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第六話 「あと三分で差し押さえますわ」

第六話 「あと三分で差し押さえますわ」


 王宮夜会の空気は、奇妙な静けさに包まれていた。


 先ほどまで優雅に流れていた弦楽器の音色も、どこか遠い。


 貴族たちはグラスを手にしたまま固まり、誰もがルードヴィヒとレティシアを見つめている。


 大広間の中央。


 豪奢なシャンデリアの光が降り注ぐ中で、二人は向かい合っていた。


「差し押さえ対象、だと?」


 ルードヴィヒの声がわずかに掠れる。


 レティシアは静かに扇を開いた。


 白銀の骨組みに黒薔薇の刺繍が施された扇だ。彼女が口元を隠すたび、淡い香木の香りが漂う。


「聞こえませんでしたか?」


「ふ、ふざけるな!」


 ルードヴィヒは怒鳴った。


「体を売って成り上がった女が、偉そうに!」


 その瞬間、周囲の空気がさらに冷えた。


 何人かの貴族夫人が露骨に顔をしかめる。


 アルベルトの側近は剣の柄へ手をかけていた。


 だがレティシアだけは微笑んでいた。


 まるで子どもの癇癪を見守るような穏やかな目だった。


「失礼ですわね」


 彼女は扇越しに小さく笑う。


「私はただ、正しい会計処理をしただけです」


「……何?」


「不正資産を整理しただけ、と言い換えても構いませんが」


 ルードヴィヒの額に汗が浮かぶ。


 なぜだ。


 なぜこの女はこんなに落ち着いている?


 以前はもっと地味で、おとなしく、目立たない女だったはずなのに。


 今のレティシアは違う。


 堂々としている。


 自分よりずっと上に立っているように見える。


 その事実が、猛烈に癪に障った。


「いい気になるなよ!」


 ルードヴィヒは声を荒げた。


「お前はただの女だ! 数字遊びしかできん陰気な――」


「あら」


 レティシアの視線が、彼の礼装へ落ちる。


「その衣装、ずいぶん高価ですのね」


「当然だろう!」


 ルードヴィヒは胸を張る。


「王都最高級の仕立て師に作らせた!」


「生地は北方産の黒絹。刺繍糸は純金。ボタンは南方真珠……」


 レティシアは淡々と分析する。


「市場価格、金貨二百二十枚程度でしょうか」


 周囲がざわつく。


 ルードヴィヒはぎくりとした。


「そ、それがどうした」


「いえ」


 レティシアは静かに微笑んだ。


「現在の公爵家資産では購入不可能な品でしたので」


 沈黙。


 アリアの顔が強張る。


「……なに言ってるのよ」


「公爵家は今月だけで現金収支が金貨三千枚以上不足しています」


「さらに北方銀行の融資停止」


「東部商会との契約打ち切り」


「未払い債務が七件」


「使用人給与の滞納予測は来月」


 レティシアはまるで天気予報のように言った。


 ルードヴィヒの顔色がみるみる青くなる。


「な、なんでそんなことを知っている」


「知っていて当然でしょう」


 レティシアは不思議そうに首を傾げた。


「今まで管理していたのは私ですもの」


 その一言が、鋭く突き刺さる。


 周囲の貴族たちがひそひそと囁き始めた。


「そういえば……」


「公爵家の帳簿は全部夫人が見ていたとか」


「では本当に……」


 ルードヴィヒは唇を歪めた。


「だ、だから何だ!」


「金ならいくらでも入る!」


「我が家には特別な口座が――」


 そこまで言って、彼は凍りついた。


 しまった。


 そう顔に書いてある。


 レティシアはにこりと微笑んだ。


「第四隠し口座」


「……っ」


「そこから流用なさったのですね」


 アリアが青ざめる。


「る、ルード様……?」


「ち、違う!」


「今夜の礼装代金、宝飾品、夜会参加費。すべて第四口座経由」


 レティシアは指先でグラスの脚をなぞった。


「ちなみに、あの口座。王室軍事基金から迂回された横領資産です」


 空気が凍った。


 音楽すら止まる。


「横領……?」


「軍事基金だと……?」


 貴族たちがざわめく。


 アルベルトは黙ったままルードヴィヒを見つめていた。


 その瞳は氷のように冷たい。


「う、嘘だ!」


 ルードヴィヒが怒鳴る。


「証拠があるのか!?」


「ありますよ」


 レティシアは即答した。


「すべて帳簿に残っていますので」


「……っ」


「ご安心ください。すでに王宮財政局へ提出済みです」


 ルードヴィヒの喉がひくりと鳴った。


 逃げ場がない。


 その事実をようやく理解し始める。


 レティシアはワイングラスを持ち上げた。


 赤い液体が灯りを受けて揺れる。


「ちなみに」


 彼女は穏やかに笑う。


「あと三分で、その口座は国家資産として正式差し押さえになります」


「…………は?」


「手続きはすでに完了しておりますので」


 ルードヴィヒの顔が引きつる。


「な、何を言っている」


「現在、最終承認中です」


「ふざけるな!」


 ルードヴィヒは叫んだ。


「そんな短時間で王宮認証が通るわけないだろう!!」


「通りますよ」


 レティシアはさらりと言う。


「計算は終わっておりますので」


 その時だった。


 カン、と乾いた音が響く。


 王宮中央塔の鐘。


 一回。


 二回。


 三回。


 夜会会場の巨大魔導盤が淡く光り始める。


 次の瞬間。


 無機質な音声が大広間へ響いた。


『第四隠し口座、国家資産凍結処理完了』


 静寂。


 誰も息をしていなかった。


 ルードヴィヒだけが、信じられないものを見る顔で立ち尽くしている。


「……は?」


 間抜けな声が漏れる。


 レティシアは静かにワインを口にした。


 葡萄の芳醇な香りが舌に広がる。


 そして彼女は微笑んだ。


「間に合いましたわね」



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