3・知りたい
警察は訊いてきた。
「何か、心当たりはありますか?」
その問いに、わたしは首を振った。警察は一瞬、残念そうな顔をした。
それから、警察はわたしを気遣うようにした。唯一の悪友だった友達の死体を発見してしまったわたしに、優しい声を作って言った。
「一人で、帰れますか?」
「……いいえ」
ちょっと厳しそうです――わたしは、そう言った。
男の人の大抵は、女子高生に優しくしてくれるものだ。それはたとえ警察であっても、医者であっても、また宇宙人であっても例外ではない。それは、ただの偏見と言えるだろうか。
大体、わたしが女子高生でなくたって、この状況であれば誰だってわたしに優しい言葉をかけそうなものだ。だからこれは、人の好意を素直に受け取れないわたしの、捻くれた偏見であると見た方がいいだろう。どちらにせよ、どうでもよかった。
警察の人に送ってもらって、アパートに帰宅したのが午前十時。それからは何もする気が起きず、わたしは布団も敷かずに床に寝転がっていた。
カノンが死んだ。未だに、実感がない。下の階で、バタバタという音が聞こえる。警察が、何かをしているのだろう。興味がなかった。
見つけた時。カノンは、部屋の隅に敷いてある布団に横たわっていた。仰向けで、目を瞑っていた。死んでいた。お腹には、見覚えのあるナイフが突き刺さっていた。見覚えのある、ナイフが。
あの時――彼が、わたしを殺そうとした時に持っていた、あのナイフが。
「……」
先程、わたしはいくつか警察に質問した。死亡時刻や、カノンの遺体の状態について。
警察は、思ったよりも詳しく答えてくれた。それは恐らく、わたしが被害者であるカノンと最も近しい人物であったからだろう。少なくとも、容疑者には入っていなかった。
そして警察によると――死亡時刻は、十一月十二日の午前一時から午前四時ぐらいだそうだ。ちなみに十一月十二日は本日の日付である。わたしとカノンが最後に会ったのが、昨日の十一日。
午前一時から午前四時――わたしは、「その時間は眠っていた」と言った。訊かれてもいないのにそんなことを言ってしまったせいで、かなり怪しく見えてしまうが、優しい警察はスルーしてくれた。というのも、わたしが犯人でないことは確定しているみたいだった。
何故なら――カノンの遺体には、乱暴された痕跡が残っていたそうなのだ。
どうしてわたしが警察に、カノンの遺体の状況について訊いたのかと言えば――その遺体が、裸に剝かれていたからである。
だから、わたしは察していた。
「……はぁ」
他にも、色々と質問をしたし、質問をされた。というか、取り調べである。幸いなことに、わたしが犯人でないことは確定しているため、警察も優しく接してくれた。まぁ、それが妥当な対応だろう。
友達が死んでいるところを発見してしまった女の子への対応としては。
とはいえ、色々と訊かれた。いくらわたしが可哀想だからって、一番可哀想なのは被害者なのだ。だから、仕事は徹底してくれた。
例えば、アパートの住人のアリバイ関係について訊かれた。とはいえ、犯人が男であることが確定している以上、警察が聞くべきは一人についてのみ――アパート唯一の男性、波久礼さんについてのみだった。
それについても、わたしはちゃんと答えた。波久礼さんはその日、アパートにいなかったと。しかし、わたしがちゃんと言わなくたって、彼の容疑は晴れていたはずだ。
だからこそ――容疑者は、一人となる。
和城桃花。彼は一時期、このアパートに――わたしの部屋の浴室に、監禁されていたのだから。
わたしは、彼についても話した。とはいえ、監禁や寝ている時に襲われた話はしていない。もしかしたら、常盤さんが話しているのかもしれないが、話していたらそれはもう仕方ない。潔く、わたしも罪を認めようと思う。被害者がわたしであることには変わりないのだ。
それに、わたしは彼の耳を引き千切ったぐらいで、それ以外は特に何の危害も加えていないのだ。たとえ捕まったとしても、そこまでの罰は受けないはずだ。耳なんて、元々聞こえないのだから、あってもなくても一緒だろう。
