第四章 第六話(1)『発症』
イーリオは、鎧化していた。
場所は暗夜の森の中。
濃霧が足元に沈殿する、明け方の少し前。
傍らには、同じく鎧化した、ピューマの鎧獣騎士、覇獣騎士団 伍号獣隊の一人が同行している。
彼らは警戒をしながら、跳ねるように森を進んでいた。人間で言えば、全速力で走っているよりも遥かに速い。だが、鎧獣騎士からすれば、音をたてず、慎重に歩を進めているに等しかった。
慎重にもならざるを得ない。
彼らが追うのは、モンセブールの街を襲撃した、異形・異能の巨獣。
〝怪物〟なのだから。
伍号獣隊の次席官、カレルが撃退し、あと一歩で捕獲というところまで追いつめはしたものの、もう一匹の〝怪物〟が表れ、これを救い、逃がしてしまう結果となったのだ。イーリオはそれを追うと言い、伍号獣隊の隊員一名と共に、森の中へと進んでいった。
イーリオが追いかけようと思ったのは、リッキーの一言があったからだ。
彼は言った。
――街の外で、何かの気配を感じた。
〝何か〟が何を指すかはイーリオにも分からない。ただ、確証があったわけではないが、自分達が辿って来た行跡を鑑みるに、今回の一件は、〝仕組まれた〟ものではないかと察していた。であれば、この〝怪物〟を辿れば、障害となっている者の姿が明るみに出るかもしれない。更に言えば、〝怪物〟そのものの存在も気になる。サイのような角に、体表。姿形は虎に似ているが、無毛な上、性は獰猛。何より信じられないのは、鎧獣騎士の剣も通じぬ体に、疾風のような動き。そしてその牙。どれもが現生動物の枠を遥かに超えている。あれこそ正に、神話に出てくる〝破滅の獣〟であるかのような……。
その〝怪物〟を捕らえる事が出来れば、何かが分かるかもしれない。それにもう一つ、イーリオは〝怪物〟について、恐るべき事実を視ていた。
頭部に三つの神之眼。
巨大な角に隠れるように、大きめの神之眼が一つ。そして後頭部に二つ。
それは〝絶対に〟有り得ぬ事。
神之眼持ちの生物が持っている神秘の結石、神之眼。それは一個体につき一つ。これは錬獣術、いや、世界の常識である。二つと持つ生物など、確実に存在しない。
例えば、レレケが用いる獣使術。
これは二個以上の神之眼を用いる事により、合成獣の如き、複合された擬似生物を錬成させる。これを可能たらしめているのは凄い技術だが、だからこそ、生み出せるのは鎧獣ではなく、時間制限のある〝擬似生命〟でしかないのだ。
本物の生命体を創り出す事は出来ない――。そう、レレケは説明してくれた。
二個以上の神之眼を使えば、生物として、生命の力とでもいうべきものが暴走し、生命体として、体を維持出来なくなるのだそうだ。
神之眼一個には、生物としての必要な情報が、余さず全て詰まっているという。
それを複数個組み合わせると、情報過多となってしまう。だから獣使術では、半透明の、まるで幽霊の如き擬似生命体でとどめる事で、錬成を実現させているというわけだ。
かつてゴート帝国国境でのティンガル・ザ・コーネ襲撃の際に、カプルスに翼を発現させたのは、それの応用であり、獣使術の奥義ともいうべき技だという。あれも、時間制限付きだが、鎧獣に即席で、獣使術の複合生物を〝発現〟させていたのだ。
――ただし、あの時、何故かザイロウにはそれが発現しなかったのには、レレケも頻りに不審がってはいたのだが――。まだまだ磨くべき余地のある技なのかもしれないし、ザイロウという謎多き鎧獣ならではの、獣使術を阻害させる何があったのかもしれない。
ともあれ、だからこそ、〝怪物〟に神之眼が複数あった事は、とても信じられない〝事実〟であった。
それが何を意味するかも、まだはっきりと答えに出来ていない。ただ、何か彼の中で、バラバラの断片が繋がるかもれない――。そんな予感めいたものが、朧げにだが、あった。
既に、後方にモンセブールの街は見えない。
しかしながら、それだけ距離を進めはしたものの、未だ森の中に充満する〝怪物〟二体の気配は、まるで消えはしなかった。
いる。確実に、この森に――。
おそらくこちらが気付いているように、向こうも気付いているのだろう。さっきから、同じ所をグルグルと回っているような動き方をしている。二体の内、一体が相当深手を負っているので、逃げに徹するべきか反撃に出るべきか、怪物側が迷っているように思われた。だが、反撃に出てくれさえすれば、こちらのもの。うっすらとだが、イーリオには、勝算があったからだ。
胸中の自信が過信ではないからか、暗夜の森にあっても、白銀の体毛と、同色の授器を美しく輝かせる巨躯の人狼を駆る様は、若年の少年騎士が纏っているとは思えぬ堂々とした姿である。
その騎士振りに感嘆したのか、同行する伍号獣隊の鎧獣騎士も、歩速を緩めつつ、ほう、と嘆息をする。
いや、感銘ではなかった。
息切れ。苦悶。
苦しげに呻き声を上げつつ、ピューマの鎧獣騎士は、やがてその場に膝をついてしまう。
「どうしました?」
怪物の気配に最大限の注意を払いながら、イーリオ=ザイロウは、ピューマの側に寄り、様子をうかがう。
「て、手足が……」
絞り出すような声音で、途切れ途切れに言葉を出す、伍号獣隊隊員。
「手足が、どうかしたんですか?」
「う、動かない……」
「え?」
「お、俺のじゃあない。コイツの……俺の鎧獣が、動かないんだ……!」
騎士が言い終わらない内に、今度は突如、全身の筋肉をバネのようにして、エビ反りに体を仰向けにのけ反らせる。これはいけないと直感したイーリオは、隊員に向かって「鎧化を解いて!」と言った。
この症状は、異常だ。
明らかに中の騎士の意思ではない。
隊員も抗う事無く、すぐに「蒸解!」と叫び、白煙が巻き起こった。
半ば放り出されるような形で、隊員は白煙から飛び出すように尻餅をつく。
吹き払われた煙の中心には、舌を出し、四肢を投げ出すように横たわるピューマの鎧獣の姿があった。
「これって……」
その姿は、つい今しがた見たものだ。
リッキーの鎧獣、ジャックロックや、ドグの鎧獣、カプルスと同じもの。
先ほどまで、何ともなかったはずの隊員の鎧獣までもが、まさかこの森の中で、突如として、街の鎧獣達と同じ症状を発症した。
隊員も、理解出来ないような目で、己の鎧獣を見つめる。
この時二人は、咄嗟の事で、警戒を緩めてしまっていた。イーリオはともかく、隊員の方は仕方が無い。半ば強制的とは言え、鎧化を解いてしまったのだから、当然、感覚も人間のものになっていた。
そこに、樹々の草ずれの音がたち、何かの気配が表れる。
「!」
自分の注意が途切れてしまった油断に焦りながら、イーリオは構えをとって、立ち上がった。




