第五十三話 残照の面影
その瞬間、謁見の間の時間は凍り付いた。
女王グリーム=ヒルデが、礼節も、玉座の重みも、そして自らの企みですらかなぐり捨てて駆け下りた。
混乱するグルムとエレノアの目の前で、彼女は片膝をついたままの耕助の首に細い腕を回し、その胸に顔を埋める。
「ダレン…! 戻ってきてくれたのだな、ダレン…!」
震える声。
それは一国の主の威厳など微塵もない、ただの恋する少女の慟哭だった。
――ダレン=ヒルド。
かつてグルムを師事し、鍛冶の腕を磨きながら軍事開発研究員として能力を開花させ、ロナルディア全土に広がりつつある魔装騎士を完成させた男。
グリームは、一切の躊躇なく耕助を想い人として、その体にしがみついた。
…以前、師であったグルムとの初対面でも見間違えるほど、耕助の顔、姿形はグリームの想い人、ダレン=ヒルドに酷似していた。
「……ちょ、まっ、ええええええ!?」
当の耕助は、柔らかい感触と高貴な香りに包まれながら、魂が口から漏れそうなほど困惑している。
その様子を、始めは呆気にとられて見ているだけのエレノアだったが、不意に目を据わらせるとグルムに言った。
「…剣匠殿。確かに以前、ダレン某という者が、耕助に似ていると聞いてはいたが、ヒルデ女王の恋人だったとは聞いてないぞ?」
その言葉に対してグルムは、両手を前に出して慌てながら答える。
「お待ち下さい、賢者様。…確かにダレンは私の工房にいて、年端もゆかぬ陛下もよくお見えになっていましたが、二人がそのような仲だったなど知りませんでした。」
「…しかし、この様子だと只ならぬ関係だったと思わずにはいられんぞ?」
「…とはいえ、私も鍛冶一筋の男ゆえ、色恋についてはトント…申し訳ありません…。」
エレノアは、頬のあたりを掻きながら小さくなるグルムを見て、未だ独り者であることを思い出した。
二人が、困ったようにそう話している間も、グリームは涙を流しながらダレンの名を呼び続けている。
すると、グリームの側にいた四人の重鎮の一人がようやく再起動してグルムの方へと近づいて来た。
「…グルムよ。」
「おお?!ドルム=バセージではないか!?久しぶりだな?」
グルムは、思わず助かったとばかりに破顔する。
「その話はいい。お主、ダレン=ヒルドを匿っていたのか?」
かつて、共に鍛冶の腕を競い合った仲の、現軍事部門最高司令官が疑いの視線を見せながら問いかけた。
「待て待て。あの男は、ダレンではないぞ?さっきも言った通り、異世界人の神代耕助という男だ。」
「バカな。あれは、どう見てもダレンではないか。…ましてや、陛下が見間違うハズがない。」
ダレンが死んで以来、一途に想い続けていたことを知るドルムはグリームの泣きじゃくる姿に視線を送りながら言った。
「…気持ちは分かる。だが、あ奴はまったくの別人だ。…瞳の色と髪の色をよく見るがいい。王族の証しであるオッドアイではなく髪も黒髪だ。」
「しかし、余りにも似すぎているぞ。瓜二つだ。」
その言葉に、エレノアは前に進み出て答える。
「バセージ殿。フレアハンマ殿が申す通り、あの者は私が召喚した異世界人です。…申し訳ありませんが…。」
「…そうか…。」
ドルムは、少し寂しげな表情を浮かべると耕助の胸の中にいるグリームに近づいて震える肩に手を置いた。
「…陛下。申し訳ありません。…その者は、ダレン=ヒルドではございません…。」
「?!」
一瞬、ドルムが手を置いたグリームの肩が震える。
そして、ハッと耕助から体を離すと、改めてその顔を見た。
「何を言っておる?!…間違いなく、ダレンではないか?!」
グリームは、鋭い目つきでドルムに振り向く。
「いいえ。よくご覧下さい。…瞳の色も髪の色もダレン=ヒルドとは違います。…この者は、セレスティアの賢者殿が召喚した異世界人にございます…。」
ドルムは、力強くそう言うと顔を伏せた。
そして、再び顔を上げると力の籠った視線でグリームに言い諭す。
「お気を確かに。…もう一度申します。この男は、神代耕助殿です。…ダレン=ヒルドは死んだのです。」
そう言われたグリームは、もう一度、耕助の顔を見つめた。
グリームにとっては、確かめたくもなかったが、目の前にいる男の瞳は只の黒目で髪の色も黒髪だった。
すると、耕助は真剣な顔でグリームの腕を握って引き離すとようやく口を開いた。
「…女王陛下。悪いな。俺は、そのダレンって男じゃない。…神代耕助っていうしがない傭兵だ。」
「…。」
グリームは、少しずつ現実を取り戻し始める。
ゆっくりとではあるが、自分の手で耕助の身体から
その身を離した。
「…すまぬ。取り乱した。…そうか。貴様があの異世界人か…。」
グリームの言葉に耕助は肩を竦めて答える。
その様子を見て、ドルムは立ち上がるとグルムとエレノアに言った。
「…申し訳ないが、一度、この謁見はここまでにしてもらいたい。…お互い、時間はないが陛下が落ち着くまで猶予を貰いたい。」
グルムとエレノアが、深く頷いて答えるのを見ると、グリームの手を取る耕助を見た。
その目には、女王を労る色とは別に、何かに失策したような複雑な気配が鬱論でいる。
耕助は、その視線に怪訝な思いを抱きながらも真剣な面持ちで答えた。
