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コメディ自衛隊 ~毒舌科長、連隊を立て直す~  作者: リフェリア


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10/25

O-9:マインドフルネスは無になる訓練ではない

 本作はフィクションです。

 作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。

 なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。

(隊長室)


 翌日。

 隊長は、机の上の書類をめくりながら、向かいに座る補給科長を見た。


「で」


「はい」


「昨日の続きや」


「そらそうでしょうね」


「コーピングの話は分かった」


「ええ」


「壊れる前に、ちょっと戻す技術やったな」


「そうです」


「ほな、その次や。

 マインドフルネスって何や。

 目ぇ閉じて無になるやつか?」


 補給科長は、ほんの少しだけ眉を上げた。


「その理解、だいぶ危ないですね」


「いきなりやな」


「マインドフルネスを神秘療法みたいに扱うと、だいたい現場で役に立たんので。隊長がその理解で部下に勧めはじめたら、新興宗教の勧誘みたいになりそうです」


「言い方」


「でも本質でしょう」


 補給科長は、何でもない顔で続けた。


「マインドフルネスって、無になる訓練やないです」


「違うんか」


「違います。

 雑に言うと、

 今の自分の状態に気づく技術

 です」


 隊長は腕を組んだ。


「今の自分の状態」


「ええ。

 呼吸が浅い。

 肩が上がってる。

 顎に力入ってる。

 頭の中で同じことがぐるぐる回ってる。

 イラついてる。

 焦ってる。

 そういうのを、

 “そうなってるな”

 と気づく」


「……それだけか?」


「“それだけ”ができんから、皆わりと雑に壊れるんでしょう」


「刺さるなぁ……」


「実際そうでしょう」


 隊長は、少しだけ嫌そうな顔になった。


「でも、なんかこう、マインドフルネスって、

 嫌なことを忘れるとか、

 穏やかな気持ちになるとか、

 そういう話ちゃうんか?」


 補給科長は、呆れたように小さく息を吐いた。


「そこもだいぶ雑です」


「また雑って言う」


「雑なんで」


「ほな何や」


「嫌なことが消える技術やないです。

 嫌なことがある状態のまま、脊髄反射で余計なことせんようにする技術です」


「……ああ」


「イラついた時に、イラつきが消えるわけやない。

 でも、“イラついたまま即電話して、余計な一言まで足す”を防げるだけで、だいぶマシでしょう」


「うわ、現実的やな」


「現場ですからね」


 補給科長は、そのまま続けた。


「マインドフルネスで、よくある誤解が三つあります」


「また三つか」


「好きなんで」


「知らんがな」


「一つ、無になろうとすること。

 二つ、前向きになろうとすること。

 三つ、嫌な感情を消そうとすること」


 隊長は顔をしかめた。


「三つとも、なんかそれっぽいやつやな」


「でしょうね。

 でも、だいたいズレてます」


「どう違うんや」


「無になろうとすると、雑念が出た時点で失敗扱いになるでしょう」


「まあ、そうやな」


「前向きになろうとすると、イラついてる自分や焦ってる自分を否定し始める」


「うん」


「嫌な感情を消そうとすると、今度は消えんことにまた腹が立つ」


「……面倒くさいな」


「人間なんで」


 補給科長は、隊長の机の上のペンを見ながら言った。


「マインドフルネスって、もっと地味です。

 今、自分が焦ってる。

 イラついてる。

 呼吸が浅い。

 肩が上がってる。

 そこに気づいて、一回止まる。

 それだけです」


「一回止まる、か」


「ええ。

 その一拍を作る技術です」


 ちょうどその時だった。


 隊長のパソコンに、新着メールの通知音が鳴った。


 隊長が画面を開く。


 送信者は、本管中隊長。


 本文は短い。


『〇〇の件の進捗ですが、今日中には出せると思います』


 隊長は、数秒止まった。


「……今日中“には”?」


 補給科長が、横から覗いた。


「昨日締切のやつですね」


「そうや」


「今、だいぶ来てますね」


「何がや」


「顎上がってます。

 眉間も寄ってます。

 呼吸浅いです。

 そのまま電話したら、たぶん一言多いですよ」


「うわ、よう見とるな……」


「管理者なんで」


「便利やな、その言葉」


「便利ですよ。

 で、ちょうどいいんで、やってみましょうか」


「何をや」


「マインドフルネスです。

 隊長、今それなりに腹立ってるでしょう」


「腹立っとるな」


「でしょうね。

 では、30秒だけ付き合ってください」


 隊長は嫌そうな顔をした。


「ここでか?」


「ここでです。

 変な宗教じみたことはしません」


「お前に言われると余計に不安やな……」


 補給科長は、何でもない顔で続けた。


「まず、椅子に深く座る。

 足の裏が床に当たってる感覚を意識する。

 次に、呼吸を無理に整えようとせず、一回吐く。

 もう一回吐く。

 吸うのは勝手に入ってくるんで、吐く方だけ意識してください」


 隊長は、半信半疑のまま言われた通りにした。


「……」


「で、今の自分の状態を一個だけ言葉にする。

 “腹立ってる”

 でも

 “急かされてる感じがする”

 でも

 “本管に電話したい”