とはいえ、わたしに耳が聞こえない人の気持ちは分からない。だから、もしかしたら一緒じゃないのかもしれない。
しかし、彼は泥棒である。きちんと財布も盗んでいきやがったし、わたしを襲おうとすらした。
できればわたしが直接殺してやりたかったが、しかし殺人罪で捕まるのは死ぬよりよっぽど辛いだろう。
少なくともわたしは、捕まりたいだなんて思わない。だから、わたしが将来モリアーティみたいな探偵の敵になったとしても――絶対に捕まらないようにしなくちゃ。わたしはそう思った。
もちろん、そんな未来があるわけもないのだが。
目的も思想もないただ悪いだけの人間が、名探偵の敵たる資格はない。
「……」
そろそろ、逃げることから逃げなければ。わたしはカノンの死に、もっと向き合うべきじゃないのか。
犯人なんかより、真相なんかより――わたしは、カノンを知るべきじゃないのか。
これは、わたしが真人間になれる最後のチャンスなのかもしれない――わたしは、そう確信した。
彼女の全てを知って、心を動かされ、改心する。そんな、ロマンティックな人生を手に入れる。
そのために、わたしはまず――カノンの将来の夢について知るべきなんじゃ?
そう思ったわたしは、早速行動を起こした。
わたしは、自転車で学校に向かった。
理由は――カノンが将来の夢について相談していた先生が、学校にいるからである。
クラス分けは、わたしが一年A組で、カノンが一年B組だった。離れ離れにされた時は、本気で学校を呪ったものだ。そして、カノンが頼っていた先生というのが、B組の担任教師である綱茶千夏先生だった。
上から読んでも下から読んでも同じ言葉になる文句――それを回文と言うらしい。綱茶先生は名前が回文であることを、よく自分でネタにしていた記憶がある。授業は基本的に真面目に受けていないため、非常にうろ覚えだが。ちなみに、数学の担当教師である。A組とB組の数学を担当していた。
綱茶先生について、印象的だった出来事がある。
あれは、四月のことだった。
「ミラさん、起きなさい。起きないとチューするわよ」
「んん……? ……はぁぁい、起きましたぁ……」
「じゃあ、ご褒美のちゅーね」
「きゃあああああ!」
危うく、唇を奪われかけた思い出がある。わたしのイメージで言うならば、綱茶先生は完全にド変態の異常者だ。
でも、カノンからすれば違ったのだろう。だから、彼女は綱茶先生を頼ったのだ。
「……」
現在時刻は十二時で、真昼間である。あと三十分ほどで昼休みになるので、わたしはそれまで学校の外で待つことにした。待っている間、わたしは何となく昨日買ったタバコを取り出した。どういうわけか二箱も買ってしまったが、流石に高い。一箱五百円もするとは思っていなかった。喫煙は贅沢な遊びなんだなと思わず感心しながら、わたしは箱から一本取り出して、持ってきたライターで火を付ける。
「……うーん」
吸ったことがないとは言わない。この世の中、一度も吸ったことがないだなんてことは流石にないだろう。だから、これが初めてのタバコというわけでもないのだが――しかし、本当によさが分からない。わたしはそう思った。流石に咽るほどではないが、煙を吸うという行為もあまり慣れていないので、なんだか気持ちが悪い。
「まっず……」
タバコのにおいは、そこまで嫌いじゃない。親が両方とも喫煙者だからか、色々な理由で喫煙所を利用することが多いからか、分からないが……。恐らく、わたしは少数派なのだろう。でも、味はダメだった。
先に言っておくと、煙は食べ物ではない――わたしはタバコの味が普通に嫌いだった。本当に気持ち悪い。昨日吐いたばかりなのに、また吐いてしまいそうなぐらいだった。
わたしはすぐに火を消して、吸い殻をどこかに投げ捨てる。学校の前は田んぼなのだ。そして田んぼは、ゴミ箱だ。
