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コメディ自衛隊 ~毒舌科長、連隊を立て直す~  作者: リフェリア


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25/35

F-3:先任WAC、面倒見のいい先輩のつもりでした

 本作はフィクションです。

 作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。

 なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。


(衛生小隊事務室)


 面談室から戻った先任WACは、いつもより少しだけ歩く速度が遅かった。


 ただ、それが他人に分かるほどではない。

 他人から見れば、背筋の伸びた、いつも通りの准看護師陸曹長だ。

 姿勢は綺麗で、足音も整っていて、表情も崩れていない。


 だからこそ、自席に座った瞬間、指先だけが微かに震えていることに、自分で少し驚いた。


 机の上に置いたペンを取る。

 戻す。

 もう一度取る。

 何を書くわけでもないのに、ただ指の置き場が決まらなかった。


「……支配、ね」


 小さく漏れた声は、思っていたより掠れていた。


 可愛がりやなくて支配です。


 補給科長にそう言われた時、先任WACは一瞬、腹が立った。


 ずいぶん好き放題言うやないか。

 何も知らんくせに。

 男相手やからって、大げさに話を膨らませすぎやろう。

 自分はそんなつもりで接していたわけじゃない。


 少なくとも、最初は本気でそう思っていた。


 でも、面談室を出てからしばらく経っても、その言葉だけが耳の奥に引っかかったままだった。


 可愛がりやなくて支配。


 そんなふうに考えたことは、一度もなかった。


 自分はずっと、面倒見のいい先輩のつもりだった。

 距離の近い、冗談の通じる、話しかけやすい先輩。

 仕事も教えるし、空気も回すし、男だらけの中で固くなりすぎた場を少し柔らかくする役目も、ずっと自分がやってきたつもりだった。


 なのに、そのやり方が、相手にとっては“圧”だったと言われた。


 しかも、ただの圧ではない。

 断りづらい空気を使って、黙らせる側の圧だと。


「……そんなふうに、なるんか」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、先任WACは目を閉じた。


 思い出したくないものほど、こういう時は妙にはっきり蘇る。



(回想)


 若い頃、女は珍しかった。


 今よりずっと露骨に、珍しかった。


 仕事を教える前に見た目を見られた。

 名前を覚えられる前に、愛想を値踏みされた。

 気の強そうな顔をしていれば「女のくせに可愛げがない」と言われ、笑っていれば「やっぱり女は愛嬌があってええな」と言われた。


 何をしても、先に“女”がついた。


 書類を持てば「そういう細かいの向いてるやろ」。

 走れば「女にしては速いな」。

 少しきつく言い返せば「怖い怖い」。

 黙っていれば「機嫌悪いんか」。


 最初のころは、いちいち腹を立てていた。


 でも、腹を立てたところで、何かが変わるわけではなかった。

 むしろ面倒な女扱いされるだけだった。


 なら、どうするか。


 そこで覚えたのが、笑って受け流すことだった。


 まともに怒るより、笑って流した方が損をしない。

 距離を詰められる前に、こちらから少しだけ懐へ入った方が主導権を取れる。

 相手が「冗談」のつもりなら、こちらも冗談で返した方が、その場は回る。


 肩を叩かれたら、軽口で返す。

 腰に触れられたら、笑って肘で押し返す。

 飲み会で妙なことを言われたら、「また始まった」と笑いに変える。


 そうしているうちに、周りは言った。


 お前は強いな。

 お前はうまいな。

 お前がいると空気が柔らかくなるな。

 さすが先任やな。


 その言葉は、正直少し嬉しかった。


 傷ついていないわけではなかった。

 気持ち悪いと思う瞬間もあった。

 帰ってから無性に腹が立つ日もあった。

 でも、それを表に出さずに回せる自分のことを、いつの間にか少し誇らしくも思っていた。


 耐えられること。

 流せること。

 かわしながら仕事を続けられること。


 それが、自分の強さやと思い込んでいた。


 そうやって何年も経った。


 気づいたら、自分は古参になっていた。

 男たちは年を取り、若い隊員が入ってきた。

 自分は“受ける側”ではなく、“回す側”になった。


 それでも、距離の詰め方だけは、昔のままだった。


 いや、昔より少し上手くなっていたのかもしれない。


 相手が引く一歩手前が分かる。

 冗談と本気の境目を、曖昧にしたまま笑わせる言い方も知っている。

 気まずくなったら、少し不機嫌になれば向こうが引くことも知っていた。


 それは、男社会を生き抜くために身につけたはずの技術だった。


 けれど今思えば、その時点でもう、向きが反転していた。


 押されないために覚えたやり方を、いつの間にか自分が押す側で使っていた。



(衛生小隊事務室)


