招かねざる刺客
時刻は夜の六時くらいだろうか。悪天候も相まって、宿の窓から見える景色には闇が広がっている。
しかし、屋外は異様な賑々しさを呈していた。
室内から耳を澄ますだけで、大勢の人が街を歩いているのが分かる。夜の外出に積極的ではないアダルアの民らしからぬ挙動だ。きっと、戦後初となる来賓を、その目に焼き付けるためだろう。
「いくらなんでも、遅いな……」
ナワテらの帰りが遅い。昼にここを出発したはずが、今の今まで音沙汰一つない。
キースの言っていた式典は、もうまもなくのはずなのに。
…… おかしい。
理由はわからない。無事だと願いたい。
しかし、昼に交わしたスレタとの会話を思い出すと、吹き出る焦りは拭えない。
ナワテは、マーガレット・ベルルックサリーの息子なのだろうか。だとすれば、彼は今、危険な状態にあるといえる。マーガレットは、かつてのアダルア王──上王に命を奪われかけた。その彼女の息子に白羽の矢が立つことは、なんら不思議な流れではない。現在、ナワテが王宮に出向いているのが、その上王の要望なのだから尚更だ。
胸を騒がせる不吉な予感を声に出せない二人。
よって長らく、この部屋では無言が鳴り続いている。
そんな時だった。
それまでことりとも音を発さなかった入口のドアから、
コンコン──。コンコン──。
と、ノックの音が鳴った。
「あっ、ナワ……っ!」
「まて」
スレタにはその音が、いつ帰ってきてもおかしくないナワテたちによるものだと思った。
そんな早とちりをするスレタの口をスッチが手で抑える。
……おかしい。キースからはなにがあっても出るなと言われている。
その言いつけを守り静観していると、ノック音が激しくなった。
ドンドンドンドンッ! ドンドンドンドンッ! ドンドンドンドンドンドンドンドンッ!
この荒い叩き方、……やはりナワテたちではない。考えたくはないが、招かれざる刺客である可能性は否めない。
スレタもそのことに勘付きだすと、二人のいる部屋内に緊張の糸が張り詰めた。
刺客ならば十中八九、上王の命を受けここに来ている。おそらくプロ中のプロ。スッチの経験上、敵が二人以上なら万事休す、だ。
この窮地を切り抜ける方法があるとすれば……
答えは一つしか残されていなかった。
「スレタ。逃げるで」
「ふぁ、どこから?」
「窓に決まっとるやろ」
スッチは、紛うことなく逃げる決断をした。
すぐさま窓から顔を出して外界を覗く──。
だが、その瞬間にスッチの背筋が凍りついた。
「し、しまった。ここ二階やった」
「どったん? もしかしてスッチ。高いところ、怖いの?」
「…………」
「ださ」
「うるさーい!」
二人は絶体絶命の危機にあるまじき、可愛い口論を繰り広げている。
そんな最中、突如二人の耳を割くような爆発音が鳴り、部屋内に爆風が吹きすさんだ。
……爆風が止むと、二人は状況を確認するためまぶたを開いた。
爆発音がした玄関付近に目をやると、そこにはホコリの靄がかかっていた。視界はおぼろだが、入口のドアが破壊されていることは分かる。
「スレタさまぁ。お迎えにあがりましたぁ!」
「ふぁ?」
破壊された入口付近から、スレタの名を呼ぶ若い女の声が聞こえた。
やがて派手な登場シーンを演出するように霧が晴れ、刺客がその姿を見せる──
そこにいたのは男女二人組。二人とも独特の服装で、東洋チックな着物を身に纏っていた。
男のほうは、漆黒の袴姿。栗色の長髪。ハットを目深く被っているため容姿はよく見えない。
女は金髪ツインテール。妖艶な顔立ちながらメイクもしっかりしていて、アイラインによって縁取られた目力は半端じゃない。プロの殺し屋にあるまじき、やけに派手ないでたちだ。
殊に女の着物は華やかで、赤と白の幾何学模様の布で設えられた振袖を着用している。
実に艶めかしい女だと、平生ならそう見えたはず。だが、この暗闇の中では妖しげにさえ映る。振り袖の布が放つ赤い光は、周りの世界を更に暗くした。
「お迎え……スレタ頼んでないよ。今ね、ナワテとルルの帰りを待ってるところなの」
「あ~ら~! ちょうどよかった。そのお二人でしたら王宮にいらっしゃいますわ。スレタさまが帰城なさるのを首を長くしてお待ちですのよ」
「ふぁ、ほんと?」
甘い女の誘いにまんまと騙され、尻尾を振りながら駆け寄っていくスレタ。
「あほ、騙され──!」
小走りするスレタを、スッチが後ろから呼び止めようとした。
その次の瞬間──、鼓膜を弾くような、けたたましい破裂音が鳴った。
……スレタは気付くと、背後で鳴っていた雨音が、さっきよりも激しく聞こえることを知る。
面妖に感じ振り返ると、またしてもそこには靄がかかっていた。
その靄の中で、スッチが地に膝をついている。怪我はなさそうだが、なにやら静かに狼狽している。
その謎は靄が晴れると同時に判明した。
白目のスッチの背後の壁に、外に繋がる大きな穴が空いていた。雨音が激しく聞こえたのはそのせいだ。
どうやら魔法の衝撃で部屋の壁が破壊されたらしい。犯行は言わずもがな、入口付近に立つ、招かれざる刺客の仕業だ。
「この不敬者が。スレタさまにあほなどと、無礼な口をきくでない!」
赤い振袖の女が手をかざしながらスッチを叱責した。部屋にはまだ余韻の風が舞っている。
つまりこの女、風の使い手だ。入口のドアを破壊したのもこの女だろう。魔法の強度から鑑みて、おそらく熟練者。風のみならず火や水の魔法も使える、雑詠術者の可能性もある。
「このつんつるぴんはスレタのお友達。だから無礼でもいいんだよ」
「は、はぁ……」
異論を唱えるスレタに、振り袖の女は異様な違和感を覚えた。あのような攻撃を見せられてもなお余裕がある。不気味に思えるほど無邪気だ……。
「では、そのつんつるぴんのお友達もご招待いたしますゆえ、私どもと王宮へ参りましょう」
きっと、まだ子どもだからだろう。女はそれで片付けようとしたが、
──その油断が仇となる!
