第124話 そのころエストランド領では
SIDE:メルキオル
ノエルが蓋門島へと旅立ってからおよそ二週間。
賑やかな子供たちがいなくなったことでエストランド領には久しぶりに静かな時間が流れていた。
「……やはり子供がいないというのは寂しいものだな」
リビングのソファに腰掛けながら、ラウラが小さく不満を零す。
彼女が冒険者をやめて子育てに専念すると言いはじめた時にはとても驚いたものだが、三人も子供を育ててみればその理由はよくわかった。
かつて迷宮で誰よりも先へ先へと突っ走っていた彼女を思い出しながら、僕は思わず苦笑する。
「時には休息も必要だろう? いつも君は倒れるギリギリまで動いてしまうんだから」
「……まあ、な」
口では僕の言葉を肯定しつつも、刺激が激減したことが不満そうなラウラ。
彼女にとって子育てというものは迷宮探索よりも楽しい大冒険なのだ。
ラウラの血を引いているだけあって僕らの子供たちはみんな曲者揃いで、その中でも末っ子のノエルは目を離したら何をしでかすかわからないほどの問題児だったから、ラウラは次男の成長を誰よりも深く見守って楽しんでいたのだろう。
となりに座る僕の足を狼獣人の尻尾でくすぐる妻のことを愛おしく思いながら、息子の急成長を思い出した僕は遠い目になる。
……あの子は島で問題を起こしていないだろうか?
頼もしい教育者が見つかったことで、つい『力の限り無茶をしておいで』なんて格好つけて息子を送り出してしまったけれど、今となってはかなり後悔していた。
あの島にはプリメラーナ様に匹敵する【神格者】が複数人いる。
神格者とはその名の通り、神々に匹敵する力を持つ者たちのことだ。
リドリーさんが一緒にいる限りノエルが彼らと敵対することはまずないだろうけれど、しかし彼らから興味を持たれる可能性は十分にあった。
なぜならば、おそらくあの子は【迷い人】だから……。
数千年から数万年に一度現れるという別世界からの来訪者。
自分の子供がそんな数奇な運命を持つ存在であることを僕が確信したのはわりと最近のこと。
……いや、ノエルはミストリア王家と同じ【追憶の瞳】を持っていたから、もともと前世の記憶があることは覚悟していたのだ。
幸いラウラはそれを受け入れるだけの寛容さを持っていたし、僕もノエルの精神年齢がせいぜい三〇~四〇歳程度だと知って『子供』として受け入れることができた。
数百年の時を生きてきた僕たちからしてみれば、三〇歳や四〇歳など生まれたばかりの赤子と変わらないし、ノエルはさらに『大きな異常』を抱えていたのだから、たかが前世の記憶などかわいいものだろう。
……ノエルたちが旅立ったあと、ラウラといっしょにゴリアテ内部の視察に向かった僕は、そこに飾られていた『動く絵画』を目にして愕然とした。
あれは間違いなく、『あの島』に流れ着く『異界の絵画』と同じ流れを汲む物だった……。
特にデフォルメされた美少女の絵が多かったのは、デザインの元になったノエルの記憶がとある世界のとある地域で育まれたものだからだろう。
どうりでノエルが変な知識を持っているわけだ。
確か賢者たちが名付けた正式名称は……『ニャホン』だったか?
そこはかつて金月神ラグナリカ様が研究を続けていた地域だったはずである。
この世で最も聡明な女神とされるラグナリカ様が興味を持った土地。
そこで生まれ育った記憶を持つ【迷い人】が現れたならば、あの島の神格者たちが興味を抱いてもおかしくはない。
特にあの島の賢者たちは双月神と少なからず関わりのある者たちだから、ノエルが絡まれる可能性は大いにあった。
……おそらくノエルが抱える『異常』も、【迷い人】としての記憶が影響しているはずで……あの子がそれに気づいてしまった時……果たしてこの世界は無事でいられるのだろうか?
そんな心配を膨らませて僕が頭を抱えていると、ラウラが「む?」と首を傾げて唐突にソファから立ち上がる。
「――なにか来るようだ」
薄く輝く金眼で北の空を睨むラウラ。
未来視の魔眼を持つ妻の真剣な表情に、僕は抱えていた悩みをひとまず忘れることにした。
「……敵かい?」
「いや、よくわからんが……このままでは確実に死人が出る」
ラウラがそう言うならば放置することはできないのだろう。
すぐに僕と彼女は戦いの準備を整え、家を飛び出したところでラウラが自分の影へと指示を出す。
「エスメラルダの近くへ!」
ぷるっ!
