O-21:男やから我慢しろ、は誰に都合がいいんですか
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(面談室)
通信小隊陸士長は、前回より少しましな顔をしていた。
それでも、机の上に置いたメモの端を指で何度もなぞっている。
「持ってきましたか」
「はい。思い出せる範囲で、接触された時のことと、噂を感じた時のことを書いてきました」
「偉いですね。こういうの、しんどい上に地味なんですよ。でも地味な記録が一番効くんで」
「……はい」
「では、こっちも整理します。あなたから出た話は大きく三つです。
一つ、先任WACからの過剰接触。
二つ、私的な詮索。
三つ、あなたがその先任WACに言い寄っている、という噂の流布。
合ってますか」
「はい」
「で、今日はもう一つ確認します。あなた、最終的にどうしたいですか」
「どうしたい、ですか」
「ええ。パワハラの時と同じです。
事実確認の次は希望確認です」
通信小隊陸士長は少しだけ顔を上げた。
「話を聞いてもらえればいいのか。
相手の接触や言動が止まればいいのか。
噂が訂正されればいいのか。
処分まで求めるのか。
そのへんです」
「……」
「急がんでいいです。ここ、適当に答えると後でしんどいんで」
通信小隊陸士長はしばらく黙った。
それから、かなり長く考えてから口を開いた。
「正直、嫌でした。触られるのも、ああいうこと言われるのも。
でも……先任さんのことが嫌いなわけじゃないんです」
「うん」
「仕事は本当にできる人ですし。衛生のこととか、動き方とか、すごい人やとは思ってます。
ただ、自分からしたら、そういう対象として見られるのは無理で。母親より年上ですし……」
「そこはかなり正直ですね」
「いや……そこ、ごまかしても意味ないかなって。
だから、処分してほしいってとこまで強くは思ってないです。
でも、もう触られたり、変な噂を流されたりは嫌です。
あと、この件で関係が拗れて仕事しにくくなるのも嫌です」
「分かりました。では主訴は、
接触停止
噂停止と必要範囲での訂正
職場での関係改善
ですね」
「はい」
「その意向で持ちます。
ただし、今後の状況次第で対応は変えられます。
一回軽めにしたら永久固定、ではないです」
「分かりました」
「では、こっちで先任WACと周辺に確認をかけます。結果は後で返します」
⸻
(面談室)
しばらくして、先任WACの准看護師陸曹長が面談室に入ってきた。
細身で、姿勢が綺麗で、年齢の割にだいぶ華やかだった。
本人もそれをよく知っている顔をしていた。
「失礼します」
「どうぞ」
「で、何の件ですか。相談員から呼ばれるような覚え、正直あんまりないんですけど」
「そうでしょうね。ある人は、たいてい自分で気づいてたらもう少し手前で止まるんで」
「……」
「では確認します。通信小隊陸士長への接触について、相談が上がっています」
「接触?」
「尻や股間付近への接触。背後からの密着。私的な詮索。断ると不機嫌になる。あと、あなたに言い寄っているという話を周囲へ流した件です」
「ちょっと待ってください。それ、だいぶ大げさじゃないですか?」
「どのへんがです」
「いや、若い子相手にちょっと冗談っぽく距離が近かったことはありますよ。でも、あのくらい、別に普通でしょう。向こうだって、そんなに嫌がってるようには見えなかったし」
「嫌がっていましたよ。少なくとも本人はそう言っています」
「男の子って、そういうの恥ずかしがるじゃないですか。でも内心では嬉しいとか、あるでしょうし」
「先に言っときますけど。触る側の性別でセーフにはなりません」
「……」
「嫌がってる相手に触る時点で、性別関係なく事故です。
男が女に触られたら喜ぶやろ、は、だいぶ雑な認知ですね」
「でも、あの子、別に本気で拒絶してきたわけじゃ――」
「断りにくいだけでしょう。立場差もある。周りの空気もある。しかも断ったら、あなた不機嫌になってますよね」
「……」
「あなた、若い頃からその距離感でだいたい許されてきたんでしょう。上の男連中にボディタッチしても、嫌がられるより喜ばれることの方が多かった。仕事もできる。見た目もいい。そら本人の認知も歪みます」
「……」
「でも、成功体験は免罪符になりません。相手が変われば、普通に事故ります」
「そんなつもりじゃ……」
「そこは確認済みです。悪意の自覚が薄いのも込みで、今日は話してます」
補給科長は、そこで声を少しだけ落とした。
「で、噂の件です。あなた、周囲に
“通信小隊陸士長が自分に言い寄っている”
に近い話をしてますね」
「いや、だって、そういう感じに見えたことはありましたし。あの子、私に懐いてたじゃないですか」
「40代のあなたに20歳の陸士長が懐いてたら、それ即恋愛感情と解釈していい制度、どこにあるんですか」
