第23話 終わりの始まり
本当は全部、生まれた時から知っていたのかもしれない。
けれど、次郎は己の宿命から逃れたくて、もがいて、足掻いて、色々手を尽くして『愛』を手に入れえようと今まで過ごしてきた。
その内、己の内にすら愛情が無いことを悟るまでは。
誰かに好意を抱かないということではない。ただ、それが愛まで発展することが無いだけで。他者からの愛情を感じた記憶が無いだけで。
他者から愛情を感じたことが無くとも、身内からならば愛されているのではないか? そう思った時も、次郎はあった。ああ、確かに、愛情のような物は感じている。肉親の情もしっかりあっただろう。それは、己の髪の色が証明していた。
だが、次郎はある日、気付いてしまった。
己の内側には、家族ですら知りえない深い空洞があるのだと。それを知られてしまえば、もう、家族ですら自分を愛してくれなくなると。
だから次郎は必死で殻を作り、仮面を被り、己の空虚さを隠し続けた。
家族の中で、家族を演じている。その事実に気付いてしまった瞬間から、与えてくれた愛情は全て偽物なのだと思うようになった。偽物だとしても、手放したくない物だったので、必死で『鈴木次郎』を演じ続けた。
本当の自分が分からなくなってしまうほどに。
次郎には愛が無い。
次郎は愛を知らない。
次郎は愛を理解できない。
だから、本当の意味で次郎を愛する者は存在しない。それ以前に、次郎に好意を向けた女性は悉く、世界の意思によって別の男性と結ばれる。ご都合主義のように、運命の恋人同士と称するほど、相性ぴったりの相手と。
そして、次郎は死ぬまで舞台装置で居続けなければならない。
世界の危機を排除するデウスエクスマキナとして。
万能の神の如く、救いをばら撒いて。
愛の無い世界で、次郎は生きなければならない。
●●●
「やれ、まさかよりにもよって藤二に見抜かれるとはなぁ。どうせ同じ毒舌キャラなら、付き合い長い花子が見抜けよ…………まぁ、無理な話だろうけど」
時刻は夜。
空には満天の星々が。
流れる風は涼やかで、微かに鳴く虫の音が雅だ。
「経験上、女性の方が世界の干渉力が強く働くし。大体、あいつはそういう細かいところを見抜く力なんて皆無だし。顔だけの奴だし……悪い奴ではないけどさー」
そんな風流な夜空の下で、次郎はちびちびと晩酌をしていた。
場所は神社の屋根の上。座り心地も安定感も無いそこで、次郎は器用にバランスを取って、酒を飲んでいた。ちびちびと、お猪口から清酒を舐めるように。つまみは一握りの粗塩が、皿の上に載っているだけ。
「はぁーあ。なんだかなぁ、もう」
次郎は先日、藤二の糾弾を受けてから妙に気分が落ち込んでいた。
己の本性を見抜かれたのもそうだが、それだけでは無く、あの当時でさえ自分の境遇を憐れんでいたということが、ショックだったのだ。
『僕はもう、アンタには出来るだけ関わらないようにする。今後の、土地神関係の話も、違う担当を回す…………だからもう、僕の目の前に現れないでくれ。僕は、アンタみたいな救われない存在は、耐えられないんだ』
長い糾弾を終えた藤二は、やつれたような顔でそう吐き捨てた。
次郎の前から立ち去った時、藤二の背中は頼りなさげに揺らいでいて、今にも折れてしまいそうだった。
あの藤二が、そこまで精神を削られてしまうのが、次郎の境遇なのである。
鏡花以外の全てをどうでもいいと割り切っている藤二でさえ、心が軋むほどの、救えなさ。鏡花への愛情以外、他者へ感情をほとんど向けない藤二が、溢ればかりの憐れみと嚇怒をぶつけてしまうほどの、憐れな存在。
それが、鈴木次郎だと、己自身だと理解――否、分かり切っていたそんなことを認めてしまったのだ。
「まったく、普通、万能天才のチートが居たら、美少女ハーレムが付き物だろうが。何、憐れまれているんだよ、俺」
今までは他人と自分を騙し騙しやってきたから、何とか前向きに生きられた。
少なくとも、次々に巻き起こるイベントを粉砕し、日常のために身を粉にしてまで尽すことが出来ていた。そうすれば、いつか救われるような気がして。
しかし、それは錯覚だった。
鈴木次郎は救われない。
愛を得ることは出来ない。他者を救うことは出来るが、他者に救われる資格は無い。
なぜなら、生まれる前から世界がそうであるべきだと、決定付けたから。
つまり、次郎は死ぬまで、『世界』の走狗である。
