O-20:それ、恋愛相談の顔した別件です
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(面談室)
補給科長が面談室に入ると、若い男性隊員が妙に居心地悪そうな姿勢で座っていた。
背筋は伸ばそうとしている。
だが、膝の上の手だけが落ち着きなく動いている。
「待たせました」
「いえ」
「で、今日はどうしました。相談員のところまで来る時点で、だいたい一人では処理しきれん話でしょう」
通信小隊陸士長は、一瞬だけ視線を落とした。
「あの……。これ、相談員に言うような話か分からないんですけど」
「その前置きで来る話、だいたい相談員案件です。言ってみてください」
「……恋愛相談、みたいなもので」
「帰っていいですか」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「冗談です。半分くらい」
「半分は本気なんですか……」
「昼休み削ってるんで。で、恋愛相談とは」
通信小隊陸士長は、腹を括るように息を吐いた。
「同じ本部管理中隊の衛生小隊に、好きなWAC陸士長がいて……。少し前に告白したんです」
「はい」
「それで、振られました」
「それはまあ、世の中そういうこともありますね」
「いや、それだけなら仕方ないんです。でも、どうも変なんです」
「何が」
「向こうから
“先任さんに言い寄ってる人ですよね”
みたいな扱いをされて……」
「は?」
「自分、そんなことしてないんです。でも、もう女性隊員の間では、そういう話になってたみたいで」
補給科長は、そこで初めて少しだけ眉をひそめた。
「なるほど。失恋相談やなくて、噂の訂正相談ですね」
「……たぶん、そうです」
「“たぶん”ということは、自分でもまだ整理できてない」
「はい……」
「分かりました。では、まず恋愛を横にどけます。
好きだった相手にどう見られたかは、結果です。
その認識がどうやってできたのか。そこからです」
「はい」
「その先任WACとは、普段どういう接点があるんです」
「同じ本部管理中隊なんで、顔は合わせます。衛生小隊の古参の人で……准看護師の陸曹長です。仕事はできる人です」
「はい」
「正直、すごい人やと思ってます。嫌いとか、怖いとかではないです」
「では、何がしんどいんです」
「前からちょっと……距離が近いというか」
「物理で」
「はい」
「どの程度」
通信小隊陸士長は、そこで口をつぐんだ。
視線が落ちる。
言うべきか迷っている顔だった。
「言いにくいなら、言いにくいままでいいです。ただ、ここをぼかすと整理がずれます」
「……必要ないのに、やたら近くに立たれたり。後ろから密着されたり。お尻……とか、その、股のあたりを触られたこともあります」
「他には」
「彼女いるの、とか。経験あるの、とか。休みの日何してるの、とか。そういうのも結構聞かれます」
「断ったことは」
「露骨には……。いや、一回、ちょっとやめてください、とは言いました」
「反応は」
「不機嫌になりました。その後しばらく、挨拶しても反応が薄かったです」
「なるほど」
通信小隊陸士長は、少しずつ言葉が出るようになったのか、自分から続けた。
「だから、嫌やなとは思ってたんです。でも、その……。男が女の人に触られたくらいで騒ぐのも変かなって」
「そこ、もう少し詳しく」
「いや……。普通は、男が女の人に触られたり、距離近かったりしたら、嬉しいとか思われるじゃないですか。だから、自分が嫌だと思うのがおかしいのかなって。それに、自分から言ったみたいに見られたら嫌で」
「……すでに、だいぶ見られてますね」
「はい」
「好きだったWAC陸士長に告白した時、そのへん何か言われましたか」
「直接は言われてないです。でも、
“先任さんにそういう感じなんですよね”
みたいな空気で。自分が否定しても、もう向こうの中で話が出来上がってる感じでした」
「なるほど。では確認します」
補給科長は、わずかに前へ体を傾けた。
「あなたが今、一番しんどいのは何ですか。
触られたことですか。
噂ですか。
好きだった相手に誤解されたことですか」
通信小隊陸士長は、かなり長く考えた。
