O-12:ハラスメント相談員は火消し役ではない
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
「ちょっとええか、補給科長」
「嫌です」
補給科長は即答した。
「その呼び方は、だいたい名簿に勝手に名前が載ってる時でしょう」
「察しがええな。
来月から、お前をハラスメント相談員に指名する」
「は?」
補給科長は、珍しく一拍遅れて顔を上げた。
「返事は」
「いや、そこは
“は?”
でしょうよ。
誰が決めたんですか」
「上から割り振られて、わしが決めたんや。
相談員が足りんらしい」
「なんで私なんすか。
もっとこう、物腰柔らかくて、話を聞くのが上手そうな人おるでしょう」
「お前は意外と相談されるし、お前が提示した解決策に皆だいたい納得しとるやろ」
「それは単に、みんな私に逆らうと面倒やと思ってるだけでは?」
「否定はせん」
「そこはせえよ」
隊長は、わずかに咳払いした。
「それによく言うやろ。
ハラスメント相談員って、ハラスメントをやりそうなやつを割り当てて、自制を促す制度やって」
「なんですかその最低の都市伝説は」
「妙に説得力はあるよな、と」
「その理屈で私を選んだんですか?」
「半分くらいは」
「残り半分は」
「お前が境界線の危うさを、だいぶよく分かっとる気がした」
補給科長は、少しだけ目を細めた。
「言い方を柔らかくしただけで、意味は同じなんすよ」
「ということで、来週のハラスメント防止教育、お前が講師な」
「相談員にするだけでも意味分からんのに、講師まで!?」
「実務と教育はセットや。
現場感覚のあるやつがやった方がええ」
「自分、現場感覚が危ない方向に寄ってる人間なんですが」
「期待しとるぞ」
「嫌です」
「命令や」
「この件をハラスメント相談していいんですか」
「相談員はお前やろが」
(会議室)
来週。
前方のホワイトボードの前に立った補給科長は、資料をめくりもせずに言った。
「それでは、ハラスメント防止教育を始めます」
後方の席に座った隊長は、腕を組んだまま内心でため息をついた。
(自分で振っといてなんやけど、嫌な予感しかしんな……)
補給科長は、教場を一度見渡した。
「まず前提。
ハラスメント相談員の仕事は、
“まあまあ穏便に”
で済ませることやないです」
隊長が少しだけ目を上げる。
「雑に言うと、
被害の拡大防止と、事実整理の入口です」
何人かがメモを取り始めた。
「なので、今日の話は二本立てです。
一つ、そもそも加害側にならんために何を気をつけるか。
二つ、相談を受けた時に、相談員は何をするか」
隊長は心の中で少しだけ安心した。
(ちゃんと教育資料みたいな入り方もしよるんやな……)
だが、その安心は長くは続かなかった。
「まず、加害側にならんための大原則。
不要な一言を減らしてください」
隊長が顔をしかめた。
(やっぱりそっち行くんか)
補給科長は気にせず続ける。
「昔は冗談で済んだことが、今は済まん時代です。
そして、
“そんなつもりじゃなかった”
は、受け手が削れた後ではあんまり意味がない」
会場が静かになる。
「なので、
見た目への言及は基本的に不要です。
“今日かわいいね”
は論外。
“痩せた?”
も危ない。
“髪切った?”
も、相手によっては監視の圧になります」
隊長が小さくうなずいた。
「そこは普通に大事やな……」
「でしょう。
見た目に触れんでも仕事は回ります」
補給科長は、そこで少しだけ間を置いた。
「仕事ぶりを褒めるのは構いません。
ただし、前にやった通りです。
行動を具体的に切る。
何が助かったかを返す。
距離を詰めるための褒め方にしない。
ここを外すと、依怙贔屓や気持ち悪さに変わります」
隊長は、そこでようやくさっきの不穏な入り方が、ただの焼き畑ではなかったと気づいた。
「……おお、そこはちゃんと繋がっとるんやな」
「当たり前でしょう。
前回までの教育が無駄やったら、こっちもだいぶ嫌です」
会場の空気が少しだけ緩んだ。
「次。
叱責です。
大声、威圧、人格否定、過度な繰り返し指導。
この辺は当然危ないです」
隊長が口を挟んだ。
「そこはちゃんとやっとるな」
「やってますよ。
だから雑にまとめると、
指導は行動に向ける。
感情処理で人を殴らない。
人前で見せしめにしない。
この辺です」
「うん」
「あと、面談や相談対応。
これは善意より証拠です」
隊長が思わず机を軽く叩いた。
「おい」
「でも本質でしょう。
密室、車内、人気のない廊下。
ろくなことが起きません」
会場の空気が、少しだけ引き締まる。
「面談は、できればガラス越し、人目のある場所、扉は必要に応じて開ける。
相談対応も、必要なら記録を残す。
善意があるかどうかより、
後から見ても説明できる状態を作る方が大事です」
「それは……まあ、そうやな」
補給科長は、そこで資料を一枚めくった。
「で、ここから相談員の話です」
隊長が少しだけ姿勢を正した。
「相談員の初動。
ここを間違えると、被害側が二回削れます」
会場が静まり返る。
「よくある最悪パターン。
相談が上がった瞬間に、加害側と被害側を同席させるやつです」
何人かが顔をしかめた。
「被害側が
“こういうのがしんどくて”
と言った瞬間に、相手が
“そんなつもりじゃなかった”
“お前にも悪いところが”
と自己弁護を始める。
あれ、最悪です。
