第四章 第六話(2)『麝香牛』
砕かれた市壁が、石くれと粉塵を巻き散らす。
そのただ中に、ジャコウウシの鎧獣に跨がるベネデットと名乗る男がいた。
「お前、あの男を知っているのか?」
伍号獣隊・次席官のカレルが、露骨に眉を顰めながら、横のリッキーに尋ねる。
彼の指すベネデットが、リッキーの事を知っているかのように吠えたからだ。
「知らねーよ、あんなムサ苦しいオッサン」
リッキーの言葉はにべもない。
しかし、恬淡とした台詞に反して、両名の表情は厳しい。
男の言う〝灰堂騎士団〟なる名前。それこそ、リッキーの帯びた使命の元凶。メルヴィグ王国各地を襲撃しているという、黒母教過激派組織の名前だからだ。
「覚えておらんでも無理はないか。あの時は鎧化したままだったからなぁ。だが、俺の鎧獣、センティコアは覚えとらんか? 貴様ともう一人のチーター使いの二人掛かりでも止められんかった、俺の鎧獣を」
ベネデットなる髭面の男が跨がる雄牛。
長毛が全身を包み、額部全体を覆うように生えた半月状の角。
寒冷地に適応した古くより息づくウシ科の生物。
ジャコウウシ。
リッキーは、はたと思い出した。口から漏れるように呟きが出る。
「あの時……! マクデブルクを襲ったヤツか……!」
という事は、やはり砦襲撃は、ゴート帝国のものではなく、〝灰堂騎士団〟が仕組んだという事――。
だが、初見でリッキーが気付かないのも道理。ジャコウウシは同じでも、その身に纏う授器の色も形状も、以前戦った時とは、著しく異なっていたからだ。
鎧獣がその身に纏う、形状変化する武器・防具、授器は、一個体一個体それぞれに合わせて造られたものだから、形の違う複数の授器を持つものは少ない。例えば、諜報活動のような特殊な事情に従事するため、複数の授器を常備している場合もあるが、それらは極めて稀だ。
――偽装の為に授器を変えたという事か……。
何とも手の込んだ事だと半ば呆れつつも、単身ここに乗り込んで来ているという事実と、傲慢とも思える己の力への自信。そして、マクデブルクにおける実力などを鑑みても、容易ならざる相手だという事は、全員が一瞥で理解していた。
「灰堂騎士団……とか言ったな。さっきの怪物をけしかけたのはオメーらか?」
「さぁな?」
薄ら笑いを浮かべ、恍けるベネデット。
「テメーら、一体何が目的だ? メルヴィグ王国にケンカ売って、一体何がしてぇんだ?」
嘲るような表情をして、ベネデットは、ジャコウウシの背から降り立った。
「見れば分かるだろう? 貴様らを嬲り殺しに来たのよ。と言っても、貴様らだけではないぞ。貴様らの国ごと、我々が嬲ってやろうというのだよ」
「あぁ?! てめー、状況がワカってんのか? 腕に自信があるみてーだが、一人で何ができるっつーんだ? コラ」
ベネデットの挑発は、リッキーの神経を逆撫でした。
短慮のようだが、それは流石に、相手の言動が浅はかに映る。何せ、状況は五対一。いくら実力者でも、それは傲慢に過ぎるというものだろう。
だが、そんなリッキーの怒りに水を差すように、戸惑いの色をした声が上がった。
「ツ……次席官!」
声を出したのは、伍号獣隊の隊員だ。カレルが何事かと隊員の方を見ると、彼も目を見張った。
「我々の鎧獣が……!」
そこで初めて、リッキーも仲間の方に視線を移す。
隊員の傍ら。
喘ぐように舌を出し、苦しげに横たわるのは――
彼らの鎧獣。
ここにいる伍号獣隊の六騎は、この異様な症状を出していなかったはず。
にも関わらず、何故ここにきて、彼らまでもが……!
