O-18:是正指導は説教ではない
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
翌朝。
隊長室の応接テーブルを囲んで、隊長、補給科長、総務科長、総務班長の四人が座っている。
空気は重い。
だが、誰も怒鳴ってはいなかった。
隊長は机の前で腕を組み、まず総務科長を見た。
「昨日の件、もう一回確認する。
今回問題になっている総務陸曹への対応は、総務班長個人の問題だけやなく、総務科長の管理不十分も含めた総務科全体の問題や。
ここまではええな」
総務科長は硬い顔のままうなずいた。
「はい」
隊長は次に、総務班長を見た。
「班長」
「はい」
「昨日、補給科長から話は聞いたな」
「はい」
「今回は、処分をどうこうする話やなく、まず是正や。
ただし、軽く済ませるつもりもない。
言うとくけど、ここで変わらんかったら次はもっと面倒になるぞ」
総務班長の喉が、小さく動いた。
「……はい」
隊長は、そこで補給科長に視線を移した。
「補給科長。
続きはお前から話せ」
「はい」
補給科長は、いつものように淡々とした顔だったが、声はいつもよりわずかに低かった。
「では、確認から入ります」
総務班長は黙って頷いている。
「総務班長。
あなたは総務陸曹を育てようとしていた。
そこ自体は否定しません」
総務班長の目が少しだけ動いた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いです」
総務班長は口を閉じた。
「あなたの問題は、育てる意図があったかどうかやなくて、育てるつもりで壊しかけたことです」
隊長室に、短い沈黙が落ちた。
「昨日も言いましたが、未熟な相手ほど、指導する側が手順を選ばなあかん。
それを
“このバカ野郎が”
“なんでこんなことも分からんのじゃボケ”
で済ませるのは、相手への教育やなくてあなたの感情処理です」
総務班長は不満げに眉を寄せた。
「でも、あいつ本当にできんのですよ」
「でしょうね」
「何回言っても抜けるし、期限も落とすし、段取りも悪い。
こっちだって暇やないんです」
「それも分かります」
「だったら――」
「だから雑な言葉で詰っていい、にはならんと言うてるんです」
補給科長の声は大きくなかった。
だが、言葉は真っすぐ刺さった。
「あなたは今、
“できてない相手に厳しく言うこと”
と
“自分が苛立ったまま喋ること”
を混ぜています」
総務班長は、答えなかった。
「さらに、聞けと言うといて、聞いたら考えろと言う、考えて動いたら勝手に動くなと言う。
これ、相手からしたら学習のしようがないんですよ」
「……それぞれで状況が違います」
「でしょうね。
では、その違いを説明しましたか?それをするのが指導者です」
「……」
「説明を省いて怒るのは、指導の手を抜いて、相手にその責任を転嫁してるだけです」
総務班長は、そこで初めて少しだけ目を逸らした。
補給科長は構わず続けた。
「あと、資料を破った件。
あれは論外です」
「……」
「内容が悪いなら、赤を入れて返せばいい。
破る必要はない。
あれは是正やなくて演出です。
“お前の仕事に価値はない”を周囲に見せつけるためのパフォーマンスでしかないんですよ」
「そんなつもりは……」
「つもりの話はしてません。
周囲への影響の話をしてます」
隊長が、その横で小さく息を吐いた。
総務科長は、ただ黙って聞いている。
補給科長は、総務班長の目を正面から見た。
「ここで、一個だけはっきりさせましょう」
「……はい」
「あなた、総務陸曹を使えないやつとして見てますね」
総務班長の顔が強張った。
「それは……」
「はいか、いいえかで答えてください」
「……使えない部分はあります」
「言い換えただけですね」
総務班長は、唇を噛んだ。
「……はい」
「でしょうね」
補給科長は、そこで初めて少しだけ声を緩めた。
「総務班長。
あなたがそう見てること自体は、今は問題にしません」
総務班長が、わずかに顔を上げる。
「問題なのは、その見方を毎日相手に浴びせてることです」
「……」
「どうせできん。
どうせまた抜ける。
どうせ考えん。
そういう前提で喋られた人間が、伸びると思いますか」
総務班長は答えられなかった。
「思わんでしょう。
思わんのに、それをやってる。
だから今、総務陸曹は
“何を直せばいいか”
より
“自分は駄目なんや”
に寄ってるんです」
総務科長が、そこでほんのわずかに顔をしかめた。
補給科長は、それも見逃さなかった。
「総務科長」
「……はい」
「今の話、班長だけやないですよ」
総務科長は、静かに目を閉じた。
「分かっとる」
「本当に?」
「……」
「あなたも同じでしょう。
総務班長はもう変わらん。
総務陸曹は無能。
そう見切ってる。
その見切りを、表に出したり隠したりしながら、職場全体に流してる」
「……そこまでは」
「行ってますよ」
補給科長は、珍しく総務科長に対して一歩も引かなかった。
「班長が人前でやってるのを見て、聞こえてないふりをする。
たまに
“言い方は気をつけろ”
だけ言って、自分は止めた側の顔をする。
でも、本気で変えようとはしてない」
総務科長は、深く息を吐いた。
「……否定はせん」
「でしょうね」
隊長が低い声で口を挟んだ。
「総務科長。
お前は班長の感情を管理せんかった。
班長は総務陸曹を教育の名目で削った。
で、総務陸曹は自分が悪いと思い始めた。
