O-22:訓練科長の困り事
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(補給科事務室)
昼過ぎ。
補給科事務室は、珍しく少しだけ静かだった。
補給科長は机の上の書類に赤を入れながら、補給班長がまとめた調整表を見ていた。
補給陸曹は奥で物品請求の確認をしている。
その時、事務室の入口に訓練科長が現れた。
「補給科長に要件があります。今、お時間よろしいですか」
補給科長は顔を上げた。
訓練科長がわざわざ補給科事務室まで来ること自体が珍しい。
しかも、声の高さも表情もいつも通り平坦なのに、立ち姿だけがわずかに急いでいる。
「珍しいですね。訓練科長がうちに来るの。なんか補給関係で燃やしたんですか」
「そっちの方が楽でいいですね」
訓練科長は淡々と返した。
冗談なのか本音なのか分かりにくい言い方だったが、補給科長はそこで少しだけ目を細めた。
「……この時点で、まあまあ面倒そうですね」
「少し相談があります」
それだけ言って、訓練科長はそれ以上を足さない。
“少し”で済まないことを、たぶん本人も分かっている顔だった。
補給科長は手元のペンを置いた。
「補給班長、少し席を外します。私宛の調整が来たら、いつも通り、不在間のプロトコルで処理しておいてください。お願いできますか?」
「はい。今日は15時30分の担当者会同までは事務所作業のつもりなので大丈夫です」
補給班長が机上の動態表へ一度目を落として答える。
補給科長は短くうなずいた。
「お願いします」
補給科長は立ち上がり、訓練科長に軽く顎をしゃくった。
「ここでは何ですし、面談室行きましょうか」
「助かります」
二人が事務室を出ると、奥にいた補給陸曹が小声で言った。
「……また、あの二人の“何となく話は通じてそうだけど、何言ってるかはよく分からないやつ”ですかね」
補給班長は苦笑した。
「多分そうやろうな。
あとで科長が雑に要点だけ落としてくるやつや」
(補給科事務室から面談室への道すがら)
廊下を並んで歩きながら、訓練科長がぽつりと言った。
「補給科は相変わらず下が育っていて頼もしいですね。羨ましい限りです」
補給科長は前を向いたまま返す。
「訓練科長の下も随分と英才教育を受けていると思いますけどね。ついて行ければ」
訓練科長は、そこでほんの少しだけ口元を緩めた。
笑ったというほどでもない。
ただ、否定しない時の顔だった。
「私は、やって見せることはできますが、部下が何を分からないのかが分からないので。指導という点ではからっきしです。
仕事の割り振りも訓練班長にすべて委ねています」
補給科長は、その一言でだいたい察したらしかった。
足は止めない。
だが、声だけが少し落ちる。
「得手不得手があるのは仕方がありません。
ただ、訓練科は少し、訓練科長と訓練班長の能力に依存しすぎてますね。
属人的すぎる。
貴方がいなくなった後、後任は相当きついと思いますよ」
訓練科長は、そこで特に反論しなかった。
「そこは後任に任せます。副連隊長がいない今、隊長の次級者になる人間ですので」
「そこは雑ですねぇ」
補給科長が言うと、訓練科長はわずかに横目を寄越した。
「雑にしないと回らない場面もあります」
「その雑さで、今回たぶん何か落としてるんでしょう」
訓練科長はそこで黙った。
数歩分の沈黙。
だが、嫌な沈黙ではない。
“その線で話が通じた”時の沈黙だった。
(面談室)
面談室に入ると、訓練科長は扉がきちんと閉まるのを待ってから座った。
補給科長も向かいへ腰を下ろす。
先に口を開いたのは補給科長だった。
「それで、本日はどうしました?」
訓練科長は、一度だけ息を吐いた。
「訓練陸曹が、最近かなり業務を落としています」
補給科長の目が少しだけ細くなる。
「……前任班長が退職してからですか」
「そうです」
即答だった。
補給科長は、そこで少しだけ視線を落とした。
もう半分くらい見えた時の顔だった。
「もともと回っていたものが、班長交代で急に回らなくなった。
だから、本人そのものより運用の問題かと思いましたが……」
訓練科長はそこで言葉を切る。
自分の中で仮説は立っている。
だが、その先を雑に断定したくはない。
そんな話し方だった。
補給科長は、わずかに首を傾けた。
「さっき言ってましたね。
訓練科長は班長へまとめて投げて、班長が個別に割っていた」
「ええ、そうです。
新任の訓練班長も真面目ですし、仕事もできる。
私の指示は漏れなく理解できています。
助かってはいるんですが」
“ですが”の後に、訓練科長は少しだけ間を置いた。
自分の中では繋がっているのに、外へ出そうとすると上手く言葉にならない。
そんな珍しい迷い方だった。
補給科長は、その間を埋めるように淡々と言った。
「なるほど。
前の班長のやり方は見えてない。
今の班長は、少なくとも訓練科長から見る限り、普通に回している。