「…………そういえば、神って寿命あったか? いや、無いな。基本、誰かに討伐されるか、信仰を失うまで消えないなぁ」
さらに付け加えるのならば、次郎は人の身を捨てて、土地神へと成ってしまった。
この時点で、寿命で解放されることは無く。結局、存在がすり減って消えてしまうまで、拷問のように何かを救い続ける未来が確定されている。
在り方だけを称するのならば、それはもはや英雄を取り越して、聖人の様だった。ただし、世界から強制され、押し付けられた理不尽極まりない運命の皮肉でもあったが。
「………………今度こそ、独りぼっちか」
世界の干渉力は凄まじい。
次郎が己から日常を切り捨て、見知らぬ他者を救うと決めた瞬間、その日常と次郎の縁があっさりと切られてしまった。
元々、俗世から離れた存在になってしまったと言うのも理由にあるが、それでも、三か月経った今でも、旧知の存在が藤二と源蔵以外訪ねてこないのが、その証明だろう。
藤二は仕事柄どうしても次郎と縁を結ばなければならないので、世界は見逃していた。源蔵は、世界の干渉を斬り伏せて、強引に次郎の元までたどり着いた。
恐らく、その他の人間は次郎を訪ねてくることは無いだろう。
幼馴染の花子は世界の干渉に耐えられず、やがて次郎の事は忘却して日常に埋没していく。
従者の羅刹に至っては、心底次郎を畏れていたので、今頃次郎が居なくなって安堵しているだろう。
蓮花を含む、家族に関しては会いに来るとしてももっと先の出来事になる。何故なら、天津神の祖父から、次郎の行いは『邪魔をしてはいけない大切な行い』と家族に言い含められているからだ。例えるのなら、財閥の会長が、孫に子会社の一つを任せているようなものである。一人前の土地神としてやっていけるまで、家族の愛情で惑わせてしまわないように、厳しく律しているのだった。
もっとも、次郎が一人前の神になる頃には、家族のほとんどは寿命で死んでいるだろうが。
「月が、見えないな」
がらんどうの虚しさを抱えて、次郎は夜空を見上げる。
今宵は満天の星々。だが、不思議と月は見えなかった。どこを探して見つからない。
次郎は星が嫌いだった。群れているところが、嫌いだった。どれだけ手を伸ばしても届かないのに、輝いているのが苛立った。
どうせなら、夜空にぽつんと一つだけ浮かぶ月がいい。
月の美しさを眺めていれば、少しの間だけ、己の虚しさを忘れられるから。
「俺は、どうすればよかったんだろうなぁ?」
誰に問うでもなく呟いて、次郎は辛い酒を飲み干す。
いくら度数の高い酒を飲んでも酔えないが、それでも、自分に酔って胸の伽藍を紛らわすことが出来るから――――
「なら、共に世界の幕を下ろそうじゃないか」
聞き覚えのある声が、次郎の耳元で囁かれた。
それは、何時か次郎と交差した少女の声。
見知らぬ赤の他人だというのに、生まれた時からずっと知っているような既視感。
それが、示す意味はただ一つ。
「ご都合主義が乱用される舞台は見苦しい。いっそ、幕を下ろしてやるのも慈悲だと思わないかな? ご同類」
「…………お前は」
いつの間にそこに居たのかはわからない。
恐らく、次郎の様子を観測していた存在が居たとしても、まるでコマ送りの途中から画像を差し込まれたように感じるだろう。
「ふふふ、二度目まして。デウスエクスマキナの鈴木次郎」
次郎のすぐ隣に、寄り添うようにして喪服姿の少女が笑っていた。
美しくも、醜くも無い平凡な顔立ちの少女だった。
目を逸らせば、すぐに忘れてしまいそうな、ただ、そこにあるだけの存在。
ただ、不吉であるだけの存在が、そこに居た。
「私は『マクガフィン』の赤梨 朽名」
喪服姿の少女――朽名は薄く微笑んで告げる。
「醜い世界にエンドマークを打ち込むだけの、舞台装置だよ」
己こそが、次郎と対極に位置する破壊者なのだと。
●●●
こうして、世界破滅の七日間が始まる。
かつて神が七日で世界を創造したならば、同じ時をもって嘲笑おうという舞台装置の悪意によって、終末の喇叭は吹き鳴らされた。
これは、舞台装置と人間たちの戦いだ。
舞台装置は世界を駄作と判断し、終焉を呼ぶ。
主役、脇役、端役……全ての人類は役どころに構わず、終焉に抗う。
世界四度目の危機。
されど今回、英雄は現れない。
ご都合主義の展開は訪れない。
あるのは、
「さぁ、蹂躙劇を始めよう!」
残酷な審判のみ。




