表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コメディ自衛隊 ~毒舌科長、連隊を立て直す~  作者: リフェリア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/37

E-1:「人間関係」では、どうしようもないもの

 本作はフィクションです。

 作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。

 なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。

(本部管理中隊・居室)


 それは、補給科長が嫌な予感を口にしてから、数日後の週末。


 課業外。

 金曜の夜。


 本部管理中隊の若い隊員たちが、駐屯地すぐ横の安い居酒屋で飲んでいた。


 歓送迎会でもなければ、何かの打ち上げでもない。

 理由のない飲み会は、たいてい理由がないからこそ気楽で、そして気が緩む。


 先輩陸士長は、その日、最初から少し機嫌が悪かった。


 声がやや大きい。

 笑い方が雑。

 酒のペースも早い。


 後輩1士は、最初のうちはそれを深く気にしなかった。

 この人は酔うと少し面倒くさい。

 それくらいの認識だった。


 だが、二杯目か三杯目あたりから、話題が妙な方へ流れた。


「お前さぁ」


 先輩陸士長が、ジョッキを片手に後輩1士へ顔を寄せる。


「最近、彼女できたんやって?」


 後輩1士は、少しだけ困ったように笑った。


「はい、まあ……」


「写真ある?」


「いや、ちょっと……」


「見せろって」


 後輩1士は、渋々スマホを出した。

 先輩陸士長は、それを覗き込んで、数秒黙ったあと、鼻で笑った。


「……え、お前の恋人、不細工やな」


 卓の空気が、一瞬だけ止まった。


 後輩1士は、固まったあとで、苦笑いを作った。


「いやいや、酷いこと言わないでくださいよ」


「いや、ほんまに。

 お前、もっと上いけたやろ」


「俺にはとても可愛く見えるからええんすよ」


「いや、逆によう付き合ったなと思って。

 優しいんか、妥協したんか知らんけど」


 笑いながら言っている。

 言っている本人は、たぶん半分くらい冗談のつもりなのだろう。


 後輩1士は、最初は笑顔で流そうとした。だが、出来なかった。


「もうやめてくださいって」


「なんや、そんな本気で怒るなや」


「怒りますよ、そら」


「いや、お前も酔ったら正直になるタイプやと思ってたわ。

 ほんとはちょっと思ってるやろ?」


 そこまで来たあたりで、周りの隊員たちも、さすがに少し顔を見合わせ始めた。


 だが、酒の席というのは、嫌な流れでも妙に誰も止めきれないことがある。

 笑えば流せるかもしれない。

 そのうち終わるかもしれない。

 空気を壊すほどでもないかもしれない。


 そういう雑な期待が、一番危ない。


 先輩陸士長は、さらに酒をあおった。


「お前、彼女できて調子乗っとるんやろ。

 でもな、顔は選んだ方がええぞ。

 子どもできたらどうすんねん」


 その瞬間だった。


 後輩1士の顔から、笑いが消えた。


「……先輩、それ以上はやめてください」


 声の温度が、そこで変わった。


 先輩陸士長は、それでも止まらなかった。

 酔っている人間は、相手の表情が変わった時ほど、変な方向へ踏み込むことがある。


「何やねん。

 図星やから怒っとるんか?」


「やめてくださいって言ってるんです」


「はいはい、怖い怖い。

 でも実際、不細工は不細工やろ。

 お前も内心——」


 そこで、後輩1士が立ち上がった。


 止める間もなかった。


 拳が一発。

 そのあと二発。

 三発目で椅子ごと倒れた先輩陸士長を、後輩1士はさらに殴ろうとして、ようやく周りに止められた。


「やめろ!!」


「おい、やめろって!」


「先輩! 大丈夫ですか!」


 先輩陸士長は床に倒れたまま、顔を押さえてうめいていた。

 口元に血が滲んでいる。

 右手も変な角度で庇うように抱えていた。


 後輩1士の呼吸は荒い。

 止めに入られても、まだ肩が怒りで上下していた。


 店の中は、急に静かになっていた。

 周りの客も、店員も、もう完全にこちらを見ていた。

 


(本部管理中隊・面談室)