ここまで来て、ようやく相談が上がった。
そういう理解でええな」
二人とも、何も言わなかった。
それで十分だった。
補給科長は、そこで話を次へ進めた。
「では、ここから是正に入ります」
総務班長がわずかに身構える。
「まず総務班長。
今日から、人格否定は禁止。
資料破棄も禁止。
人前で長時間立たせて詰めるのも禁止。
これは即時です」
「はい」
「次。
指導する時は、
何が不足しているか、
次はどの手順でやるか、
確認が必要な点はどこか、
ここまで切って喋る。
抽象語禁止です」
「抽象語、ですか」
「“ちゃんとやれ”
“少しは考えろ”
“前にも言ったやろ”
このへんですね。
言う側だけが気持ちいい言葉です」
隊長が、思わず小さく吹き出しかけて耐えた。
補給科長は構わず続ける。
「さらに、総務班長。
あなたには記録を取ってもらいます」
「記録?」
「ええ。
“どの場面で、誰に、何を言いそうになったか”
“本来なら何を伝えるべきやったか”
これを短く書き出してください」
「そこまで、ですか」
「そこまでです。
自分の感情処理と教育を混ぜる癖がある人は、まずそれを見える形にせんと直りません」
総務班長は不満そうな顔をしたが、反論はしなかった。
「……分かりました」
「あと、これは誤解せんでください。
私はあなたを叩き潰したいわけやないです」
「……」
「ただ、今のやり方は間違ってる。
そこは直してもらいます」
総務班長は、しばらくしてから小さく答えた。
「はい」
補給科長は、今度は総務科長へ向き直った。
「総務科長」
「はい」
「あなたは、今日から傍観禁止です」
「……」
「“聞こえてないふり”は終わり。
班長の指導が始まったら、見てるなら止める。
止める気がないなら、その場に居る資格がない」
総務科長は、無言でうなずいた。
「それと、総務陸曹を“無能のハズレ”として見るのをやめてください」
総務科長の顔がこわばった。
「……」
「言ったかどうか、の話をしてるんやないです。
そういう前提で見てるでしょう、という話です」
「……使えんのは事実なんやが」
「でしょうね。
ただ、その前提で相手をみているのが、班長にも部下にも伝わってるから、職場全体が腐るんです」
総務科長は、何も言えなかった。
「あなたには、班長と総務陸曹の間に入って、
業務の優先順位、
指導の切り分け、
確認のタイミング、
これを整理してもらいます。
“二人で何とかしろ”は禁止です」
「……わかった」
隊長がそこで口を開いた。
「あと、総務陸曹は当面、元の席には戻さん」
総務班長も総務科長も、同時に顔を上げた。
「今日相談したばっかりで、元の距離に戻して通常運転はお互い難しいやろ。
少なくとも、こっちで段取りが決まるまでは別で待機させる」
「はい」
「総務班長、お前も業務以外に話しかけるな。
今は、説明より先に距離や」
「……分かりました」
隊長は、それを聞いてから椅子にもたれた。
「よし。今日はここまでや。
補給科長、あとはお前が詰めろ」
「はい」
総務科長と総務班長は、それぞれ重い顔のまま敬礼して出ていった。
扉が閉まる。
隊長は、深く息を吐いた。
「……しんどいな」
補給科長は、机の上のメモを整えながら答えた。
「しんどいですね」
「でも、意外やったわ。総務科長への対応は予想通りやつたけど、総務班長はもっと切り捨てるかと思っとったわ」
「総務班長、あの歳と階級になるまで、正しい教育を受ける機会にあんまり恵まれてない感じなんですよね」
「ほう」
「自己肯定感だけは妙に育ってるんで、余計ややこしいですけど。
ただ、“与えられた環境の中で努力した”って自負はある。
だから、価値基準ごと入れ替えれば、まだ改善余地はあります」
「ずいぶん甘いな」
「指揮官や管理者ならもう少し厳しく見ます。
でも、まだ更生の余地があるなら更生させて使えるようにするんが管理職でしょう」
隊長は、少しだけ苦笑した。
「言い方。……しかし、珍しいな。
お前がそんな判定ゆるいん」
「総務科長はゆるく見てません」
「それはそうやろな……」
「むしろあっちの方が厄介です。
悪意が薄いまま、見切りで人の成長を止めてるんで」
隊長は、小さくうなずいた。
「たしかにな」
隊長室に短い沈黙が落ちた。
「なあ、補給科長」
「はい」
「この件、ちゃんと持ち直せるんか」
補給科長は即答しなかった。
少しだけ考えてから言った。
「総務陸曹は、まだ戻せます。
総務班長も、本人が本気で自分のやり方を疑えば、戻せます」
「総務科長は」
「……あれが一番面倒ですね」
隊長は思わず笑った。
「やっぱりか」
「ええ。
一番面倒なのは、悪意のある人間やなくて、
“自分はそこまで悪くない”
と思いながら壊してる人間なんで」
「今日の話、そのまま総務科長に聞かせたいな」
「嫌です」
「早いな」
「ろくなことにならんので」
「ほんま、お前はそういうとこやぞ」
「そこは個性です」
「便利に使い分けるな!」
隊長は、ようやく少しだけ笑った。
面倒で、地味で、誰も褒めてくれない仕事だった。
だが、こういう仕事を雑にすると、人は静かに壊れる。
だからたぶん、誰かがやらねばならないのだろう。
隊長は閉まった扉を見ながら、もう一度だけ小さくつぶやいた。
「……ほんま、面倒くさいわ」
補給科長は、何でもない顔で答えた。
「指揮官でしょう?」
「便利な言葉やな……それ」
2026.3.22タイトルのナンバリング修正