すぐさま僕たちの前に【転移門】が開いて、それを潜ると湖を望む大きな広場に出た。
「ん?」
「うおっ!?」
「わっ!?」
私たちが急に転移してきたことで広場にいた聖騎士たちが驚きの声を上げるが、すぐに顔見知りだと判断して落ち着きを取り戻す。
ノエルたちに面倒を見ると約束した手前、先日ラウラと僕は彼らと会って面通しをしていた。
「これはこれはメルキオル様、ラウラ様。我々になにか御用ですかな?」
「どうしたラウラ? 顔合わせなら先日済ませたばかりだろう?」
若手に下がるよう指示を出しながら老魔術師とエスメラルダさんが要件を訊ねてくるが、ラウラは鋭く聖騎士たちに指示を出す。
「総員警戒! 水の中だ!」
もともと聖光騎士団の精鋭部隊だけあって彼らの反応は迅速だった。
武器や盾を持つ者は湖へと向かってそれを構え、無手の者は近くの盾持ちの後ろに入る。
そしてこちら側の準備が整うのとほぼ同時に、広場に面した水面から一匹の巨大魚が飛び出してきた。
「うっ!? 臭っ!? なんだこいつはっ!?」
真っ先に巨大魚の前へと飛び出して巨体による体当たりを受け止めたエスメラルダさんが顔を顰める。
「阿呆がっ! いきなり素手で触るやつがあるかっ!」
危険を察したラウラがエスメラルダさんを蹴り飛ばすのと同時、巨大魚の内側から骨の槍が生えてきて、エスメラルダさんの左腕を貫通する。
巨大魚から距離を取ったラウラが冷静にエスメラルダさんの両腕を斬り落とすと、巨大魚に触れた部分から肉が盛り上がって斬り落とされた腕を飲み込んだ。
「……ふむ、一見アンデッドに見えるが、こいつには神聖気が効かないようだ」
両腕を瞬時に再生させながら、かつて【鈍牛】と呼ばれた聖騎士がラウラと並び立つ。
「相変わらず鈍いやつだな……これはメアリーが潜む湖を越えてきたのだから、ただの腐った魚のわけがないだろう」
呆れながら剣を構えるラウラの前で巨大魚は周囲の魔力と燐気と神聖気を貪欲に取り込んで肥大化していき、僕はメアリーがこれを捕らえられなかった理由を察した。
「気をつけて、相手はおそらく【神格者】だ」
「っ!? 総員退避っ!」
僕の警告を聞いて、エスメラルダさんが聖騎士たちを下がらせる。
できれば敵対したくはないけれど、今も増殖を続ける肉塊を放置しておけば、いずれはゴリアテまで飲み込まれてしまうだろう。
エスメラルダさんが流した血を操って、僕は増殖する肉塊の表面に血液操作で魔法陣を描く。
周囲のエネルギーを吸い取って燃え上がるように調整した血の魔法陣は、肉塊が増殖するための燃料を尽く吸収して広場に大きな炎を生み出した。
爆発的な燃焼をはじめた肉塊を見て、エスメラルダさんが僕にジト目を向けてくる。
「……お前は本当に【男爵】級か?【伯爵】や【侯爵】でもおかしくなさそうだが?」
吸血鬼との戦闘経験が豊富なエスメラルダさんは今の対応でこちらの力量を見抜いたのだろうけれど、吸血鬼としての僕の階級は男爵でなければ困るのだ。
「……他の吸血鬼には内緒にしておいてください」
かつてのルームメイトでもある僕の親友は、皇女様から男爵級までの力を借りることしか許されていないのだから。
そうして僕がエスメラルダさんにお願いをしていると、ラウラが剣を構え直して警戒を促す。
「来るぞ」
彼女が言い終わるや否や、燃え盛る肉塊から骨の腕が生えてきて、続けて這い出してきた頭蓋骨が呵々大笑した。
「――クハハハハハッ!! 吾輩登場っ!!!」
聞き覚えのあるスケルトンの声音に、僕は、カクッ、と姿勢を崩す。
やたらと威厳に満ちたこの陽気な骸骨は、間違いなく【蓋門島】の名物アンデッドだろう……。
「……こんなところでなにをやってるんですか、ホルミスダス様…………」
そして急いで戦意を漲らせるラウラとエスメラルダさんを止めて、肉塊の周囲に張り巡らせた迎撃用の罠も解除すると、肉塊の中に腕を突っ込んでなにかを探していたスケルトンが振り返った。
「む? 吾輩の名を識る貴君は何者かな?」
何度か拝謁したことはあるのだが忘れられてしまったみたいなので、僕はその場で片膝を突いて挨拶をする。
「プリメラーナ様が配下、メルキオルでございます。キャプテン・ホルミスダス」
「キャプテン……」
僕が発した言葉を聞いて、ホルミスダス様は全身の骨を震わせた。
「うむっ! うむっ! 貴君はこの世の道理というものがわかっているな! 実に将来性のある若者である!」
よかった……キャプテンと呼べば機嫌を良くするチョロい性格はまだ変わっていなかったようだ。
燃え盛る肉塊の中から愛用の海賊帽子を引っ張り出したホルミスダス様は、それを被りながら炎の中から歩み出てくる。
どうやら外套も失くしているみたいなので、僕はメアリーに頼んで予備の外套を家から持ってきてもらった。
「よろしければこちらをお使いください」
「おお! 有り難く頂戴しよう!」
そして、バサッ、と外套を羽織って偉大な賢者が身なりを整えたところで、僕は質問を繰り返す。
「それで? キャプテンはこちらで何を?」
もしも『聖光騎士団を殲滅するために』とか答えられたら本格的な殺し合いになってしまいそうなので、心して確認するとホルミスダス様はわかりやすく眼窩の光を泳がせた。
「……ぼ、冒険である!」
……さては遭難していたな?
