第一話 刑事と町守 柊家の守り人
高校を卒業し、警察官になって五年。
黄昏市警察署に赴任して八か月が経ち、走る自動車の右側を路面電車が走っていくこの光景もすっかり日常となった。最初は、路面電車専用に信号の黄色い矢印信号や、道路の中央に敷かれたレールに戸惑っていたが、今では慣れたものだ。
信号待ちの車内から、澤田は八月の暑さに揺れる町の景色を見つめた。
田舎というわけではない。そうかといって都会でもないこの町には、少し走ればスーパーがあるし、コンビニも点在している。病院もたくさんあるし、外食をする場所にも困らない。そういった住みやすさが、住宅を密集させているゆえんなのだろう。
遠い昔、この土地がまだ黄昏市と名付けられていなかった頃。ここは人と妖が共存する多楚彼村という村だったそうで、周囲の人々からは〝あやかし村〟と呼ばれていたという。
しかし澤田は、この町に来てから一度もあやかしなど見たことはない。町の人からも、同僚からも妖を見たという話を聞いたことはない。綺麗に道路が舗装され、車が行き交う町の景色を見ていると、〝あやかし村〟の言い伝えなどおとぎ話でないかと思ってしまう。
それでも他の町とは何かが違うと思わされるのが、柊家の存在だ。
柊家とは五百年以上前からこの町にある旧家で、ここが多楚彼村だった時代から、人と妖とのいさかいを収めてきた、町守の一族なのだという。
黄昏市内でも山が近く、あまり開けていない土地に柊家の屋敷は建っている。
車を止め、大きな門の前に立った澤田は戸惑った。
インターホンがどこにもついていない。
「勝手に門を入っていい、ってことなのか」
おそるおそる門を押してたが、それではびくともしない。今度は力を込めて押してみると、鍵はかかっていなかったようで、ぎぎ、と重そうな音を立てながら門が開いた。
「お邪魔します」
一応声をかけて、澤田は門の内側へと足を踏み入れる。
「すごいな、これは」
敷地に広がる日本庭園に、思わず息が漏れた。丁寧に手入れをされた低木が並び、小さな池では鹿威しが鳴っている。青々と揺れる紅葉の葉は、あと二か月もすれば美しく庭を彩ることだろう。
奥には、まるで旅館のような二階建ての日本家屋が建っていた。
澤田は入口の引き戸の横についているインターホンを押した。
「はい。柊です」
聞こえたのはぶっきらぼうな声だった。
「すみません。黄昏市警察署の者ですが、誠さんはいらっしゃいますでしょうか」
返事はなかった。
それでも少し待っていると、中から足音が聞こえてきて戸が開いた。
出てきたのは澤田と同じ歳くらいの色白の男だった。
「柊誠さんですか」
「そうですが」
「俺は黄昏市警察署の刑事で、澤田と申します。捜査の協力をお願いしたいと思いましてうかがったのですが」
「お断りします」
言うなり戸を閉めようとしたので、澤田が慌てて引き留める。
「ちょ、待て待て! ちゃんと捜査依頼書も持ってきてるんだって」
「で?」
「で、って、こっちからの依頼に応じて捜査に協力するってことになってるんだろ」
「決めたのは俺じゃない。先祖だ」
「そうだろうけど! 今はお前が引き継いでるんだろ? 書類もお前宛てになってるし」
「毎回思うが、そんな形式だけの書類に何の価値がある」
「そう言われても」
まだあやかし関連係になったことのない澤田は、一度も捜査依頼書を見たことがないので何とも言いようがない。
「開けてもいいか」
「別に、好きにすればいい」
一応了承を得たので開けてみると、中には捜査依頼書と書かれた一枚の紙が入っていた。
八月二十五日の時刻九時四十五分頃、鈴邑神社の周辺で起こった通り魔事件についての捜査を依頼する。被害者は三十代の男性。会社からの帰宅途中に鈴邑神社の前を通り、二度の被害に遭っている。
書かれているのは以上だ。内容はあまりにも簡素だが、右上には署長の指名と印、そして同僚の北野の指名と印が入っている。
「あー、なるほどな」
