第五話 初めての迷宮
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迷宮の入口には、地下鉄の駅の入口を大きくしたようなものが二つあった。一方には武装した多くの探索者が絶え間なく入り、もう一方からは時折探索者が出てくる。入口と出口がちゃんと分けられているらしい。
「さて、私たちはこっちだぞ」
俺は鈍い銀色の鎧を身に付けたラダリアの後ろに並んだ。ここへ来る途中、俺たちはラダリアが暮らしている宿に立ち寄った。彼女はそこで鎧を装備したのだ。
鎧といっても博物館にありそうな重装備ではなく、胸と腰、そして肘から先と膝から下だけしか守られていない。ラダリアの戦い方にはこの軽装が適しているらしいし、服の下には鎖帷子を仕込んでいると言っていたが、顔面はほとんど守られていない上に全体的に鎧が薄い。俺はこの鎧に自分の身を任せるのは無理だと思った。まあ、俺は胸当てと手袋しか身に着けていないから人のことは言えないのだが。
「君に迷宮のことを知ってもらうために、今日は一層を探索しよう」
「一層っていうと地下一階か?」
「そうだ。そこなら強いモンスターも出ない」
「モンスター? 魔物じゃなくて?」
細かい俺の疑問にも、ラダリアは嫌な顔一つせずに答えてくれた。
「モンスターとは迷宮の中にいる生物の総称だ。迷宮の中でしか生きられず、そして必ずしも人間に敵対しているわけではないという所が魔物との相違点だな」
「なるほど」
「だが、ほとんどのモンスターは敵だと考えておいた方がいい。油断すれば簡単にああなるぞ」
ラダリアが指さした先では、胸に風穴が開いた大男が二人がかりで運ばれていた。運んでいる二人も装備が傷だらけだ。
「ここでは毎日数十人が命を落とす。それだけは忘れないでくれ」
気づいてはいたが、やはりこの迷宮は遊園地のアトラクションなどという生易しい物ではないようだ。俺はラダリアの言葉を肝に銘じることにした。
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想像していたよりも迷宮は広かった。あれだけの探索者が詰めかけているのに通路には余裕があるのだ。
「で、俺は何を手伝えばいいんだ?」
「ああ、私は今迷宮の地図を作っている。その補佐とモンスターへの対処をお願いしたい」
「わかったけど、一層の地図ってまだできてないのか? これだけの人がいるならもうとっくに作られてそうだけど」
「言っただろう? 迷宮は今も拡大し続けている。定期的に地図を更新しなければならないのだ」
理屈はわかるが、このレンガのようなもので作られた空間が拡大するというのは意味がわからない。きっと考えても無駄だろう。俺よりはるかに迷宮に詳しいラダリアがそう言っているのだから事実なのだ。
「まあ一層のモンスターは本当に弱い。わざわざ君の手を借りるようなこともないかもしれないな! ふはははは!」
何がおかしいのかは分からないが仕事がないのは楽でいい。
と思っていると通路の奥の方を手足が生えた大きなキノコが歩いていた。あれがモンスターだろうか。少なくとも人間でないことは間違いないので、俺は取り出していた『自由の弓』でその歩くキノコを射った。
矢はキノコの傘を貫き、その勢いによってキノコは倒れた。「矢で貫いたらキノコが死んだ」まさか一生のうちにこんな状況に出会うことになるとは思わなかった。
「……モンスターがいたならそう言ってくれないか?」
ラダリアは、無言でいきなり矢を射った俺にドン引きしているようだ。まともな戦いになる前に終わったのだからもっと喜べばいいのに。
ラダリアに言われたとおり、俺は矢が届く範囲にモンスターを見つけ次第、ちゃんと報告してから射殺し続けた。
「君は想像以上に頼りになるな……。しかしもう少し抑えてくれないとこう、大口を叩いた私の立場がだな」
「別に俺は気にしないけどな。それに近くで戦って、お前に万が一のことがあったら困るだろ?」
それに俺は『神器製作』で無限に矢を作れるのだから温存する意味もない。
「矢が効かない相手が出たら頼むぜ」
ラダリアにはこう言って納得してもらうしかない。俺は避けられる戦いなら避けたいのだ。そしてそれはラダリアも同じだったようだ。彼女は渋々ながらも頷いてくれた。
お互いの気持ちが一つになったことで、進むペースも速くなった気がする。どこに向かっているのかは相変わらずわからないが。
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「ヤバネ、ここを見てくれ」
扉の前に着いたところで、ラダリアが地図を指さしながら言った。
言われたとおりに地図を覗き込むと、ラダリアは行き止まりを指さしていた。
「もしかして」
「そう、私たちは今ここにいる。ちなみにこの地図は二週間前に作られた最新のものだ」
地図には目の前の扉も、その先の部屋も記されていなかった。
「迷宮は本当に広がってるんだな……」
「わかってもらえたようでなによりだ。……しかし、明らかに拡大の速度が上がっているな」
そのまま思考に没入するかと思ったが、ラダリアは俺の存在を思い出したようだ。
「さてヤバネ。本格的に君の力が必要になってくるのはこの先からだ。ここから先はまさに未知の領域。一層だから、という常識は通用しないかもしれない」
「大丈夫だ。俺はその常識も知らないからな」
「頼りになるようで頼りない言葉だな」
少し笑った後、ラダリアの表情は再び真剣なものに戻った。
「ヤバネ。君の助手としての最初の仕事だ。この扉の先にどんな空間が広がっているか。どんなモンスターがいるか。その目で見たままのことを伝えてくれ」
言われるまでもない。扉の前に立った時点で中の確認は終わっているのだ。まあそれはあえて言うことではないので見たものだけを伝えよう。
「扉の先には広い空間がある。壁と床の材質は多分今までと同じだな」
そして最も重要そうな情報がある。
「中心にはでかいモンスターがいるな。牛みたいな顔で二本足で立ってるモンスターだ。あとでかい斧を持ってるぞ。今は一歩も動いていないな。ちなみに、天井はそいつが二匹いても余裕がある程度には高いぞ」
「真実だと誓えるか?」
「もちろん」
「そうか……」
ラダリアは何やら考え込んでいる様子だ。扉の向こうのモンスターはそんなに強いのだろうか。以前戦ったジャイアントの狂魔の方が強そうなので、いまいち危機感が湧いてこない。
「向こうにいる奴に心当たりがあるのか?」
「ああ、あるとも。おそらくそのモンスターはミノタウロス。本来ならここより遥か下の八層以降に生息するモンスターだ」
ここは一層だ。迷宮に詳しくない俺でも、この状況がとんでもないことだということはわかる。
「どれくらいのランクの探索者なら勝てるんだ?」
「Bランクに上がる条件が、まさにミノタウロスを単独で討伐することだ」
探索者のランクは上からSS、S、A、B、C、Dだ。そしてラダリアのランクはA寄りのBである。
「最初に見つけたのが私たちでよかった。奴がこの扉を出る前に討伐するぞ」
本当にそうだと思う。ラダリアが言うには、一層を中心に活動している探索者はほとんどがDランクらしい。そんな人がミノタウロスに出会えば、きっとあの斧の染みになっていただろう。
「扉を開けたら一気に距離を詰める。君は弓で援護してくれ」
「ああ、任せろ」
俺の返事を聞いたラダリアは扉に手をかけ、深呼吸の後に一気に開け放った。




