第115話 新たな血族
SIDE:ロレッタ
目を覚ますと、私は柔らかいベッドに寝かされておりました。
清潔なシーツと温かな掛け布団に、手足を伸ばせる広々としたスペース。
ああ……なんて素敵な寝心地なのかしら……夢なら永遠に覚めないでほしいですわ……。
これまでただの一度も経験したことがなかった極上の快楽に、吸血鬼の子女として厳しい鍛錬を受けてきた私は自分の心身が癒やされていくのを感じます。
しかし現実とは無慈悲なもので、すぐに扉の開く音がして、いつもの侍女が私を起こしに来て……
「あ、ロレッタ起きてる」
「まったく……意外と君は寝坊助なんだな」
……聞き覚えのある声音に、すぐさま私はベッドから飛び起きました。
「グレース!? それにアルフォンスまで!? どうしてあなたたちが私の寝室まで侵入しておりますの!?」
カプラン家の護衛部隊はどうしたというのでしょうか!?
同期のライバルであるこいつらを寝室まで入れたら、寝首を掻かれてもおかしくないというのに!
咄嗟に私は拳を構えて迎撃しようとしますが、どういうわけか二人は襲ってくることもなく……それどころか私が寝かされていたベッドに腰を下ろし、グレースに至ってはそのまま無防備に寝転んでしまいました。
「……なにをやっているんですの?」
二人の行動が理解できなくて警戒心を強めると、アルフォンスが両手を上げて戦闘の意思がないことを示してきました。
「【血流闘法】を解きなよロレッタ……ボクたちが争う必要はもうなくなったんだ」
ベッドでゴロゴロするグレースもその言葉に同意します。
「そーそー、うちの『ご主人様』はちゃんと子供を作ると思うし、私は『ヴラド系』の三公爵みたいにいがみ合うつもりはないから」
「それにはボクも賛成かな」
「……なにをそんな他人事みたいに……?」
状況が飲み込めずに首を傾げる私へと、アルフォンスが苦笑します。
「まだ気づいてないのかい? ボクとグレースとロレッタは、新しい【血族】へと生まれ変わったんだよ?」
「へ?」
……そう言われてみると、これまで遠い親戚くらいに感じていた二人との『血の繋がり』が、今は姉妹くらいに感じられて……そこでようやく私は昨晩の出来事を思い出しました。
「……そうでしたわ……私は跡継ぎ様に【眷属化】されて…………」
モソモソと掛け布団の中に潜り込みながら、グレースが私の呟きを肯定します。
「そう。それで皇女様の血を上書きされて、私たちは晴れてノエル様の眷属になったってわけ」
ベッドの端をポンポンと叩いて、私にも座ることを促しながらアルフォンスが遠い目をします。
「いやぁ……あのバチバチは流石に死ぬかと思ったよ……だけどまあ、ノエル様の【血族】になったことは大正解だったかな」
「ん、私もそれには激しく同意……アイリス様も意外と優しいし……それにこの家の寝具は超気持ちいい」
「分刻みで決められていた育成スケジュールからも解放されたしね?」
「ねー」
……いつの間に仲良くなっていたのか、拳をコツンとぶつける二人に、私はこれまでの常識がガラガラと崩れていくような気がして頭を抱えました。
「あ、あり得ませんわっ!? 皇女様の血は吸血鬼として完璧なものであるはずなのに……それを上書きするなんてっ!?」
吸血鬼は始祖を頂点に置いた【血族】を構成する種族です。
神々の大戦で始祖を失った【血族】ならばともかく……現存している始祖の【血族】にいる者は『より優れた血』を持つ吸血鬼にしか【眷属化】することができず、金月神ラグナリカ様が最後に生み出した【鮮血皇女】様の血を上書きすることは誰にもできないはずでした。
そんな私の疑問へと、グレースが寝たままあっさりと答えます。
「これはルガット母様が言ってたんだけどさ、なんかノエル様ってラグナリカ様によって生み出された新しい始祖の可能性が高いらしいよ? もともとメルキオル・エストランドが皇女様の【血族】だから、ヴラド系とは親戚関係になるみたいだけど」
「……は?」