現在時刻、十二時二分。暇つぶしにすらならなかった。一応、来る前に買っておいたミンティアを二粒ほど口に入れて、タバコのにおいを消す。とはいえ、消えているかどうか自分で確認することはできないし、また服に付いたにおいについてはどうすることもできない。
タバコって、メリットが1つもないじゃないか……。わたしはがっかりした。タバコはあと三十九本もあるのだ。
四口程度しか吸っていないので、ヤニクラはそこまで来ていないが、自身の先見性のなさにわたしは思わずクラクラしそうだった。
「……」
捨てるべきだろうか――そう思ったが、流石に勿体なさすぎる。だから、拾ったということにして波久礼さんにでもプレゼントしようかと思った。波久礼さんが喫煙者かどうかは知らないが、前に波久礼さんの部屋にお邪魔させてもらった際、灰皿があったような気がした。波久礼さん本人が喫煙者じゃなくても、彼の周りに喫煙者がいることは確定しているだろう。
常盤さんにあげるという選択肢はない。プロの水泳選手がタバコを好むとは、流石のわたしも思わない。水泳とかじゃなくても、スポーツ選手が酒を飲んだりタバコを吸ったりはあまりイメージできないだろう。それも、偏見なのかもしれないが。わたしは、偏見がよくないとは思わない。
「……まぁ、なんでもいいんだけどさ」
よく分からない独り言を大きめの声で呟いて、近くの通行人を怖がらせようを遂行しながら、わたしはそんなことを考えていた。しかし、それも結局はどうでもいいことで、それらは単なる現実逃避に過ぎなかったのだろう。
逃げている、だけ。
目的もなければ、
そもそも、追いかけられてすら、いない。
「……はぁ」
現在時刻、十二時十分。あと二十分、一体何で時間を潰せばいいというのか。流石にここで脱ぐ気は起きないし、今から中に入っても授業の最中である。たとえ数秒でも、わたしは授業なんて絶対に受けたくないのだ。
三十分から昼休みなので、その数分前ぐらいに学校に入って、先生から話を聞いたらすぐに帰ろう。わたしはそう決めた。
しかし、迂闊だったかもしれない。
学校の前でタバコを吸うべきではなかったのかもしれない。
だって――そりゃ、当たり前のことだ。
でも、当たり前のことだったのに――最悪なことに、わたしには成功体験があった。
お酒で、大丈夫だった――ならば、タバコでも大丈夫だろうと。
そう、わたしは楽観的になっていたのだろう。
というか――人の目を、気にしなさ過ぎた。
「……おい」
後ろから、呼びかけられた。振り向くと、そこに立っていたのは生徒指導の先生だった。
学校の前で、その学校の制服を着た女子がタバコを吸っていたら――通行人は、どこに通報する?
「はぁ……」
叱られ――はしなかった。ただし、厳重な注意をされた。
校門前でタバコは吸うな。お酒も飲むな。悪いことをして目立つな。制服で悪いことをするな。学校に迷惑をかけるな。
そう言われた。それで、現在時刻は十二時三十分。いい暇つぶしになってくれたというわけだ。そういう意味では、悪いことをして正解だったと言えるだろう。カッコよく時間をつぶすことができた。
だが、成績について考えるのであれば、わたしの行動は不正解以外の何物でもなかっただろう――進級、不安になってきた。
とはいっても、カノンがいない高校でわたしが進級する意味なんて、あまりないのだが。
あまりにも、ないのだが。
「……探すか」
とりあえず、わたしは綱茶先生を探すことにした。探すとは言ったが、きっと一年B組の教室にいるだろう。そう思い、わたしはB組の教室を訪れた――しかし、そこに綱茶先生はいなかった。
そこら辺にいたB組の生徒に訊いてみると、綱茶先生はいつも屋上でご飯を食べていたらしい。今日も出勤していることは確認できたので、わたしは屋上へと向かうことにした。
屋上は、生徒の立ち入りが禁じられている。しかし現在鍵が壊れているため、勝手に入り込む生徒が増えたそうなのだ。だから恐らく、綱茶先生は屋上の見張り役みたいなものなのだろう。わたしも何度か入り込んだことはあるが、運がよかったのか全くバレなかった。
