第16話 流れろ、罪よ
「以上で俺からの説明は終わりだ…………さぁ、そろそろ覚悟も出来ただろう」
一部を除き、全ての真実を次郎は蓮花に語り終えた。
柏木美月の魂は邪神の物であると。
その邪神はかつて、世界を滅ぼそうとした残虐なる存在だと。
そして――――最後の最後に次郎が魂だけを取り逃がしたということを。
「いくら世界各地を探しても反応が無かった。てっきり、宇宙の果てにでも逃げたのかと思ったら、そうか、そうだったか。お前……時間軸と共に世界線もずらしたんだな?」
「…………うぅ」
殺意の込められた次郎の声を浴びせられ続け、もはや、美月は顔面蒼白だ。気を抜けば、直ぐに貧血で気を失ってしまいそうなほどに。
「まず、俺の追跡から逃げるために異世界へ跳躍。その世界線で、過去に飛んだ。いや、転生として魂を捻じ込んだのか? 輪廻のシステムに…………いや、どうでもいいか」
「ひっ」
美月の喉の奥から、絞られた小さな悲鳴が上がる。
奥歯がかみ合わない。足元がおぼつかない。指先が震える。視界が歪む。
死が……魂さえも殺す紅蓮の戦士が、美月の眼前で静かに右腕を上げた。
「来い、滅びを担う枝剣」
かつての決戦の時よりもはるかに早く、はるかに強力な紅蓮の枝剣を次郎は創り出す。
美月はそれを見た瞬間、確信した。自分の魂は、此処で滅ぶ宿命なのだと。もはや、乾いた笑いさえ浮かんできそうなほどの絶望。
思い出すのは、千年の拷問。
人を狂わせ、絶望させる邪神だったかつての美月が、存在してから初めて狂い、絶望してしまった記憶。何度転生を繰り返しても、魂に刻みついて癒えない傷。
「せめてもの慈悲だ。何か言い残すことはあるか?」
次郎の問いに、美月は静かに頷いて微笑んだ。
今にも、泣き出してしまいそうな微笑みだった。
「――――――どうか、一思いに」
「了解した」
躊躇うことなく、紅蓮の枝剣は振り下ろされた。
時は流れたが、ここに、断罪は成立された。後は、罪深き者が、魂ごと焼き尽くされ、滅却されれば、万事解決である。
次郎が経験した、かつての物語の幕を、ようやく降ろすことが出来るのだ。
「させるかぁあああああああ! この馬鹿兄ぃ!!」
だが、その幕を無理やり破り捨てて、終わりを望まない者が居る。
鈴木蓮花。
次郎の妹にして、美月の友達である。
蓮花は、美月が焼き滅ぼされるのを良しとはせず、完全に隙だらけだった次郎の横っ腹を全力で蹴り飛ばしたのだった。
その威力たるや、装甲が砕け、次郎の肋骨が何本か逝ってしまうほど凄まじい。次郎がとっさに踏ん張っていなければ、そのまま数キロは住宅を巻き込みながら吹き飛ばされていただろう。
「…………妹、何の真似だとは言わない。ああ、お前が邪魔をするのは予想していた。一発ぐらい、攻撃をくらってやるのも予定通りだ…………だが、近所迷惑になりそうな勢いで蹴りを入れられたのは予想外というか、マジでやめろ!」
「嫌だ! 兄さんの考えが変わらない限り、私は全力で兄さんを止める!」
「止めるのは良いが、少しは加減しないと周りがやばいと言っているのだ、この馬鹿妹ぉ!」
蓮花は既に次郎の話を聞いていない。
自分が次郎に美月を紹介しようして起こってしまった悲劇だ。ならば、自分が何としてでも止めなければならないと、兄を物理的に止めようと意識を集中させてしまっている。こうなってしまうと、もはや次郎が何を言っても耳を貸さないだろう。
対して、宿敵が目の前に居るとはいえ、次郎には良識と常識が残っている。流石に、自分と妹がここで本気で喧嘩を始めれば、洒落にならない死者が出ることがわかっているのだ。故に、異空間を作成して、そこで決着をつけようとしているのだが、
「隙ありぃ!」
「くっ、この! 俺が余波を殺さなきゃ、周りごと吹っ飛ぶような攻撃はやめろ!」