「言い方が……」
「本質なんで。
あなた、中年男性に人気があるのはそうなんでしょう。
でも、だからといって若い男性全員が
“自分に触られて嬉しい”
は、認知の飛躍です」
「……」
「しかも今回、ただの勘違いで終わってません。あなたの話が女性隊員グループの中で既成事実化して、通信小隊陸士長の恋愛関係にまで影響してる。つまり、接触だけやなくて人間関係の操作まで起こしてる」
「そこまで大げさな……」
「大げさではありません。本人が言い寄ってない相手に言い寄ってることにされて、関係が壊れてるんです。だいぶ十分でしょう」
「……」
「ここから先を明確に言います。
あなたは通信小隊陸士長への身体接触、私的詮索、不必要な密着を止めてください。
加えて、あなた発の噂について、必要な範囲で訂正します」
「訂正、ですか」
「ええ。大々的な謝罪会見を開けとは言いません。
でも、影響が出た範囲に対しては
“自分の認識が先走っていた”
を修正してください。少なくとも、通信小隊陸士長があなたへ言い寄っていたという話は、事実として確認できない。そこは戻してもらいます」
「……」
「あと一個。あなた、自分のことを
“仕事ができる、面倒見のいい先輩”
だと思ってるでしょう」
「はい。それは――」
「なら、なおさら最悪です。
面倒見のいい先輩の顔して、相手の同意なく距離詰めて、断りにくい空気で黙らせて、最後は話まで作る。
それ、可愛がりやなくて支配です」
「……っ」
「セクハラって、性欲の話に見えて、実際は支配と雑さの話なんですよ。あなたのやってること、まさにそれです」
「……分かりました」
「今のは
“分かったような顔をした”
だけか、
“本当に止める”
か、どっちです」
「……止めます」
「よろしい。では口頭注意として明確に言います。
通信小隊陸士長に対するあなたの接触、言動、噂の流布には、セクハラおよびハラスメントに該当する要素があります。不適切です。是正してください」
「……はい」
「で、今回は処分で切るより、認知を矯正して止める方が筋がいいと判断してます。
パワハラの時と同じです。
被害者が改善を望んでいて、まだ止められる段階なら、先に是正を打つ」
「……」
「でも、それはあなたがセーフという意味やないです。
今回、改善の余地が残っていて、被害者が改善を望んだから、先にそっちへ振るだけです。次は切ります」
「……分かりました」
「さらに言うと、今後あなたが親しみや面倒見を見せたいなら、接触や噂やなくて言葉でやってください。
有能さは残していい。
ただし、身体を使うな。話を作るな。そこです」
「……はい」
「よろしい。では必要な訂正も含めて、ここから修正に入ってください。以上です」
「……失礼します」
彼女は入ってきた時より少しだけ顔色を失くして出ていった。
「めんどくさいですねぇ……。自己評価高い人の恋愛認知って、だいたい他人を巻き込みますね」
⸻
(会議室)
本管中隊長と衛生小隊長は、揃って気まずそうな顔をしていた。
どちらも40代後半、先任WACにやたら甘いことで知られる中年組だった。
「では共有します。今回の件、先任WACに対する口頭注意は実施済みです。接触、私的詮索、噂の流布について、是正指導をかけています」
「……そうか」
「正直、そこまでとは思っていなかった」
「でしょうね。お二人とも、だいぶ認知が曇ってましたから」
「言い方」
「でも本質でしょう。
先任WACが仕事できて、見た目もよくて、普段の愛想もいい。そこまでは結構です。
でも、その好印象で
“まあ、あの人なら悪気はないやろ”
に寄った瞬間、監督者としてはだいぶ雑です」
「……」
「今回一番まずいの、見えてなかったことやないです。
見えてたのに、
“あの人なら許容範囲”
で処理してた空気です」
「そこまで甘く見てたつもりは――」
「ありますよ。
でなきゃ、20歳の陸士長が、あそこまで困ってから外へ相談に来ません」
「……耳が痛いな」
「痛いでしょうね。でも、ここで痛がって終わるとまた事故ります。
先任WACが相手なら許される、みたいな空気を作らんでください。
好みの問題で認知を曇らせるの、管理者としてかなり質悪いです」
「処分は」
「今回は処分までは行きません。
被害者が改善を望んだこと、本人に悪意の自覚が薄いこと、接触停止と噂訂正でまず被害拡大を止められること、そこを見てます。
ただし、猶予があるだけで免罪ではないです。次は切ります」
「……分かった」
「あと、お二人にも助言という名の指導を入れます。
今後は
“仕事ができる”
“綺麗”
“愛想がいい”
で接触や噂を軽く扱わないこと。以上です」
「お前、年上相手でも容赦ないな……」
「相談員なんで。見た目で判定甘くなる方が、よっぽど容赦ないでしょう」
