お兄ちゃんに助けを求める弟のように
「安心しろ、辛いのは最初だけだ。瞼を固く閉じていれば、初めては一瞬で過ぎる。一度経験したら、すぐに慣れるだろう……口を開けろ」
「ひゃっ、ひゃだっ……ひゃだぁっ!」
トロトロの体液が絡みついたかのように舌が回らない中でも、チェルは必死に拒絶を示した。目で、声で、態度で、それだけは嫌だとカイナに懇願した。
しかしながら、カイナの手に入る力は弱まるばかりか絶対に逃がさないと増すばかりだった。
固く唇を引き結んでも、所詮は柔らかな唇では相手にもならない。中指一本でこじ開けられ、母親に甘える赤ん坊のように食むことしかできない。
必死に歯を食いしばってみても、柔らかい食べ物ばかり食してきた顎では程度が知れている。疲弊した隙を突かれて指を差し込まれ、小指の付け根を噛まされてしまった。チェルの口では歯を立てた所でカイナを怯ませることもできず、舌で押し出そうとしてもただ舐めているのと大差ない。
「んんぅっ! んんぅぅ~っ!!」
カイナの手が挟まって口を閉じることができない。歯と歯の間から、カイナがハチノコを差し入れようとしているのがわかっているのに、チェルは己の無力を嘆くことしかできない。
唇のすぐ近くに虫の気配を感じる。カイナの指から逃れようと蠢くハチノコがチェルの口内へと向かってくるのがわかる。
触れた。唇に負けないくらい、不安になるくらいにぶよぶよと柔らかいハチノコが唇に触れた。もう後数ミリでチェルの中に入ってくる。もうカイナが指を離すだけで虫が口の中に落ちてくる。
カイナの指の力が緩んでいく。支えを失った虫が必死に引っ込めている舌の上に落ちて来てしまう。
丸呑みするくらいなら咀嚼した方がいいか。口の中を体液で塗れさせるくらいなら呑んだ方がいいか。限界を迎える最中、理性が全てを諦めようとしたその瞬間――
「ひっ……ひっ、ひぃっ……――」
――チェルの情緒が崩壊した。
「ああぁぁ~~っ!! ひっ、ひっくっ、うっ、うううぅぅ~っ、ああぁぁ~~っ!! あああっ、あっ、あぁっ、ああああぁぁ~~っ!!」
恥も外聞も無い。森の中で夜営中という状況も、追手がかかっていることも関係ない。大声で、ただ溢れる感情のままに、涙をボロボロと流し続けるチェル。
聖剣の加護に護られていた時の、いつも気だるげだった雰囲気からは考えられない。年相応を遥か下に転がり落ちて、幼年期にまで遡ったかのように。
母親離れができない子供のように。父親に叱られた子供のように。お兄ちゃんに助けを求める弟のように。
「っ! っ、っ! ああぁぁ~~っ!! ひっ、んっ、くぅっ、んああああぁぁっ!! ひっ、あっ、ひあっ、あああああぁぁ~~っ!!」
ぎゅぅっと閉じた瞼の隙間から流れ出る雫で頬を濡らし、喉も口も大きく開いて感情を響かせ続けるチェル。
カイナの手を咥えていた口も大きく開いてしまって、虫を拒むことなんて全くできていない。しかし、ハチノコは一向にチェルの口の中に着地せず、カイナの指に摘ままれたままだった。
「…………」
カイナは号泣するチェルをただ見ていた。その大きく開いた口にハチノコを放り込むこともなく。泣き止むように諭すこともせず。ただ、泣きじゃくる弟を見ていた。
「ひっ……ひっ、ひっ……?」
次第にチェルも落ち着き始め、カイナの様子に首を傾げ始めた。どうして優しくないカイナが、いつまでも子供のように泣くチェルを放置しているのかと疑問に持ち始めた。
「……俺の意見は変わらない。明日の朝には、必ず食べてもらう」
そう言ってカイナはチェルの肩を離すと、立ち上がって距離を取った。理由はわからないけれども、今日の所は無理矢理食べさせることは諦めたらしい。
「俺は寝る。チェルも好きに過ごしていいが、あまり離れるな。足音が聴こえたでも、灯りが見えたでも、何か異変を感じたらすぐに起こしてくれていい。日が昇る頃には出発するから、休むことだけは忘れるな」
「ひっ……んっ、くっ……っ……っ」
ありがとうとは言えなかった。ごめんなさいとも口にできなかった。おやすみを言う気にもなれなかった。
背負った大剣を地面に置いて焚火を背にして寝転がるカイナを、チェルはただ見ていることしかできなかった。
「っ……うぅっ……ううぅ~~っ」
チェルはたどたどしく立ち上がりながら、パンが入っている荷物へとよたよたと近寄った。涙で滲んだ視界のまま、手探りでパンを探し出し齧りつく。
「ひっ……っ……美味しくないぃっ……」
頬を流れる涙がしみ込んで少しだけ柔らかくなって、ほのかに塩味が着いたパン。カイナに背を向けて、隠れるようにしながら、チェルは泣きながらパンをすきっ腹に押し込んだ。
禄に味もしないくせに口の中の水分を奪って、喉にひっかかって呑み込みにくくて、それでも虫よりはマシだと思わなければいけない状況に一層涙が溢れ出した。
優しくないカイナが、どうして一晩の猶予をくれたのか。そんな喉に引っかかっていた疑問も、パンに押されて胃の中に消えてしまった。




