9章
エッ?というユリアの驚いた声が、初老の女性-アリッサ・グールドのスマートウォッチから聞こえてきた。
「どうやって来たのか分からないけれど、彼女私のラボまで来てる」
「でも母さん、スイは4日前ここに来て、同調実験の後3日間眠っていたの。担当医師にも聞けば分かるわ」
「兎に角彼女を上のフロアへ戻すわね。二度と勝手に私のラボへ入らない様、チーム内で管理するように」
アリッサはコーヒーカップと書類を水槽右脇のコンピュータ上に置くと、改めてスイに向き直った。
「ここで見た物は未だ機密事項。誰にも口外しないように」
「すみません、一つだけ教えてください。水槽の中の彼は、私の名前を呼びました。彼は何者なんですか?」
「彼はアバターのペアリングとなる一人よ。さあ、チーム6の皆の所へ戻りましょう。送るわ」
スイは他にも色々尋ねたかったのだが、アリッサの威圧に負け、これ以上何も聞く事が出来なかった。
アリッサに連れられ、2人でエレベーターに乗り、高速で上の階層まで移動した。エレベーターの中でスイは、アリッサの後ろ姿を見ながら、確かにアリッサとユリアは親子なんだなと感じていたが、アリッサの背中からも威圧的なものを感じ取り、スイから話しかけることすら出来なかった。またアリッサからも、ほとんど会話が出ることもなく、エレベーターは目的地まで到着した。
「博士、申し訳ございませんっ」
エレベーターの扉が開くや否や、頭を下げたユリアの姿があった。その後ろには同じく頭を下げるジャックの姿もあった。
「ユリア、後で改めて被験者のデータを提出願います。カナメにも問い質してみたいから」
「かしこまりました」
アリッサはスイの背中をそっとユリアの方へ押しやると、再度エレベーターに乗り、ラボへ戻って行った。
「…はあぁぁーっ」
エレベーターのドアが閉まり、下りて行くのを見るや否や、ユリアとジャックは身体を起こし、安堵の声を漏らした。
「ユリア、本当にあの人ユリアのお母さんなの?」
「私の実の母よ。でもネオ・ムセイオンの中では創設メンバーの1人で、ここの所長の1人でもあるの。私がここに入る時の条件で、母とは完全に公私を分ける様に言われてるわ」
「そうなんですね」
「ところでスイ、グールド博士のラボに彼はいた?」
「彼女から、ラボで見たものについては口外しないように言われました」
「そう。じゃあ進んでいるのね、母の研究は」
「グールド博士の研究って、あれだろ?アバターとセットになる人間も一緒に造るとかっていう…」
「ジャック、それ以上は言わないで。私、自分の母がドクターフランケンシュタインになるのは正直怖いのよ」
スイは何も発言しなかったが、地下底のラボで見た水槽の中の少年は、人造人間だったのかと合点していた。それでも、彼が何故自分の名前を知っていて、地下まで呼び寄せたのか、疑問が残った。
「さあ、気持ちを入れ替えて外にでも行きましょ。スイにここでの生活に早く馴染んでもらわなきゃならないし」
忘れ物よ、とユリアはスイにバイオリンケースを渡した。
「ありがとうございます」
スイはバイオリンケースを抱きしめるように抱えた。
「ユリア、スイ、外に行く前に僕等のラボに寄ってもいいかい?」
「ええ、いいわよ。なら私もついでに持っていくものがあるわ」
「私はここで待っていればいいですか?」
「いいえ、スイ。貴女も来るのよ。また迷子になって今度はタルタロスにでも行かれたら困るもの」
3人は広い建物内を移動し、一つのホールに近い巨大な一室に到着した。
「皆、スイが来たわよ」
部屋に入ると同時に、ユリアが大声で中のスタッフ勢に声をかけた。
「スイ、お疲れさま。気分はどう?」
「フェイ、まあまあです」
「改めてチーム6へようこそ。よろしくね」
スイはフェイを始め、そこにいたスタッフ全員と握手と挨拶を交わした。
「よろしく、お願いします」
スイは挨拶を交わしている途中で、広いホールの奥に巨大なアクリルパネルのような透明な壁で仕切られた空間があるのに気がついた。
「あの空間はなんですか?」
「ああ、あの中にデフテロがいるわよ。見てみる?」
フェイに連れられ、スイは透明な壁の側まで近づき、中を覗きこんだ。
壁の反対側は、スイ達が今いる部屋より更に広く、そして深さも10メートル近くあり、ちょうどスイ達のいる部屋から反対側の部屋の中を見下ろせる構造になっていた。
その部屋の中央に、仰向けに横たわる巨大な一体の金属製のロボットの様な、鎧兜を身に纏った人形の様なもの。それが初めて肉眼で見たデフテロそのものだった。
デフテロを静かに見つめるスイの横から、フェイが説明をした。
「実験の時はライフ・セーヴィング・リキッド、LSLの中にいたけれど、一度貴女と同調してからは地上とほぼ同じ空気条件下でスタンバイしてる。今は仮死に近い状態でスリープモードになっているのよ」
「金属で覆われて重そうですね」
「アバターが装着しているメタルウェアは、アポロニウムという特殊金属で出来ていて、地上の放射線から生身を護っているの。実際生身の方が動きやすいのだろうけど、被曝から護るため仕方ないわね」
「ちなみにデフテロのメタルウェアを設計したのは僕だよ」
とジャック。
「プロトのウェアの設計の時はちょっと関わっただけだったんだが、デフテロのは完全に僕のオリジナルさ」
ふぅん、と静かにデフテロを見ていたスイだったが、デフテロの顔面を覆っているフェイスガードの奥で、瞼が開いたことに気がついた。
「赤い目…?」
デフテロの目は確かにスイをじっと注視していた。スイは同調した際に見た夢の中に出て来た自分とそっくりな少女を思い出した。
「…スイ」
頭の中で夢の中の少女の声が聞こえた気がした。スイは部屋の中に少女がいるのかと思い、辺りを見わたしてみたが、チーム6のスタッフのみであった。そして隣にいるフェイとジャックはおろか、その場にいる誰もデフテロの異変に気がついていない様だった。
「デフテロ、君なの?」
スイは小さく呟くと、再度少女の声が頭に響いた。
「わたしを番号で呼ばないで。わたしはセイ」
「セイ?」
「そう。アサナギ・セイ」
その時、ラボ内にいたスタッフの一人、チャーリーがモニター上の数値の異変に気付いた。
「フェイ、ちょっと見てください。デフテロの様子がおかしいんです」
「どうしたのチャーリー?」
「わずかですがデフテロの脳波が活性化しているんじゃないかと…」
「なんですって?」
スイはラボ内の騒ぎに注意しつつ、デフテロ=セイに再度話しかけた。
「セイ、君は何者なの?」
デフテロ=セイは瞼を閉じた。赤い目は再び沈黙の中、フェイスガードの裏に隠されてしまった。
「スイと同じよ。同じ両親から生まれた子供」
「セイ、父さんと母さんのこと知ってるの?」
「ええ、正確には記憶しているわ」
「セイ!教えてよ!」
突然大声をあげたスイにギョッとして、ラボ内にいたスタッフが皆スイの方を注目した。
「また今度ね」
デフテロ=セイは再び口を閉ざした。彼女が遠ざかっていくのをスイは感じとった。




