O-28:初動で削った手順は、後で全部要る
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
本管中隊長が退室したあとも、隊長室の空気は重いままだった。
隊長は椅子にもたれたまま、しばらく動かなかった。
机の上には、服務事故速報の控え、警務隊地区隊長から口頭で受けた要点のメモ、そして本管中隊長が持ってきた聞き取り結果の紙が雑多に並んでいる。
「……で、次は何や」
隊長がようやく口を開いた。
補給科長は、机上の紙を一瞥してから答えた。
「説教は終わりました。次は事故対応です」
「それはさっきも聞いた」
「では、もう少し具体に言います」
補給科長は、書類の束を指先で揃えながら続けた。
「今からやることは、大きく四つです。
一つ、関係者の接触遮断。
二つ、供述と記録の整理。
三つ、外部対応窓口の一本化。
四つ、本管中隊長をこの事案の実務から外す。
最低限これです」
隊長が顔を上げる。
「最後のやつ、あいつにやらせたらあかんのか」
「駄目です」
補給科長は即答した。
「もう関係者に接触してます。
本人にその自覚が薄くても、供述汚染のリスクがある。
しかも、善意で話を丸める癖がある。
今この人を“中隊長やから”で中心に置いたら、さらに混ざります」
隊長は、机を指で軽く叩いた。
「……そこまでか」
「そこまでです。
首謀かどうかの話やないです。
今この段階で、事案処理の主担当に置いていい人間かどうかの話です」
隊長は一度目を閉じた。
「しんどいな」
「そうでしょうね。
でも、もう“しんどいから後で”と言える段階やないでしょう」
補給科長は、そこで一枚紙を引き寄せた。
「まず、関係者接触の遮断です。
先輩陸士長、後輩1士、宴会参加者三名、本管中隊長。
少なくともこの五名については、事案関連の私的接触を止める。
会話、伝言、携帯、全部です」
「警務が見てるやろ」
「見てます。
でも、警務が見てるから中隊は何もせんでいい、にはなりません」
「どうする」
「隊長名で命じてください。
“本件に関する接触・聴取・伝達は、隊長指定者以外行うな”
で切る。
曖昧に“余計なことするな”では弱いです」
隊長は短くうなずいた。
「分かった。次」
「供述と記録の整理です。
本管中隊長が作った自衛隊式の供述調書、聞き取りメモ、服务事故速報の控え、時系列メモ。全部一旦集めます」
「警務に出すんか」
「必要なものは出します。
ただし、混ぜ方を間違えると余計にややこしくなる」
隊長が眉をひそめる。
「どういうことや」
「警務隊が取る供述と、中隊長が作る内部資料は別物です。
そこを同列に並べて“同じこと書いてあります”をやると、逆に警務から見れば、“何をどこまで中隊側で擦り合わせた”になる」
「……ああ」
「内部資料は、内部資料として時系列管理。
警務の供述は警務の供述。
“何月何日何時に誰が何を知ったか”だけを、隊長側で整理し直した方がいいです」
隊長は、そこで少しだけ嫌そうな顔になった。
「つまり、願望や解釈を抜いた年表を作れ、やな」
「そうです。
“和解済”とか“本人に反省あり”とか、そういう評価語は一旦捨てる。
今回必要なんは、誰がいつ何を知って、何を言って、何をしたかです」
隊長は長く息を吐いた。
「……耳が痛いな」
「最初の速報に“和解済”を入れたの、貴方が了承したんでしょう」
「そこ刺してくるか」
「事実なんで」
補給科長はそのまま続けた。
「三つ目。窓口一本化。
司令部、警務隊、当直、必要なら病院や警察も含めて、連隊側の窓口を一本にしてください」
「誰に持たせる」
補給科長は少しだけ考えた。
「原則は隊長です。
ただ、全部を隊長が口頭で捌くと抜けます。
なので、隊長が決定、記録と整理は私が持ちます。
発出は当直経由で切る。
この形が一番事故りにくい」
隊長はそこで小さく笑った。
「嫌や言うた割に、もう入っとるやないか」
「“その他命ぜられた事項”でしょう」
「便利に使うなや」
「便利に使ってるのは貴方です」
隊長は、少しだけ肩の力を抜いた。
だが、それも一瞬だった。
「で、四つ目。本管中隊長を外す、やな」
「ええ」
「そこ、本人にどう言う」
補給科長は、何でもない顔で答えた。
「貴方は当事者部隊長として状況報告に専念しろ。
関係者への追加聴取、説得、取りまとめ、供述調書作成は止めろ。
事案処理は隊長指定でやる。
そのまま言えばいいでしょう」
「反発するぞ」
「するでしょうね」
「そこでまた揉めるやろ」
「揉めてもいいです。
今大事なのは、本管中隊長の気分より、これ以上混ぜないことです」
隊長は机上のメモを見た。
そして、ゆっくりうなずいた。
「……呼ぶか」
(隊長室)
本管中隊長が再び入室した時、さっきより顔色が悪かった。
空気で分かる。
今度は説教の続きではない。
もっと実務的で、もっと嫌な話だ。