でも訓練陸曹だけ落ちる。
だから、どこで詰まってるのかが見えない。
そういう話ですね」
訓練科長は、そこで初めて少しだけ肩の力を抜いた。
「そうです。
当初はメンタル不調も疑いました。
ただ、悪化の時期が班長交代と綺麗に重なりすぎています。
だから本人の不調というより、まず運用を疑っています」
補給科長は小さくうなずいた。
「その理解でいいでしょう」
「助かります。
正直、何に困っているかが読み取れなくて困っていました」
「でしょうね」
補給科長は即答した。
「訓練科長は、できる人基準で世界を見すぎるんですよ。
通る指示しか、指示として認識しにくいでしょう」
訓練科長はそこで、苦笑とまではいかない程度に、ほんのわずか眉を動かした。
「耳の痛い話です」
「今痛いならまだマシです。
潰してから痛がられるよりは」
また、数秒の沈黙が落ちる。
訓練科長は、その短い沈黙の中でだいたい話が決まったことを理解したらしかった。
「それでは、実際に見ますか」
「ええ。
見た方が早いです」
「訓練班長経由で、訓練陸曹に振れそうな業務を見繕っておきます」
「お願いします」
「隊長には」
「まだいりません。
この段階で上まで上げると、話が雑になります」
訓練科長は一拍だけ置いて、静かにうなずいた。
「……了解です」
補給科長は立ち上がった。
「私は一度補給科事務室に戻って、少し長引くことだけ伝えてから向かいます。
訓練科長は先に戻っておいてください」
「相変わらず話が早くて助かりました」
「雑に信頼してきますね」
「それなりに根拠はあります」
補給科長は、そこでようやく少しだけ口元を歪めた。
「それなら結構です」
(補給科事務室)
補給科長が事務室へ戻ると、補給班長がすぐ顔を上げた。
「科長、事務所を出てからまだ10分くらいなんですけど、もう終わったんですか?」
「訓練科長との話し合いが20分以上続くことの方が珍しいでしょう」
補給科長は机上のノートを取る。
「ただ、解決まではもう少しだけかかりそうです。今のところ問題ありませんか?」
「こちらは問題ありません。面倒そうですか?」
補給科長はノートを開きながら答える。
「面倒ですよ。
ただ、まだだいぶマシな部類です」
「どういう意味ですか」
「今回は、属人的な理由ではなく、運用の話だからです」
補給班長は少し首を傾げた。
補給科長は、ペン先を指先でくるりと回しながら続ける。
「回っていたものが、人が代わった途端に止まった。
なら、本人が急に駄目になったんやなくて、“回る条件”が消えたと見る方が早いでしょう」
補給班長は、そこで少しだけ納得した顔になる。
「なるほど……」
「運用が原因の話なら、運用を変えるだけです。
人間の感情に起因するトラブルでない分、まだ解きやすい」
補給科長はノートを閉じた。
「では行ってきます」
(訓練科事務室)
訓練科事務室に入った補給科長は、挨拶もそこそこに、訓練科長の横へ立った。
訓練科長も何も説明しない。
ただ、自分の席の横にひと一人分の空間を空けて、そこへ補給科長を立たせた。
訓練班長は、自席の端末を見ている。
「訓練班長」
「はい」
「今、業務システムで送信したメールに、2件のExcelデータを添付しています」
「はい」
訓練科長の声は平坦で、速い。
訓練班長はすぐに端末へ向き直る。
「①のデータは、次回の訓練までに進めるべき業務のリストです。
訓練の主眼と到達点は前回ミーティングの通り。
実施科目は年間計画の通りですが、前回訓練後のAARで出た未到達科目を補填できるように案出してください。
私は次回訓練の大綱とMM資料のたたき台を作成して、隊長仰指まで進めます。
練成科目を訓練日程に落とし込んだ案は、仰指に入る日の朝までにください。
それぞれ期限と調整先はまとめてあります。業務配分をお願いします」
「はい」
訓練班長の返事は淀みない。
訓練科長はそのまま続ける。
「②のデータは、恒常業務絡みで他部署と調整したり、外へ出したりする分です。
振った後、案は部下から早めに巻き取って、内容を粗々でいいので確認してから持ってきてください。
質問は?」
訓練班長は少しだけ間を置いた。
「現段階ではありません。メールを見て、分からなければ伺います」
「了解」
訓練科長と訓練班長のやり取りは、流れるように終わった。
補給科長はその横で腕も組まず、ただ静かに見ていた。
訓練科長が小さく目だけで問う。
どうですか、と。
補給科長は少しだけ視線を細めたあと、誰にともなくつぶやいた。
「……お二人の間は、問題なさそうですね」
その声は小さかった。
だが、訓練科長には十分届いたらしい。
返事はなかった。
ただ、訓練科長の目だけが、ほんの少しだけ鋭くなった。
言われた意味が、分かった顔だった。
その隣で訓練班長だけが、何を見られたのか分からないまま、まだ画面を開いたまま座っていた。