とりあえず敵対の心配は無さそうなことに安堵しながら、僕は確認を続ける。
「この肉塊は?」
触れるだけで肉体を侵食し、周囲のエネルギーを取り込んで増殖を繰り返す生物兵器を指差して訊ねると、ホルミスダス様は堂々と胸を張った。
「うむっ! よくぞ聞いてくれた! こいつは吾輩の新しい潜水艇である! 肉塊は対深海生物用に組み込んだ自動迎撃システムだ!」
ノエル並みのめちゃくちゃ加減に頭を抱えたくなったが……とりあえず賢者の乗り物を燃やすのは不敬な気がしたので、僕は血の魔法陣を解除して肉塊を包む炎を消火した。
続けてホルミスダス様が指を鳴らすと肉塊が縮んでいき、広場に腐った巨大マグロが現れる。
腐臭を撒き散らしながら跳ねるマグロへとホルミスダス様は素早く近づいて、何度もローキックを叩き込んだ。
「せっかく内側から吾輩専用の乗り物に改造してやったというのに……この腐れマグロは吾輩をそのまま消化しようとしやがったのだ! こいつめっ! こいつめっ!」
ビチッ! ビチッ!
……どうやらこの賢者は自分で改造したマグロに食べられていたらしい。
再び対深海生物用の自動迎撃システムを発動させてマグロに取り込まれそうになるスケルトンを警戒しながら、エスメラルダさんが僕に近づいてくる。
「おい……こいつはお前の知り合いか? ずいぶんヤバそうなやつだが大丈夫なのだろうな?」
彼女の問いかけに僕は深々と頷いた。
「ええ……基本的には友好的な御方ですが、うっかり殺されないようにだけ気をつけてください……【狂骨】様は生と死の境を気にしない御方ですから」
「……【狂骨】って……聖典にも名が出てくる神話の怪物ではないか…………」
神戦紀に死者の大群を率いて世界中で暴れ回った【三大死霊術師】の一角。
その二つ名を聞いたエスメラルダさんは絶句して後ずさった。
ラウラが『このままでは死人が出る』と予言したのはホルミスダス様が相手だからだろう。
ホルミスダス様はたとえ友好的な知的生命を殺してしまっても、死霊魔術でアンデッド化すれば問題無いとか考える御方なのだ。
マグロとの喧嘩を終えた偉大な賢者は、外套にくっついた腐肉を払って、ずっと警戒を続けていたラウラへと語りかけた。
「ところで吾輩をこの地へと導いたのは貴女かな?」
まるで何者かの意思によってこの地を訪れたかのように言うスケルトンへと、ラウラは静かに予想を告げる。
「……いや、それはおそらく息子の仕業だ」
「ふむ、やはり新たな金眼持ちが生まれていたか……だとすれば吾輩がこの地に迷い込んだことには、なにかしらの意味があるはずなのだが……」
そう言って周囲を見渡したホルミスダス様は、ボアァ、と呑気に欠伸するゴリアテを見て、
「ああっ!?」
なぜか急に雷に打たれたような顔をして膝から崩れ落ちた。
「どうしたのですかっ!?」
慌てて私が駆け寄ると、ホルミスダス様は謎の質問をしてくる。
「……もしやあの城には『動く階段』や『動く絵画』があるのでは?」
「……? 確かにありましたけれど……?」
「くぅっ!?」
先日行った聖騎士たちとの顔合わせのついでに、僕もゴリアテの内部を確認してみたけれど、ゴリアテの中には『動く絵画』だけではなく『動く階段』も設置されていた。
聖騎士たちに聞いた話だと吹き抜けの階層で勝手に向きを変える階段は、ノエルの趣味で設置したものだと言っていたが……どうやらそれがホルミスダス様の精神にダメージを与えたらしい。
地面に突っ伏した賢者が暗い雰囲気で何事かを呟く。
「……魔法が掛かった古い城、聳え立つ幾本もの尖塔、そして動く階段と絵画……こうして目にしてみればハッキリとわかる……『百聞は一見にしかず』とはこのことか……」
ホルミスダス様は勢いよく上体を起こし、両手を天へと伸ばして咆哮した。
「――これぞ【魔術学園】のあるべき姿ではないかっ!!!」
そして『異界の文書の解釈を間違えた』と悶絶する賢者の姿を目にして、僕は未来視の魔眼を持っていないのに、若い吸血鬼たちがこの地に満ちる不吉な未来を幻視した。
ゆらりと立ち上がったスケルトンが、こちらに獲物を狩る目を向けてくる。
「……この城の城主殿はどこかな? できれば我が学園の更なる発展のために建物を間借りさせて欲しいのだが?」
そして遠く離れた土地からも七賢者の興味を引いた息子の特異性に胃を痛めながら、僕は偉大な賢者様へと正直に答えた。
「……ちょっと今は留守にしております…………」




