第四章 第六話(3)『白面天魔』
――シャルロッタさんって、こんなに足が速いんだっけ?
目の前を駆けるシャルロッタを追いながら、レレケは息を切らせて走る。
ホーラー師匠の元を出て以来、旅で足を鍛えているとはいえ、元々が研究者の彼女である。森の中に入るや否や、息も上がり、見失いそうになる。その度、「シャルロッタさん! 待って!」と声をかけるも、待ったら連れ戻されるとでも思っているのか、振り返りもせずに、シャルロッタは足を緩めない。
だが、ここで放っておく訳にはいかなかった。
あのジャコウウシの鎧獣騎士の脅威から免れた事は僥倖であったが、怪物が出没する森の中なだけに、危険の度合いは街と変わらない。
急ぎ彼女を捕まえて、自分の獣使術で何か防御策を講じねばと思うのだが、この走っている状態では、満足に術の短筒さえ取り出す事が出来なかった。
トレードマークの羽根つき帽子を途中で枝にひっかけながら、それには目もくれず、レレケは彼女を追いかけ続ける。
やがて、体力の差が出て来たのか、それとも若いシャルロッタに分があるのか(レレケ自身も、まだまだ若いのだが)、段々と両者の距離は開き、気付けば森の闇に吸い込まれるように、シャルロッタの姿を見失ってしまった。
息をつき、仕方なくその場で体を折るように立ち尽くすレレケ。
こうなったらと、懐中より短筒を取り出し、追跡出来る擬獣を呼び出そうとする。
どの神之眼を出すべきかとほんの数瞬考えていたら、不意に樹々の間から、大きな草ずれの音が響いて来た。
全身が硬直する。
え? まさか? 自分の所に来たの?
走り疲れた汗が、嫌な汗へと変わって彼女の背を伝い、途端に、先ほどまでの恐怖が蘇ってくる。
どうしよう? 今出すべきは、身を守る擬獣かしら? でも、鎧獣騎士さえ殺す化け物相手に、どんな擬獣でも相手になるはずがないし……。
とりあえず、手持ちの中で、一番戦闘力がありそうな動物を選び、急いで術の準備をしようとすると、草ずれの音は更に大きくなる。
〝それ〟が暗がりから姿を現した。
「ひっ……」
思わず悲鳴が漏れてしまう。
怪物。
巨大な角。
サイ並みの巨体。虎のような体型。
見間違えようはずもない。恐怖のあまり、手にしたランプを落としそうになる。
相手はしっかりとレレケを見据えていた。
熊やライオンなどとは違う。
全く情報のないこの怪物相手に、どのような対処をすれば良いか。
こうなればとありったけの知識を動員して、知っている限りの猛獣対策をしようと腹をくくる。だが、まずは獣使術だ。自分の持てる中でも、それ以外に有効な手立てはないと思える。
手にした短筒の蓋を開け、視線は怪物に向けたまま、恐る恐る術を放とうとする。
「止せ。獣使術など無駄だ」
そこに予期せぬ声。
男の声だ。
この森に、彼女ら以外で言えば、イーリオ君達?
だが、それは否定の形をとって、彼女の眼前より姿を表した。
怪物の後ろより、まるで気安いペットのような馴れ馴れしさで、恐るべき怪物の肌を撫でながら、その声は形となる。
「スヴェイン……!」
波打つ黒い長髪。彫りの深い白面に、虚無的な笑み。黒灰色のローブを纏っているが、その両目は、かつて王都にて彼女を襲った、謎の女殺人者らと同じ、銀製の眼鏡に似たゴーグルで覆われていた。ゴーグルの柄の部分より伸びる細い管は、彼の手にした短筒に繋がっており、それはレレケの手にしているものとどこか形状が似ていた。
「貴方がここに居るって事は……、いえ、その態度、この怪物騒ぎも、全て貴方達、灰堂騎士団の仕業って訳ね」
突然の男の出現に戸惑いはしたものの、彼女は事態をすぐに呑み込み、全てを理解した――つもりだった。
スヴェインは薄く笑い、何も答えずに、怪物の背を叩く。
やがて、怪物は身じろぎするように唸ると、息を荒げ、その場に座り込んだ。
「これは……?!」
あの凶悪だった化け物が、華奢とも呼べる白面の男の手振り一つで、言いなりになっている。
「まさか、獣使術……? この化け物は、一体?」
「凄いだろう? これは我々の研究成果の一つさ。鎧獣の、いや、人類の可能性の、新たな一歩という訳だ」
「貴方が創ったって言うの? この化け物を?」
またも彼は、彼女の問いに答えはしかなった。ゆっくりと短筒を動かすと、何やら操作をする。
レレケはその態度に忌々しさを募らせて、重ねて彼に問いかけた。
