85話
俺が今までに来た時は、いつもフェイリンは部屋に居た。
だが、フェイリンは部屋から出られない訳でもないし、俺の記憶を覗く術を使っている訳でもない今、当然、この部屋に居なければいけない理由も無い。
……強いて言うなら、革命軍が来ている最中、あの国王ならば溺愛している娘を部屋で静かにさせておく可能性が高いと踏んでいたのだが。
だが、居ないならば仕方ない。
革命軍が城内に雪崩れ込むまでのあと極僅かな時間で、フェイリンを見つけなければならない。
さもなければ……あまり、考えたくないが。
フェイリンは革命軍の手によって殺されるのだろう。
フェイリンはどこに居るか。
考える時、真っ先に思い出されるのは、フェイリンの言葉だ。
父や夫と共に死ぬことが女である自分の役目だ、と。
そう言っていた時の彼女の表情は、暗くなく、むしろ明るくさえあった。自分の役目を受け入れて……死ぬことを選んだのだ。フェイリンは。
フェイリンは俺の記憶の景色を見て、知っていたはずなのだ。満月の今日、革命が起きる、という事を、確かに知っていた。だから、今日、自分が殺されることも知っているはずで……知っているはずであるから、『父や夫と共に死ぬ』ことが役目の彼女の居場所は……当然、国王の近くなのだろう、と、思われた。
そして、フェイリン自身が『父や夫と共に』死ぬ気でいるのならば……それは、彼女自身が、『国王の死を望んでいる』という意味に他ならない。
まず、屋外だ。月明かりが差すような場所だ。
それから、広い場所だ。宴を開けるような、兵士も貴族も収められる程の広さがある場所だ。
当然、それ相応に飾り付けられた場所だろうし、人が大勢集まっている場所でもあるだろう。
……ジェットパックがあれば空から確認したのだが、今の俺にはそれもできない。
ある程度カンで、俺は地上……1階部分を探すことにした。
フェイリンの部屋のカーテンは薄絹でできていて、ロープにするにはあまりにも頼りない。仕方ないので、向かいの女中部屋らしい部屋に侵入して、そこで丈夫な布を調達し、さっきと同じ要領で2階まで降りた。
そこから各部屋の窓から顔を出したり、耳を澄ましたりしながら、人がたくさん居そうな場所を探す。
……フェイリンは、満月の日をわざわざ選んで、踊りを披露するというような事を言っていた。
あの時はそう思わなかったが、あれが、国王を殺し、自分も死ぬことを想定しての台詞であったならば……当然逃げるわけがない。
そして、フェイリンは国王を逃がすわけも無いのだ。フェイリンはきっと今、国王達の足止めをしているのだろう。
きっと今は、踊りを披露する宴の最中であるはずだ。まさかこんな時にそんな危機感の無い事をするとも思えないが……フェイリンが何か、細工をしているのだとすれば、十分に納得できる。何せ、フェイリンは他人の記憶を覗くことができるのだ。つまり、魔法使い、呪術使いの類である。……人の危機感を損なわせるくらいのことはやりそうだ。
結局、決め手になったのは微かに聞こえた音楽と、料理を運ぶ人の列だった。
どこか虚ろな視線を彷徨わせながら、足取りだけは確かに、料理や酒を運ぶ人々。
そして、進む先から聞こえてくる管弦の雅やかな音楽らしきものと、それに混じって漂う、甘ったるいような香り。
音と香りによってか、俺の頭がぼんやりしてきたので、慌ててその場を少し離れる。
それから、イゼルに分けてもらったお菓子……『恋星金平糖』を取り出して口に放り込み、がりがりと噛み砕く。
幻覚破りの効果があるらしい砂糖菓子が口の中で溶けていくと、頭が急にすっきりしてきた。
やはり、この辺りには幻覚や幻惑の類の術が張ってあるらしい。
料理を運ぶ人達の後をつけていく最中、爆音が上がった。流石にこの音で幻覚が破れたのか、料理を運んでいた人たちは皆、我に返ったようにきょろきょろと辺りを見回している。
それから、人々の怒号が遠く、響いてくる。
……遂に、イェンジュさん達が城門を破ったのだろう。
急がなくてはならない。時間はもう無い。
