O-15:パワハラと指導の境界線
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
隊長は、確認中の書類から顔を上げると、机の向かいに立つ補給科長をじっと見た。
「なあ」
「はい」
「お前、よう今まで訴えられてへんな」
補給科長は瞬きもせずに答えた。
「突然何の話でしょう」
「言い方や。
お前の言い方、たまに刺さるとかのレベルやない時あるやろ。
正論を辛辣な言葉で急所に投げてくるやん」
「褒め言葉として受け取っときます」
「褒めてへん。
いや、真面目な話なんや。最近、管理の在り方に関する話をよう聞いとるやろ。
頼み方とか、任せ方とか。
ほな次に気になったのが、指導とパワハラの境界や。
確認なんやが、厳しく言うんが全部あかんわけやない、というのは間違ってへんよな?」
補給科長は少しだけ首を傾げた。
「全部あかんかったら、この組織は一週間で終わりますね」
「やんなあ」
「ただ、指導なら何でもかんでも、厳しくしていいかと言われると、それも違います」
「ほな、その境界の判断基準はどこや」
隊長は立たせたままだった補給科長を応接セットに座るように促して、自らもその対面に座った。
「雑に言うと、相手の行動を変えるために言ってるか、自分の感情を処理するために言ってるかです」
「お前のその“雑に言うと”で始まる話、全然雑やないねん」
「でも本質でしょう」
「まあ、続けろ」
「指導って、本来は相手の未来を良くするためのもんです。
なので、終わったあとに相手の頭に残るべきなのは、
何が悪かったか
次からどうすればいいか
この二つです」
「そらそうやな」
「逆に、終わったあとに残るのが
自分は駄目な人間や
だけなら、だいぶ危ない」
隊長は腕を組んだ。
「人格を殴っとる、ってことか」
「そうです。
期限遅れを叱るのは指導です。
でも、期限遅れを理由に
“お前は頭が悪い”
になると、もう人格攻撃です」
「なるほどな……」
「あと、声が大きいかどうかは、本質やないです」
「ほう」
「怒鳴らんでも、静かな声で逃げ道なく追い込むことはできます。
むしろ、淡々と人格否定してくる方が、受ける側にはきついこともある」
「ああ、それも嫌やな……」
「嫌ですよ。
人前で資料を破って捨てるとかも、典型ですね」
隊長は顔をしかめた。
「それはもう、だいぶ嫌やな」
「でしょう。
あれ、指導内容より
“お前の作ったものには価値がない”
を見せつける行為なんで」
「資料の中身やなくて、作った本人ごと捨てとる感じか」
「ええ。
しかも周りに見せながらやると、本人だけやなく、見てる側まで削れます」
隊長は少し黙った。
「……見せしめになるわけやな」
「そうです。
パワハラって、対象一人だけの問題やないんです。
周囲の
“次は自分かも”
まで含めて職場を静かに壊す」
「静かに、か」
「ええ。
大声で怒鳴るだけがハラスメントなら、だいぶ分かりやすいんですけどね」
「現実はもっと面倒やと」
「面倒です」
補給科長は淡々と続けた。
「あと、境界で大事なんは、一貫性です」
「一貫性」
「ええ。
“聞け”と言うくせに、聞いたら
“少しは考えろ”
になる。
考えて動いたら
“勝手に動くな”
になる。
こういうのは指導やないです。
ただの気分です」
隊長は思わず笑いかけて、途中でやめた。
「笑えんな……」
「笑えんですよ。
本人はだいたい
“ちゃんと教えとる”
と思ってますし」
「それもまた嫌やな」
「本人の中では整合してることも多いですからね。
“前回と今回は状況が違う”
“自分は分かってる”
“なんで伝わらんのや”
で済んでしまう」
「受ける側からすると、何をしたら正解なんか分からんわけや」
「そうです。
学習可能性がない。
何をしても怒られるかもしれんとなったら、人は考えなくなります」
「……黙るか、固まるか、やな」
「ええ。
で、上は
“最近あいつは元気がない”
とか言うんです」
「嫌な話やのう……」
「さらに、人前でやるかどうかも大きいです」
「一対一の方がええと」
「基本はそうです。
少なくとも、わざわざ周囲に見せる必要はない」
「でも、仕事の場やと周りが見とることもあるやろ」
「あります。
ただ、見られた結果と、見せる前提でやることは違います」
「ほう」
「周りがいる場で、必要最低限の是正をすることはあります。
でも、みんなの前で長々と詰める、人格否定を混ぜる、何回もやり直しを命じる。
あれは私刑による公開処刑です」
隊長は、深くため息をついた。
