第四話 十一年前の事件 妖の少女 後編
入っていったのは、やはり東条の事件が起こった廃ビルだった。まだ昼前だというのに、コンクリートむき出しのビルは暗くたたずんでいる。
「行くか」
「ああ。その前にこれを渡しておく」
柊が差し出したのは、一本のナイフだった。
「ナイフって、物騒だなお前」
「攻撃のためじゃない。操られたものの糸を切るためだ。一応持っていたほうがいいだろう」
「そっか、なるほどな」
澤田はナイフを受け取ると、ズボンのベルトに差した。
窓ガラスがなく、ぽっかり空いただけの窓が光を入れているはずなのに、ビルの中は夕暮れと間違えてしまいそうなほどに薄暗かった。湿っぽい中を、気配を探りながら階段を上がる柊についていくと、広い部屋に出た。オフィスとして貸し出すつもりだったのだろうか。
「澤田。いるぞ」
「ああ」
少女の妖じゃない。
広い部屋の隅でうごめいている一つではない何かの気配を感じたそのとき、一気に押し寄せてきたのは十数匹の妖だった。
「なっ、なんだこれ! どうすりゃ」
「背中に糸があるだろう! それを切れ!」
柊はすでにナイフを握っている。
糸がある、ということは操られているということだ。澤田もナイフを構えてはみたものの、どこに糸があるのか全くわからず、向かってきた妖を思わず殴り飛ばした。
妖は遠くの床に倒れ込んだものの、すぐに糸に吊られたような動きで起きあがった。
「殴っても倒せんぞ!」
「わかってるけど! 糸なんか全然見えねえんだって!」
「それは眼鏡では補いきれないほど、お前の霊感がなさすぎるからだ!」
「悪かったな!」
言い合いをしている場合ではない。
柊は背中と言った。その言葉を信じて、澤田は向かってきた妖の背中あたりでナイフを振った。すると妖はぴたりと動きを止めて、床に落ちて動かなくなる。
「き、切れた、のか?」
澤田がやっと一本切ったところで、柊は舞姫を呼び出しその花びらで目くらましをしながら、次々と妖についた糸を切っていく。
なんとか全てを止めたときには、コンクリートの冷たい床に操られていた妖たちが散乱していた。
「なんとか片付いたな」
「……ああ」
ナイフをベルトに戻す澤田の横で、柊がぐったりと座り込んだ。
「そんなに動いてないだろ。舞姫がかなり頑張ってくれたおかげでさ」
「大きなお世話だ」
澤田は体力に自信のあるほうではあるが、それにしても柊は少しなさすぎるような気がする。
「これも江藤の仕業なんだよな」
「おそらくな。こんなことをできるやつはあの男しか知らない」
柊が床に手をついて立ち上がる。
「本人はどうしても出てくるつもりないみたいだな」
「だがこれだけの妖を操ったということは、このビルのどこかには」
ぴたりと、柊が話すのをやめた。立っているだけの身体がなぜか小さく震えている。
「どうした、具合でも」
「っ……離れろ澤田!」
「えっ、うわっ!」
突然ナイフを突き出してきた柊の手を、澤田はすんでのところで避けた。
「な、いきなりどうし」
「体が、勝手に動こうとする」
ナイフを握る柊の腕が、肩が、両足が何かに耐えて震えている。
「は!? だってお前、操られねえって」
「呪文は、聞いてないっ……が、糸がっ……」
「糸?」
どうやら柊の認識と違い、江藤の妖は呪文を聞かせなくても糸だけで相手を操ることができるようだ。
「だっ……めだ! 避けろ!」
「うわっ、と、このっ!」
澤田が避けながらも腕を伸ばし、柊の背中辺りでナイフを振った。
だが柊の様子は変わらない。
「ち、違うのか!?」
柊は自分の体を止めることに精一杯で、しゃべる余裕がなさそうだ。
じっと澤田は目を凝らした。だがやはり糸は見えない。
どうする。手当たり次第にナイフを振ってみるか、などと考えていると。
「っ……澤田っ!」
はっと気づいたときには、ナイフを握った柊の手が目の前まで迫っていた。そこへ澤田を庇うように、舞姫が割り込んでくる。
「舞姫っ!」
とっさに舞姫を抱えて、澤田は後ろへ下がった。だがナイフを避けきれず、腕に浅く傷ができる。
おろおろと澤田と柊を見る舞姫には、怪我はないようだ。
ほっとした。たとえ操られているとしても、柊自身が舞姫を傷つけることは絶対にあってはだめだ。
「くっ……くそっ!」
柊はぐぐっと動かした左手でぎゅっとナイフの刃を握った。切れた左の手のひらから、血がぽたぽたと滴り落ちる。そしてその手を持ち上げると、右肩の上あたりでぎゅっとこぶしをつくった。
「なっ! 何してっ……」