 でも何でもいいです」


 隊長は少し黙ってから言った。


「……腹立ってるし、今すぐ電話したい」


「よろしい。

 それが分かれば十分です」


「十分なんか」


「ええ。

 消えてないでしょうけど、さっきより脊髄反射ではなくなったはずです」


 隊長は、自分の肩と顎に少しだけ意識を向けた。


 たしかに、怒りは消えていない。

 消えてはいないが、さっきの

 “今すぐ電話して、一発刺したる”

 みたいな勢いは、ほんの少しだけ落ちていた。


「……ほんまやな」


「でしょうね」


「これがマインドフルネスか?」


「まだ入口ですけどね。

 今どうなってるかに気づいて、一拍置いた。

 それだけで十分価値があります」


「うわぁ……地味やな」


「地味ですよ。

 でも現場で使うなら、そのくらい地味な方がいいです」



 隊長は、少しだけ感心したような顔で缶コーヒーを持ち直した。


「じゃあ、マインドフルネスって、コーピングの一種なんか?」


「そうです。

 コーピングの中でも、かなり使い回しの利くやつですね」


「へえ」


「道具もいらん。

 場所もあんまり選ばん。

 周りにバレにくい。

 しかも、怒り、焦り、過緊張、反芻、だいたいどれにも少し効く」


「便利やな」


「万能ではないですけどね」


「そこは違うんか」


「違います。

 魔法みたいに全部解決するもんやと思うと事故ります」


「また事故るんか」


「現場で使う話してるんで」


 補給科長は、そこで少しだけ前かがみになった。


「大事なんは、

 マインドフルネスは“良い気分になる技術”やなくて、

 “悪い状態のままでも余計なことをせんようにする技術”

 やということです」


「それ、結構好きな言い方やな」


「珍しいですね。隊長が好きと言うと、逆に不安になります」


「お前ほんまそういうとこやぞ」


 補給科長は気にせず続けた。


「管理職に必要なんは、腹が立たんことやないです。

 焦らんことでもない。

 腹が立っても、焦っても、そのまま人を巻き込んで事故らんことです」


 隊長は、それを聞いて少し黙った。


「……なるほどな」


「なので、マインドフルネスって、某中隊の意識高い系WACみたいな人のキラキラした趣味やなくて、雑に反応しがちな人ほど要るんです」


「それ、わしに言うてるやろ」


「他に誰がいます?」


「いちいち刺しに来るなや」



 しばらく沈黙が落ちた。


「なあ」


「何でしょう」


「これ、部下にもやらせた方がええんか?」


 補給科長は少し考えた。


「強制したらだいたい崩れます」


「そうなんか」


「ええ。最初にも言いましたが、隊長が

 “今から皆で目を閉じて呼吸しましょう”とかやり始めると、途端に胡散臭くなるでしょう」


「たしかにな……」


「なので、まずは管理者が知っとけばいいです。

 自分が煮えた時に使う。

 部下が煮えてる時に、一拍置かせる。

 そのくらいで十分です」


「なるほど」


「あと、部下に勧めるなら、

 “落ち着け”

 より

 “今ちょっと呼吸浅いから、一回外の空気吸ってこい”

 の方が通ります」


「そらそうやな」


「マインドフルネスって言葉を出す必要すらないことも多いです。

 やること自体は昔からあるんで」


 隊長は、少しだけ笑った。


「結局、また“名前がついただけ”の話に戻ってきたな」


「だいたいそうです」


「身も蓋もないなぁ」


「名前でありがたがるから、変な商売になるんです」


「最後まで夢がないなお前は」


「夢で部隊が回るなら、今ごろ苦労しとりません」



 隊長は、パソコン画面の本管中隊長のメールをもう一度見た。


 まだ腹は立っている。

 だが、さっきほど“今すぐ刺す”気分でもない。


「……じゃあ、今のわしは、どう返したらええ」


 補給科長は即答した。


「まず、今電話せんことですね」


「そこからかい」


「ええ。

 次に、締切超過の事実と、いつまでに何を出すかだけ切って返信する。

 お気持ち表明はいりません」


「うわぁ……」


「腹立ってる時の隊長のお気持ち、だいたい余計でしょう」


「そこまで言うか」


「でも本質でしょう」


 隊長はため息をついて、メール画面を閉じた。


「……ほんま、お前と話すと、毎回ちょっとだけ賢くなった気がして、その倍くらい腹立つな」


「費用対効果は悪くないでしょう」


「自分で言うなや」


 補給科長は立ち上がった。


「では、私は科に戻ります」


「おう」


「今日は、隊長が“無になる訓練”で最後まで押し切らんかったので上出来です」


「評価の仕方が腹立つんやわ!」


 隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。


 マインドフルネス。

 それは、嫌なことを忘れるための技術ではなく、嫌なことがある状態のままでも、余計なことをせずに済むようにする、一拍の技術なのかもしれなかった。


 隊長は、閉じたメール画面を見ながら、小さく呟いた。


「……一拍置く、か」


 その独り言に返事はなかったが、補給科長の去ったあとの隊長室は、さっきよりほんの少しだけ静かに感じられた。

2026.3.22全面改稿

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