芝居のあるべき姿
ポッポ街。
ナワテの前には、横幅10メートルはありそうな大通りが一直線に伸びている。
馬車や牛車は一台たりとも見当たらない。この一本道は歩行者天国となっているようだ。
大通りの両端には、高さ30センチほどの低い舞台が列を成すように並べられている。箱馬を組み合わせて作られた即席の舞台や、中には石で作られた舞台もある。
舞台に挟まれた大通りを歩いていくと、すでに何組かの劇団が作品を上演していた。
各々の劇団には一定数、固定のファンがついているようだ。もちろんナワテのように、足を運びながら、好みの劇団や作品、光り輝く俳優を探す者も散見される。
ちなみに、客席はないため、観客たちは立ち見で観劇している。
時刻は午後三時ごろ。
この時間であっても、ここにある舞台の約半分が使用されていた。それぞれの舞台の脇には、【投げ銭】と書かれた木箱が置いてある。
入場料はないが、どうやらヴァーレにはおひねりの習慣があるらしい。面白いと思う作品があれば、この町の観客は自主的に金を払うのだろう。
それをもって、ずっと不可解だった無料で観劇が楽しめる理由が分かった。この方法なら劇団はストリートライヴの感覚で作品を上演できる。本来、場所と台本さえあれば、役者は演じるに足りる生き物だからだ。
演者、観客に問わず、ここに集まるのは純粋に芝居を楽しむ者のみ。よって金目当ての運営会社など存在しない。
── これが本来の、芝居のあるべき姿なのかもしれない
ナワテは声に出したいくらいにそう思った。
そしてすぐにナワテは次なる関心を示した。
それは運営などの裏側ではなく表側。つまり、作品の内容である。舞台上で上演されている演目は、意外にもオーソドックスなストーリーが多い。
枯渇した国を救うべく慈雨をもたらす神が訪れる話や、貧困にあえぐ子どもたちが、旅に出て宝を持ち帰り国を豊かにする話など、人々の心に富をもたらす話ばかりだった。
それらを観たナワテは、この国で芝居が盛んである理由が分かるような気がした。
音楽一つとっても、苦しい現状を紛らわすために生み出されたものは少なくない。
古い絵画だって、その時代を象徴する作品が数多くある。
端的に言えば、芸術は心の写し鏡と言える。
裕福とは言えないこの町で、ハッピーエンドの作品が好まれる理由はそれだろう。
ではなぜ、音楽や絵画などの芸術ではなく、アダルア人が芝居に一筋なのか──。
それも、ナワテには分かる気がした。
アダルア人の演技レベルは、ナワテの目から見ても高度なものだった。おそらく、体一つの表現力に長けた民族なのだろう。あるいは、体一つでできるため金が掛からないといった側面もあるのかもしれない。
演者、観客に別なく、ここにいる人たちの表情は眩しい笑顔で溢れている。
その光景を眺めるナワテも、密かに目を輝かせていた。
「ナワテ、泣いてる」
「泣いてない」
…… ナワテはお芝居のプロのすごい人なのかな。
と、スレタは彼の正体をおぼろげに察するのだった。
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