チェルが助けを求める声だけだったから
「見捨てられたか。何にせよ一人というのは都合が良い。さっさと拉致してしまおう。イレオン、こいつの手足を撃て」
「えっ? えっ!? な、なんで……? 僕、全部正直に話したのに……?」
「殺しはしない。ただ、自由を奪うだけだ。聖剣は手足が動かせなくても使えるんだろう? 聖剣が再び使えるようになる可能性がある以上、簡単に切られる縄では拘束にならん。逃げられないようにする為には手足を壊す他無いだろう」
「やっ、やだっ……撃たないでくださいっ……お願いしますっ、撃たないでぇっ……」
チェルは両手を組んで必死に命乞いをした。涙をボロボロと零しながら、哀れでひ弱な子羊を本気で本心で演じた。
しかし審問官の結論はチェルの懇願では微塵も揺らぐことは無く、ただ簡潔に、淡々と部下に命令を下すだけだった。
「油断はするなよ、イレオン。人を騙す魔物の類だと思え。やつが聖剣を一本でも扱えたなら、お前が発砲したとしても死ぬのはこちらだ。引き金を引いた後も、聖剣には注意を払え。わかっているな? 三角形の短剣だ」
「了解……安心しろ、死にはしない……」
「やだっ……やだぁっ……お願いしますっ……お願いしますぅっ……」
つい数日前までは大砲に囲まれても動じなかったチェルが、今ではたった一本の銃を相手に涙を流して懇願している。死なないことなど何の慰めにもならない。死ではなく、チェルは手足を銃弾に貫かれる痛みに怯えているのだから。
そんな情けないチェルに対し、歴戦の兵士はただ残酷なだけの真実を告げるのだった。
「情けで下手な慰めをかけるのは止めろイレオン。こいつはそこいらの殺人者とは一線を画す大量殺戮者だ。俺たちにとっては他国の民であろうとも、その所業は決して許されない。殺さないのは罰を受けさせるためであり、どのみち死ぬことには変わりない。むしろ、ここで死んだ方が楽だと思うだろうな」
「なっ、なに……? 僕、何をされるの……どうなっちゃうの……?」
チェルはつい口に出してしまった。リザンのチェルの言葉を釣りだすような言い方に引っかかり、訊くべきではないことを訊いてしまった。
リザンはここに来て初めて表情を崩すと、人間らしく嫌らしい笑みをチェルに見せた。
「まず、腕と脚は完全に奪われるだろうな。ここではそんなことをしたら死んでしまうが、バンドットに戻れば生きたまま芋虫にすることなど簡単だ。その後は引き回しによって悪魔の討伐を国中に知らしめよう。多大な被害をもたらした悪魔を我がバンドットが討伐したという事実は、国外にまで影響を及ぼすだろうな。そして、後は死ぬまで悪魔祓いだ」
「あっ、あくまばらい……?」
内容を聞かなくとも、その言葉が指す悍ましさはチェルにまで伝わってきた。リザンの声色に、とてもどす黒い感情が籠っていたから。
「悪魔によって負わされた傷は呪いによって蝕まれている。解呪する為には、その者自身の手で悪魔を克服することが重要だ。悪魔によって傷を負わされた兵士、悪魔によって大切な者を奪われた遺族……彼らが自らの手で悪魔を征服することによって、少しは心の傷も癒えるだろう。そのために、お前には死ぬまで彼らの痛みを受け続けてもらう」
リザンは小綺麗な言葉で飾り立てていたが、その言葉の本質はチェルには嫌という程伝わっていた。その表情と声が、チェルの末路を詳細に物語っていた。
集団リンチだ。腕と脚を生きたままもぎ取られた後、チェルは死ぬまで暴力に曝され続けることになる。老若男女問わず、あらゆる人間から屈辱と恥辱、そして痛みを注がれ続けるのだ。
いくら泣こうとも、助けてくれる人間も情けをかけてくれる人間も居ない。幼いチェルのことを、ダズが本気で殴りつけたように。当初こそ憐れみを向けていたイレオンが、チェルを悪魔だと認めた途端に決して銃を下ろさなくなったように。