 先任WACは、ゆっくり目を開けた。


 事務室では、若い女性隊員がコピー機の前で用紙を揃えている。

 廊下の向こうでは、誰かが笑っている。

 いつも通りの昼下がりだった。


 何も変わっていない。


 変わっていないのに、自分の見え方だけが少し変わってしまった。


 通信小隊陸士長の顔が浮かぶ。


 面談室に呼ばれる前の、あの顔。

 嫌がっていないように見えた、と思っていた顔。

 恥ずかしがっているだけだと、自分が勝手に理解していた顔。


 でも、本当は違ったのかもしれない。


 違った、のではない。たぶん、違った。


 嫌だったのだ。

 困っていたのだ。

 しかも、自分からは言い出せない形で。


 そこで、ふと、昔の自分の顔を思い出した。


 笑っていた。

 たぶん、今の通信小隊陸士長と同じように。

 その場を荒立てたくなくて。

 冗談を冗談として受けている顔をして。

 嫌だと騒ぐほどでもないふりをして。


 あの時の自分は、喜んでいたのか。


 そんなわけがなかった。


「……ああ」


 先任WACは、机の上に視線を落とした。


 そういうことか、と思った。


 嫌だったけど、止められなかった。

 止めても、どうせ大したことやないと言われるだけやと思っていた。

 だから、笑って流した。


 その“笑って流した顔”を、自分は何年も

 「嫌ではなかった顔」

 として記憶し直していたのだ。


 そうでもしないと、自分が何に耐えてきたのか分からなくなるから。


 でも、その記憶のすり替えは、今度は自分を加害側で楽にした。


 これくらい普通。

 これくらいは冗談。

 これくらいで騒ぐ方がおかしい。


 そう思ってしまえば、自分は自分を責めなくて済んだ。


 たぶん、ずっとそうやった。


 可愛がっているつもりだった。

 面倒を見ているつもりだった。

 相手もそこまで嫌ではないと思い込んでいた。


 その方が、自分のこれまでを否定せずに済むから。


 でも、それは結局、相手の顔を見ていたようで、見ていなかったということや。


「成功体験は免罪符になりません」


 面談室で聞いた補給科長の声が、遅れて胸に刺さった。


 あの男は、言い方がきつい。

 腹が立つほどきつい。


 けれど、今回に限っては、きつい言葉の形のままでしか届かなかった気もした。



(女子更衣室前)


 夕方、若いWAC陸士長が更衣室前で先任WACを見つけて、少し戸惑ったように立ち止まった。


「あ、先任……」


「何」


「いえ、その……この前の件です」


 先任WACは黙って相手を見た。


「私、ちゃんと自分で確かめる前に、ちょっとあの人のこと変な目で見てました。すみません」


 先任WACは、一瞬だけ目を伏せた。


「……あなたが謝る話でもないよ」


「でも、自分でも思い込みがあったなって……」


「思い込みは、あったと思う」


「……はい」


「でも、最初のきっかけを作ったのは私や」


 WAC陸士長は、少しだけ目を見開いた。


「先任……」


「あなたらに変な受け取り方させるような話し方をしてた。そこは私が悪い」


「……」


「だから、その件であの子を変な目で見るのは終わり。私も終わらせる」


「……はい」


「以上」


 それだけ言って、先任WACは先にその場を離れた。


 前なら、もう少し柔らかく、もう少し距離を詰めて言っていただろう。

 でも今は、それをしない方がいいと分かっていた。


 少なくとも、自分にとっては。



(本部管理中隊・廊下)


 数日後。


 先任WACは、以前ほど通信小隊陸士長へ近づかなくなった。

 必要がなければ話しかけない。

 すれ違っても、妙な距離の詰め方もしない。


 それでも、挨拶だけは普通に交わした。


「お疲れさまです」


「お疲れさま」


 それだけだった。


 以前なら、そこに余計な一言を足していたかもしれない。

 疲れてない?

 最近避けてない?

 あの子とはどうなったん?