この通り、少しでも次郎が意識を蓮花以外に裂いた場合、その隙を見逃さず攻撃されてしまう。しかも、蓮花の攻撃はどれも一撃が重い。下手をすれば、本気形態である今でも、一発で伸されてしまうほどに。
「…………どう、して?」
そして、一人状況に取り残されてしまった美月は、ぽつりと疑問を呟く。
「どうして、私なんかのために?」
わからなかったのだ。
美月は、どうして蓮花が己のために戦ってくれているのか、本当にわからなかったのだ。
●●●
柏木美月は、邪神ニーアの魂が四度目の輪廻で得た人生である。
一度目の輪廻では、生まれたと同時に、肉体が魂のトラウマに耐えられず発狂死。
二度目の輪廻では、ニーアとしての記憶を封印し、心身が成熟した頃、自動的に記憶を取り戻す手はずとなっていたのだが…………やはり、記憶に耐えられず、発狂死。
三度目の輪廻で、ようやくニーアは悟った。これはきっと、次郎の呪いなのだと。ニーアの人格を保ったまま、転生しようとするから、失敗する。ならば、記憶と僅かに残った力だけ託して、ニーアという人格を消してしまおうと。狂人として生涯を送った後、晩年に正気を取り戻し、そう決意したのだった。
四度目の輪廻。
そこでようやく、ニーアの魂はまともな人格を――柏木美月という存在を確立することが出来た。と言っても、既に邪神の力などは小指の先ほども無く、記憶の大部分も薄れてしまっていた。この時点でもう、ニーアと美月は完全な別人だったのである。
だからこそ、美月は己の魂の罪深さに、絶望していた。
記憶が劣化しているので全てを思い出したわけでは無い。だが、かつての己がやっていた所業は、確かに千年間殺され続けるのにふさわしい邪悪さだった。
故に、美月は幼くして決意する。
「私の生涯は、罪を償うために使おう」
己は罪人だ。
だから、己の人生の全ては懲役である。
己を愛する者など存在しない。
なぜなら、己は魂が汚れている。
繰り返される自己否定と、自己嫌悪。
その中で、美月は微かに残った邪神の力を使い、己が悪を尽くした世界に転移する。元の世界の家族や、友達に未練など無かった。なぜなら、自分一人が居なくなったところで、悲しむ者など皆無だろうから。
幸いなことに、残った邪神の力を使えば、戸籍と最低限の生活環境ぐらいは整えられることが出来た。
「ああ、やっとこれで罪を償うことが出来る」
それからは、心が楽だった。
ただ、己を顧みずに動けばいい。困っている誰かを助けよう。泣いている人が居たら、涙を止めよう。お腹を空かせている人が居たら、分け与えよう。
そうすればきっと、少しずつでも汚れた魂が罰せられるはずだと。
美月はずっと、囚人として人生を過ごすつもりだったのだ。
だから、美月は今、不思議で仕方ない。
どうして自分のような汚らわしい存在を助けてくれるのだろう? と。
●●●
「そんなもの! 友達だからに決まっているでしょうがっ!!」
呟かれた美月の疑問に対して、蓮花は吠えるように答えた。
「美月の魂がどうとか! 前世がどうとか! 邪神とか、罪だとか! そんな物、全部、今は関係ない! 関係あるもんかぁ!」
「ぐっ――」
部屋全体が……いや、家全体が鳴動するほどの声量で叫び、蓮花は拳を振るう。
それはただ力を込めただけの、技術も何もない、暴力の拳。されど、それが休む間もなく、嵐のように繰り出されれば、充分に脅威だ。
周囲に被害を及ぼさないように気を張っている点を差し引いても、蓮花は今、次郎を圧倒していた。
「友達が殺されそうになっているんだよ!? 助けるよ、そりゃ! 助けられる力を私は持っているんだから、助けるよ!」
「ぐ、が……だがな、妹! それでは、こいつに弄ばれた者はどうなる? 罪には罰を。これは絶対のルールだ!」
