Oー1:防衛監察アンケート
本作はフィクションです。
作中に登場する「自衛隊」は「自立衛星観測隊」の略称であり、現実のいかなる組織・制度・人物とも一切関係ありません。
なお、万一よく似た部分があったとしても、それは偶然です。たぶん。
(隊長室)
隊長は、防衛監察のアンケート結果を見ながら、しばらく無言で固まっていた。
「……」
紙の束は分厚い。
自由記載欄には、好意的な意見から辛辣な言葉まで、多種多様な意見が並んでいる。
隊長は、そのうちの一枚を、ゆっくり読み上げていく。
「『上司に相談しづらい』」
次の一枚。
「『人によって指導の当たり外れが大きい』」
さらに次。
「『できる人に仕事が偏っている』」
最後に、少しだけ嫌そうな顔をして読んだ。
「『部署によって空気が違いすぎる』……か」
隊長は紙を机に置き、椅子にもたれた。
「……書きたい放題やな」
もちろん、防衛監察のアンケートに良いことばかり書かれるとは思っていない。
だが、想像していたより、ずっと具体的だった。
しかも、所属欄を見ると何となくイメージが湧いてしまうのが、嫌だった。
総務科長は、経験豊富で幅広い仕事ができる男や。
しかし、部下は曲者揃いで、問題を抱えとるやつも多い。
それに、総務科長は抱え込みすぎるし、部下との噛み合わせもあまり良くない。
部下も楽ではないだろうが、本人も結構しんどいやろう。
苦労をかけとるな……。
訓練科長は、優秀な人間や。
むしろ、仕事ができすぎる。
あまりに頭の回転が速すぎて、たまにわしでも理解が追いつかん。
いつも一緒に働いている部下は、ついていくだけでも大変やろうなぁ……。
情報科長は規則に厳密で、仕事が信頼できる男だ。
全くと言っていいほどミスがない。
ただ、静かすぎて、本人が何を考えているか少し分かりにくい。
悪いやつではない。
悪いやつではないんやけど、近寄りやすいかと言われると、まあ、近寄りやすくはない。
情報科の事務所、いつ行っても静かやもんなぁ……。
第5中隊長は声が怖い。
顔の造形が整っとる分、余計に怖い。
わしに対しても淡々と話すから、部下はまぁ、言うまでもない。
仕事はできるし、中隊も規律が締まっている。
上番以来、服務事故ゼロなのはここだけだ。
ただ、部下が委縮していないかと聞かれると、ちょっとだけ気になる。
怒鳴ることはないのに、話を聞いているとヒュンってなることがある。
どこがとは言わんけど……。
本管中隊長は――
「……あれは普通にあかん寄りか」
そこだけは考える時間がいらなかった。
隊長は別の用紙を手に取った。
「『上は気軽に“相談しろ”と言うが、実際に相談すると嫌な顔をされる』……うわぁ」
……あるあるやと思ってたけど、うちでも出るんやな。
「『仕事を任せると言いながら、実質丸投げのことがある』……」
これもあるあるだけど嫌だ。
だいぶ嫌だ。
「『人間関係のみで仕事を済ませようとする人がいる』……」
隊長は、そこで紙を伏せた。
「……なんやねんこの連隊。癖が強すぎるやろ……」
他人事のように呟いたが、当然ながら自分の連隊である。
嫌な気づきだった。
だが、もっと嫌なのは、これが誰か一人だけの問題ではなさそうなことだった。
「嫌やけど、いつも通り呼ぶしかないか」
隊長は受話器を取り上げた。
「補給科長、ちょっと来い」
数分後、補給科長が入ってきた。
「失礼します。今回は何でしょう」
「これや」
隊長はアンケート結果の自由記載欄の部分を差し出した。
補給科長は立ったままペラペラとめくり、数秒で顔をしかめた。
「ああ、これですか」
「その“ああ”は何や」
「そらそうやろな、と。むしろ、隊長が今までよう気づかんかったもんやな、と。」
「切り捨てんな。
こっちはわりと真面目にへこんどるんやぞ」
「よかったですね」
「何がやねん!」
「服務事故が起きて、メディアに吊るされて、謝罪会見で頭下げながら気づくよりはマシでしょう?」
「言い方……」
補給科長は紙を隊長に返した。
「で、これの何がわからんのです?」
「うちの連隊、そこまで悪いやつばっかりおるか?」
「いませんね」
「やろ?」
「善人は多い方でしょうね」
「やろ?」
「でも、善人が多いことと、働きやすいことは別です」
隊長は黙った。
「どういうことや」
「人柄だけで組織が回るなら、世界はお花畑になってるでしょう?組織を回すんは善意ではない。仕組みです。むしろ、悪意がない分だけ面倒です」
「面倒……」
「ええ。
正論を遠慮なくぶん投げる人。
部下の仕事まで抱え込んで、自分の首を締める人。
人間関係だけで仕事回そうとする人。
一生懸命やけど余裕が無さすぎて周りまで不安にさせる人。
全部、本人の中では善意でしょうね」
「……まあ、うん」
「でも、周りは普通にしんどいです」