愕然としながら、もしやと思い、リッキーとカレルは、雪豹の鎧獣、ベルヴェルグを見ると――同じ症状を発していた。
「何で……!」
思わずレレケを見るも、彼女も呆気にとられていた。一体何故? 何が原因で? そこでリッキーは、咄嗟に気付いて、灰堂騎士団の使徒、ベネデットを睨みつけた。
果たして彼は、髭面に笑みを浮かべて、ニヤニヤと嘲弄している。
「てめェ……! てめェが原因か! こいつは」
ベネデットはわざとらしく首を傾げて嘯く。
「さぁてな。何の事やら? だが、どうやら、ここには俺以外、ただの一騎も鎧獣騎士はおらんようだな。満足に鎧化も出来ん代物を鎧獣騎士とは言わんだろう。――で? さっきお前は何と言った? 状況が分かってるか、だったな? その言葉、そっくりそのまま返してやろう。お前こそ、この状況、分かっているのか?」
この男が状況を作ったのかどうか――今はそんな事、どうでも良かった。
こちらにあるのは、鎧化出来ない騎士――つまり、ただの人間が六人と、非戦闘員の女性が二人。相手はジャコウウシの鎧獣騎士。
まだ相手が鎧化していないとはいえ、そうなったら本当に嬲り殺しだ。こちらはただ、一方的に殺戮されてしまう。
これを見ていたレレケも、必死に状況から、何か出来る手はないか、この症状を治す方法はないかと知恵を巡らす。
……だが、まるで見当がつかない。
鎧獣を機能不全にするだなんて、そんな方法、聞いた事が無い。
「貴様ら雑魚相手に、長々と話す気はない。もうじき夜も明けるしな。ではまぁ――皆殺しにしてやるか」
ベネデットは嗜虐的な笑みを浮かべ、「白化」と告げる。
絶望が姿を纏って、白煙より表れた。
十フィートを超える巨躯には、有り余る力を漲らせた、力感に満ちた筋肉。
それを、モップのような長毛と、黒灰色の防具授器が覆っている。
四肢の先端は白い毛に覆われ、そこだけが短毛だ。それゆえ、満ち満ちた筋力が、克明に浮かびあがっていた。
山羊のような四角い瞳孔は、無機質な殺戮を表しているかのよう。
手にした大刀は、巨大な包丁のようでもあり、処刑の大剣よりも、凶々しさに満ちていた。
牛頭人身の人獣。
人牛騎士。
〝センティコア〟。
全員が感じた。
絶体絶命だと。
だがそこで、何かの違和感にレレケは気付いた。
――いない。
自分の横にいたはずのシャルロッタが、いつの間にやら姿が見えない。
よく見ると、ベネデットが破壊した壁面の残骸を乗り越え、彼女は外に向かおうとしている。
――逃げる?! 違う、まさか!
イーリオを追いかけようというのか。
彼女は皆の混乱を衝いて、ここぞとばかりに駆け出していたのだ!
この暗がりと霧の中、異形の怪物が出没する森に、一人で向かうなど、無謀を超えて自殺しに行くようなもの。
レレケは焦り、次いで、鎧化したベネデットの様子を伺う。
見ると不思議な事に、人牛の騎士は、何故か行ってもいいと言わんばかりに、彼女の行く手のみを、不自然に無警戒にしている。
――罠?
一瞬そう思ったが、考えてみれば、ベネデットなら、シャルロッタが駆け出したのにも気付いていたはずだ。ならばわざと見逃したとでも言うのだろうか?
