Oー6:部下の褒め方
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
隊長は、机の上の湯呑みを持ったまま、向かいの補給科長を見ていた。
「で」
「はい」
「昨日の続きや」
「そらそうでしょうね」
「聞き方の話は分かった」
「ええ」
「否定せんで、ちゃんと聞いて、相手が何に困っとるかを整理する、と」
「そこまでは前話でやりましたね」
「ほな、その次や。
部下がなんか持ってきた時、最後にどう返したらええんや」
補給科長は、少しだけ眉を上げた。
「褒めるんです」
「急に軽くなったな」
「軽く聞こえるなら理解が浅いです」
「言い方」
「でも本質です」
補給科長は、何でもない顔で続けた。
「褒めるって、別に機嫌を取ることやないです」
「ほう」
「よしよしして、気持ちよく帰ってもらうことでもないです」
「ほう」
「何でもかんでも
“さすがやな”
“優秀やな”
“えらいえらい”
で流すことでもない」
「……だんだん嫌な予感してきたな」
「隊長みたいに、褒めたつもりで中身が空っぽな人ほど必要な話です」
「わしをダメな例にするなや」
「他にちょうどいい教材がおらんので」
「教材て」
補給科長は机の上で指を軽く組んだ。
「雑に言うと、褒めるって、
再現してほしい行動に印をつけて返すことです」
隊長は腕を組んだ。
「印をつけて返す」
「ええ。
だから、人格を丸ごと褒めるのとは少し違います」
「どう違うんや」
「例えば、
“お前は優秀やな”
って返したとするでしょう」
「うん」
「それ、言われた側からしたら、
“で、何が良かったんや”
で終わることがあるんです」
「……ああ」
「しかも、次に外した時には
“優秀やと思われとったのに失敗した”
が乗る。
雑でしょう」
「雑って言うなや」
「"無能"じゃ可哀想でしょう」
補給科長は気にせず続けた。
「でも、
“締切にゆとりを持って、必要資料まで揃えて持ってきたやろ”
“そのおかげで次の調整がゆとりを持ってできた”
“ああいう早い持ち込み方はほんまに助かる”
こう返すと、本人も何を再現すればいいか分かります」
「なるほどな……」
「褒めるって、気分の話やなくて、行動の再現性の話なんです」
「そんな言い方すると、褒めるっていうより査定みたいやな」
「管理職の仕事に何を期待してるんですか」
「もっとこう、温かみとか……」
「必要な時はありますよ。
でも、温かみだけで部下が育つなら苦労せんでしょう」
隊長は、少しだけ嫌そうな顔で湯呑みを置いた。
「ほんま、お前は夢がないな」
「夢で部隊が回るなら、今ごろ苦労しとりません」
補給科長は、そのまま続けた。
「褒め方でよくある失敗、三つあります」
「また三つか」
「好きなんで」
「知らんがな」
「一つ、抽象的すぎる。
二つ、比較が入る。
三つ、“でも”で潰す」
隊長は顔をしかめた。
「最後のやつは、なんとなく嫌な予感するな」
「例えば、
“この資料はええ出来や!でも提出が遅かったな”
ですね」
「うわぁ」
「褒めたつもりかもしれませんが、相手の頭に残るのは後半です」
「そらそうやな……」
「比較も同じです。
“同期の中ではようやっとる”
“他のやつよりマシ”
こういうのはだいたい空気が悪くなります」
「それは嫌やな」
「なので、褒める時は、その人がやった行動だけ見た方がいいです」
「……じゃあ、何を言えばええんや」
補給科長は、少しだけ前かがみになった。
「最低限なら三つです」
「三つ好きやな」
「便利なんで」
「さよか」
「一つ、何を見たか。
二つ、それで何が助かったか。
三つ、次もどうしてほしいか。
最低限これです」
「……ほう」
「“見たこと”“助かったこと”“再現してほしいこと”ですね」
「なるほどな」
「逆に言うと、そこが入ってない褒め方は、だいたい薄いです」
「薄いって言うな」
「薄いもんは薄いでしょう」
ちょうどその時、扉がノックされた。
「入ります」
入ってきたのは、補給班長だった。
手には数枚の資料を持っている。
「お話中にすみません。補給科長に急ぎの案件があり、参りました。5分ほどよろしいでしょうか」
「続けてください」