「スレタさま。お分かりになられましたか?」
スレタは「うん」と元気よく頷いたあと、女の振袖の裾を握った。
「よく分かったよ。お姉さんたちが、悪者だってことがね」
「へ?」
意味深な言葉を吐いたあと、スレタは女に向かって愛らしい笑みをにこっと振りまく。
そして次の瞬間、誰も予想し得なかったことが起こった。
「ほむらよ、黄昏色に染めろ」
スレタが幼い声でそう唱えると、女の振袖が真っ赤に光った。
「っ────ぎゃあああああああああああ‼」
それは瞬く間の出来事だった。幾何学模様の生地が炎となり、女の全身を包んだ。
さっきより赤く光った振袖の女が地面の上でのたうち回る。スレタが強力な火の魔法を放射し、女の振袖に点火したのだ。
「このガキ──フンッ!」
死角から現れたもう一人の刺客──袴の男が、風の玉をスレタ目掛けて撃ち放つ。
しかし、スレタが指揮者のように手を振ると──
「夜風よ、時を戻せ!」
突進してくる風の玉が、なにもなかったかのように綺麗に打ち消された。
「魔法を使うときは、ちゃんと唱えなきゃ。お行儀が悪いよ。パパとママに教わらなかったの?」
「っ……!」
── た、ただのガキじゃない。
それに気付いた男は身を怯ませ、次の一手が撃てなくなった。
身体を凍りつかせる男のすぐそばで、紅く光る女がのたうち回っている。
「早く助けてあげたほうがいいんじゃね?」
「は!」
幼い女の子の忠告により我に返った袴の男は、水の魔法で鎮火するため指先を走らせた。
その一瞬の隙を盗み、スレタがスッチに駆け寄り、彼の手を握った。
「いなさよ、羽になれ──ッ!」
直後、八方から鳴る幾多の風笛とともに、あたり一面に、ブゥアアアアッ──っと、暴風が吹き荒れた。
目を開けていられないスッチは、周囲でなにが起きているのかがわからない。今彼にできることは、逸れないように精一杯スレタの手を握ることのみ。
……ややあって、顔が変形するほどの暴風がそよ風へと移り変わった。
もう安全だと踏んでスッチが視界を広げる。
しかし、目の前は全く違う景色に変わっていた。
…… やけに涼しい。
…… 自分が宇宙にいるのかと錯覚するほど、夜空が近くに感じる。
靴底に違和感を覚え顎を引く。足元には、アリのように小さくなった建物たちが見えた。
それを眺めたスッチは、ゾク、ゾク、と、己の内臓が震え出すのを感じた。
「うわああああああえぇぇあッッ! と、飛んでるぅうううううううう!」
なんと、スッチはスレタの風で夜空を舞っていた。
近くに自分たちより高い建物はなかった。地表から約20メートルはあろう高さだ。
なのに、命綱は白くて短い幼女の腕一本。
「行くよ!」
「ど、どどど、どこにやぁああああ⁉」
スレタの謎の宣言に、心許ない綱にしがみつくスッチが絶叫に似た質問を返す。
スレタの口は答えない。しかし、勇躍した彼女の瞳が指し示す先は、暗雲を串刺しにする摩天楼。風はスレタの意思通りに進路をとっている。
いつしか雨はやんでいた。
雲の隙間から、ぷかぷかと、はちみつ色の満月が気持ちよさそうに浮かんでいる。
「お、おろしてぇええええええええッッッ!!!」
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