遠い異国の地にて、たった一人で、死ぬまで罪の清算をし続ける。それが、聖剣に選ばれた王子様だったチェル・ユーリィの最期。
「やだぁっ……助けてっ……助けてぇ、カイナにぃっ……」
「大人しく諦めて、撃ちやすいように手を差し出せ。それとも、剣で斬り落とされたいか?」
ついに助けを求める声が口から漏れだしたチェルにもリザンは容赦が無かった。
理性ではなく本能が勝手に身体を動かしてしまい、チェルの足は勝手に立ち上がろうとしていたが、それもイレオンの威嚇射撃によって妨害されてしまった。
ただ真上に発砲されただけでもチェルの心は過剰に反応してしまい、身体は糸に繋がれたかのように勝手に服従してしまった。
「はっ……はっ……やだっ……やだやだやだっ……カイナにぃっ……かいなにぃぃっ……」
ガクガクと震える手を必死に持ち上げるチェル。撃ち抜かれやすいように自ら掌を差し出すという行為によって、チェルの脳は濃厚な恐怖と深い敗北に浸食されていく。
これからチェルに与えられるのは罪人としての咎ではなく、奴隷になることすらも許されない悪魔の紋章。人に仇なす存在として、人に仇なされてもいい目印として与えられる銃創を、チェルは自らの意思で受け入れさせられる。
正に因果応報。強者として弱者を蹂躙してきたチェルは、強者によってその意思までもが捻じ曲げられる。痛みに怯え恐怖する心のままに、チェルは自分の意思で銃の前に身体を差し出させられている。チェル自身が、チェルの心を守ることを諦めてしまっている。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ……謝りますからっ……だから、許して……撃たないでください……」
唇から赦しの懇願が零れ落ちるその瞬間も、チェルの両手は狙いやすいように差し出されたままだった。
朝の日差しが降り注ぐ爽やかな川岸にて今、イレオンは幼き悪魔へと最初の審判を下す。
銃声が響き、銃身から飛び出した銃弾はチェルの手の甲に証を刻まんとまっすぐに進む。
チェルの最期の謝罪は虚空に消えて誰にも届かなかった。チェルの赦しを乞う声に聞く耳を持つ者は居なかった。
彼が聞き遂げたのは、チェルが助けを求める声だけだったから。
「なんだっ!?」
驚きの声を挙げたのはイレオンだった。リザンも目を見開いて周囲への警戒を始めた。
チェルはただ茫然と、目の前に落ちてきた鉄の塊を見つめていた。
「くれい……もあ……?」
両手を差し出したチェルの、その数センチ前方。突如空から降ってきて銃弾からチェルを守ったのは、見覚えのある大剣だった。
「なんで……? どうして……だって……っ!?」
何が起きたのかわからずチェルが混乱していると、森から影が飛び出して目の前に躍り出てきた。
大きく上下する肩は、その者が急いで駆けつけたことを示していた。
汗ばんだ額と乱れた息は、その者の心中が穏やかではなかったことを表していた。
チェルを追手から隠すように立つ姿からは、何よりも固い意志が見て取れた。
「かいなにぃ……っ!」
絶体絶命の弟の為に、お兄ちゃんが助けに来てくれた。
「ひとまずは生きてて何よりだ、チェル」
カイナはチェルを見捨てるどころか、チェルのことを探しに来てくれていた。チェルの身を案じて必死に走り回ってくれていた。チェルの危機に間に合わないと判断するや否や、唯一の武装を手放して盾としてくれた。
優しくは無いし、髪を勝手に切るし、虫を無理やり食べさせようとしてくるけれども。それでも、カイナがチェルの味方であることは疑いようもなかった。