まぁ、バレても構わないのだが。
「……到着しました」
わたしは呟きながら、屋上へと続く扉の前に立つ。後ろは階段なので、もし何らかのトラップが仕掛けられていてそれに運悪く引っかかり、体勢が崩れて後ろに倒れてしまった場合わたしは死ぬだろう――と、そんなくだらないことを考えながらわたしはドアノブを捻った。
久しぶりの屋上。恐らく教員が捨てたものとみられるタバコの吸い殻や空のペットボトル、何かの包装などが散乱していて、かなり酷い状態だった。しかし、これはいつも通りである――そして。
飾りだけの灰皿と、ゴミ箱と化したベンチの上に――ゴミや汚れを全く気にせず、綱茶先生が座っていた。
侵入者であるわたしをじっと見ている――美しい人だと、咄嗟にそう思った。
顔がとても整っていた。化粧っ気もなさそうなのに、周りがゴミで囲まれているのに、彼女は美しい存在として、その場に存在していた。大げさなぐらいキレイで、まだ過小評価なぐらい美人さんだった――そう。
それが、綱茶千夏先生の最大の特徴でもあった。お陰で、男子生徒にモテまくっているという噂も。男子にちやほやされるのって気持ちがいいことなのだろうか――とか、そんなことを考えていると、綱茶先生がゆっくりと口を開いた。
「……ミラさん」
次のセリフは予想できた。
「屋上は立ち入り禁止よ」
だから、わたしはこう言い返す。
「先生が独り占めしたいだけでしょ」
「そうね。でも、これはルールで決まっているのよ」
肯定されるとは思っていなかった。開き直られると、結構やりづらい。でも、ルールだなんて。
「わたし相手にルールだなんて……」
「帰らないとちゅーするわよ」
「ごめんなさい」
そうだ、忘れていた。その圧倒的に美しい外見のせいで、よく忘れてしまうことだが――綱茶先生は、変態なのだ。
だが、わたしの貞操だなんて今更だ。
綱茶先生にちゅーされるのは、普通にご褒美だろう――わたしはそう思った。
「……ごめんなさい。でも、先生から聞きたいことがあるんです」
「……」
先生は、一瞬沈黙して何かを考えた後――頷いた。
「分かったわ」
その「分かったわ」は、果たして了承の意だろうか、それとも――全て分かった、という意味だろうか。
あるいは、どちらも――
「座りなさいな。外咲奏音さんについて、よね? 聞かせてあげるわ」
だった。
だから、わたしは言った。
「座りません」
わたしは潔癖症ではないし、多少部屋が汚れていても全然気にならない程度にはズボラな自覚がある。だから、たとえベンチの上にコーヒーの空缶や吸い殻、お菓子の包装や埃がまき散らされていたとしても、躊躇なくそこに座れるぐらいには屈託なき女子高生である。
でも――大量の雪虫の死骸の上に躊躇なく座れるほど、わたしのメンタルも強くない。
よく見ると、ベンチの上では大量の雪虫が死んでいたのだ。死骸、大量発生――正直、寒気がした。わたしは虫が大嫌いで、大大大嫌いで、天敵で仇敵で怨敵で大大大の苦手で、最大の敵である。アイツらのせいで人生が狂わされているといっても過言ではないレベルだ。本当に親の仇レベルで嫌っている。
虫が滅んでくれるのであれば、地球が一緒に滅ぼうと構わない――わたしはそう思っている。
アイツらだけは、絶対に許さない。
そんなわけで、わたしは立ちながら話を聞くことになった。
「カノンさん――」
綱茶先生は、悲しそうな顔で話し始めた。彼女について。
「――あの子は、弱かったわ」
「弱かった……ですか」
カノンが弱いだなんて、わたしは一度も思ったことがない。大人から見れば、違ってくるのだろうか。
確かに――弱さはあったかもしれない。でもそれは、わたしだってあるし、綱茶先生にだってあるはずだ。
弱さがあるのと弱いのとは全く違う。
「そうね。だからカノンさんの場合は、両方だったと思うわ」
両方――弱さがあって、弱い。
大人から見た子供なんて、大抵は弱々しく見えるのかもしれないが。