「貴方……あの時言ったわよね? クラウス兄さんを貶めたのは、自分じゃないって……! じゃあどういうつもり? 一体何故、トルベン卿を殺したの? 貴方の目的は何なの?!」
「ずっと前、言ったじゃないか。私の目的は一つ。神之眼の、この世の鎧獣、全ての謎を解き明かす事。それが目的だよ」
「巫山戯ないで! それのどこに、この怪物や、トルベン卿殺害が、関係あるっていうの?! 貴方が黒母教に――灰堂騎士団なんていう組織に属している事と、錬獣術の謎を解き明かす事は、どう説明するの?」
「そうだなぁ……」
そう言って、スヴェインはつかつかと彼女の側に近寄っていった。
レレケは思わず身構える。
「まずは訂正しておこう。私は灰堂騎士団ではない。彼らは、我々とは別だ」
「……どういう事?」
「言ったままの意味だよ。同じ黒母教に属するので、互いに協力しているが、彼らは彼らの目的で動いている。まぁ、大本は同じだから、いずれ行き着く先は合致しているんだがな」
意味が判らない。だが、レレケの不審げな表情を知っていながら、彼は続けた。
「君はどう思う? この〝怪物〟なる生き物の事」
急な話の飛躍に、彼女は戸惑う。
こういう芝居じみた言い回しは、昔から変わっていない。
そう。彼女の言動も、彼の影響によるものだった。彼女はそれを忌まわしく思いながらも、どこかでその影響を否定出来ずにもいた。
「どうって……〝これ〟はまさか、〝合成鎧獣〟なの? だとしたら、とんでもないわ。鎧獣を――、命をもてあそぶ、悪魔の所業よ」
スヴェインは嘲るように鼻で笑う。
「貴方の父、ホーラー師だって、それが非道な実験だと知って、貴方を勘当したのよ。それが分からないの?」
「君は……いや、君達は大きな勘違いをしている。命だって――? 鎧獣を相棒か――友達だとでも思ってるんじゃないか? 違う。鎧獣は兵器だ。純粋な力の道具だ」
「でも、鎧獣は生きている。生命を持った武具よ。言うなればそう、鎧を纏った騎士のようなもの。戦争ともなれば、騎士は兵力として扱われるけど、彼らは本来、兵器ではなく、一個の〝人間〟として敬われる存在よ。鎧獣だって同じ」
「それが勘違いだと言うのだ。鎧を纏った騎士ではなく、鎧獣とは〝鎧〟そのものだ。鎧に人格はない。愛着は湧くかもしれんが、どこまでいっても鎧は鎧。なまじ生きているから、人は勘違いをしてしまうが、アレに敬うべき生命など存在せん。その証拠に、人間や動物は、生命を落とせばそこで終わりだ。唯一度しか己の生は存在せん。だからこそ尊い生命なのだが――鎧獣はどうだ? 失われても、神之眼があれば、また蘇る。何度でも。そんなモノが、人間と同じ〝生命〟だと?」
レレケの倫理的規範からすると、到底、容認出来ない彼の発言。だが、どこかで彼女も、それを根こそぎ否定出来ない気持ちがあった。
「……だからと言って、こんな非人道的な実験生物を生み出した事の言い訳には出来ない。貴方のやっている事は、やはり許される事ではないわ」
そこでスヴェインは、またも芝居がかった仕草で、己の指を立てた。
人差し指、次いで中指。
「二つ目の訂正だ。〝怪物〟を創ったのは、私じゃない」
白面の笑みが、悪魔的な愉悦の色を浮かべる。
嫌な予感がした。
駄目だ。彼の言葉を聞いちゃいけない。けど――
「〝怪物〟を創り出したのは、君の父上だ」
「!」
今やスヴェインは、神の子を誑かす、悪魔の使いそのもの。
「さて、私の本題を言おう」
彼はゆっくりと手を差し出す。天使のような素振りで、悪魔の手を。
「会いたくないか? 君の父に?」
分かっている。自分は既に、彼の語る術中にいるのだと。彼の芝居がかった仕草も、その虚飾に満ちた言動も、全ては、次なる一言のため。わかっている。それを受け容れてはならないと。
けど、それでも――。
「生きて……いるの?!」
問わずにはいられない。
レレケの父、イーヴォ・フォッケンシュタイナーは、伝説の授器〝ウルフバード〟を求めて旅に出、その先で命を落としたと聞いている。その証拠に、父は行方を晦ましてより、未だに姿どころか手がかりさえ掴めていない。それが彼女の運命の、全てのはじまり。兄の不運も母の死も、全てはそこからはじまった。
その父が――。
「私と来るんだ」
もし、彼の手を掴んでしまったら――。
「君の父上に会わせてやろう。レナーテ・フォッケンシュタイナー」
悪魔の使いは、彼女を誘惑する、いや、束縛する最後の呪文を言い放った。




