18.大切な助手
”痣の魔女”は、こちらを睥睨しながら、嘲るように話しはじめた。
首だけのまま。
この首は一体、どんな理屈で言葉を発しているのだろうか。……いや、もしも何らかの魔法を使っているのであれば、一般的な道理が通用しないというのはすでに体験済みだし、これが清掃員の言っていた”痣の魔女”なのであれば、首だけになった死体が喋り出す程度のことは、造作もないことなのかもしれない。
なんせ、りんごさんいわく。
”魔女”は――魔法の熟練者なのだから。
「この男が短い時間に魔法を連発し、魔力を無駄に消耗していてな。何事かと思って、見にきてやったのだ。そしたら貴様らと戦っていたから、退屈しのぎにそれを見物していたのだが……。結果はこのザマ。
それも止む無し。こやつは所詮『魔法式』しか覚えられなかった無能だったし、向上心の欠片もない、肉欲に溺れただけの屑だった。魔法も使えぬ貴様らに負け、私のことまでべらべらと喋る始末……」
「だから殺したのですか?」
りんごさんは、相手の出方を慎重に窺いつつ訊ねた。
「ああ。こやつの醜い欲望は、何かに利用できるかもと思って泳がしておいたが……まあ、ここいらが潮時だな」
しかし――と、”痣の魔女”は、りんごさんを興味深そうに眺める。
「態々《わざわざ》見にきた甲斐があったな。お前のその心臓……それは『魔女の心臓』だな? しかも”魔女”が作った自律人形ときたもんだ。これは、とんだ掘り出し物が出てきたなあ?」
彼女は醜悪な笑みを浮かべながら、舌なめずりをしていた。
「これなら、私の『入れ物』に丁度よさそうだ」
「……?」
入れ物?
彼女は何を言っているんだ?
……いや、それよりも。
正直言うと、ぼくは”魔女”の圧倒的に不気味な雰囲気に吞まれつつあった。隣にりんごさんがいてくれなければ、すでに女性恐怖症によるパニックで気絶していたかもしれない。
少しまずいな……。
りんごさんは、この窮地を脱する策を何か考えているのだろうか?
当のりんごさんは、少なくとも表面上は毅然とした態度で”痣の魔女”に対峙する。
「”痣の魔女”。……あなたはこの心臓の持ち主である”魔女”のことを知っていますか?」
「知ってたら何だ?」
「わたしが欲しているのはこの心臓に関する情報です。あくまでわたしの『目的』は”魔女”に関する情報を知ることです。別に”魔女”を倒すことではありません。情報さえ教えてくれればわたしはあなたと無意味に争うつもりはありません」
「争うつもりはない、か。……くくく。随分と上からの意見じゃないか。まるで戦ったから、自分が勝つと言わんばかりの言い草だな」
「…………」
「それに。私が一方的にそちらの要求を飲むだけじゃあ、私に得がないじゃないか。そんな一方的な取引、応じるわけにはいかないな」
「得……」
りんごさんは口に手を当て、少し考え込むように俯いた。
「なにかお困りごとでもあるのですか? こう見えてもわたし探偵をやっているんです。ですからもしかしたらあなたの期待に添えられるかもしれませんよ」
「……そうだな、それじゃあ」
不意に。
”痣の魔女”の鋭い眼光が――ぼくに向いた。
「この男が欲しい」
「……え?」
唐突な指名に、ぼくは石像のように固まってしまった。りんごさんも予想外の展開に唖然としていた。
「この死んだ男の『記憶』をちょいと探らせてもらったが……お前。とても不思議な体質をしておるな。お前のその魔法を無効化する能力……こいつはもしかしたら、来たる≪魔女戦争≫にとっての重要人物になるやもしれん」
言っている間に、床に散らばっていた大量の血液が、清掃員だった頭部――”痣の魔女”の元に集まってゆく。血液が彼女に集まっていくと、頭部から胴体、四肢と、順々に真っ赤なシルエットが生まれ、やがてそれが成人女性の身体へと変化していく。気づいたときにはすでに顔も変化しており、長い髪がそれを覆い隠していた。そして身体が完全に形成されると、彼女は立ち上がり、ゆっくりとぼくに向かってきた。