「本管中隊が、訓練検閲で使う予定だった偽爆筒及び空砲の申請数を間違えていたそうです。」
「見せてください」
補給科長が資料を受け取る。
隊長も横から覗き込んだ。
そこには本管中隊を含む各中隊の、申請数、必要数、過不足数が、ひと目でわかるようにまとめられていた。
表の下部には、各中隊に聞き取りを行った、融通可能数まで記載されており、対策を選択できる所まで揃えられていた。
「おお、分かりやすいやん」
補給班長は背筋を伸ばしたまま答えた。
「本管中隊側もパニックになっていたので、私と先任で各中隊に確認して偽爆筒と、空砲の状況は見えるようにしました。なお、業務隊への追加請求は期間が短すぎて規則上無理だそうです」
「なるほどな」
隊長は、さっきの話を思い出しながら口を開いた。
「班長、えらいな。さすがは補給科や」
補給班長は、少しだけ困ったように笑った。
「ありがとうございます」
補給科長は資料から目を上げずに言った。
「隊長」
「なんや」
「薄っぺらいです」
「いきなり斬るなや」
「褒める方向は合ってます。
でも、それやと本人は
“で、何が良かったんや”
で終わるでしょう」
「……なるほど」
補給科長は、そこで補給班長へ向き直った。
「班長」
「はい」
「本管中隊がパニックだったってことは、対策も丸投げだったんでしょう?」
「『どうにかなりませんか?』だけでしたね」
「それを、各中隊に掛け合って、建設的な解決案をOCとして列挙するところまでできている。
ここまで仕上がっていたら、あとは私がナンバー中隊長に同意を得て、隊長に決を貰うだけでええ」
「はい」
「こういう、
“上の人間がすぐ動ける形まで整理する”
ことができるのは、副官として非常に重要なスキルです。
今後もこのやり方でお願いします」
補給班長の返事の声が、さっきより少しだけはっきりした。
「はい」
補給科長はそのまま続けた。
「あと、一人で抱え込まず、途中で先任に確認を取ったのもよかったです」
補給班長は少し目を見開いた。
「なんでわかったんですか!?」
「仕事の癖で分かりますよ。
一人で抱え込えこまんと、ベテランの意見を取り入れて精度を上げたから、この形で上がってきたんです。部下の経験を適切に利用できるというのも幹部の資質ですよ」
「……ありがとうございます」
隊長は、そのやり取りを黙って見ていた。
なるほど、と思う。
たしかに今の方が、何を褒められたのかは分かりやすい。
だが同時に、別の感想も浮かんだ。
よう見とるな。
よう見とるけど、よう見すぎやろ。
褒めている。
それは間違いない。
だが、どこか、常に査定されているようにも見える。
補給班長本人は慣れているのか、気にした様子もない。
むしろ少し誇らしそうですらある。
だが、隊長の胸には、ほんの少しだけ別の疑問が残った。
これ、直属の部下はしんどないんか?
「では、ナンバー中隊の担当者に『あとから補給科長が中隊長に話に行く』と伝えてきます」
「お願いします」
補給班長が出て行くと、隊長はしばらく扉を見ていた。
「……違うな」
「ええ」
「理屈は分かる。
分かるんやけど……」
「何でしょう」
「お前のそれ、褒めとるのに、ちょっと査定っぽいな」
補給科長は、わずかに眉を上げた。
「管理職が部下の行動を見て返すんやから、査定の要素がゼロなわけないでしょう」
「身も蓋もないな」
「慰め会やないんですから」
「いや、まあ、そうやけどな……」
隊長は、言いにくそうに続けた。
「……お前の部下、しんどないんか?」
補給科長は、一拍だけ置いた。
「しんどい時はあるでしょうね」
「やっぱりあるんかい」
「そらありますよ。
ちゃんと見られて、ちゃんと返されるんですから、楽ではないでしょう」
「うわぁ……」
「でも、だからこそ再現できるんです」
「……」
「曖昧に
“よかったよ”
だけ言われて、
何が良かったか分からんまま放り出される方が、私はよっぽどしんどいと思いますけどね」
「それは……まあ……」
「あと、うちの班長連中は、そこまで含めて分かってるでしょう。
分からんようなら、あんな速度で仕事回りません」
隊長は、そこで少しだけ黙った。
理屈は通っている。
たしかに、通っている。
だが、理屈が通っていることと、浴びて平気かどうかは別の話でもある。