⸻
(面談室)
その日の夕方、通信小隊陸士長が再び呼ばれた。
「失礼します」
「どうぞ。結果共有です」
「はい」
「先任WACに対して、身体接触、私的詮索、噂の流布について事実確認を行いました。
その上で、セクハラおよびハラスメントに該当する要素があるものとして、口頭注意を実施しています」
「……はい」
「通信小隊陸士長への身体接触と、不必要な距離の近さ、噂の継続は止めるよう指示済みです。
また、影響が出た範囲に対しては、先走った認識を修正するよう指導しました」
「……そうですか」
「あなたの希望は
接触停止
噂停止と必要範囲での訂正
やったので、今回はその方向で切ってます。
なお、状況が変われば対応も変えられます。ここで永久固定ではありません」
「分かりました」
「あと、衛生小隊のWAC陸士長にも、噂を前提に扱わんよう確認を入れています」
「……」
「ただし、ここも言っときます。
誤解が解けたから恋愛が成立する、とは限りません。
それは別件です」
「はい。そこは、もう大丈夫です」
「本当ですか」
「……ちょっと強がりました。
でも、少なくとも変な誤解のまま終わるのは嫌だったので。そこが少しでも整理されたなら、それでいいです」
「よろしい。では次。
今後しばらく、接触や言動に変化があるか見てください。
また何かあれば、記録して上げる。そこは続けてください」
「はい」
「あと、一個だけ」
「はい」
「今日ここまで来て、まだ
“男相手のセクハラなんてない”
と思ってますか」
通信小隊陸士長はしばらく黙っていた。
それから、苦い顔で首を振った。
「……ない、ではないです。自分が勝手に、相談していいことじゃないと思い込んでただけでした」
「そうです。
男やから我慢しろ、は、だいたい加害側に一番都合のいい雑な理屈です」
「……はい」
「分かったならよろしい。では、今回はここまでです」
⸻
(数日後・本部管理中隊の廊下)
先任WACは、以前ほど通信小隊陸士長へ近づかなくなった。
必要な会話はする。
だが、触らない。
妙な距離の詰め方もしない。
衛生小隊のWAC陸士長も、前のような微妙な避け方はしなくなった。
昼休み、廊下で偶然すれ違った時、WAC陸士長が少しだけ立ち止まった。
「この前は……ごめん。私、ちゃんと自分で確かめる前に、ちょっと距離取ってた」
「……いや。こっちも急に告白とかして悪かったし」
「それは、まあ……別件やね」
「せやな……」
「でも、変な噂のままで見るのは違った。そこは、ごめん」
「……ありがとう」
彼女は少しだけ笑って、先に去っていった。
恋愛としてどうなるかは、まだ何も分からない。
でも、少なくとも前よりは、だいぶましだった。
⸻
(隊長室)
「……なるほどな。ようやく収まったんか」
「今のところは、ですね。
先任WACの接触は止まってます。
噂も広がりは止まった。
衛生小隊側の認知も、一応修正しました。
ついでに、本管中隊長と衛生小隊長の認知の曇りも拭いときました」
「あいつらにまで刺したんか」
「刺してません。好みで認知を曇らせるな、と助言しただけです」
「だいぶ力任せの助言やったんやろ」
「でも必要でしょう。
先任WACが相手なら許される、みたいな空気が一番だるいんで」
「中年組には耳が痛かったやろうな……」
「鼻の下が伸びると、視野も狭くなるんですよ」
「その言い方ほんまやめろ。
……でもまあ、そこまで切っとかんと再発するか」
「そうです。個人の事故に見えて、実際は周りの甘さ込みで育ってた案件なんで」
「男が被害者やと、ここまで拗れるんやな……」
「ええ。性別が変わると、急に周りの認知が雑になりますからね」
「“男なんやからそのくらい”ってやつか」
「そうです。
あれ、被害の中身やなくて世間体の話にすり替えるんで。加害側に一番都合がいいんですよ」
「なるほどな……」
「触る側の性別でセーフになるなら、服務規律いらんでしょう」
「それはそうやな。
……にしても、お前、今回もちゃんと相談員しとったな」
「失礼ですね。私はだいたいちゃんとしてますよ」
「言い方がちゃんとしてへんのや。
でもまあ、今回はだいぶ助かったやろうな、あの若いの」
「ええ。恋愛相談のつもりで来たら、相談案件の本体が別件でしたけど」
「パワハラの時は“しんどいです”の顔して相談が来た。
今回は“恋愛相談です”の顔して来た。
入口は違っても、結局やることは同じなんやな」
「そうです。
主訴を切る。
安全を確保する。
事実と希望を確認する。
是正につなぐ。
相談の顔がどう見えるかに騙されんことです」
「……なるほどな」
「信者やないです。誤配された相談を、正しい棚に戻しただけです」
「最後まで物流みたいに言うな。ほんま、お前はそういうとこやぞ」