「知るか! 馬鹿の私に難しいことを言うなぁ!」
鈴木蓮花は馬鹿だ。
兄である次郎の聡明さをまったく受け付けず、テストも赤点だらけ。補修や追試の常連だ。
けれど、馬鹿であっても、蓮花は本当に大切な事だけは間違えない。
このような時、自分が何を為すべきかを、絶対に間違えない…………そして、躊躇わないのだ。
「蓮花ちゃん。もういいよ、もう……だって私は――」
「うるさぁい! ネガティブな美月は黙ってろ! 後で殴って根暗を治してやるから、待っていろ!」
こうなった蓮花はもはや止まらない。
例え、己の力で拳が砕けようが、次郎の纏う紅蓮で体が焼かれようが構わない。
そんなもの、目の前で友達が殺されるより、ずっとマシなのだから。
「――いい加減にしろ、蓮花」
しかし、ここで次郎も堪忍袋の緒が切れた。
流石にずっと全力の拳を受けるサンドバックになっていれば、次郎の理性も怒りで焼かれる。
「お前が世界の中心じゃない。誰にだって、大切な者は居たんだ……それを踏みにじったのならば、罰を受けなければならない」
怒りによって次郎の冷徹な部分が起き上がった。
次いで、己の理を、『愛を嗤う』理を展開し、蓮花の力を根こそぎ奪い取る。残酷な理さえ用いて、断罪を執行せんとする。
「うるさぁああああい! 私は私の世界の中心だ! 私が、私の大切な者を守って、何が悪いんだ、馬鹿兄ぃ!」
その残酷な理ごと、蓮花の拳が次郎の鎧を完全に砕いた。
力任せに。
相性やルールなどを全て置き去りにする、圧倒的な力が込められた一撃によって、理不尽を破壊したのだった。
「はぁ……はぁ、はあ」
次郎を打ち倒した蓮花は、荒い息をそのままにして、歩き出す。
全力を出し切って、足元がおぼつかないが、それでも、真っ直ぐに、友達の――美月の元へ。
「…………蓮花ちゃん、私は、私は……どうしたら、いいのかな?」
美月の両眼から、静かに涙は流れていた。
いろんな感情が美月の胸の中で渦巻いて、抑えきれないそれが、涙となって溢れ出たのだろう。だから、その涙はとめどなく流れていくのだ。
「だって、私、汚れているもん。罪深いし。魂から、どうしようもないんだよ? 聞いてたでしょ? 私が昔、とっても悪いことをしたって。だからね? 私は、贖わなきゃいけなかったんだ。さっき、殺さなきゃいけなかったんだ…………なのに、私は今、生きてる」
肩を震わせて泣いている美月の元へ、やっと蓮花は辿り着いた。
なら、やることは決まっている。
「ねぇ、蓮花ちゃん。私……生きていていいの?」
「当たり前だよ、美月。だって、君は柏木美月じゃないか」
正面から美月を抱き寄せ、蓮花は優しくその頭を撫でる。
「ニーアなんて邪神じゃない。君は柏木美月――――私の友達だよ」
蓮花が告げた、優しい存在証明。
それを受けて、美月はしばらくの間、声を上げて泣き叫んだ。
さながら、生まれ落ちた赤子のように。
今やっと、柏木美月として生まれることが出来たかのように。
「…………負けた、か」
次郎は仰向けに倒れたまま、傷の痛みに任せて脱力した。
兄妹喧嘩はよくあるが、真剣勝負で負けたのは本当に久しぶりだった。
「負けた……ならいい。妹、お前の好きにすれば、いいさ」
泣き叫ぶ美月を、力強く抱きしめる蓮花。
その姿が、友情が、次郎にはとても眩しく思えて、思わず目を細める。
それはきっと、どれだけ足掻こうが、次郎には手に入らないものなのだから。
「…………それはそうと、片付けだけはしっかりやれよ、ガチで」
次郎はゆっくりと瞼を閉じ、意識を闇に沈めた。
最後の一撃の余波で、青空が見えるようになってしまった天井は、妹に責任を取らせることにして。
今はただ、久しぶりの敗北に身を委ねることにした。