とんでもない情報の開示に私が呆けていると、顎に手を当てたアルフォンスが頷きます。
「なるほど……確かにエストランド家にはラグナリカ様の使徒である【先見】のラウラがいるし……ノエル様が皇女様よりも新しい始祖ならば、吸血鬼として『より優れた血』を持っていてもおかしくないってことか……」
「はああああああああああああああああっ!?!?!?」
吸血鬼の歴史を揺るがすとんでも情報に私が思わず叫ぶと、グレースが枕を投げてきます。
「ロレッタうるさい」
ポフッ、と顔に当たった柔らかい感触は、これまで何度も彼女から投げつけられてきた短剣とはまったく異なる感触で……逆にそれがこの状況の異常性を際立たせていました。
「…………っ!?」
なおも混乱する私へと、ベッドから立ち上がったアルフォンスが近づいてきて、優しく肩を叩きます。
「まあ、なかなか現実を受け入れ難い気持ちはわかるけどさ……昨日の夜からボクたち吸血鬼の世界は大きく動いたんだ」
「具体的に言うと、ロレッタが寝ている間に三公爵が『同じ席でお茶を飲むくらい』和解した」
「はぁっ!?」
グレースからのさらなるとんでも情報に、私は自分の耳を疑いましたが……どうやらこれは冗談でもなにかしらの陰謀でもないようです。
必死で寝起きの頭を働かせて、私は情報を咀嚼します。
「……それは跡継ぎ様の出現によって、ヴラド系の悲願が達成されたから?」
黒髪の下で輝く赤い瞳を細めて、アルフォンスは心の底から救われたような笑顔になります。
「ああ、これまでボクたちは皇女様の跡継ぎを生み出すために、まるで蠱毒のように戦わされてきたけれど……もう血を磨く必要はなくなったんだ」
続けて情報収集能力に長けたグレースが、吸血鬼界の動向を教えてくれます。
「今の三公爵はノエル様に取り入ることを主な方針にして動いている……ルガット家は早くから彼に近づいていたし、バイロン家はエストランド家の寄り親だし……私たちも眷属になった今、カプラン家はわりと劣勢かも?」
「なんですって!?」
そんな情報をわざわざ教えてくれるあたり、この二人は本当に争う気はないようですが……しかし『カプラン家は劣勢』というところでニヤリと笑った眷属仲間に、私はこれまで抱いたことのない温かい闘争心を掻き立てられました。
まだ少し頭は混乱していますけれど……同期のライバルたちに向けられた挑戦状は悪いものではない気がします。
カプラン家の子女として、そして偉大なる『ご主人様』の眷属として、これからはやり方を変える必要があるということですね?
たったの一晩でいくつもの重荷から解放された私は、同じように名家の子女として苦労してきたライバルたちと見つめ合い……自分の身に起こった奇跡のような幸運に感謝します。
「……【筆頭眷属】の座は渡しませんわよ?」
私が劣勢にあるらしいカプラン家のためにもそんなことを言うと、アルフォンスが苦笑して、グレースも普通の少女みたいに笑いながらベッドから起き上がってきます。
「は? ノエル様の【筆頭眷属】は私だし?」
「それに関してはボクも譲るつもりはないかな?」
口ではそんなことを言いつつも、自然と肩を組んで歩き出した私たちは部屋の窓際まで近づいて、私の左右にいるグレースとアルフォンスがカーテンを、シャッ、と開きます。
窓の外には自由を感じる私たちの心をそのまま映したかのように綺麗な青空と海があって、三人で仲良く心地良い太陽光を浴びた私は、笑顔のまま固まりました。
「……なんで心地良く感じますの?」
「「わかるー」」
すでに二人はこの不思議な感覚を体験した後なのか、遠い目をして水平線を眺めております。
……どうやらご主人様の眷属になったことで、私は吸血鬼最大の弱点である太陽光を克服してしまったらしく……その異常すぎる強化に私は薄ら寒いものを感じました。
「やっぱりロレッタも克服していたか……【眷属化】するだけでこうなるとか、どう考えてもヤバいよね?」
アルフォンスの呟きに、グレースが頷きます。