「弱々しいと弱いも違うわよ。まぁ、それはどうでもいいことね」
それはそうだ。
「カノンさんは、苦しんでいたわ」
綱茶先生は、わたしの目をはっきり見ながらそう言った。
「……はい」
「別に、あなたのせいだと言うつもりはないけれど――でも、あなたが原因であるというのは当然承知しているわよね?」
どうだろうか。原因――全てではないにせよ、確かにわたしの責任もあるのだろう。わたしは常に、彼女と一緒にいたのだ。
「でも、全ての責任を負うつもりはありませんよ」
「必要もないわよ。そんなことを言ったら、あの子を守ってあげられなかった私だって、そうだもの」
守ってあげられなかった、か。担任なんて、学校の先生だなんて、所詮は他人で他人でしかない。それ以外の何者でもなく、それ以上でも以下でもない。どうして綱茶先生がカノンの死について責任を感じているのか、感じなければならないのかは謎だと思う。だがそれも、大人と子供の違いというヤツなのだろうか。
だとしたらそれは、ただの言い訳みたいなものだ。どちらも、そう。
「誰が悪かったみたいな話をしたいんですか?」
「あぁ、そうじゃないのよ」
少しだけ苛立ち、わたしは先生を責めるようなことを言ってしまった。その言葉にも、先生は優しい声で返してくれる。まるで、わたしが悪者みたいじゃないか――悪い者ではあるかもしれないが、悪者ではない。
「私だって、あの子の全てを知っているわけじゃないわ」
まぁ、そりゃそうだろう。カノンについて知っていることの量で言えば、わたしの方が断然多いはずである。カノンの両親なら、恐らくわたし以上に彼女を知っているだろうし。
だからといって、理解しているわけではないのだろうが――それを言うなら、わたしも綱茶先生も同じだ。
人が人を理解するだなんて、不可能だとわたしは思う。それは、わたしだけの意見だろうか?
「……要するに、カノンさんはどういう人間だったのかってことよ。理解なんてしなくても、それぐらいは分かるでしょう?」
「どういう、人間……」
カノンが、外咲奏音がどういう人間だったのか。
どう生きて、どう死んだのか。
どういう人物で、どういう人生を歩んだのか。
「人間性の話ね。人間性なんて、仮初でも外面でもいいわけだけれど」
仮初や外面だけじゃ言い訳だろう。
わたしは言った。
「カノンは、正直な人間じゃなかったけど、演じるようなことはしなかったと思う」
「そうね」
先生は、わたしの言葉を肯定したようにうんうんと頷く。
そして、言った。
「あなたが知りたいのは、恐らく――カノンさんの、夢についてよね?」
「はい」
わたしは、即答した。
カノンの夢。将来、なりたいもの。なれる、希望――わたしは、それを知りたい。
知らなきゃ、気が済まない。わたしはそう思っていた。
「わたしと彼女は――カノンは、同じだと思ってたんです」
わたしはいきなり、そうやって独白を始めた。先生に自分と彼女の関係について、把握しておいて欲しかったのだ。
先生が、彼女の夢を語るその前に――その理由は、矛盾と破綻に満ち溢れている。
わたしは期待しているのだ。
先生の――気遣いに。
「だから惹かれあって、お互いがお互いを求めていて、けして離れられないような関係――そう思っていたんですよ、マジで。それは共依存でも同性愛でもなく、ましてや友愛ですらない。わたしとカノンは、ただ単に一緒なだけ――同類だっただけ。わたしは、そう思っていました」
それは、単なる過去である。
あと、たとえ信頼できそうな先生だとしても、カノンが信用していた先生だとしても――
「ちなみに、詳しくは言えません」
本日2回目の生徒指導になったら本当に最悪だ。
「大体分かってるのだけれど……そうね」
どうやら先生はわたしが思っているよりも色々と知っているらしかったが、それについてはスルーしてくれるようだ。それはとてもありがたいことだ。
内心先生に感謝しながら、わたしは話を続けた。
