Oー5:傾聴
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
隊長は、机の上の湯呑みを持ったまま、向かいの補給科長を見ていた。
「で」
「はい」
「昨日の続きや」
「そらそうでしょうね」
「“否定しない”は、話の入口を壊さんことやったな」
「ええ」
「じゃあ、その次に出てくる“傾聴”って何や。
黙って最後まで聞いとけばええんか?」
補給科長は、少しだけ眉を上げた。
「違います。その理解は指揮官としては雑です」
「そこも即答か」
「そこを雑に理解すると、“黙って座っとるだけの無能な聞き役”が量産されます」
「言い方」
「でも、だいたい本質でしょう」
補給科長は、何でもない顔で続けた。
「傾聴って、雑に言うと、
相手が自分で何に困ってるかを整理できるように聞くことです」
隊長は腕を組んだ。
「整理できるように、か」
「ええ。
なので、ただ最後まで黙ることでもないですし、
“それは大変やったなあ”
だけで終わることでもない」
「じゃあ何をするんや」
「急いで答えを出さん。
話を自分の知ってる型に押し込まん。
事実と感情を分けて拾う。
この辺です」
「また面倒そうやな」
「傾聴って、普通に面倒なんで」
「お前はだいたい全部面倒って言うやろ」
「管理職向けの話してるんです。簡単なら誰でも隊長になれるでしょう?」
「言い方……」
補給科長は、わずかに口元を緩めた。
「隊長みたいに、相手が二言目を言う前に
“じゃあこうしたらええやん”
で話を終わらせる人ほど、練習要ります」
「刺さるなぁ……」
「実際そうでしょう」
「否定はできん」
ちょうどその時、扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、第3中隊長だった。
顔色は悪くない。
だが、少しだけ疲れて見える。
「おう、どうした」
「少しだけ、ご相談よろしいでしょうか」
隊長は、補給科長をちらりと見た。
補給科長は何でもない顔で座っている。
「悩み事なら、補給科長は帰そか?」
「いえ、補給科長なら大丈夫です」
「それなら、補給科長の隣に座れ」
第3中隊長は、ソファに腰を下ろした後、少し言いにくそうに口を開いた。
「最近、中隊のことと、試験勉強と、家のことが重なっていて……」
隊長は、そこで即座に言った。
「試験はいっぺん置いといたらどうや」
第3中隊長が、ぴたりと止まった。
「……」
補給科長が横から口を挟む。
「隊長」
「なんや」
「会話の入口が木っ端微塵です」
「またか」
「またです。雑すぎます」
「どこがあかんねん」
「今、第3中隊長、まだ何に困ってるかまで辿り着いてないでしょう」
隊長は、第3中隊長を見た。
第3中隊長は、困ったように苦笑している。
「……すみません」
「お前が謝るな。補給科長、わしは見とるから話を聞いてやってくれ」
補給科長は、第3中隊長へ向き直った。
「続けてください。今の段階で切ると、また入口で終わります」
「はい。
中隊のことも、試験のことも、家のことも、全部中途半端になってる感じがして……。
何から手をつけたらいいか、自分でもよく分からなくなってきまして」
補給科長はすぐに答えを出さなかった。
「一番しんどいのは、仕事量そのものですか。
それとも、全部が中途半端な感じがすることですか」
第3中隊長は少し考えた。
「……後者です」
「でしょうね」
「はい。
忙しいのは前からなんですけど、最近は何をやっても
“これでええんかな”
って考えが頭から離れなくて」
「中隊運営ですか。家庭ですか。試験ですか」
「それも、全部です。
ただ……一番きついのは、中隊長なのに、自分が一番余裕ないのが部下に見えてるやろな、って思うことです」
隊長は、そこでようやく少し理解した。
さっき自分が言った
“試験はいっぺん置いといたらどうや”
では、この言葉は出てこなかった気がした。
補給科長は、ゆっくりうなずいた。
「なるほど。
仕事量そのものより、“中隊長として余裕がないように見えてるかもしれん”感覚がきついんですね」
「……はい」
「家庭は、奥さんに何か言われてますか」
第3中隊長は、露骨に苦い顔をした。
「言われてます」
「でしょうね」
「そこ即答されると地味に刺さります」
「でも、本質でしょう?」
第3中隊長は、少しだけ笑った。
「……はい」
「奥さんから何を言われるのが一番きついですか」
「家のことが全部後回しになってる、です。
それは本当にそうなんで、言い返せないんです」
「試験勉強をやめれば全部解決しそうですか」
「……いや、それも違う気がします。
やめたらやめたで、自分の中でしこりになると思います」
「でしょうね」
補給科長は、そこで初めて隊長の方を見た。
「今のです。ここです」
「……何がや」
「さっき隊長は、試験をやめるかどうかを先に解決策に置いたでしょう。
でも本人が一番困ってたのは、そこやなかった」
「……ああ」
「傾聴って、今みたいに、相手の話の輪郭が出るまで、勝手に結論を置かんことです。急がんことです」
隊長は、腕を組んだままため息をついた。