 そういう、仕事にも関係のない言葉を。


 今は言わない。


 最初のうち、通信小隊陸士長は少しだけ身構えているようだった。

 だが、二度、三度と同じ距離感が続くうちに、その硬さは少しずつ薄れていった。


 たったそれだけのことで、相手の表情がましになる。


 その変化を見た時、先任WACは、自分がどれだけ“ついでの一言”や“軽い接触”で相手を疲れさせていたのかを、やっと実感した。


 自分にとっては軽い。

 でも、相手にとっては軽くない。


 親しみのつもりでも、相手が逃げにくいなら、それはもう親しみだけでは済まない。



(衛生小隊事務室)


 昼休み、若い女性隊員が書類を持ってきた。


「先任、この見積もり、どこ修正したらいいですか」


 先任WACは書類を受け取り、目を通した。


 誤字が一つ。

 時刻の記載漏れが一つ。

 形式の違いが一つ。


 前なら、書類を返しながら肩でも軽く叩いていたかもしれない。


 ここ抜けてるよ、もう。

 ちゃんとしてよ。

 でも惜しいね。


 そんなふうに。


 だが今回は、書類の該当箇所を指で示しただけだった。


「ここ、時刻が抜けてる。あと様式、前回送ったやつに合わせて」


「はい」


「内容そのものは悪くない。見積りの立て方は前より整理できてる」


 若い女性隊員が、少しだけ顔を上げた。


「……ありがとうございます」


「修正したら、また持ってきて」


「はい」


 去っていく背中を見ながら、先任WACは少しだけ息を吐いた。


 有能さは残していい。

 ただし、身体を使うな。話を作るな。


 補給科長の言葉が、また頭をよぎる。


「……ほんま、言い方は腹立つけど」


 中身まで否定されたわけではない。

 そこだけは、少し救いだった。


 仕事を教えることまで間違いではない。

 面倒を見ることまで否定されたわけでもない。


 ただ、自分はそのやり方を間違えていた。


 親しさのつもりで、相手の境界線を踏んでいた。

 面倒見のつもりで、相手の反応を自分に都合よく読んでいた。


 それをやめるだけでも、たぶんまだ遅くはない。



(衛生小隊事務室・夕方)


 その日、衛生小隊長が珍しく、先任WACの机の前で足を止めた。


「最近、ずいぶん静かやな」


「そうですか」


「前より、若いの相手に距離近くないというか」


 先任WACは、ペンを置いた。


「今までが近すぎたんですよ」


 衛生小隊長は少しだけ言葉に詰まった。


「……そうか」


「はい」


「しんどいか」


 その問いに、先任WACは少しだけ考えた。


 しんどい。

 正直、しんどい。


 自分のやり方が間違っていたと認めるのはしんどい。

 昔の自分が、別の意味で傷ついていたことまで見直さなあかんのもしんどい。

 それでも、そのしんどさを理由に、元のやり方に戻っていいわけではない。


「……しんどいですけど」


「うん」


「だからといって、あれを続けていい理由にはならんでしょう」


 衛生小隊長は何も言わなかった。


 たぶん、少しだけ驚いていた。


 先任WAC自身も、こんなふうに言う自分に、少し驚いていた。



(廊下)


 帰り際、通信小隊陸士長とすれ違った。


 向こうは一瞬だけ緊張したようだったが、すぐに普通に敬礼した。

 先任WACも、普通に返す。


 それだけだった。


 それだけなのに、今までよりずっとましだった。


 前は、相手の気持ちを確かめる前に、自分の距離感で懐へ入っていた。

 今は、入らない。


 ただそれだけで、相手が少し楽そうにしているのが分かった。


 その安心は、本来、最初からあってよかったものだ。


 自分が壊していたものを、相手がようやく取り戻しつつあるだけなのだと、先任WACは理解していた。


 だから、ここで

 「変わった自分を見て」

 とは思わなかった。


 許されたいとも、思わなかった。


 まずは止める。

 次に、繰り返さない。

 話はそこからだ。


「……面倒見のいい先輩、のつもりやったんやけどね」


 誰にも聞こえない声で呟いて、先任WACは少しだけ笑った。


 つもりは、つもりでしかない。


 相手がどう受け取ったかを見ずに続けた時点で、それはもう言い訳や。


 廊下の向こうで、若い隊員たちの笑い声がした。


 先任WACはそれを少しだけ聞いてから、今度は本当に静かな足取りで歩き出した。

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