O-24:「甘やかし」ではなく「構造化」です
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(訓練科事務室)
翌日。
訓練科事務室の空気は、いつもより少しだけ固かった。
訓練科長の机の前に、訓練班長、訓練陸曹、そして補給科長が立っている。
訓練科長はいつもの無表情のまま椅子に座っていたが、話の主導権を補給科長へ渡しているのは明らかだった。
補給科長は、事務机の端に一枚の紙を置いた。
「では、昨日の続きです」
訓練班長が少し背筋を伸ばす。
「お願いします」
「結論から言います。
訓練陸曹が急に仕事できなくなったわけではありません。
班長交代で、仕事が通る条件が消えただけです」
訓練陸曹は少しだけ目を伏せ、訓練班長は黙って聞いていた。
補給科長は紙の上を指で軽く叩いた。
「問題は五つです。
一つ、指示が一度に複数入る。
二つ、優先順位が曖昧。
三つ、期限が具体でない。
四つ、途中確認がない。
五つ、割り込みが入った時に順番が崩れる。
昨日見えたのはこれです」
訓練班長は、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「……そこまで細かく切らないといけないんでしょうか」
「通る相手には、いらんでしょうね」
補給科長は即答した。
「でも、通らん相手に対して“普通はこれで分かる”を繰り返しても、ただ業務を詰まらせるだけです」
「……」
「しかも今回は、前任班長の時に回ってたんでしょう。
なら、訓練陸曹の性能はそこまで変わってない。
変わったのは指示の形式です。
ここで“本人の努力不足”に逃げたら、班運営としてはかなり雑です」
訓練科長が横から淡々と口を挟んだ。
「耳が痛い話ですが、その通りでしょう」
補給科長は、そこでほんの少しだけ訓練科長を見た。
「訓練科長も他人事やないですよ。
今回、前任班長がうまく噛ませていたから見えてなかっただけで、上から降ってくる指示の形式自体はだいぶ“通る側基準”です」
訓練科長は、そこで小さく息を吐いた。
「否定できません」
補給科長は、次の紙を置いた。
「で、解決策です。
難しいことはしません。
前任班長が無意識にやっていたことを、班運営として明文化します」
訓練班長が紙を見る。
そこには、簡潔な項目が並んでいた。
その日の担当業務は朝一で紙で渡す。
優先順位は番号で振る。
期限は“今日中”ではなく時刻で切る。
11時と15時に進捗確認。
割り込み業務が入った場合は、その都度順番を書き直す。
口頭だけで終わらせず、班内で見える形を残す。
訓練班長は、それを読みながら少し眉を寄せた。
「……これ、かなり手厚いですね」
「手厚いんやなくて、構造化です」
補給科長は淡々と言った。
「甘やかしでも特別扱いでもない。
仕事が通る条件を、属人的な技能から班の運用へ移すだけです」
訓練陸曹が、そこで恐る恐る顔を上げた。
「……それで、回るようになるんでしょうか」
補給科長は、少しだけ視線を柔らかくした。
「急に全部きれいには回らんでしょう。
でも、今みたいに“どこで止まったのか自分でも分からんまま沈む”よりは、だいぶマシになります」
訓練陸曹は、小さくうなずいた。
(訓練科事務室)
訓練班長は、さっそく朝の仕事の振り方を変えることになった。
補給科長は、横から一つずつ切っていく。
「まず、“今日やること”を紙にしてください。
口頭で言って終わりにしない」
「はい」
「次に、優先順位は番号で振る。
“こっちを止めるな”では曖昧です。
1、2、3で切ってください」
「分かりました」
「期限は」
「時刻で切ります。
1番は11時、2番は15時、みたいに」
「そうです。
“早めに”とか“余裕を見て”は、分かる人にしか通りません」
訓練班長はそこで少しだけ苦笑した。
「その言い方、だいぶ刺さりますね」
「今刺さるなら、まだマシです」
補給科長は気にせず続けた。
「あと、割り込みです。