「お前、今日だいぶ辛辣やな」
「需要があるんで」
「嫌な需要やな……」
「あと、もう一個あります」
「まだあるんか」
「あります。
指導が終わったあと、上司がスッキリしとるなら危ないです」
「どういう理屈や」
「相手の未来のためやなくて、自分の今の感情処理になってる可能性が高いからです」
「うわぁ……」
「本当に指導が必要な場面って、言う側もそんなに気持ちいいもんやないです。
面倒ですし、疲れますし、嫌われる可能性もある。
それを越えて言うから意味がある」
「じゃあ、怒鳴ってスッキリしてる時点で、もうだいぶ危ないと」
「ええ。
かなり雑に言うと、そうです」
「そこは雑に言うんやな……」
「隊長でも分かりやすいようにです」
「ちょっと喧嘩売ったやろ今」
「認知の差です」
「便利に使うな、その言葉」
しばらくの沈黙のあと、隊長はぽつりと言った。
「なあ、補給科長」
「はい」
「お前の言い方や発言内容は、わしにもだいぶ刺さるやん。
それでも、わしはお前をパワハラやとは思わん」
「ありがとうございます」
「褒めてへん。
なんでそう思うかというと、お前、少なくとも
“何を直せ”
は言うし、困っとる時はちゃんとサポートに入るやろ」
補給科長は、少しだけ目を細めた。
「そこでしょうね」
「やっぱりか」
「私、口は悪いですけど、少なくとも
“勝手に動くな”
と部下に言う時は
“どこまで確認してから動け”
まで言います。
“遅い”
と言う時は
“次はどの段階で上げろ”
まで切ります。
そこをやらんと、ただ相手を不快にさせただけで終わるんで」
「そこが境界線か……」
「境界線の一つです。
あと、受ける側がどう削れとるかも見ます」
「どう見るんや」
「質問が減る。
報告が遅れる。
目を合わせん。
自分の判断を異常に怖がる。
“大丈夫です”しか言わん。
このへんですね」
隊長は小さくうなずいた。
「そういうのが出てきたら、危ないと」
「ええ。
すでに削れ始めてる可能性が高いです」
「なるほどな……」
補給科長は立ち上がった。
「まあ、理屈としてはそんなところです」
「理屈としては、やろ。
現場はもっと面倒なんやろうな」
「だいぶ面倒ですね」
「嫌な返事やな……」
「管理職なんで」
「便利な言葉やな、それ」
(廊下)
隊長室を出た二人は、そのまま廊下を歩いた。
夕方前の連隊本部は、静かではないが、慌ただしさが少しだけ鈍る時間帯だった。
角を曲がった先の自販機コーナーで、補給科長がふいに足を止めた。
「どうした」
「……」
視線の先には、総務陸曹がいた。
自販機の前に立っている。
だが、飲み物を買うでもなく、硬貨を手の中で弄んだまま、じっとボタンを見ているだけだった。
「総務陸曹」
補給科長が声をかけると、総務陸曹はびくりと肩を跳ねさせた。
「は、はいっ」
その反応の速さが、妙に不自然だった。
「休憩ですか」
「え、あ、はい……たぶん」
「たぶん」
総務陸曹は、自分で言った言葉に自分で困ったように笑った。
「……すみません」
「謝る要素ありました?」
「いえ、あの、その……」
視線が定まらない。
手の中の硬貨が、かすかに鳴る。
隊長は黙って二人を見ていた。
補給科長は、総務陸曹の顔を見た。
目の下に薄い隈。
口元は笑おうとしているが、笑えていない。
「顔色悪いですね」
「いえ、大丈夫です」
「その“いえ、大丈夫です”で大丈夫やった人、あんまり見たことないんで」
総務陸曹は、そこで初めて黙った。
自販機のボタンの明かりが、妙に白く見えた。
「……何かありましたか」
補給科長の声は、さっきまで隊長室で理屈を語っていた時より少しだけ低かった。
総務陸曹は、すぐには答えなかった。
しばらくして、ようやく小さく言った。
「……自分が、悪いんだとは思うんですけど」
その言い方に、補給科長の目がわずかに細くなった。
隊長は、さっきの話を思い出していた。
質問が減る。
報告が遅れる。
“大丈夫です”しか言わん。
自分を責める方へ寄る。
嫌な符合だった。
補給科長は、ごく自然な声で言った。
「では、その“自分が悪いと思う話”を、少し聞かせてもらいましょうか」
総務陸曹は、顔を上げた。
その顔は、助けを求めているのか、まだ迷っているのか、ぎりぎり見分けがつかない表情だった。
「……今、ですか」
「今です」
補給科長はそう言って、面談室の方向へ手で促した。
隊長は何も言わなかった。
だが、たぶん次は、理屈の話では済まない。
そういう予感だけは、よく分かった。
2026.3.22タイトルのナンバリング修正




