり心配はしていません。
エストランド領のメイドさんの力を借りるまでもなく、そのうちリドリーちゃんが帰ってくれば先輩面して地獄のような教育をしてくれるだろうし。
彼女たちが私とアイリスに甘えていられるのは今だけなのだ。
スティングさんの予想に首を振り、続けて私は熟練の吸血鬼ハンターに質問してみる。
「そもそも吸血鬼ってなんなんですかね?」
それは私が最近になって抱きはじめた疑問だった。
これまでは前世の映画や漫画に出てくる血を吸う怪物をぼんやりとイメージして吸血鬼らしく振る舞ってきたけれど、多くの吸血鬼がいるこの島に来てから『変な吸血鬼』とか言われることがたびたびあり……そこから私は自分が持つ吸血鬼の知識が間違っているのではないかと考えはじめたのだ。
そもそも地球の吸血鬼とこの世界の吸血鬼は別物かもしれないし。
アイリスたちが言う私の不自然なところとは、そこに端を発しているのかもしれなかった。
改めて吸血鬼について学ぼうとする子供へと、しかし吸血鬼ハンターは呆れた顔をしてキッチンの外を指差す。
「……いや、それは他の吸血鬼どもに訊いたほうが早いのでは?」
「…………」
あまりに当たり前の指摘に、私は恥ずかしくなって赤面した。