相談員の仕事って、仲直りごっこやないんですよ」
隊長が、そこでようやく小さくうなずいた。
「……そこやな」
「まずやることは一つ。
被害を広げんことです」
補給科長の声が、少しだけ低くなる。
「だから、まずは被害側を安全圏に置く。
勤務を離す必要があるなら離す。
接触を切る必要があるなら切る。
同じ部屋、同じ当番、同じ車両、そういうのをまず見る」
隊長が腕を組んだ。
「なるほどな。
話を綺麗に聞く前に、止血が要ることもあるわけや」
「そうです。
ハラスメント相談員に、のんびり傾聴ごっこしてる余裕なんかない場面もあります」
「“傾聴ごっこ”言うな」
「必要な順番を間違えた綺麗事は害なんで」
補給科長は、一呼吸置いた。
「その上で、感情を受け止める。
ここで初めて、否定しない技術と傾聴が要ります」
隊長が、少しだけ感心したような顔をした。
「前の話が、ようやく全部繋がってきたな」
「人気テーマは擦られるもんでしょう」
「メタを便利に使うな」
補給科長は、会場へ向き直った。
「相談を受けたら、
“そう感じたんやな”
“それはしんどかったな”
まずはそこです。
いきなり事実認定も、いきなり相手擁護もいらん」
「うん」
「そのあとに、事実確認です。
いつ。
どこで。
誰に。
何を。
どうされたか。
感情と事実と希望を分けて聞く」
何人かが、慌ててメモを取る。
「ここで希望っていうのは、
話を聞いてほしいだけなのか。
接触を止めてほしいのか。
勤務を離してほしいのか。
処分まで求めるのか。
この辺です」
隊長は、思わず口を挟んだ。
「おう。
そこを勝手に決めたらあかんのやな」
「そうです。
“大ごとにしたくない”を
“何もしなくていい”
と勝手に訳した時点で、相談員失格です」
会場がざわつく。
「“大ごとにしたくない”って、だいたい
騒ぎたくない。
恨まれたくない。
居づらくなりたくない。
処分感情まではない。
その辺でしょう。
でも、だからといって安全配慮まで止めていいわけやない」
隊長が、そこで少し真顔になった。
「……そこ、大事やな」
「ええ。
相談が上がった時点で、もう個人の感情の話だけやなくて、管理の話でもあるんです」
教場の空気が、さっきよりさらに静かになる。
「相談員の仕事は、感情を丸めて穏便に流すことやなくて、
安全確保、記録、連携
です。
記録を残して、本人の同意も踏まえて、責任者へ繋ぐ。
必要な管理ラインには上げる。
そこまでやって、初めて入口です」
隊長が、そこでぽつりと漏らした。
「……急に本質やな」
「私、基本は仕事できるんで」
「その“基本は”が毎回不穏なんやわ」
補給科長は気にせず続けた。
「相談員って、人格者認定された人がやる仕事やないんです。
それやったら私がやるはずないんで」
会場の何人かが、思わず笑った。
隊長は微妙な顔になった。
「それはそうやな、とは言いづらいな……」
「初動を誤らず、記録を残して、被害を広げず、適切なところに繋げられる人間がやる仕事です」
隊長は腕を組み直した。
「……お前、それ最初に言えや」
「最初に正解言うたら教育にならんでしょう」
「ただの炎上商法や、それは」
補給科長は、最後の一枚をめくった。
「ともあれ、本教育の結論です。
ハラスメント防止で一番大事なんは、
“昔はこれくらい普通やったのに”
と時代の流れに文句を言うことやないです。
自分が加害側になりうる前提で、相手との間に線を引くことです」
隊長が、静かにうなずいた。
「うん」
「そして相談員の役割は、
“まあまあ穏便に……”
で済ませて隠蔽することではなく、
まず安全確保、事実の記録、責任者との連携。
これだけです」
隊長が、小さく息を吐いた。
「最後だけ急に教育資料みたいやな」
「最後までふざけてたら、教育にならんでしょう」
「そこはよう分かっとるんやな」
隊長は、少し前へ身を乗り出した。
「加害側になりうる前提で線を引く上で、具体的に気をつけることは?」
「不要な一言を減らすこと。
距離感を間違えんこと。
第三者に見せられる証拠を残すこと。
そして
“そんなつもりじゃなかった”
で逃げんことです」
隊長は、そこでようやく小さく笑った。
「うん。
だいぶ危ない入り方やったけど、最後はちゃんと着地したな」
(教育終了後・隊長室)
補給科長は、隊長室へ戻るなり言った。
「私の教育はどうでした?
思ったより相談員に向いてません?」
「ノーコメント」
隊長は即答した。
「でも、教育は予想よりはるかにマシやった」
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「“善意より証拠”と
“不要な一言を減らせ”は、資料から少し表現を柔らかくしろ」
「えー」
「えー、やない。
相談員に対する信頼性が下がるやろ」
「相談員の心理的安全性、下がりますよ」
「便利に使うな、その言葉」
隊長は、机を指で軽く叩いた。
「あと、この相談員の人選は見直す」
「先任が泣きますよ」
「なんで先任を副にしようとしたんや」
「一番声がでかくて顔の圧が強いので。
相談件数が減るかな、と」
「その発想がもう危ないんよ。
お前も後で個別指導や」
「それについてハラスメント相談していいですか」
「相談員はお前やろが」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
2026.3.22全面改稿