 その夜のうちに、本管中隊長は二人を面談室へ呼んだ。


 酒は抜けきっていない。

 だが、酔いよりも先に、空気が冷えていた。


 先輩陸士長は、頬を腫らし、右手を庇うようにして座っている。

 後輩1士は、血の気が引いた顔で、ただ前を向いていた。


 本管中隊長は、珍しく真面目な顔をしていた。


「先に聞く。

 誰が、どうした」


 後輩1士が何か言う前に、先輩陸士長が口を開いた。


「……自分が悪いです」


 本管中隊長が眉をひそめる。


「何がや」


「後輩の彼女のことを、酒の勢いでだいぶ酷く言いました。

 最初は流されてたんですけど、自分が調子に乗りました」


「殴られたのは」


「当然やと思ってます」


 後輩1士が、そこで苦しそうに言った。


「当然ではないです。

 自分がやりすぎました。

 言われたことは腹立ちましたけど、殴っていい理由にはならないです。

 すみませんでした」


 本管中隊長は、二人の顔を順に見た。


 少なくとも、この瞬間、二人とも嘘は言っていないように見えた。


 先輩陸士長が、腫れた顔のまま後輩1士に向き直る。


「……悪かった。

 あれは言いすぎた」


 後輩1士も、深く頭を下げた。


「すみませんでした」


 そのやり取りだけ見れば、たしかに話はついたように見えた。


 原因を作った側も認めている。

 殴った側も反省している。

 双方謝罪している。


 本管中隊長は、そこで一度だけ息を吐いた。


「……分かった。

 先輩陸士長、お前が先に煽ったのは事実やな」


「はい」


「後輩1士、お前はやりすぎた。

 どれだけ腹が立っても、殴った時点で駄目や」


「はい」


「でも、二人とも話は分かっとるな。

 ここから先は、変に話広げるより、まず落ち着いて処理する」


 二人とも、黙ってうなずいた。


 本管中隊長は、その反応に少し安心したようだった。


 大ごとにしたくない。

 できれば中隊の中で収めたい。

 今ここで話がついているなら、それを壊したくない。


 そういう気持ちが、かなり顔に出ていた。


「先輩陸士長、病院は行け」


「はい」


「後輩1士は今日は下がれ。

 ただし、明日以降の話はまたする」


「はい」


「あと、外では余計なこと言うな。

 酒の席の揉め事を、わざわざ広げても誰も得せん」


 後輩1士は一瞬だけ顔を上げた。

 本管中隊長は、その視線に気づかないふりをした。


 


(部外病院)


 先輩陸士長は、その夜のうちに部外病院を受診した。


 受付で問診票を書く手が、右手の痛みでうまく動かない。

 看護師が事情を尋ねる。


「どうされました?」


 先輩陸士長は、一瞬だけ止まった。


 本当のことを言えば、面倒になる。

 隊にも迷惑がかかる。

 後輩1士も終わるかもしれない。

 何より、自分が先に煽ったことまで外へ出る。


 そう考えた時、先に口をついたのは別の話だった。


「……酔って、階段から落ちました」


 看護師は、そのまま書き取った。


 診察室に通され、医師が患部を見る。


 顔の複数打撲。

 右手の指の負傷。

 頬の腫れ方。

 拳で受けたような局所的な損傷。


 医師は、先輩陸士長の顔とカルテを見比べた。


「階段から落ちた?」


「はい……」


「どこの階段で」


「店の……外の」


「何段くらい」


「……よく覚えてません」


 医師は、それ以上すぐには何も言わなかった。

 ただ、視線だけが少し冷たくなった。


 先輩陸士長は、その空気に気づきながらも、もう引き返せなかった。


 ここで話を変えたら、余計にまずい。

 たぶんそう思っていた。


 診察が終わり、処置室へ回されたあと。

 医師は看護師へ小さく言った。


「これ、転落の怪我としては少し不自然ですね」


「……はい」


「通報の要否、確認しましょう」


 その一言は静かだった。

 だが、静かだからこそ戻れない種類のものだった。


 


(本部管理中隊・翌朝)


 翌朝。


 本管中隊長は、先輩陸士長の腫れた顔を見て、少しだけ眉をひそめた。


「……結構いっとるな」


「すみません」


「謝るのはそっちやないやろ」


 本管中隊長はそう言ったが、声に強さはなかった。


「で、病院では何て言うた」


「……酔って階段から落ちた、と」


 本管中隊長は、一瞬だけ止まった。


「……そうか」


 その“そうか”の中に、安堵があった。


 少なくとも、自分の前ではそう聞こえた。


 先輩陸士長も、たぶんそれを感じて、余計に言葉を足さなかった。


 後輩1士は、そのやり取りを少し離れた位置で聞いていた。

 何も言わない。

 言えない。

 だが、その沈黙は、納得ではなかった。



(部外病院・医局)


 朝の診療が落ち着きかけた頃だった。


 昨夜の救急外来で対応した医師は、カルテをもう一度開いていた。


 酔って階段から転落。

 顔面打撲。

 右手人差し指の脱臼骨折。


 書類にすると、それだけの話だ。

 だが、診察した感触が、どうしても引っかかっていた。


 拳で殴られたような局所的な打撲。

 顔を庇おうとして反射的に前へ出した手に、別の力が加わったような指の損傷。

 階段から落ちたと言うには、どうにも怪我のつき方が整いすぎている。


 看護師が、医師の視線の先を覗き込んだ。


「先生、やっぱり昨日の方ですか」


「ええ」


「そんなに不自然でしたか」


 医師は短くうなずいた。


「少なくとも、単純な転落で片付けるには無理があります。

 それに、本人の様子も落ち着かなすぎた」


「怯えている、という感じでした?」


「そこまでは断定しません。

 でも、話を合わせようとしている時の沈黙でした」


 医師はカルテを閉じた。


「被害者が脅されている可能性も含めて、一度相談します」


 その声は静かだった。

 だが、その静けさが、もう個人の“気のせい”では済ませないという意思を含んでいた。


 医師が受話器へ手を伸ばす。


 その動きはゆっくりだった。

 だが、迷いはなかった。


 本人たちの中でどれだけ“話がついている”つもりでも、法律上の問題が解決する訳ではない。


 ゆっくりと、確実に、何かが連隊に迫っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