【第22話】「そのままでいい」
……なんだか、視線を感じる。
顔を向けると、また《狂刃》先輩と、目が合った。
朝の食堂。
しばらく留守にしていた《狂刃》先輩が帰ってきたことで、食堂にも見慣れた光景が戻る。
でも、今日はその視線が、やけにこちらに向けられている気がした。
まるで、何か変わったところがないか、確かめるみたいに。
「なに、会えなくて寂しかったの?」
別のテーブルで食事していた《毒蛇》先輩が、からかうように言う。
「……うるせぇ」
《狂刃》先輩はそんな《毒蛇》先輩を横目でじろりと見て、食事を続ける。
食べているのは、また牛肉の煮込みだった。
《毒蛇》先輩はそんな《狂刃》先輩を一瞥してから、席を立つ。
――その視線が、一瞬だけ、僕に向いた。
朝の手伝いが終わったら、次は装備の手入れだ。
《狂刃》先輩は食べ終わっている様子なのに、なぜかまだ席に座っていた。
「《狂刃》先輩の斧も、手入れしてきます」
任務から帰ってきた暗殺者たちの装備の手入れも、仕事のうちだ。
声をかけ、武器庫へ向かおうとする。
すると、《狂刃》先輩が立ち上がった。
「……俺も行く」
「え?」
「大事な得物だからな」
……僕がちゃんと手入れできるか、気になるのかな?
そのまま、一緒に武器庫へ向かう。
《狂刃》先輩の大きな斧が、壁に掛けられていた。
刃の部分に、乾いた血が沢山こびりついている。
手に取ろうとすると、ずしりと重い。
「……落とすなよ」
後ろから手が伸び、ひょいと斧を持ち上げる。
そうして、僕が作業しやすいように、床に置いてくれた。
「ありがとうございます」
こんなに重い武器を、《狂刃》先輩は片手で振り回しているのか。
「《狂刃》先輩は、力持ちですね」
「別に普通だ」
ぶっきらぼうな声。
僕は武器庫の備品から、布と砥石を持ち出し、斧の手入れを始める。
……でも、《狂刃》先輩は、なぜかその場から動かなかった。
仕事をしている僕の姿を、じっと見ている。
疑問に思って、僕は問いかけた。
「……あの、訓練とか、しなくていいんですか?」
「今日は休みだ」
言われて、目を丸くする。
「お休みなのに、ギルドに来たんですか?」
僕の言葉に、《狂刃》先輩は視線をそらし、小さく舌打ちした。
「……暇だったからな」
「そうなんですね」
そしてまた食堂の手伝いに戻り、一日の仕事が終わる。
もう帰ったと思っていた《狂刃》先輩は、いつもみたいに、食堂にやってきた。
「あれ?まだいらっしゃったんですか?」
……せっかくのお休みなのに、一日中ギルドにいるくらい、暇だったんだろうか。
「……別にいいだろ」
《狂刃》先輩は、苦い顔で呟く。
そして、食堂を見渡し――
僕に視線を戻すと、ぽつりと言った。
「……たまには、外で飯、食うか」
《狂刃》先輩から外食に誘われたのは、初めてだ。
僕は頷く。
「はい、準備してきます」
僕は、急いで寮の自室に向かった。
服を着替え、髪を整え、鞄を持つ。
「お待たせしました」
足早に食堂に戻り――《狂刃》先輩に向かって、微笑んだ。
その瞬間。
ギルドの視線が、なぜか僕に集中した。
みんな驚いたような顔で、僕の姿を見ている。
「……は?」
「あれ、《天然》だよな?」
「……普通に、可愛くないか」
そんな囁き声が聞こえてくる中で。
《狂刃》先輩も、目を見張り、僕の姿を凝視していた。
でもその視線は、他の人たちのものとは、どこか違う。
「……お前、なんだ、それ」
「ちゃんとしてきました」
「……ちゃんと?」
《狂刃》先輩が、眉をひそめる。
でも、こちらに向けられる視線が気になるかのように、すっと踵を返した。
「……行くぞ」
外に出ると、時折、道行く人の視線を感じた。
《狂刃》先輩が舌打ちする。
「おい、もっと近くに来い」
「え?」
「危ねえだろ」
……危ない?