「わかった。この状況じゃ、俺達も頼み事をしにくいし、なによりそんな空気じゃないもんな?」
「感謝する。追って沙汰を送るゆえ、先ほどの部屋でお待ち頂きたい。…よろしいか?」
ドルムの言葉に三人は頷いた。
耕助は、何かを思案するように押し黙るグリームの手を優しく握ると離れ際に言った。
「それじゃ、女王陛下。また後でな?」
「…ウム。」
わずかに、威厳を取り戻しながらグリームは頷くと立ち上がって玉座の方へと、少し覚束ない足取りで歩き始めた。
すると、残された耕助に思わずエレノアが呟く。
「…お前が空気を読むなんてな。…悪いことでも起きなきゃいいが…。」
「やかましい!」
耕助は、悪態をつきながら立ち上がると、グルムとエレノアを連れ立って、玉座に背を向け謁見の間の扉に向かって歩き始めた。
■△■△■△■
応接室。
メイドの用意してくれた、魔法によって冷やされた果実水で喉を潤した三人は、一様に真剣な面持ちで言葉もなくソファに体を預けていた。
しばらくして、ようやくエレノアがグルムに言葉をかける。
「…剣匠殿。これはどうしたらいいものか?」
「はい。正直、私にも分かりません。…女王陛下があれほどダレンを慕っておったとは…。」
「それはともかく、ヒルデ女王の心証を悪くしたのではないか?…こちらが意図した事ではなくても、過去の女王の想い人の偽物を連れてきてしまったんだぞ?」
その言葉に、耕助は不機嫌な顔を見せる。
「偽物って…。他の言い方ないのかよー…。」
すると、それまで静かに三人の様子を見ていたミルンがグルムに怪訝な表情を見せた。
「…親方、耕助が偉い人になにかしたんですか?」
「そうなのだ、ミルン!よりによって、耕助が昔、女王が好きだった男にそっくりだったらしいのだ。」
「…そうなの?」
エレノアの言葉に、ミルンは窺うような視線でグルムに聞き返す。
「そうだ。…昔、亡くなったダレンという男が私の弟子におったのだが、それが耕助にそっくりでな。どうやら、そのダレンは女王の想い人だったらしい…。耕助の顔を見て泣いてしまわれたのだ。」
そのグルムの言葉に、ミルンは顔を曇らせると呟いた。
「…女王様、かわいそう…。」
「「「…。」」」
三人は、ミルンの言葉にハッとして、思わず押し黙った。それまで、自分達の都合しか考えてなかったことに気づく。
「…たしかにそうだな。一番、気の毒なのは陛下だったな…。」
グルムは、そう言ってミルンの頭を撫でた。
エレノアも耕助も、反省したような表情を浮かべてミルンの俯く顔を眺めた。
「…なんか、恥ずかしいぞ。…やっぱり、一番悲しいのは女王陛下だもんな。」
耕助もミルンの頭を撫でる。
エレノアも、その衝動に駆られたが、敢えてせずにもう一度グルムに聞いた。
「…剣匠殿。知っている範囲でいいから、陛下とダレンとやらの話を聞かせてくれないか?…正直、詫びれるものであればそうしたいものだ。」
すると、そのタイミングを計ったようにグリームの側にいたはずのドルムが応接室に現れた。
「…それは、私の方から話そう。…その朴念仁では答えようがないであろうからな。」
「ドルム!…陛下はもう良いのか?」
グルムは、突然の訪問に驚きながら聞いた。
難しい表情を浮かべながら、ドルムはため息交じりに答える。
「…ああ。今、従者が自室までお連れしている。…それにしてもグルムよ。ひと言でも、その異世界人がダレンに似ていることは伝えて欲しかったぞ。」
「…すまぬ。今、その話をしていたところだ。…まさか、ダレンと陛下がな…。」
「ウルバスで知らぬ者がいないほど、有名な話だぞ?…まったく、お前というヤツは…だから未だに独り身なのだ。」
「ほっとけ。貴様こそ人の事は言えんではないか。」
グルムの返しに、思わずドルムはゴホンと咳払いをして肯定してしまう。
「…まあ、良い。神代殿がダレンに似ていたのは、そちらのせいではない。」
「当たり前だ。俺だってガッカリなんだから。…あんな美人に抱きつかれたと思ったら、人違いだったんだぜ?…残念過ぎるだろ?」
「…お前ってヤツは。今はそういうのは自重するところだぞ?少しは仁を見習ったらどうだ?」
エレノアは、呆れた顔で耕助を嗜める。
ドルムは、その様子に思わず口元を緩めて言葉を続けた。
「…人違いとはいえ、貴殿の口からキレイと言われたと知れば陛下も喜ばれるであろう。…伝えておく。…ところで私がここに来たのは、別に責める為に来たのではない。…貴殿らに交渉する為に来た。」
ドルムのその言葉に、その場の空気が変わる。
グルムは、それを感じると側にいたミルンに声をかけた。
「…ミルン。隣の部屋で待っててもらえるか?」
その言葉にミルンは黙って頷いて隣のゲストルームの方へと向かって行った。
それを見届けると、最初にエレノアが口を開く。
「…なにやら、キナ臭い話のようですな?」
エレノアの探るような視線を感じながらドルムは、姿勢を改めて答えた。
「そうだ。…まず、貴殿らがこのウルバスに到着した時とほぼ同じ時間に、帝国から宣戦布告の尚書が届いた事を伝えておく。」
三人は、そこでようやくウルバスに到着してから感じていた不穏な気配の正体に気づいたのだった。