補給科長の部下たちが、あれだけ妙に育っている理由も、少しだけ分かった気がした。
そして同時に、やっぱり少し怖いとも思った。
「……お前の部下、よう逃げへんな」
「逃がす訳がないでしょう。組織は常に人手不足なのに。使えるようになるまでしごき倒すだけですよ」
「こわ」
「何を今更」
(その日の午後)
隊長室の扉がノックされた。
「入ります」
事前に仰指を申請していた第3中隊長だった。
手には一枚の表を持っている。
「おう、どうした」
「昨日の件です。
各科から求められている提出物、提出先、締切を一回洗い出して、一覧にまとめてみたので一度確認を頂こうかと思いました」
「どれ、見してみ」
隊長は表を受け取った。
まだ多少は粗が見える。
だが、昨日よりどこが詰まりやすいかは、ずっと見えやすくなっていた。
「……おお」
第3中隊長は、少しだけ身構えているように見えた。
たぶん昨日の相談の続きだからやろう。
何か言われると思ってる顔や。
隊長は表を見たまま口を開いた。
「昨日、各科から散ってくる提出物を、一回全部自分で拾い直したんやな?」
「はい」
「で、提出先と締切を一枚で見えるようにした。
まだ粗いところはあるけど、今どこが詰まりやすいかは、昨日よりだいぶ見える」
「……はい」
「こういう、叩き台の段階で持ってくるのは助かる。
完成形のつもりで一人で抱え込まれるより、こっちの方がずっとええ」
第3中隊長は、少し目を丸くしてから、ほっとしたように笑った。
「ありがとうございます」
「あと、昨日より顔色がマシや」
「そこも見てるんですか」
「見とるわ。
隊長やぞ」
第3中隊長は、少しだけ笑った。
「では、この方向性で完成を目指します。補給科長にも確認していただいてブラッシュアップしてから提出させていただきます」
「おう」
「要件終わり、帰ります」
第3中隊長が出て行くと、衝立の裏に事前に控えさせていた補給科長を見て、隊長は少し得意そうに言った。
「どうや」
補給科長は少しだけ考えてから答えた。
「七十点ですね」
「……また微妙な点数やな」
「そらそうでしょう。
何を見たか、何が助かったか、その二つは入ってましたけど……」
「“次もどうしてほしいか”が足りんかったか」
「ええ。
あと、“まだ粗い”を同じ文に入れたのは少し危ないです」
「うわ」
「褒める時に修正点を混ぜると、相手の頭に残るのはだいたいそれです」
「なるほどな……」
隊長は、少しだけ考えてから、ふと口を開いた。
「なあ、補給科長」
「何でしょう」
「お前、部下に対して、いつもあの温度なんか?」
「どの温度です」
「昼前に補給班長とのやつや。よう見とるし、よう分かっとるけど、ちょっと気ぃ抜けん感じのやつ」
補給科長は、少しだけ考えてから答えた。
「時と場合と相手により、ですよ」
「そらそうやろ」
「ただ、褒める時に雑にはしません。成長が止まるんで」
「……」
「雑に褒めるくらいなら、黙ってる方がマシなこともあります。
誤学習させるんで」
隊長は、また少しだけ黙った。
「理屈は分かる」
「でしょうね」
「でも、やっぱりちょっと、お前の部下ようやっとるなとは思うわ」
「ありがとうございます」
「褒めてへん」
「半分はそうでしょう」
「半分だけかい」
「残り半分は心配ですね」
「自覚あるんか」
「それなりには」
補給科長は立ち上がった。
「では、今日はこのへんで」
「おう」
「今日は、隊長が二回ちゃんと褒めたので上出来です。昨日までに比べたら、かなり進歩しましたね」
「最後の一言がいちいち腹立つんやわ!」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
部下の褒め方。
それは、相手の機嫌を取るためのものではなく、望ましい行動を言葉にして返し、次につなげるための技術なのかもしれなかった。
そして、補給科長の部下たちは、そんな上司の下で毎日鍛えられているらしい。
隊長は、机の上の一覧表を見ながら、小さく呟いた。
「……理屈は分かるけど、やっぱりお前の部下、ちょっと心配やわ」
その独り言に返事はなかったが、補給科長の背中は、少しだけ楽しそうにも見えた。
2026.3.16改稿
2026.3.22全面改稿