すっかり立ち止まって、或いは逃げまどって困惑するばかりとなった人々の間を走って、俺は音楽と甘い香りの中心を目指した。
途中でまた頭が重くなってきたので、『恋星金平糖』を立て続けに数個、噛み砕く。
そして、走って、走って、走って……俺は遂に、たどり着いた。
ディアモニスのものとは比べ物にならない程、コジーナの月は大きく明るい。
黄金の鏡のような満月が大きく夜空に輝き、その黄金色の月光の下、中庭らしき場所、大理石の純白のタイルが敷き詰められた上で……フェイリンが踊っていた。
煌びやかな衣装に、煌びやかな装身具。
装身具についている金の鈴を鳴らしながら腕がしなやかに流れ、足が軽やかに床を蹴る。
見たことの無い舞踊だが、難しいものであろうことはなんとなく分かった。
華やかながら、どこかもの悲しいような、懐かしいような、そんな音楽が奏でられ、その傍らには大きな香炉のようなものがあり、そこから甘ったるい香りの煙が濃く立ち上っている。
……そして、フェイリン以外の人々は皆、フェイリンの踊りを注視したまま、ぼんやりと動かない。
見るからに異様な光景なのだが、フェイリンの様子を見ていると、納得できてしまうような気もした。
要は、この場所の要素全てが、幻術の要素なのだろう。
フェイリンの表情は強い月光の陰になってよく見えないが、恐らく彼女は笑っているに違いない。
きっと、初めて見た時のように、寂しげに。
フェイリンに近づく前に、一通り、脱出経路を考えた。
……が、考えるだけ無駄だろう。
既にイェンジュさん達革命軍は城内に入ってきているし、この中庭にも人がたくさん居る。
幻術が解けたならば、彼らもきっとまた、敵になるのだ。
ならば考えるだけ無駄だ。それよりも時間が惜しい。
俺はもう一度、恋星金平糖を噛み砕いてから、リディアさんに貰った『幻惑頭ポヤポヤ系目くらましスモーク玉』を空に向かって放った。
一気に広がった煙に、辺り一帯が包まれる。
当然、煙はフェイリンにも届き、彼女の踊りはそこで中断された。
俺は煙の中、予め見当をつけていた通りに走り、白大理石の舞台に上がり、そこに居たフェイリンまでたどり着く。
困惑するフェイリンの黄金色の瞳としっかり目が合ったが、これは夢じゃない。俺は変わらず、フェイリンの瞳に映り続けた。
「し、シンタロウ!?なんでお前、ここに」
「異世界間よろずギルドのアラネウムが、異世界の呪術師を1人、スカウトしに来た!」
困惑したフェイリンの問いに答えて、俺はフェイリンの手を掴んで走り出した。
「ちょ、ちょっと!離しなさい、シンタロウ!わ、私は」
「死ぬ気なのは分かってるよ」
走ることを渋るフェイリンをそれでも引っ張りながら、俺はほとんど意味を成さない説得を始める。
「そうよ!私は今日死ぬのよ!それでホン王家は消える!この世界は新しい歴史を歩き始められるでしょう!そのためにも私は死ななきゃいけないの!分かるでしょう、もう分かってるんでしょう!シンタロウ!」
何故、この説得がほとんど意味を成さないか。
それは単純に、俺がフェイリンの望みを叶えてやる気が無いからである。
そして、既に俺以外のアラネウムのメンバーも同じく、フェイリンを生かす気でいるのだ。
フェイリンがどう考えようが、それは無駄な事である。ニーナさんだって、アラネウムに引っ張り込まれてしまったのだ。
本当は異世界に憧れて、自由な生活や自由な生命に憧れていたのであろうフェイリンが、引っ張り込まれないで済むわけがないのだ。
「要は、ホン・フェイリンが死んだ、と認識されればいいんだろ?なら、後からいくらでも細工できるから今はとりあえず走ってくれ」
「……ちょっと、どういう事?死んだと、認識されればいい……?」
「異世界の技術で、フェイリンの死体を偽装して城の燃え痕から発見させる。それで間に合うはずだ」
覚悟に引き結ばれたフェイリンの表情が、困惑によって解ける。
「……それ、って……いいえ、それじゃ、民衆は納得しないでしょう。贅沢三昧の日々を送った憎き王家の娘を惨殺して、ようやく民衆の今までの苦しみは晴らされるのよ」