訓練科って、割り込みゼロで一日終わることほとんどないでしょう」
「ないですね」
「なら、“割り込みが入ったら元の順番が飛ぶ”前提で運用してください。
急ぎが入ったら、元の紙を使って、その場で番号を書き直す。
口頭で“それ先で”だけ言って終わるな、です」
「……なるほど」
「途中確認は11時と15時で固定。
訓練陸曹から聞きに来させるか、班長が見に行くかはお任せします。
ただ、“止まっても自己申告してくるやろ”は期待しない方がいいでしょう」
訓練班長は、そこで初めて少し真面目な顔になった。
「……分かりました」
補給科長は訓練陸曹の方を見る。
「訓練陸曹」
「はい」
「逆に、そっちもやることがあります」
「はい」
「紙を渡されたら、最初に復唱してください。
1番は何、2番は何、期限は何時、そこを一回言葉にする。
分からんまま頷いて持って帰らない」
訓練陸曹は少しだけ緊張した顔で答えた。
「……やります」
「あと、11時と15時の確認までに、止まったなら止まったでそこまでを見せる。
完成してから出す必要はないです。
途中で止まってるなら、途中で止まってる紙を見せればいい」
「はい」
「できるかどうかやなくて、止まった位置を見えるようにする。
そこからなら班長も直せます」
訓練陸曹は、今度ははっきりうなずいた。
「はい」
(訓練科事務室・その日の午前)
その日の朝、訓練班長は実際に紙を作った。
白紙に簡潔に書く。
1. 業務隊提出用の調整表修正 11時まで
2. 次回訓練用の不足科目案出し 15時まで
3. 外部調整先確認 終業前まで
※割り込みが入ったら、この紙を持って来い
訓練班長は、その紙を訓練陸曹の机に置いた。
「今日これでいく」
「はい」
「復唱してみろ」
訓練陸曹は紙を見ながら、少しだけゆっくり読んだ。
「1番、調整表修正、11時まで。
2番、不足科目案出し、15時まで。
3番、外部調整先確認、終業前まで。
割り込み入ったら、この紙を持っていく」
「そう。
まず1番やって、11時に一回持ってこい」
「はい」
さっそく始めた訓練陸曹の動きは、昨日より明らかに迷いが少なかった。
補給科長は少し離れた位置からそれを見て、小さく言った。
「スタートはこれで十分です」
訓練科長が横で聞く。
「昨日より、明らかに反応が違いますね」
「入力が整理されただけです。
昨日までは“何をどこまでやればいいか”が、最初から曖昧でしたから」
「……なるほど」
(訓練科事務室・11時)
11時ちょうど。
訓練陸曹が紙と修正済みの表を持ってきた。
「ここまでです」
訓練班長はそれを見た。
大きな抜けはない。
細かい修正はあるが、昨日までの“そもそも何も出てこない”よりは、ずっと話が早い。
「ここ、時刻だけ直せ。
でも全体としてはこれで通る」
「はい」
訓練陸曹が戻る。
訓練班長は、それを見送りながら小さく言った。
「……確かに、昨日までより全然早いですね」
補給科長は何でもない顔で返す。
「でしょうね。
“完成してから見せろ”やなくて、“止まる前に一回見せろ”にしただけです」
「……」
「訓練班長、昨日まで何を見ていました?」
「完成度を見ていました」
「そうでしょう。
でもこの人に必要やったんは、完成度の査定やなくて、途中でズレを直す機会です」
訓練班長は、少しだけ苦い顔になった。
「そこが抜けていました」
「真面目な人ほど、完成品を出させようとしがちなんですよ。
でも、途中で詰まりやすい人にそれをやると、だいたい途中で固まります」
(訓練科事務室・数日後)
3日ほど経った頃には、訓練陸曹の机の上には毎朝同じ形式の紙が置かれるようになっていた。
優先順位。
期限。
確認時刻。
割り込み時の持ち戻り。
訓練班長も、最初のぎこちなさが少し抜けてきていた。
「1番終わったら、その紙ごと持ってこい」
「はい」
「2番で止まったら、止まったところに印つけて来い」
「はい」
指示が短くなり、訓練陸曹の返答も短くなった。