事件についての細かい情報が書かれているわけでもなく、価値があるのかと聞かれると、澤田としても疑問だ。
正式に捜査を依頼しました、という証拠であるという価値くらいだろうか。
「まあ書類なんてこんなもんだと思うけど、気に入らないんなら書き直してきてやるよ」
言うなり書類をびりっと真っ二つに破った澤田に、柊が目を丸くする。
「お前……いいのか、それ」
「だってお前、受け取る気ないんだろ」
「だからといって警察署長の印が入った書類を」
「協力をお願いする相手を不快な気持ちにさせる依頼書なんて、確かに意味ねえからな」
そうは言っても、澤田には納得してもらえるような依頼書を書く文才はない。誰かに頼んで書いてもらうか。その前に依頼書が破れた経緯を、上司の柳瀬に説明しなくてはならない。
一度署に戻らないとな、と澤田が思っていると。
「それ、一応見せてくれないか。事件の内容が書いてあるんだろう」
「え? あ、ああ」
澤田は真っ二つになった捜査依頼書を渡した。
「鈴邑神社で通り魔か。被害者は一人だけか」
「ああ。周りに住む人で、悲鳴を聞いた、っていう人はいたんだが、目撃者はいなくてな」
「通り魔事件なら俺が協力する必要はないんじゃないのか」
確かに、この書類に書かれている説明だけを読むとただの通り魔事件のように感じるが、そうではない。
「その通り魔なんだが、甲冑を着ていたそうなんだ」
「甲冑?」
聞き返した柊に、澤田が頷く。
「ああ。鈴邑神社には代々伝わる甲冑があってな。おそらく通り魔が着ていたものがそれなんじゃないかと」
「神社から盗んだ甲冑を着て、通りがかりの男性を襲ったということか。愉快犯じゃないのか」
「正直、その線は捨てきれないんだが、不可解なのはここからなんだ」
あやかし関連係が捜査することになった理由は、二つある。
「神社の甲冑は、宮司が知っている限りでは一度も持ち出されていないらしい」
「どういうことだ」
柊が眉をひそめる。
「いつも夜の九時頃に神社へ戸締りの確認をしに行くそうなんだが、その戸締りのときも、次の日の朝も甲冑はきちんと置いてあったそうだ」
「じゃあ神社の甲冑じゃないんじゃないのか」
「いや。被害者の男に、神社の甲冑を見てもらって確認をしたんだが、間違いないそうだ」
「なら犯人は夜中に甲冑を盗み出したあと、すぐに戻したというのか」
「な? おかしな話だろ」
不可解なことはもう一つある。
「しかも甲冑の通り魔は刀を持っていたらしいんだが」
「それも神社から盗まれたものか」
「ああ。甲冑とともに伝わっているものだそうだ。被害者はその刀で斬りかかられたそうなんだが、怪我一つしなかったらしいんだよ」
被害者の身体には、襲われたときに転んだ擦り傷があっただけで、刀傷らしきものはどこにも見当たらなかった。
「運よく避けられたということじゃないのか」
「俺もそうだと思ったんだが、とっさに盾に使った鞄には確実に当たってたはずだって言うんだ。だけど鞄にも傷一つなくてな」
他にも甲冑の通り魔が白い光をまとっていた、とか、甲冑を着ているとは思えないほどの速さで動いていた、などと言っていたという。
今のところ目撃者が被害者の男だけなので、他の人の証言と照らし合わせることもできない。
そこで、万がいち普通の警察官では対処できないようなものが犯人だったときのために、一応柊家にも捜査を依頼することになった。
「とりあえず一度、現場の鈴邑神社に行ってみようと思うんだが、その前に書類を何とかしてこないと」
「書類はこれでいい」
「いやお前、それ嫌だって言ってただろ。俺、破いちゃったし」
「それより一時間後に鈴邑神社だ」
「は?」
いきなり言われて、澤田が思わず問い返す。
「こっちにも準備があるんだ。それに、警察と二人で神社へ向かうなんて冗談じゃない」
柊は家の中に入ると、ぴしゃりと戸を閉めた。
(なるほど。みんなが扱いづらいと噂してたのはこういうことか)
実感した澤田は、閉められた戸の前で頭をかいた。




