O-27:当事者の謝罪と組織の処理は別
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
日曜の昼前。
休日の隊舎は、平日より音が少ない。
その静けさの中で、隊長室だけが妙に空気が重かった。
本管中隊長は、応接椅子に浅く腰掛けたまま、正面を向いていた。
顔色は悪い。
だが、悪いなりにまだ、自分の中で話を整理しきれていない顔だった。
扉がノックされる。
「失礼します」
入ってきた補給科長は、迷いなく室内を一瞥した。
隊長。
本管中隊長。
机の上に広げられたメモ。
空の紙コップ。
休日出頭で積み上がった空気は、だいたいそれだけで分かる。
「休みのところ悪いな」
隊長がそう言うと、補給科長はすぐに答えた。
「休日に呼ばれる時点で、悪いのは前提でしょう。で、何を燃やしたんですか」
「お前なぁ……」
隊長は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに真顔へ戻った。
「本管中隊の暴行事案や。
しかも、病院での虚偽申告と、その後の供述統制疑義までついた」
補給科長の眉が、ほんの少しだけ上がる。
「……だいぶ綺麗に終わりましたね」
「終わってへんわ」
「でしょうね」
補給科長は本管中隊長の向かいへ座った。
「では、本管中隊長。最初からどうぞ。
言い訳やなくて、何を知っていて、何を判断したかの順で」
本管中隊長は、そこで一度だけ喉を鳴らした。
「……金曜の夜、酒の席で先輩陸士長と後輩1士が揉めました。
原因は先輩陸士長が、後輩1士の彼女の容姿を過剰に批判したことです。
後輩1士がキレて、先輩陸士長へ暴力を加えました」
「そこまでは速報で聞いてます。その後」
「二人から話を聞きました。
先輩陸士長は自分が原因やと認め、後輩1士も殴ったことを認めて謝罪した。
本人たちの間では話がついていたので、まず落ち着いて処理する方向で——」
「止めてください」
補給科長が、そこで初めて言葉を切った。
声は低い。
怒鳴ってはいない。
なのに、その場の空気だけが一段冷えた。
「今の時点で、もう認識がズレています」
本管中隊長が顔を上げる。
「何がや」
「“本人たちの間では話がついていた”」
補給科長は、机の上のメモを指先で軽く叩いた。
「それ、人間関係の話でしょう」
「……そうや」
「でも今回起きてるのは、暴行と負傷です。
しかも外部病院受診、虚偽申告、警察通報、警務隊介入まで行ってる。
その段階で、まだ“本人たちの間では”を基準に物を見てるのが、まずいんです」
本管中隊長は、少し苛立ったように言った。
「でも原因を作ったのは先輩陸士長や。
本人もそれを認めとった。
後輩1士も反省してた。
なら、あとは中隊で——」
「だから、そこです」
補給科長は即座に返した。
「中隊で丸められる話と、そうでない話の線引きが雑なんですよ」
隊長は黙って聞いていた。
今のところ、口を挟む気はなさそうだった。
補給科長は続ける。
「本管中隊長。
ひとつ確認します。
貴方、傷害が非親告罪やって、知ってましたか」
本管中隊長は一瞬だけ止まった。
「……訴えられんかったら——」
「ほら、そこです」
補給科長の言葉は、静かなまま鋭かった。
「“訴えられんかったらええ”は、民事の発想です。
今回の暴行は、被害者が許したから消える類いの話やない」
本管中隊長が、目に見えて言葉に詰まる。
「自分は……そこまでの法律知識は……」
「ええ。そこまでは見えてなかったんでしょうね」
補給科長は、責めるというより、確認するような口調だった。
だが、その確認の仕方が余計に逃げ場をなくす。
「だから、先輩陸士長が原因を認めてる。
後輩1士が反省してる。
訴訟沙汰にならなきゃいい。
その辺で止まった」
本管中隊長は、何も言えなかった。
補給科長は、もう一つ確認する。
「で、病院受診後。
怪我は階段から落ちたものやと聞かされた」
「……そうや」
「その時、変やとは思ったんでしょう」
「少しは、な」
「でも、深く追わなかった」
「……」
「止めなかった、の方が正確ですかね」
本管中隊長が、そこで少しだけ顔をしかめた。
「自分は、嘘をつけとは言うてへん」
「ええ。たぶん直接は言ってないんでしょう」
補給科長は、あっさり認めた。
「でも、貴方は
“話を広げるな”
“落ち着いて処理する”
“本人たちは和解済”
この認識で動いた」
「それが何や」
「その空気で、先輩陸士長は“後輩を庇うための嘘”を、言っていいものとして強化されたんですよ」
隊長が、そこで初めて視線を本管中隊長へ向けた。
本管中隊長は言い返しかけて、止まった。
補給科長は、その沈黙を逃さない。