「……ですが彼はまだわたしの」
「それくらいいいであろう? 所詮この男はただの依頼人。お前とはそれだけの関係なのだから。それに、すでに事件の謎は解けていて、固体硫化水素という物的証拠もあり、真犯人は死んだ。この死体もあとで私が消滅させておくとしよう。つまり、この男の容疑は晴れたも同然だ。したがってこれ以上、お前に付き従う必要はないだろう?」
「…………」
「なあに、悪いようにはせん。なあ? お前もそれで問題ないだろう?」
ぼくの目の前で立ち止まると、”痣の魔女”は右手でぼくの頬をなぞるように添えた。
「……あ」
ぼくは彼女に対し、返事をすることができなかった。
恐怖。
あのとき――水を操る彼女と対峙したときとは、比べものにならないくらいの「恐怖」を、ぼくは抱いていた。
全身の毛穴から、汗が付着した血を洗い流す勢いで噴き出してくる。呼吸は大きく乱れ、空気を吐き出すばかりで吸うことができず、どんどんと呼吸が早くなる。ほとんど過呼吸に近かった。手の痺れと吐き気、尋常じゃない悪寒に襲われる。
すでに、まともに立つことすらままならない状態だった。
「あ……ああ……」
「門間さん!」
りんごさんがぼくを助けようと、”魔女”に日傘を叩き込もうとして――
「――やめておけ」
”痣の魔女”が、それを制した。
「お前がこの男と一緒にいても、いいことなんて何もないぞ。その証拠にこの男は、お前に嘘を吐いている」
「……嘘?」
「ああ。『信頼できない語り手』という奴さ。それに、依頼人が嘘を吐くのは、探偵ものではよくあることなんだろう?」
そう言うと”魔女”は、彼の記憶を思い出すように眉根を顰めた。
「エレベーターの七階で見た清掃員の記憶――固体硫化水素を回収するため、急いで右側から左側エレベーターに移ったときの、奴の目に映った光景だよ」
「清掃員が見た光景?」
「ああ。奴が筐体内で見たもの。それは意識がばっちりあったこの男の姿さ」
「意識が……あった……?」
「…………」
こちらを向いたりんごさんの視線から逃げるように、ぼくは目を伏せた。
そう。
ぼくはあのとき、エレベーター内で意識を失ってなどいなかった。
ただ黙って、倒れた振りをしていたのだ。
「でもどうして……そんなことをしたのですか? 犯人の顔を盗み見るため?」
「違うな。こいつは犯人に背を向けて倒れていた。それに筐体内には鏡の類もなかったし、こいつは犯人を直接見たわけではないだろう。犯人がわかっていたら探偵なんかに依頼せず、警察に直接言えばいいだけだからな。だから『真犯人を探してほしい』という依頼自体に、嘘はない」
「では門間さんは一体どんな嘘を?」
「この男は、窒息した女性二人を――見殺しにしたのだ」
彼女のその言葉に、ぼくが心臓を貫かれる想いがした。
「見殺し? でも彼女たちの死因は硫化水素による窒息死……あ……」
「魔法の硫化水素な。お前。さっきこの男と口づけをしていたな。そのときに気づかなかったか――己の身体の異変に」
「『魔法不干渉』……」
りんごさんは、何かに気づいたように顔を曇らせた。
「そう。この男の『魔法不干渉』は――魔法そのものを無効化するだけではなく、触れた相手にも同じような効果を発揮するのだ。現に今、魔法によって形成されている私は、こいつに頬に触れた途端、ぼろ雑巾のようにずたずたになったしな」
ぼくに触れていた彼女の右手は、溶けた蠟のように爛れていた。