「……全部です。でも、一番きついのは噂です。自分はそんなつもりないのに、もう向こうでは
“先任さんに言い寄ってる”
みたいになってて。しかも、もし否定したらしたで、言い訳してるみたいになるし……」
「うん」
「触られるのも嫌でした。でも、それ以上に
“自分がそういう男だと思われてる”
のが、かなりしんどいです。この件で拗れて仕事しにくくなるのも嫌で……」
「分かりました。一回整理します」
「はい」
「あなたは今日、
恋愛関係の誤解をどうにかしたい
つもりで来た。
でも話を聞く限り、本体はそこやないです」
通信小隊陸士長は、黙っていた。
「根っこにあるのは、
先任WACからの過剰接触
私的な詮索
断ると不機嫌になる圧
そして噂の流布
です」
「……はい」
「先に言っときますけど。触る側の性別でセーフにはなりません」
「……」
「男が女に触られたから軽い、は成立しません。嫌がってる相手に、立場と空気で距離を詰めてる時点で、普通に相談案件です」
「でも、自分、そんな大ごとなつもりで来たわけじゃ……」
「でしょうね。そこが今回、一番面倒なところです」
「……」
「男が女に触られて喜ぶべき、は、だいぶ雑な認知です。しかも、それを周りも本人も半分信じてると、被害そのものが相談に上がらん。上がってきた時には、大体もう別件を連れてくるんです」
「別件」
「今回は、噂ですね。
触られた。
嫌だった。
でも黙った。
断ると不機嫌になるから、強くも切れない。
そのうち
“向こうもまんざらじゃない”
みたいな話が周囲で流れて、最後に恋愛関係で爆発した。
だいたいそんな順番でしょう」
「……はい」
「今回一番怖いの、触られたことそのものより、
話を作られてること
では」
「……それです」
「ですよね。
嫌なのに断れん。
断ったら空気が悪くなる。
しかも、下手に言い返したら
“向こうから来た”
みたいに話をひっくり返されそう。
それ、もうコミュニケーションやなくて、だいぶ圧です」
通信小隊陸士長は、何も言わずにうなずいた。
「あと、はっきり言います。
“男なんやから、そのくらいで”
を言い始めた瞬間、被害の中身やなくて、世間体の話にすり替わるんです。あれ、加害側に一番都合のいい雑さなんで」
「……そんなふうに考えたこと、なかったです」
「でしょうね。本人も周りも、その雑な認知で慣れとるからです」
「じゃあ、これ……」
「はい。これはただの恋愛のもつれや、人間関係の誤解だけではありません。
セクハラと人間関係操作が混ざった相談です」
「……それ、相談していい話なんですか」
「今さら何を。むしろ、やっと相談の入口に立ったところです」
通信小隊陸士長は、ようやく少し息を吐いた。
「今日はここで主訴の切り分けまでやります。
次回、時系列と希望確認です」
「希望確認、ですか」
「ええ。
接触を止めたいのか。
噂を止めたいのか。
訂正が要るのか。
処分まで望むのか。
そこを切らんと、相談員が勝手に話を作り始めるんで」
「……はい」
「では宿題。
次までに、接触された場面、言われたこと、噂を感じた場面、思い出せる範囲で時系列にメモしてください。雑でいいです。
あと、今後しばらくは、相手と二人きりになりそうなら避けてください」
「分かりました」
「いい返事です。では次回、恋愛相談の顔した別件を、ちゃんと相談案件として処理していきましょう」
「最後の言い方、やっぱり嫌ですね……」
「認知の差です」
「それ便利ですね……」
⸻
(面談室の外)
面談室を出たところで、隊長とばったり会った。
通信小隊陸士長は慌てて敬礼して去っていく。
「おう。今の相談、重かったんか」
「ええ。恋愛相談かと思ったら、だいぶ別件でした」
「なんやそれ」
「誤配です」
「は?」
「恋愛相談として持ち込まれましたけど、本体はセクハラと噂の流布でした」
「……ああ」
「男が触られて喜べ理論の犠牲者ですね。
性別が変わると、周りの認知が急に雑になる」
「なるほどな……」
「ほんま、世の中の雑な認知は相談員の仕事増やすんでやめてほしいです」
「結局そこなんかい。ほんま、お前はそういうとこやぞ」