訓練科長は、しばらくその様子を見てから、補給科長へ低い声で言った。
「……前より、かなり回っています」
「そうでしょうね」
「正直、ここまで変わるとは思っていませんでした」
補給科長は、机の端に置かれた確認用の共有表を見ながら言う。
「急に有能になったわけやないです。
通る形式に直しただけです」
訓練班長が、その言葉を聞いて少しだけ苦笑した。
「最初は、そこまで細かくせんとあかんのかと思っていました」
「甘やかしやないです」
補給科長は即答した。
「性能を出せる条件を揃えただけでしょう」
訓練班長は、そこでようやく小さく笑った。
「その言い方、ちょっと腹立ちますけど、意味は分かりました」
「それで十分です」
(補給科事務室)
夕方。
補給科長が事務所へ戻ると、補給班長がすぐに顔を上げた。
「科長、どうでした?」
「解けましたよ」
「早いですね」
「運用の話ですからね。
人間関係のもつれよりは、だいぶ早いです」
補給班長が少し笑う。
「今回は、ほんとに“回る条件”が消えてただけだったんですね」
「そうです。
しかも前任者、相当丁寧にやってたんでしょうね。
本人は多分“別に普通です”って顔して退職してますよ」
「……ありそうです」
補給科長は、机の上の赤入れ途中の書類を開き直した。
「ただ、属人的に回してたこと自体は悪やないです。
悪いのは、それを言語化しないまま消えることです」
「次の人が再現できないから、ですか」
「そういうことです。
“うまくやってた人”がいなくなった瞬間に崩れる仕組みは、だいたい仕組みとして弱い」
補給班長は小さくうなずいた。
「なるほど……」
「だから今回は、前任者の技能を班の運用へ移しただけです」
(隊長室)
翌日。
隊長は報告を聞き終えると、椅子にもたれて唸った。
「……なるほどなぁ」
向かいには補給科長と訓練科長が座っている。
「結局、訓練陸曹が急に悪くなったわけやなかったんやな」
「そうです」
補給科長が答える。
「前の班長は、無意識にでも通る条件を揃えていた。
新しい班長は、“普通に戻した”つもりで、その条件を外した。
それだけです」
隊長は少し嫌そうな顔になった。
「“普通に戻した”が一番怖いな……」
「通る側の普通は、通らん側には普通やないですから」
訓練科長が、そこで静かに言った。
「私自身にも、かなり刺さる話でした」
「でしょうね」
補給科長は即答した。
「訓練科長は“できる人間には通る”指示を、指示として認識しすぎです」
「そこまで言いますか」
「言います。
班長が噛んでたから見えてなかっただけで、今回かなり危ない位置まで行ってたでしょう」
訓練科長は、小さく息を吐いた。
「否定はできません」
隊長は二人を見比べながら、少しだけ笑った。
「ほんま、お前らの会話、分かったようで分からんのに、最終的にはちゃんと噛み合っとるな」
「お互いに説明を省いてるだけでしょう」
補給科長が言うと、訓練科長も珍しく少しだけ口元を緩めた。
「補給科長とは、その方が早いので」
「置いていかれる周りの身にもなれや」
隊長はそう言ってから、少しだけ真顔に戻った。
「……でも、今回のは勉強になったわ。
“分かるやろ”で落ちるやつを拾うんも、管理の仕事なんやな」
「そうです」
補給科長は何でもない顔で答えた。
「“察して動け”で落ちるやつに根性論を足しても、だいたい事故が育つだけです」
隊長は、そこで小さく吹いた。
「最後の一言がいちいち刺さるんやわ」
「でも本質でしょう」
「ほんま、お前はそういうとこやぞ」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
仕事ができるかどうか。
その問いの前に、そもそも“仕事が通る形で渡されていたか”を見なければならないこともある。
隊長は、机の上のメモを見ながら小さく呟いた。
「……“普通”って、便利やけど雑な言葉やな」
その独り言に返事はなかったが、補給科長と訓練科長の沈黙だけは、妙に納得しているようにも見えた。