隊長は腕を組んだ。
「具体的に言え」
「隊長にもわかるようにしましょうか」
補給科長は、指を折った。
「まず、正論を遠慮なくぶん投げる人。
これは内容自体は正しい。
でも、正しさに速度と圧が乗ると、相手は黙るしかない」
「おるな……」
「次に、部下の仕事まで抱え込んで、自分の首を締める人。
本人は“自分がやった方が早い”と思ってるんでしょう。
でも、周りからしたら何がどこで止まってるか見えん。
手も出せんし、育ちもせん。結果、全員がずっとしんどいままです。地獄ですね」
「それも、おるな……」
「次に、人間関係だけで回す人。
一見うまくいってるように見えます。
でも、属人的で再現性がない。
その人が機嫌を損ねた瞬間に止まるんで、ルールより空気が強くなる」
「……本管やな」
「言ってません」
「言うてへんけど分かるわ」
「最後に、余裕のない人。
悪人やないです。
でも、余裕がない管理者の下は、部下がずっと“何となく不安”なまま働くことになります。可哀想ですね」
「全部、誰のこととは言うてへんのに、分かりすぎて嫌やな……」
いいながら、机の上のアンケートを見た。
『上司に相談しづらい』
『部署によって空気が違いすぎる』
『できる人に仕事が偏っている』
どれも、誰か一人を切れば済む話には見えなくなってきた。
「……なあ」
「はい」
「これ、結局、誰が悪いんや」
補給科長は少しだけ考えてから答えた。
「今の発言で、隊長が問題の本質を全く理解しておられない事は理解できました」
「腹立つなぁ……」
「ハラスメント問題のように”誰が悪いか”で切れる話もあります。
でも、こういう形でまとまって出てくる時は、だいたい個人やなくて構造の話です」
「構造?」
「ええ。
この連隊にも、変な人はいますし、足りんやつもいます。
でも、問題はそこだけやない。
変な人が変なままで回る構造と、足りんやつの分が、できる人にしわ寄せとして集まる構造と、困った時に相談しづらい空気が、そのまま放置されてる」
「……」
「だから、犯人捜しから入ると本質を外します」
隊長はしばらく黙っていた。
「……ほな、どこから入るんや」
「この手の問題は、コミュニケーションが上手くいかんのが原因の大部分を占めとるです。だからまずは、何が言いにくくなってるのかを言葉にするところからです」
「なんか、心理学っぽい話になってきたな」
「実際そうでしょう」
「また厄介な概念を持ってきよるんやろ?」
「よくご存じで」
「お前なぁ……」
補給科長は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「今回は、心理的安全性です」
隊長は沈黙した。
「……出たな、専門用語」
「逃げんでください。ここを避けたら整理出来ません」
「逃げるやろ普通。
急に専門用語を投げるな」
「一個一個理解してもらわんと、ずっと雑な指揮官のままになりますよ?」
「おまっ……!……言い方があるやろう……」
「襟にええ階級章付けてはるんで、甘えんといてください」
「それで、心理的安全性って結局なんなんや」
「雑に言うと、
必要なことを言うのに、余計な勇気やご機嫌確認が要らん状態、です」
隊長は、机の上のアンケートを見た。
自由記載欄の文字が、さっきまでとは違う見え方をしてきていた。
「……ほんま、面倒くさいな」
「それを何とかするのが指揮官でしょう」
「ほんまに便利な言葉やな、それ」
隊長は深く息を吐いた。
「よし。
次はその“心理的安全性”とやらを詳しく説明せえ」
「嫌です」
「なんでや」
「今から始めると長いんで。私も仕事がありますし」
「それはそうやろうけど!」
「なので次話にしましょう」
「メタはりすぎやろ、お前」
「それに、一気に詰め込んでも、隊長も処理しきれんでしょう」
「ほんま!お前はそういうとこやぞ!」
補給科長は、何でもない顔で敬礼した。
「褒め言葉として受け取っときます」
「一回も褒めてへんやろ!」
隊長室に、少しだけ乾いた笑いが落ちた。
防衛監察アンケートは、嫌な紙だった。
だが、嫌な紙だからこそ、見えるものもあるのかもしれない。
隊長は机の上の束を見下ろしながら、小さく呟いた。
「……まあ、文句を書く元気があるうちは、まだましか」
その独り言に返事はなかったが、補給科長の背中は、少しだけ肯定しているようにも見えた。
2026.3.15:改稿
今後のプロットで科長が他にも出てきて区別がつかなくなるので、主役格の科長=補給科長という追加設定を入れて、それに基づいて会話が行われている場所を追記。
話を進めるうちにキャラクターの輪郭が、作者の中ではっきりしてきたので、発言内容を修正
2026.3.22全面改稿
ギャグは短編に任せて、管理職向けのお仕事講座に訂正