「耳が痛いな」
「そらそうでしょうね」
第3中隊長は、少し肩の力が抜けたような顔で座っていた。
補給科長はそのまま続ける。
「第3中隊長。
今の話を整理すると、
忙しいのは前から。
でも今しんどいのは、全部が中途半端で、自分が中隊長として不安定に見えてそうなこと。
家庭側からも負債感がある。
でも試験を切れば全部解決する感じでもない。
こういう理解で合ってますか」
「……はい。かなり近い気がします」
「よろしい。
なら、ここから初めて整理に入れます」
隊長は、そこでようやく口を挟んだ。
「なるほどな……。
今の段階でやっと、“何に困ってるか”が見えた感じやな」
「そうです」
「最初に“試験やめたらどうや”って言うたら、見えんまま終わってたんか」
「はい。やっと気づいて貰えたようで何よりです」
「言い方……」
「聞く時に大事なんは、解決策の速さやなくて、論点の正確さです。速さはその後です。方向性がズレたまま爆速で進んでいく仕事がお好みですか?」
「それは、困るなぁ……」
「鏡いります?」
第3中隊長は、少しだけ苦笑した。
「隊長、自分も、さっき試験の話をされた時、
“違うんだけど、うまく言えんな”
ってなりました」
「すまん」
「いえ。
でも、今ので自分でも何がしんどいか分かりました」
補給科長が、机の上で指を軽く組む。
「隊長。
傾聴って、別に優しく頷いて気持ちよく帰してあげる技術やないんです」
「そうやな」
「相手の話を、相手より先に雑にまとめて終わらせんことです」
「今日は、えらい刺さるなぁ……」
「あと、事実と感情を分けて拾うことですね」
「今のだと、どう分かれとったんや」
「事実は、仕事と試験と家庭が重なってること。
感情は、全部中途半端で、中隊長として余裕がないように見えてそうでしんどいこと。
この二つです」
「なるほど」
「事実だけ拾うと、“忙しいんやな”で終わる。
感情だけ拾うと、“しんどいんやな”で終わる。
でも、両方拾うと、どこから整理すべきかが見えてくる」
隊長は、しばらく感心したような顔で黙っていた。
「……で、今度はどうするんや」
「今はやっと、相談の入口が開いたところです」
「またそういうこと言う」
「だってそうでしょう」
第3中隊長が少し笑う。
「なんか、相談って、来た瞬間に答えを出してもらうもんやと思ってました」
「違いますよ。ここからです」
補給科長は即答した。
「相談って、まず
“何を相談したいのか”
を本人が分かるところまで行かんと、案外始まらんのです」
「……ああ」
「なので、ちゃんと聞くって、遠回りに見えて、結果として一番早いことも多い」
隊長は、少しだけ遠い目をした。
「わし、今までだいぶ無駄に急いどったんやな……」
「明後日の方向に爆速でしたね」
「それ気に入ったんやな……」
「でも事実でしょう?」
第3中隊長は立ち上がった。
「なんか、お二人と話したら少し気持ちが整理できました。
ありがとうございます」
「全く解決はしてへんけどな」
隊長がそう言うと、第3中隊長は少し笑った。
「でも、今の方が気持ちは楽です」
その言葉に、隊長は少しだけ黙った。
「……そうか」
「はい。要件終わり、帰ります」
第3中隊長が出て行くと、隊長は椅子にもたれた。
「……今の、ちょっと効いたな」
「どこがです」
「“今の方が気持ちは楽です”のとこや」
「そらそうでしょうね」
「お前なぁ……」
補給科長は、わずかに口元を緩めた。
「傾聴の最低限を言うなら三つです」
「また三つか」
「好きなんで」
「知らんがな」
「一つ、途中で自分の結論を置かない。
二つ、事実と感情を分けて拾う。
三つ、相手の言葉を少し整理して返す。
最低限これです」
「整理して返す、か」
「ええ。
“つまりこういうことですか”
ですね。
あれをやると、相手も
“そうそう”
か
“いや、そこが違う”
で、自分の困りごとを輪郭づけやすい」
「なるほどな……」
「逆にダメなのは、話を聞いたふりして、自分の知ってる型に押し込むことです」
「うわ、やりそう」
「やってますよ。今も割と」
「即答やめろや」
「昨日からその流れでしょう」
「お前ほんま容赦ないな。わし指揮官やぞ」
「知ってますよ。地位と役割に見合った給料を税金で貰ってるんで、それに見合った行動を求められとるだけでしょう」
ぐうの音も出ない隊長を尻目に、補給科長は立ち上がった。
「では、今日はこのへんで」
「……おう」
「今日は、隊長が途中で一回しか答えを置かなかったので上出来です。いつもよりだいぶマシでしたね」
「評価の仕方が腹立つんやわ!」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
傾聴。
それは、相手に気持ちよく喋らせることではなく、相手の中にある問題の輪郭を、一緒に見つけるための聞き方なのかもしれなかった。
隊長は、しばらく閉まった扉を見てから、小さく呟いた。
「……聞くって、思ったより難しいな」
その独り言に返事はなかったが、補給科長の背中は、だいぶ満足そうにも見えた。
2026.3.16改稿
2026.3.22全面改稿