はっと、澤田は気づいた。
柊の手のひらからあふれる血の一部が、何かを伝うように流れていることに。
「! そこかっ!」
澤田は腰の銃を抜いて構えた。
「動くなよ柊!」
パアンッ、と銃声が響いた。
何かを伝うように流れていた血が弾かれたように飛び散ったと同時に、柊が床に膝をつく。
「大丈夫か?」
「……ああ。なんとかな」
柊の手のひらには赤い血がべっとりとついている。
「あんまり無茶するなよ」
「お前にだけは言われたくないな」
呼吸を整えるように、はあ、と息を吐いて、柊が立ち上がる。
「わかったぞ、居場所」
「え?」
「俺につながっていた糸の、先だ!」
柊の投げたナイフが、壁の近くまで飛んでからんと落ちた。
それは、人の足元だった。
いつからそこにいたのだろう。ナイフを投げられても一切動じずに、壁にもたれて立っているその男には見覚えがあった。
「お前は……」
「覚えていたか。さすがは刑事だね、澤田圭介君」
男が口元で笑いかけてくる。
「会ったことあるのか」
「まあな。て言っても、偶然すれ違っただけだ」
だけど、よく覚えている。
北野と行ったファストフード店で見かけた彼は、妖が見えるような素振りをしていたから。
「あいつが江藤なんだな」
「ああ。そうだ」
江藤の横ではあの少女の妖が、くすくすと怪しげな笑みを浮かべている。
「久しぶりだね、誠君。少し見ない間に立派になったもんだ」
「……お久しぶりです」
応えた柊の声は硬い。
「それで? 澤田刑事は僕に聞きたいことがあるんだろう?」
余裕にも見える江藤の笑みに、澤田は真っ直ぐに対峙する。
「単刀直入に聞きます。あなたは十二年前、東条祐一を事故に見せかけて殺したんですか」
江藤は黙った。
静寂のなか、澤田は静かに答えを待った。答えられないのか。それともどうごまかそうかと考えているのか。
江藤はやっと開いた口元で、笑みの形をつくる。
「そうだよ。僕が東条を殺した」
思わず、澤田は片目をすがめた。
だがここで言葉を発するわけにはいかない。
「あの男のせいで町守と協力、なんて話が出たけど、冗談じゃない。妖をすばやく祓うからこそ祓い屋の価値があるんだ。それを、妖の気持ちを考えるだなんて」
ふ、とばかにしたように、江藤が笑う。
「町守とおんなじことしろって? そりゃ、祓い屋を潰すって言ってるようなもんだ。やっと僕の祓い屋家業が軌道に乗ってきたとこだったっていうのに。なあ、そうだろ?」
澤田は何も答えなかった。
柊もただ黙って、江藤と澤田の会話を聞いている。
「けど君、東条祐一だなんて他人みたいな言い方するんだな。離婚した父親のことなんて、もう父親だと思ってないってことか。全然会いにきてなかったみたいだしね」
はは、と笑う江藤に連動するように、少女の妖もふふふと不気味に笑う。
「……一応聞きますが、四緑という妖の指輪を盗んだのも、禍津女が俺を襲うように仕向けたのも」
「そう、僕だよ。だって君、邪魔なんだよね。せっかく東条のことは事故ってことで終わってるのに。僕を殺人犯にしようとしてるんでしょ?」
「しようとしてるも何も、事実、殺人犯ですから」
「まあね。でもどうするんだ? 見てのとおりここには何も残ってないし、妖の証言なんて誰も信じないだろ? そしたら僕が殺した証拠なんかどこにも」
「証拠ならありますよ。ここに」
澤田が上着のポケットから携帯電話を出して見せた。
そこに表示されていたのは、音声の録音画面。
「〝東条祐一を殺した〟って、はっきりと認めましたよね」
ち、と、江藤が舌打ちする。
「なるほど。だから父親のことをわざわざ名前で呼んだってわけか」
ふうん、とこちらに向けた江藤の目に、澤田はぞっとした。先ほどまでは確かに普通だったはずの目の色が、赤く染まっている。
「絹糸。契約の元、我に力を」
カッ、と少女の目が見開くと同時に体から飛び出した無数の糸が、コンクリートの壁や床に針のように突き刺さる。
「なっ……」
「まずい。逃げるぞ澤田」
「あ、ああ」
だが駆け出そうとした二人の背後から、鋼のような糸が追いかけてくる。
柊は自分の血がついたナイフを床の割れ目に突き刺した。
「悪鬼消滅! 急急如律令!」
柊が叫ぶと同時にナイフから放たれた光が壁となり、近づいた糸がジュッと焼けたような音を立てて消えた。
「すごいな、お前」
「関心してる場合かっ。一時しのぎだ、今のうちにここを出るぞ!」
ビルを抜け出そうと澤田と柊が走るその背後からは、高笑いする江藤の声が響いていた。