「貴方が口裏合わせを命じた、とまでは言いません。
証拠もない。
ただ」
そこで、補給科長はほんの少しだけ声を落とした。
「貴方の認識の甘さが、部下二人を守る最後の機会を潰したのは事実でしょう」
その一言で、室内が完全に止まった。
本管中隊長は、すぐには顔を上げられなかった。
補給科長は続ける。
「先輩陸士長が煽った。
後輩1士が殴った。
そこまでは、もう変えようがないです。
でも、その直後に、
負傷を確認して、
受診を管理して、
事実関係をそのまま上へ上げて、
外部への説明も統一していれば、まだ違った」
「……」
「先輩陸士長は、少なくとも保険金詐欺未遂までは乗らなかった可能性がある。
後輩1士も、傷害一本で、しかも情状はかなり拾えたかもしれん。
処分の量刑だって、まだ連隊長判断で拾える余地はあったでしょう」
隊長は、その言葉に何も返さなかった。
返せなかった、の方が近い。
補給科長は、そのまま本管中隊長へ視線を据える。
「でも貴方は、問題を小さくしたかった」
「……そうや」
やっと、本管中隊長が絞り出すように言った。
「大ごとにしたくなかった。
先輩も自分が悪い言うてたし、後輩も反省しとった。
なら、そこで止めたかった」
「分かりますよ」
補給科長は、そこで初めて少しだけ表情を緩めた。
優しさではない。
理解はする、という顔だった。
「でも、“小さくしたい”は管理者の願望であって、事実やないんです」
本管中隊長は、何も言えない。
補給科長はさらに言う。
「規則や手順は、面倒なためにあるんやない。
願望で初動を削らんためにあるんです。
守る人を守るための構造なんですよ」
隊長が、そこで小さく息を吐いた。
「……前にも、似たようなこと言うとったな」
「言いましたよ。
本管中隊長は、自分を守ってくれる物を、自分で取っ払う癖があるんで」
その言葉で、本管中隊長の肩がほんの少しだけ落ちた。
やっと、今までの二つの小さな事案と、今回の大きな事案が、自分の中で一本に繋がり始めた顔だった。
車両事故。
規則軽視。
そして今回。
そのたびに、自分は
“現場判断”
“融通”
“丸く収める”
と言っていた。
だが実際には、問題を見ないまま、先送りしていただけだったのかもしれない。
「……自分は」
本管中隊長が、ようやく低い声で言った。
「後輩1士を守ってやれてるつもりやった」
「でしょうね」
補給科長は即答した。
「でも実際には、二人とも守れてません」
その一言が、一番重かった。
隊長は、しばらく黙っていた。
そして、ようやく口を開く。
「本管中隊長」
「……はい」
「今の話、よう覚えとけ。
お前が殴ったわけやない。
嘘を考えたんも、直接はお前やないかもしれん。
でも、お前の認識の甘さが、部下二人の人生を飛ばす方へ押したのは事実や」
本管中隊長は、深くうつむいた。
「……はい」
「今日はもう、それ以上言わん。
ただし、ここから先の処理は、もう“中隊の中で話がついた”では済まん。
そこは頭切り替えろ」
「はい」
隊長が手で下がれと示す。
本管中隊長は立ち上がり、敬礼し、退室した。
扉が閉まるまで、誰も何も言わなかった。
(隊長室)
扉が閉まったあと、隊長は椅子にもたれたまま、しばらく天井を見ていた。
「……しんどいな」
「そうでしょうね」
「お前、ほんま容赦ないな」
「今回、下手に慰めても意味ないでしょう」
補給科長は、机上のメモを見ながら答えた。
「事実関係と、本人の認識のズレを切り分けんと、また同じことやりますよ」
隊長は目を閉じたまま言う。
「でも、あいつが首謀やない可能性はあるんやろ」
「あります」
「なら、少しは救いようもあるか」
「どうでしょうね」
補給科長の返しは淡々としていた。
「首謀でなくても、管理者としてはだいぶ重いです。
むしろ、自分が何をしたか分からんままここまで来たなら、その方が厄介かもしれません」
「……耳が痛いな」
「貴方も指揮官でしょう」
隊長はそこで、ようやく少しだけ笑った。
苦い笑いやった。
「で、次は何や」
「次は、事故対応です」
補給科長は即答した。
「今さら説教で何とかなる段階やない。
司令部への上申、関係者の扱い、記録の整理、供述の分離、関係者接触の遮断。
“何が起きたか”を、今度こそ願望抜きで整え直さなあかん」
隊長は深く息を吐いた。
「……やっぱり、お前呼んで正解やったな」
「知ってます」
「そういうとこやぞ」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
だが、笑いは長く続かなかった。
もう、取り返しのつかないものが出始めている。
それを誰も、よく分かっていたからだ。
休日の隊舎の静けさは、少しも優しくはなかった。