「太陽光の克服は【公爵】級になる条件だから……私たち一晩で母様たちと並んじゃったみたい……」
彼女の言う通り、身体の奥底からは凄まじい力が湧き上がってきますし……今ならお父様ともいい戦いができるかもしれません。
いえ、まあ……性能で並んだところでこれまで培ってきた経験値が違いすぎますから、絶対に勝つことはできないでしょうけれど……。
しかし善戦するくらいならできそうな力に、私は自然と笑ってしまいます。
「ふ、ふふっ……凄いですわっ! これなら【筆頭眷属】になるのも楽勝です!」
「……ロレッタは馬鹿なの? 私とアルフォンスも同じ強化をされてるんですけど?」
「つまりはこの力を最も早く使いこなした者が、ノエル様の右腕を名乗れるってわけだね?」
そうして私たちが新たな力に浮かれていると、暗い室内から狂気を孕んだ声がかかります。
「――なにやら面白そうな会話をしておりますね?」
「「「っ!?」」」
どうやらその声の主は同じ【眷属】らしく命の危機は感じませんでしたが、声を聞いただけで絶対服従したくなるその圧力に私たちが慌てて振り返ると……そこには真っ赤な獣人の姿をした侍女がいて、
「はじめまして新入りの皆様」
……彼女は全身にある魔眼を光らせながら、乱杭歯を見せつけて不気味に笑いました。
「さっそくですが、ご主人様の【筆頭眷属】が誰なのか……私が直々に教えて差しあげましょう」
◆◆◆
それから一五分後。
ご主人様の【筆頭眷属】であるメアリー様に『身のほど』というものを嫌というほどわからされた私たちは、子鹿のように震える足を互いに支え合って海へと向かっていました。
「む、む、無理ですわっ!? アレを越えるなんて……絶対に無理ですわっ!?」
「ぼ、ボクたちは一眷属として慎ましく生きて行こう! 決してメアリー様と敵対しないように!」
「……わかってたけど……母様クラスじゃないとどうにもならないってわかってたけど……」
力を得て調子に乗っていた私たちは、綺麗に鼻っ柱を圧し折られて【学食通り】を下ります。
メアリー様によればご主人様たちはこの先の海で朝の修行をしているらしく、下っ端の眷属としてそこまで挨拶に行くのが私に最初に与えられたお仕事でした。
島の端まで下りて、島を囲む廃船へと飛び乗って進んで行くと、右手の水平線で七賢者の一柱であるレジェス様が、首に『私は白猫館を全壊させました』と巨大な看板を掛けて正座させられているのが見えてきます。
「――い、いやぁ……もう破壊行為しないから頭にキノコ生やさないでぇ…………」
「――めっ! でもかわいいっ!」
おそらくアルル様に怒られているのでしょう。
レジェス様の頭には巨大なキノコが角のように生えていて、涙目になったアラクネの女騎士が動こうとするたびに、【骸骨亀】の頭が動いて巨大な蜘蛛の足に噛みついています。
そんな【蓋門島】らしい光景を眺めながら廃船の上を飛び移って行くと、やがてガレオン船の残骸の向こうにご主人様の姿が見えてきて……私のご主人様はどこか見覚えのある【血液袋】に胸ぐらを掴まれておりました。
「……おい小僧っ! どうしてこの筋肉吸血鬼がここにいるのだっ!」
プラプラと足を揺らしながら、ご主人様は朗らかに笑います。
「あれ? スティンの知り合いでしたか?」
ご主人様は特に気にしていないみたいでしたが、たかが【血液袋】如きが偉大な主に触れていることが許せなくて……私は眷属としてすぐに走り出しました。
「ちょっと! そこの【血液袋】っ!」
「ん?」
こちらに振り返ったそいつに飛び蹴りをかまして、とりあえずご主人様から手を離させます。
残念ながら私の飛び蹴りは片腕で防がれてしまいましたが、しかしそれで【血液袋】は三歩ほど後退したので、すかさず私はご主人様の前に立ち塞がりました。
「あ、ロレッタ! 起きたんだ!」
ご主人様に名前を呼ばれたのは光栄ですが、今はそれどころではありません。
「お下がりください、ご主人様! 今からこの無礼者に上下関係というものを叩き込んでやりますわ!」