「わたしと彼女は、出会うべきじゃなかったんだと思います。わたしは、こう思っていたんです。二人は阻害されるべき同士で、二人は見放している同士で、二人は希望を持てない同士で、二人は絶望している同士――そう思っていたんです。でも実際は、少しだけ違った」
息継ぎを入れてから、わたしは言った。
「わたしは阻害されるべくして阻害されていて、カノンは阻害されるべからず阻害されていて、わたしは全てを見放していて、カノンは自分を見放していなかった。わたしは希望を持てなくて、カノンは希望を持っていた。わたしは絶望していて、カノンは絶望していなかった――そんな、単純な対比関係だったんですよ」
夢を持つ――その概念は、わたしとは正反対に位置する。
だからこそ、わたしとカノンは違った。
何もかもが違った。
「しかも、そうでありながらもカノンはわたしと一緒にいてくれていたんですよ。今まで、ずっと」
中学を卒業して、二人で北海道に引っ越してきたのも、カノンがわたしの我儘を聞いてくれたからだ。わたしだけが好きだった悪いことに、文句も言わず付き合ってくれた。何もかもが違うわたしと、向き合おうとしてくれた――その結果が、これだ。
わたしの短い、削りに削った独白はこれで終わりである。それに対し、綱茶先生は言った。
「……なるほどね。それなら納得だわ」
「納得?」
納得というのは、ちょっとよく分からない。何の話だ?
「カノンさんの話よ。カノンさんの――なりたいものについての話」
話を戻したってだけか。まぁ、なんでもいい。
わたしはただ、彼女のことが知りたいだけなのだ。カノンのことをもっと知って、そして――自分の中の何かが変わることを期待しているだけなのだ。
そんな下種い考えで、それを聞くべきではなかったのだろう。
綱茶先生は、ゆっくりと口を開いた。
「あの子の夢は――『友達を、支えられる人になりたい』、だわ」
『どうすれば、私はミラを支えられるような存在になれるでしょうか』
カノンは、先生にそう言ったらしい。
それこそが、将来の夢――だとも。
「……」
それを聞いて、どうだろうか。
わたしの中の何かは、変わるだろうか。
真人間になれるだろうか。
カノンのような人間に、なれるだろうか。
「……あは」
そんなの、自分が一番理解していることだろうが。
「……そう、なんですね」
「あなたとあの子の関係は――既に、あの子から殆ど聞いているわ。悪いことはやめなさい」
その命令に、わたしは従いたくなかった。「はい」とすら言わなかった。
つまりは、そういうことなのだろう。
カノンの将来の夢を知って――わたしの感情は、果たしてどれほど揺れ動いただろうか。
わたしの心は、動いたのだろうか?
それだって、わたしが一番理解しているし、理解するまでもなく知っていることでもある――つまり。
一番の友達で、唯一の悪友だったカノンの献身は――何の意味もなかった、ということでもある。
「……ねぇ、綱茶先生」
「どうしたの?」
「わたし、どういう反応を返せばいいのかな」
正直言って、反応に困る――カノンの夢に対する、わたしの感想はそれだけだった。それ以上でも以下でもなく、結局わたしは変われないということでしかなかった。
「泣けばいいのか、喜べばいいのか、よく分かんないです。わたし、あんまり人に優しくされたことってないから」
「……それは、あなたの自由じゃないかしら」
そうなのかもしれない。でも、この世界に自由なんて存在しないとわたしは考える。自由を求める割には自由に縛られるタイプ。だから、人に決めてもらいたいと思った。しかし残念なことに、先生はわたしの期待に応えてはくれなさそうだった。
わたしの期待に応えるという拷問を、期待する方が間違っているのかもしれないが。それを、率先してやってくれていたカノンに、わたしはどういう感情を抱けばいいのだろうか。
まぁ、それも自由か。
「……ありがとうございました、綱茶先生」
特に、得られたものはなかった。だが、とりあえずわたしは礼を言った。心がこもっているかについては、わざわざ説明するまでもないだろう。