僕は、辺りを見回す。
「……危険なものは、特にありませんが」
「お前のことだ」
「僕ですか?」
きょとんとして《狂刃》先輩の顔を見る。
《狂刃》先輩は溜息をつくと、僕の腕を引き寄せた。
少しだけ距離が縮まり、《狂刃》先輩がぼそりと呟くのが聞こえる。
「……次は、もっと適当な格好で来い」
大きな手が、整えた僕の髪を、くしゃりと撫でた。
……適当な格好って、どんな格好だろう。
「お前、何が食いてぇ」
「僕ですか?《狂刃》先輩の食べたいものでいいです」
唐突に聞かれ、即答する。
《狂刃》先輩は僕の答えに、また小さく眉をひそめた。
「……なら、何でもある店にするか」
《狂刃》先輩に連れられて着いたのは、大通りに店を構える、大衆食堂だった。
《気まぐれ店主の創作料理店》と書かれた看板が掲げられている。
店内は、ざわめきと笑い声に満ちていた。
麦酒を掲げ、大きな声で雑談を交わしている人たち、楽しげに食事をしている男女、ひとりで黙々と食事をとっている人など、色々な客がいる。
《毒蛇》先輩に連れて行ってもらった店とは、全然雰囲気が違った。
《狂刃》先輩は慣れた様子で空いている席に座り、メニューを広げる。
食べたいものがすぐに決まったのか、メニューを僕に向けて差し出した。
「お前はどうする」
僕は、すぐに答えられなかった。
メニューに、数え切れないほどの料理名が、びっしりと並んでいたから。
「……何を食べたらいいでしょう?」
尋ねると、《狂刃》先輩は不思議そうな顔をした。
「は?好きなもん食えばいいだろ」
「いつも、出されたものを食べていたので」
「……」
《狂刃》先輩は僕の顔を見て、しばらく沈黙した。
やがて、ふと口を開く。
「……なら、名前で気になるやつ、適当に選べ」
僕は言われた通り、メニューを順番に見る。
そこに書かれていた料理名は……
《毒蛇》先輩に連れて行ってもらった店とは別の意味で、よくわからなかった。
首を傾げながら、《狂刃》先輩に尋ねる。
「《終わらない焼き飯》……終わらないんですか?どれだけ出てくるんでしょう」
「……真面目に考えなくていい」
他のメニューにも目を通す。
「《爆裂肉団子》……爆発するんですか?」
「しねえだろ」
「《秘密の黒い塊》……何なんでしょうか」
「……もう売る気ねえな」
どれを見ても、どんな料理か想像もつかない。
そのとき、ふと目に留まるものがあった。
「……じゃあ、これにします」
僕は、ひとつの料理名を指差した。
《処刑人の火炙り定食》と書かれている。
「……それか」
「強そうだったので」
《狂刃》先輩は一瞬何かを考えるような表情になったけれど、何も言わずに、料理を注文した。
しばらくして、頼んだ料理が運ばれてくる。
「へい、お待ち!!」
店主の威勢のいい声とともに、僕の前にドン、と置かれたのは――赤一色の定食だった。
ご飯も、スープも、卵焼きも、唐揚げも、とにかく赤い。
「……赤いですね」
《狂刃》先輩が、料理と僕を見比べる。
「……食えるか?」
「注文したので」
自分で頼んだのに、残すわけにはいかない。
僕は、赤色のスープを、一口すすった。
「……」
「おい、大丈夫か」
《狂刃》先輩が、慌てた様子で水の入ったグラスを差し出す。
「涙目になってるぞ」
「もったいないので」
僕は、もう一口、スープをすする。
「……はは」
《狂刃》先輩が、そんな僕を見て、笑った。
「ほんと、律儀だな、お前」
……初めて見る、柔らかい笑顔だった。
「こっち食え」
そう言って、自分の料理を、僕の前に置く。
「え?でも」
「そっちは、俺が食う」
《狂刃》先輩は当たり前のように、僕の頼んだ料理を取り上げた。
「《狂刃》先輩の料理は……」
「《爆裂肉団子》だ。食ってみろ」
――爆発は、しなかった。
ギルドへの帰り道。
「美味かったか?」
「はい、爆発しなくてよかったです」
「まだ言ってんのか、それ」
何気ない会話を交わしながら歩いていると、《狂刃》先輩の声の温度が、ふと変わった。
「……お前」
「はい?」
「今日、なんでそんな格好してきた」
僕の姿を、じっと見る。
《毒蛇》先輩から買ってもらった服に、整え方を教えてもらった髪。
「あの笑い方も、まるで……」
何かが、引っかかっているような声。
僕は、思わず問いかけていた。
「……何か、変でしたか?」
「は?」
「おかしくないようにと、思ったのですが」
「……」
《狂刃》先輩が、わずかに目を見開く。
そして、納得したように、小さく息を吐いた。
「……だからか」
《狂刃》先輩は立ち止まると、僕に向き直った。
手が、僕の両肩に置かれる。
「……いいか」
《狂刃》先輩の金色の瞳が、僕をまっすぐに見た。
肩に置かれた手に、わずかに力がこもる。
「そのままでいい」
その口調は、以前食堂で聞いた時よりも、強かった。
「お前は、お前のままでいい」
「……」
「……無理すんな」
真剣な表情。
どう答えたらいいのか、わからなかった。
それならどうして、僕は《断罪》先輩に、あんな顔をさせてしまったんだろう。
何も言えずにいると、《狂刃》先輩が、ぼそりと言った。
「そのままのお前……俺は……わりと、気に入ってる」
「……え?」
肩から、手が離れる。
「……また、飯、行くか」
《狂刃》先輩が、小さく笑った。
その顔を見ながら、僕は、ぼんやり考えていた。
「そのままでいい」……《狂刃》先輩の言葉は。
恋人じゃないから……なのかもしれない。
「じゃあな」
「はい、ありがとうございました」
《狂刃》先輩と別れて、僕は寮に繋がる渡り廊下を歩く。
すると――
《毒蛇》先輩が、廊下の壁にもたれていた。
僕の気配に気付いたのか、顔を上げる。
「遅かったね」
……あれ?
「……今日は、約束していませんでしたよね?」
「うん、そうだね」
一瞬、約束を忘れてしまったのかと思ったけれど、《毒蛇》先輩は頷いた。
「……でも、いいでしょ?」
僕の顔をじっと見て、微笑む。
そのまま、《毒蛇》先輩は、こちらに手を差し伸べた。
「……おいで」
僕は、その声に導かれるように、《毒蛇》先輩に寄り添う。
「……はい」
教わった通りの笑顔で、微笑む。
これが「恋人」としての振る舞いなのだと、《毒蛇》先輩が教えてくれた。
「おかしくないよ」と言ってくれた。
だから、これできっと――間違っていない。