頭に血が昇った状態で【血液袋】を睨みつける私へと、しかし今度は予想外の声がかかります。
「落ち着けロレッタ! 俺は今、そちらのスティング殿と和解するために話をしていたのだ!」
そう言いながら廃船の影から現れたのは、二メートル以上の巨躯を誇る金髪赤眼の吸血鬼で……久しぶりにそのお姿を目にして、私は一瞬で怒りを忘れました。
「お、お父様っ!? どうしてこちらにっ!?」
忙しすぎて滅多に会うことすらできないお父様の登場に、私は同時にそこにいる【血液袋】をどこで目にしたのかを思い出します。
……そうでしたわ……少し前にカプラン家の地下牢で目にしたのです……その身に流れる神聖気のせいで血を飲むことができない珍しい【血液袋】を……。
その記憶を肯定するように、お父様はここで揉めていた経緯を教えてくださいました。
「……う、うむ……少しでも坊主と仲良くなろうと思って、今日は俺の得意な【血流闘法】を教えに来たのだが……そしたら少し前にお嬢へと献上した密航者が坊主の専属料理人になっていたのだ……」
「俺は専属料理人ではない!」
そう反論する【血液袋】の左手には見事な塩梅で焼かれた魚の串焼きが握られていて……彼の背後では廃船の中に造られた調理設備で複数の串焼きが焼かれています。
「…………ちょっと待て」
エプロンまで着けた【血液袋】は片手を上げてそう告げると、踵を返して調理設備に乗った串焼きが焦げないように、クルクル回転させはじめました。
その横では銀髪の美少女がもの凄い勢いで魚を食べていて、
「おかわり!」
と、ヤケ食いするように新しい串焼きを要求しています。
なるほど……つまりはお父様が捕まえた【血液袋】が皇女様へと献上され……それをご主人様が受け取って、なぜか専属料理人にしたわけですか……。
事の次第を理解した私は、ひとまず【血液袋】のことは忘れて、またとないチャンスにお父様へと話しかけました。
「お父様! お仕事のほうはよろしいのですか!?」
およそ半年ぶりとなる家族の会話に赤くなる頬。
そんな子供の喜びを察したのか、お父様は私の頭を優しく撫でて、かつてあの店で見せてくれた温かい笑顔を向けてくれました。
「……ああ、これからはここに来るのが俺の主な仕事になるからな……」
「!」
微かに潤むお父様の目元には、皇女様の跡継ぎを探す長年の苦労から解放された喜びと、私への深い愛情が滲んでいて……私は思わずお父様の大きなお腹へと抱き着きます。
「おいおいロレッタ……そんなに甘えん坊じゃあ、新しいご主人様から笑われてしまうぞ?」
お父様は震える声でそんなことを言ってきましたが、吸血鬼の血で魂が繋がっているご主人様からは、欠片も咎めるような感情は伝わってきませんでした。
「カプランさんもよかったらいっしょに朝食にしませんか? スティンの料理は絶品ですよ?」
そんな提案までしてくれるご主人様に、私は引き締まったお腹から顔を上げて、お父様よりも早く返事をします。
「はいっ! 是非ともお願いいたしますわっ!」
「ボクももらっていいですか?」
「ご主人様ー、私もー」
私に続いて駆け寄ってくる仲間たち。
「……い、いや……俺は神炎で焼いた料理は流石に…………」
困惑しながらも私の手を握り続けてくれるお父様。
温かい太陽光に照らされながら、柔らかく微笑んだご主人様が【血液袋】へと注文します。
「スティン! カプランさんと女の子たちのご飯も追加で!」
「!? ふ、普通の炭火で焼いた物をいただけるだろうかっ!?」
焦るお父様と海原に響く仲間たちの笑い声。
そんな長閑な空気の中で料理人だけが怒っています。
「おいこら小僧っ! 俺の話はまだ終わっていないぞっ!」
この礼儀を知らない【血液袋】は、後でちゃんと躾ける必要がありますわね……。
新たな【血族】の一員として!
そして我々吸血鬼の世界に、後の世で【エスト系】と呼ばれる、太陽光を克服した最強最悪の血族が生まれました。
思ったより五章が長くなったので一区切り。
続けて来週から後半戦をはじめます。