しかし、そんな心のこもっていないお礼に対しても、綱茶先生は丁寧に言った。
「どういたしまして、ミラさん」
それから、
「でもね、私はもう綱茶先生じゃないのよ?」
「え?」
先生はそんなことを言いながら、顔の前で左手をひらひらと振った。その薬指には、指輪がはめられていた。キラキラと輝く、銀色の指輪――それは多分、結婚指輪だった。
「……先生、結婚したんですか」
「つい最近ね。高校時代から付き合っていた彼氏と」
結婚か――わたしは波久礼さんを思い出す。結婚と言えば波久礼さんのイメージがある。そういえば、わたしの両親も結婚しているんだっけか。
あまりにもわたしと縁がない言葉だ。
それにしても、綱茶千夏というよさげなフルネームが変わってしまうのは、少し残念である。つなちゃちなつ。回文だったのに、少し勿体ない気がした。とはいえ、そんなことはどうでもいいだろう。別に、これ以上先生と雑談を続けるつもりもなかった。
とりあえずわたしは言った。
「それは、おめでとうございます」
心はやっぱりこもっていなかった。というか、別にこめるつもりもなかった。
それでもやっぱり、先生はこう返してくれた。
「ありがとう」
そして、
「だから、私はこれから『波久礼先生』だから。よろしくね」
綱茶――ではなく、波久礼先生はそう言って、にこっと可愛らしい笑みを見せた。
流石に驚いた。
確かに、タイミングがあまりにも被り過ぎているとは思ったが、まさか本当にそうだとは思わないだろう。
綱茶千夏から――波久礼千夏。はぐれちなつを逆から読んでも、つなちれぐはになるだけだった。
「……絶対、波久礼さん知ってたよなぁ」
予定通り早退した帰り道。わたしはそんなことを呟きながら、最近行く頻度がバグりかけているコンビニへと向かおうとしていた。店員さんに顔を覚えられていてもおかしくない。
覚えられていたからって、困るようなことはないけど。
「波久礼さん、わたし達の高校知ってるもん……だから写真見せてくれなかったんだ」
ぶつぶつと波久礼さんに対する文句を呟きながら、わたしはコンビニに入店する。いつも通りお酒コーナーから缶チューハイを持ってレジに向かうと、わたしがきちんと高校の制服を着ているのにも関わらず、そのまま会計を済ませることができた。
わたしが物凄い老けているのか、店員さんの意識が低いだけなのかは分からない。だが、助かることは事実だった。
もしわたしがお酒やタバコで警察に補導されたりしても、ここのコンビニの名前を出すのだけはやめてあげようと思った。わたしは、気遣いのできる女の子なのだ。気遣われ待ちの女の子達とは違う。
それでもモテないのだから、世の中は本当に不思議なことだらけだ。
そう思いながらコンビニを出ると、ドアのところで見知った顔とすれ違った。
見知った顔。
名前も、知っている。
裸も見たし、あとは――
彼が、泥棒であることを、わたしは知っている。
「……桃花くん?」
わたしは振り向いて、彼の名を呼ぶ。しかし彼は反応しなかった。というのも、彼は耳が聞こえないのである。それは、生まれつきではないそうだ――そして今は、耳すらない。わたしが引き千切ったのだ。
しかし、そんな彼はわたしに気付いていなさそうだった。彼の耳を引き千切った、張本人であるわたしに。数日間彼を監禁していた、犯人であるわたしに。彼は全く気付いていなかった。
わたしは、コンビニの真ん前で足を止めた。
そうして待つことおよそ十分。彼がコンビニから出てきた。
わたしは彼の前に立ちはだかり、そしてはっきりと口を動かしながら、発声した。
「久しぶり、桃花くん」
「な……っ!」
わたしに気付いた少年は、すぐに逃げようとした。しかし、ボロボロでガリガリな中学一年生に逃げられるほど、普通中の普通体型であるわたしも弱くはない。すぐに捕まえた。
そして、彼の目を真っ直ぐ見て、わたしは言った。
「ついてきて」
「……」
彼は、コクリと頷いた。