しかし、躊躇い、これ以上考えている暇などない。
レレケは決断し、その場から駆け出した。
流石に、皆もレレケの動きには気付き、「危ない!」と思ったものの、やはりベネデットは、そのまま後方へと彼女を見逃した――。
ベネデットは何もしない。
――ただの女を嬲るのは、性に合わねぇ。
やるんなら、あの出来損ないの怪物に任せるか、ラフにでも任せちまおうと、彼は心中で思っていたのだ。
だがそこで、ベネデットはもう一つの人影も駆け出した事に気付く。
気付いたと同時に、その影の進路を塞ぐ形で、大刀を地面に突き立てた。
影は怯み、その場に立ち尽くした。
「ドグ! 大丈夫か?!」
リッキーの声に、ドグは恐怖から我に返る。レレケの前方にシャルロッタを見、彼も共に行こうとしたのだが、何故かそれは、センティコアとなったベネデットの剣に、阻まれる形となった。
「その身なり――、お前は騎士だろう? ならば、ここを通す訳にはいかんなぁ。一緒に殺されろ」
人牛騎士センティコアが、大刀を高々と振り上げる。
「待てよ」
その動きを制するように、リッキーが叫んだ。彼の後ろには、よろめく足取りで、それでも踏ん張るように、彼の鎧獣、ジャガーの〝ジャックロック〟が立っていた。
何をする気だと、ベネデットは訝しげに睨むと、リッキーの口から、思わぬ一言が発せられた。
「白化」
踏ん張る後ろ足も必死でありながら、ジャックロックは白煙をあげて覆い被さり、吹き払われた煙の中、白地に金縁、燃える炎を象った紋様が描かれた授器をその身に着けた、人豹騎士が姿を見せた。
まさかと思ったが、一番、驚いたのはベネデットであった。
「鎧化しただと……」
あの〝毒〟を受けて、動けるどころか鎧化してしまうなんて――。さすがは音に聞こえた覇獣騎士団の次席官といったところか。
「やるなぁ、〝炎の音撃〟。だが、見た所、どうやら立ってるのもやっとって感じだぞ? そんな有様で俺とやろうってのか?」
自分でも、鎧化出来るかどうかは一か八かの賭けだった。だが、みすみす自分の弟子であるドグが殺されるのを、黙って見ている訳にはいかない。そう思うと、体が勝手に動き出していた。
とはいえ、鎧化出来た事は、正直、リッキー自身も驚いている。
奴の言う通り、動きの重さ、ジャックロックから伝わってくる苦しさを考えれば、とても戦えるような状態でない事は明白だ。
――どうする?
とりあえずドグが真っ先に殺されるのを阻止出来たものの、それは事態を先送りにしただけに過ぎない。何か良い手はないかと考えていたら――
「白化」
もう一人、別の声。
白煙が吹き払われて姿を表したのは、雪豹騎士ベルヴェルグであった。
「カレル、おめー……」
ベルヴェルグは、辛そうに首を巡らして言った。
「フン。お前にばかりいい格好はさせられんからな。それに、ここは俺の戦場だ。お前に譲る気はない」
この状況下でも、カレルの態度は相変わらず。リッキーは鼻白んだが、むしろ今は、その態度が頼もしくさえあった。
「相変わらず、口の減らねェ野郎だ……。けどまァ、戦力半減の今なら、オメーと二人で、一人前ってところだな」
「だれが半減だ? 俺のベルヴェルグは半減などしておらん。いつもよりほんの少し調子が悪いだけだ。貴様と一緒にするな」
「はァ? よく言うぜ、鎧化するのもやっとだろーがよ?」
実際、ベルヴェルグの状態は、外から見ても通常のものではなかった。だが、誰もが分かっていても、カレルの強気は変わらない。
「第一、俺がいつ貴様と共闘するなどと言った? 冗談は貴様の頭だけにしろ」
「てンめェ……!」
そこへ、空気を両断する勢いで、彼らの間に、大刀が振るわれた。
地面が裂け、土塊が舞い飛ぶ。
「茶番は終わりか?」
ベネデット=センティコアが、不快げな声で、大刀を無形に構えた。
「例え十全な状態だろうと、貴様ら次席官如きが、何人かかって来ようとも、灰堂騎士団十三使徒の敵ではない」
余裕というよりも、確定的な事実を告げるような、抑揚の無さ。
その言い様にも、今はただ歯噛みするしかない。正直、半減どころか、二割程度の力でさえ出せないのが、今のジャックロックとベルヴェルグだ。獣能どころか、獣騎術でさえ満足に操れるかどうか……。
だがそれでも、二人に諦めの二文字はなかった。
覇獣騎士団が、このような輩に後れをとるなど、誰あらん、彼ら自身が、それを許さないからだ。
二騎の人豹騎士は、互いに剣を構えた。
柄を握る拳は、力なく震える。
握力さえ出ないようだ。




