第四話 十一年前の事件 妖の少女 前編
翌日、路面電車に乗り矢富駅で降りた二人は、事件のあった場所である工事中のビルが建つ場所へと向かった。
車での通勤ラッシュも落ち着いた午前十時過ぎの住宅街。すれ違うのは散歩している老人やベビーカーを押す若い母親など、澤田の心中とはかけ離れた穏やかな光景だった。
「ここに赴任してきたとき、その廃ビルに一度だけ行ったことあるんだ」
「仕事で、ではないよな」
「うん、休みの日に。けど、中には入れなかった」
本当は入って花をたむけるつもりだったのに、入れなかった。
「俺は、事件のあとビルに入ったことがある。入院していた父の代わりに、祖父と現場の状況を見に行ったんだ」
柊の父は生まれつき体が弱く、町守は継いだものの入退院を繰り返していたため、柊の祖父も町守を続けていた。
「事件があったあの日も、父は入院していた。代わりに契約していた妖を一緒に行かせたんだが」
「それが、親父が庇ったっていう妖なんだな」
自分が向かわせた妖を庇って東条が亡くなったと聞いたとき、柊の父はどんな気持ちだったのだろう。きっと、町守を続けられなくなるほどに辛い思いをしたはずだ。
「ずっと気になってたことがあるんだけど」
澤田が、柊にそう切り出した。
「俺、知らないんだよな。親父が殺されたいきさつっていうかさ。あの日、何があったのか」
祓い屋が祓おうとした妖を庇って亡くなった、ということ以上に詳しい話は知らない。
「俺も子供だったからな。あまり詳しくはないんだが……祐一さんが、住民からの通報を受けて追っていた妖を、江藤修吾も追っていたらしい」
「バッティングしちまった、ってことか?」
「聞いた話をそのまま信じるのならそうなるな」
「どういうことだ」
「事故だと聞いていた一件が、殺された可能性が高くなっているんだ。俺が聞いたその話も、どこまでが本当なのかわからないだろう」
「……確かにな」
澤田が軽く腕を組んだ。
同じ妖を追っていたなどというのは言い訳で、もしかしたら江藤は初めから東条を狙っていたのかもしれない。もっと疑うなら、その東条が追っていた妖も江藤がけしかけたものかもしれない。
「待て澤田」
突然柊が立ち止まったので、澤田も止まって振り返る。
「なんだ、どうした?」
「そこに着物の妖がいる」
「えっ」
澤田はポケットに入れていた眼鏡をかけた。そして前を向くと、赤い着物をまとった黒髪の少女がたたずんでいる。背丈は澤田の半分以下、顔も見るからに幼いのに、不釣り合いなほどに大人びた雰囲気を醸ししている。
『ふふ。ふふふふ』
笑いながら背を向けた少女は、地面についていない足を走るように動かして離れていく。
「追いかけてこい、って言ってるのか?」
「……あまりいい予感はしないな」
柊の意見には賛成だ。
だが妖の少女が向かったのは、今から二人が行こうとしていたのと同じ方角だ。
「だが、行かないわけにもいかないだろう」
「だよな。よし、行こうぜ」
先ほどまでは歩いていた足取りを少し速めて、妖の少女を追った。彼女は二人がついてくるのを確認するかのように、時折振り返って小さく笑い、また前を向いて進んでいく。