それは……イェンジュさんの望みとは、若干、ずれるような気がしないでもないが……実際、そうなのかもしれない。
革命を起こすまでの間、コジーナの民衆は王政に苦しめられてきた。
その恨みを晴らすべく、今日、革命に参加した人だって多いだろう。
ならば、きっと中にはフェイリンを惨殺したい、と思う人も居るのだ。
……ならば、他の解決方法を考えよう。
「じゃあ、死んだふりでもするか。露台から身投げしてくれ。キャッチする」
「そういう問題じゃないわ、シンタロウ。ふざけてるの?」
「割と今のは本気だったんだが……」
本気で提案したのだが、あっさり棄却されてしまった。
やはり、死のうとしている人を無理やり連れていって生かそうとするのは難しいのか。本人の本心がどうであれ。
……俺は何だかんだ、フェイリンの事を良く知らない。
だから、見当違いの予想かもしれないが……フェイリンは自分も父である国王もまとめて死なそうとしていたのだから……どこかに、罪の意識があるんじゃないだろうか。
フェイリンは国王に……言い方は悪いが、媚びることで自分の命を繋いでいた。
国王の機嫌を損ねて処刑されてしまえば、民衆を助けられなくなる。
だからこそフェイリンは、民衆を助けようという思いとは裏腹に、贅沢な暮らしをして、その傍ら、国王に気付かれないようにこっそりと、『可愛い姫の我儘』という体で民衆を助けていたのだ。
フェイリンはそんな二重の生活に罪悪感があったのだと、思う。
そして罪悪感と同時に、二重の生活から逃避したい思いと、自由への憧れがあったのだ、とも。
そうでなければどうして、あんな顔をしながら異世界の景色を眺めていたのか。
「……もういいと思うぞ」
「な、何がよ」
「もう、我儘言ってもいいと思う」
「我儘、て、何言って……わ、私は今まで散々我儘放題に生きてきたのよ?それを『もう』って、今まで、まるで、我儘言わなかった、みたいに」
だが、素直に言っても、このひねくれたお姫様は聞いてくれそうにない。
泣きそうな顔をしながらも、言葉は我儘で傲慢で捨て鉢だった。
……なら、俺もひねくれた言い方をした方がいいのだろうか。
「何なら、本当に生き延びてみせればいい」
「だ、だから!本当にお前は頭が悪いわね、シンタロウ!私が死ななきゃこの時代は終わらないのよ?どうやってこれから先、民衆は安心して生きていけるっていうの」
「逆だ。安心させちゃ駄目なんだ」
フェイリンの訝し気な視線を、できるだけひねくれた笑顔で受け止めながら、俺は言葉を選ぶ。
「王家を滅ぼす。国が割れる心配がなくなって、新たな国がのびのびと育つ。……それじゃ、同じことの繰り返しだ」
「……繰り返し?」
「歴史は繰り返すんだ。安定した状態は停滞を生む。停滞したら、あとは腐敗していく。……どんなに素晴らしい王朝が生まれても、数世代代わる頃にはもう何もかも忘れて、また圧政を強いる国が出来上がる。だから、民衆を安心させない方が良い」
フェイリンの視線が、真剣なものになる。
黙っているところを見ると、俺の話の続きを促しているのだろう。
「国が割れる心配があれば、国は集まって1つになろうとするだろう?今の民衆がそうだ。ホン王家という1つの敵を共有して、多くの人が団結してる。……だから、フェイリンは生き残ってやればいい。生きのこって、この世界共通の脅威になって、人を団結させてやればいい……ってことで、どうだ」
フェイリンの目が、瞬かれる。
「だからフェイリンは、死ななくていい」
数度瞬いた後、僅かに潤んだ黄金色の瞳には、希望とも野望ともつかない火が灯っていた。
「分かった。走るわ」
フェイリンの手を掴んでいた俺の手が振りほどかれてから、改めて、フェイリンの方から手を掴んできた。
「その代わり、シンタロウ。……協力しなさい」
こっちよ、と言いながら、フェイリンは俺が目指していた方……裏門ではなく、城の中に向かって走っていく。
今度は俺がフェイリンに引っ張られて走ることになった。