「この男は最初から――水を操る魔法使いに襲われたときから、何となくわかっていたんだよ。自分の『魔法不干渉』の真髄に。そしてこいつは、探偵事務所で事件の真相を聞いているうちに気づいたのだ。あのとき――彼女たちが完全に窒息する前に、その手で触れていれば助かっていたかもしれないという事実に」
「だけど門間さんは――極度の女性恐怖症だった」
りんごさんは、目を細めながら言った。
ぼくはあのとき――満員のエレベーターの中で、半歩下がって、壁際に寄りかかり、誰にも触れないようにしていた。……いつものように、女性を遠ざけて。
『女難の相』が原因で女性が苦手になり、それゆえに意図的に距離を取ってきた。
それが原因で、二人を助けられなかったことに、薄々ではあるがぼくは最初から気づいていたのである。
だからぼくは気を失ったふりをして、彼女たちを救うことができなかった自分を演じた。
『手を伸ばそうとして――その手を止めた』。
この描写も、咄嗟に吐いた意図的な嘘だ。
「さっき、液体硫化水素を全身に浴びたお前を抱き起こそうとした直前にも、同じように手を止めていたな。なにかに理由をつけて言い訳しているが、はじめから女体に触れる気はなかったというわけだ」
”魔女”は、ぼくの額に手を当てながら言った。
もしかしたら、清掃員のように記憶や感情を読み取られているのかもしれない。
「これでわかっただろう? この男と一緒にいてもいいことなんて何もないと言った私の言葉の意味が。この男は自分の行いを正当化しようと、平気で嘘を吐く男なのさ。どうせこの先、同じようにお前が窮地に追い込まれたとしても、こいつがお前に手を差し伸べることは――絶対にない」
「…………」
「だから大人しく、この男を私に引き渡せ。そうしたらお前が知りたがっている”魔女”の情報を教えてやるぞ」
「それは……」
りんごさんは口に手を当て、一度考える素振りをしてから、
「いい交換条件ですね」
と、前向きな調子で言った。
「…………」
彼女にそう言われて、ぼくは肩を落とした。
……いや、ぼくにりんごさんの行いを非難する資格などない。
先に信頼関係を裏切ったのは、ぼくのほうなのだから。
「ですが――その申し出はご遠慮しておきます」
しかしりんごさんは、あっさりと”魔女”の提案を却下した。
「……それはなぜだ?」
「探偵としての矜持ですよ。わたしはまだ依頼人である彼のご希望に応えていませんから」
「だからそれは、もう終わったことだろう」
「それに。彼はもう依頼人という立場だけの方ではありません」
「どういうことだ?」
りんごさんは、一呼吸置いてから。
「彼は探偵の――大切な助手となる方なのですから」
彼女は、はっきりと断言した。
「……えっ!?」
言われて、ぼくは反射的に彼女を見る。
「そうですよね?」
彼女は、それが以前から取り決めてあった事柄であるかのような口振りで、ぼくに同意を求めてきた。
「え……あ、いや……そんな話は別に」
「そうですよね?」
「……はい。仰る通りです」
ぼくの――花園探偵事務所への内定が決まった瞬間だった。
しかし、ぼくの勝手な入社をみすみす見逃す”魔女”ではない。
「……おい、話を勝手に進めるな。こいつは私が預かっておくと言っただろう」
”魔女”が、ぼくの首元に手を伸ばした――
「――駄目ですよ」
ぼくの首元に魔女の魔手が忍び寄ろうとした刹那、りんごさんが日傘で一閃――その手を払った。蠟のように爛れていた手は切り取られ、ぐちゃっと鈍い音を立てながら、床に落ちた。彼女の手だったものは、ただの液体の血に戻り、そのまま床を濡らした。
そして。
”魔女”の手を日傘で追い払ったりんごさんは、逆の手を――ぼくに向けて差し出した。
「では。これからよろしくお願いしますね」
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ぼくは差し出された手を――固く握った。