隊長は、余計な前置きをしなかった。
「本管中隊長。
この事案、お前を実務から外す」
一瞬だけ、本管中隊長の顔が固まる。
「……は?」
「今後、お前は当事者部隊長としての状況報告だけや。
関係者への追加聴取、供述調書の作成、説得、口頭での整理、全部やめろ」
「待ってください」
本管中隊長は一歩だけ前へ出た。
「自分の中隊の事案です。
自分が把握して——」
「だから外すんです」
補給科長が、低く言った。
本管中隊長が補給科長を見る。
補給科長は表情をほとんど動かしていなかった。
「もう関係者に接触してるでしょう。
しかも、善意で丸める方向に」
「自分は隠蔽を指示してへん」
「そこは今、主論点やないです」
補給科長の声は静かだった。
「首謀かどうかやなくて、今この段階で、貴方を実務の中心に置いたらさらに混ざる、という話をしています」
「……」
「供述を整えようとする。
事情を聞きたがる。
“和解済”で物を見たがる。
今の貴方、全部それでしょう」
本管中隊長は、そこで言葉を失った。
隊長が引き取る。
「本管中隊長。
これは処分やない。
事故対応上の配置や。
お前は下がれ。
必要な報告は上げろ。
それ以外は触るな」
「……はい」
「宴会参加者、先輩陸士長、後輩1士。
本件に関して、お前から接触するな。
中隊の人間にも、勝手に話を聞くなと切れ。
中隊当直にも、窓口は隊長指定に一本化すると伝えろ」
「はい」
「あと、今まで作った供述調書、聞き取りメモ、手持ち資料を全部ここへ出せ」
本管中隊長は、そこで一瞬だけ苦い顔をした。
「……はい」
その「はい」は、さっきまでより少し小さかった。
(隊長室)
本管中隊長が出ていくと、隊長はすぐ当直へ内線を入れた。
「本件、今から隊長統制に切り替える。
関係者への追加聴取、接触、伝達は隊長指定者以外禁止。
本管中隊長にも同じ指示を出した。
文面起こして回せ」
受話器を置く。
補給科長は、もう別の紙へ手を伸ばしていた。
「では次です」
「まだあるんか」
「ここからが本番でしょう」
補給科長は、紙へさらさらと書き込んでいく。
「まず年表を作ります。
金曜18時、宴会開始。
21時頃、喧嘩。
22時頃、中隊長へ連絡。
23時頃、部外病院。
土曜0時台、医師通報。
以後、警察、警務、当直、隊長、の流れ。
ここへ“誰が何を知ったか”を重ねる」
「……評価語は抜き、やな」
「そうです。
“和解済”とか“庇おうとした”とかは後でいい。
今は時系列だけを起こす」
「先輩陸士長と後輩1士の扱いは」
「警務の処理優先です。
中隊側が情緒的に触ると、だいたい悪化します。
生活管理と必要最小限の支援だけでいい」
「宴会参加者は」
「接触禁止。
ただし、隊長名で“今後の警務・警察聴取に際し、事実のみを述べよ。推測・相談・擦り合わせをするな”で切る。
曖昧に“余計なこと言うな”では、また勝手に守り合います」
隊長は、少しだけ眉をひそめた。
「そこまで書くんか」
「書きますよ。
今回は“守るつもりで隠す”を全員がやってるでしょう。
放っといたらまた同じことします」
隊長は黙った。
補給科長は、年表の下へさらに書き足す。
「それと、先輩陸士長の病院受診記録、診断書写し、警務隊から共有された要点、これも別ファイル。
中隊長の供述調書と混ぜない」
「そこ、そんなに大事か」
「大事です。
“中隊が整理した話”と“外部機関が掴んだ事実”を混ぜると、後でどこからどこまでが願望混じりか分からなくなる」
隊長は少しだけ遠い目をした。
「……最初にやっとけばよかったな」
「そうですよ」
補給科長は顔も上げずに答えた。
「初動で削った手順は、後で全部要るんです」
隊長が黙る。
補給科長は、そのまま続けた。
「しかも、だいたい一番高くつく形で」
その言葉は、静かだった。
けれど、妙に重かった。
隊長は椅子にもたれ、天井を見た。
「……ほんま、お前の言う通りやな」
「珍しいですね。素直で」
「今は反論する元気がないんや」
補給科長は、そこでようやく少しだけ口元を緩めた。
「それは何よりです。
では、年表の空白埋めますよ。
願望抜きで」
隊長は、机の上の乱れた紙束を見た。
金曜の夜には、ただの酒席の揉め事に見えたものが、もう、ここまで来ている。
最初に面倒がって削った手順を、今になって一つずつ拾い直している。
しかも、取り返しのつかないものをいくつか落としたあとで。
隊長は小さく息を吐いた。
「……しんどいな」
「そうでしょうね」
補給科長は淡々と答えた。
「でも、今しんどがるのは仕事です。
最初に面倒がった結果がこれなんで」
隊長は思わず苦笑した。
「最後まで容赦ないな」
「仕事なんで」
休日の隊長室には、紙をめくる音と、ペン先が走る音だけが続いた。
誰かが最初に削った手順を、今さら全部拾い直している。
そんな音だった。




