第四章 第五話(2)『怪物』
こうしてイーリオは、カレルらとの行動を許されたのだが、問題が一つ。シャルロッタが、着いて行くと言ってきかない事だ。
さすがに機能不全の鎧獣を連れた騎士二人と、騎士ですらない女性二人を同行する事は出来ない。イーリオが再三説得し、それでも聞き分けのないシャルロッタを、リッキーとレレケが半ば引きずるように連れて行こうとした。
そこへ再び――先刻、街中に響いたような、苦悶を帯びた悲鳴が谺した。
今度はそう遠くない距離。都市の外ではない。中だ。
「近いな……! 総員、いつでも鎧化出来るようにしておけ」
直後、部隊の騎士五名に指示を出したカレルは、怪物襲撃に備える。
部隊の内、三名はピューマ、二名はインドライオン(雌型)の鎧獣を有している。どれも攻防共に優れた、強力な鎧獣だ。
夜霧は薄らいだとはいえ、視界が良好になった訳ではない。むしろ未だに不分明なまま。そして相手は、オルペ騎士に甚大な被害をもたらした、凶悪な謎の〝怪物〟。
だが、伍号獣隊の一同に、臆した素振りはなかった。
数が万全でなくとも、彼らに怯懦の文字はない。その自信の源は、彼らの鎧獣だけではなかった。彼らの指揮官、次席官のカレルと、彼の鎧獣〝ベルヴェルグ〟があるからこそ。
ロロロロ……。
耳にした事のない唸り声が、辺りに反響を残す。
一同に戦慄が走る。声の出元は何処か。
イーリオは咄嗟に、リッキーらの方に警戒心を向けた。今の彼らが狙われては、ひとたまりもない。それに気付いていたのは、カレルも同様であった。
「彼らは、動かない方がいいだろう」
機先を制する意外な言葉に、イーリオが振り向く。
「今、下手に動けば、逆に〝怪物〟の餌食にされかねない。むしろここにいれば、我々、伍号獣隊が守る事も出来よう」
しかし、数騎もの鎧獣騎士をして、未だ捕らえきれぬ謎の〝化け物〟である。いかな覇獣騎士団といえど、味方の数が万全でないこの状態で、非戦闘員を抱えながら、安心出来ると言えるのだろうか……。
そのような事をイーリオが口にしようとしていた時。
それが分かっていたのか、またもカレルが先に告げた。
「安心していい。数が足らぬ事など、戦場ではよくある事だ。思いどおりにいかぬ状況こそ、騎士たる者の胸突き場だよ」
逆境を苦にしない、自信に満ちた断言。
夜霧の襞より沸き出る猛悪さも、彼らの勇武を霞ませるには至らないというのだろうか。
ロロロロ。
今度は先ほどよりも、更に近い。
肉食動物のような唸り声。虎に似た、しかしそうでないような、聞き分け難い威嚇の声。
闇夜と霧のすぐ向こう。
殺気が大気に満ちてくる。
「来るぞ! 総員、鎧化!」
カレルの号令一下、伍号獣隊の五人が、一斉に「白化!」と発する。
霧に混じって、白煙が吹き上がった。カレルと雪豹のベルヴェルグを中心に、五騎が取り囲むような陣形で、鎧獣騎士へと変じた。
直後、五騎は一騎を残し、二騎一組となって散開。
片方が片方の死角を埋め、警戒を広げる。猫科の聴覚は、人間のそれを遥かに凌ぐ。左右別個に動く耳で、音源の場所、位置、大きさまでも具に把握。暗視にも優れ、警戒を厳にすれば、このような霧など、彼ら覇獣騎士団の鎧獣騎士には、無きものに等しい。
――しかし、それは魔獣の餌食となった、オルペの鎧獣騎士とて、同じではないだろうか? 彼らの中にも、シベリアオオヤマネコや、ヨーロッパオオカミといった、感知に優れた騎士はいたはず。
そのような疑問が、イーリオの脳裏を掠めた瞬間――。
何か黒い塊が、ピューマの鎧獣騎士、二騎の頭上目がけて、降ってきた。
咄嗟に気付いた二騎。
前後に別れる形で、その黒い塊を躱す。
その反応も、対応も、見事と言うしかない、尋常を超えた機敏さ。この動きこそ、騎士団の中の騎士団、覇獣騎士団たらん証。
――が、塊は、着地と同時に目にも止まらぬ早さで、避けた片方に追いすがった。
姿形も不明瞭だが、〝それ〟が巨大な生物である事だけは、イーリオも感知できた。
ピューマの一騎が、〝それ〟に追いつめられたと感じた瞬間、挟撃する形で、左右からインドライオンの鎧獣騎士が、剣を振るう。
仕留めたかに思えた斬撃。
だが、手応えはまるでない。
鈍い反応を手元に残し、二騎の刃は、〝怪物〟の堅い表皮を擦っただけ。しかし、剣撃の威力は、黒い化け物の体勢を崩すには充分だった。その隙に、狙われたピューマの鎧獣騎士は、一息に跳躍して躱すと、集まった五騎は陣形を作る。
目まぐるしい攻防の後の、ごく僅かな間。
松明の明かりに照らされ、薄まった夜霧のベールを潜って、〝怪物〟の姿が、露となる。
無毛。それに、サイに似た、分厚い硬皮。
だが、動作は猫科のそれ。
一〇フィートはある巨躯。四肢は比較的短く、全体的に鈍重そうな見た目だが、それが予断である事は、先ほどの動きが十二分に物語っている。しかしそれ以上に、黒ずんだその容姿は、対峙する者に禍々しさにも似たおぞましさを植え付ける。
一際目につくのは、額より突き出た巨大な一本角。
四つの足の先端にあるのは、奇蹄目の蹄ではなく、猛獣の鋭利な爪。
顔つきは虎かライオンに似ているが、猫科特有の愛嬌にも似た起伏に富んだ知性はない。凍り付いた狂疾が、死面となって貼り付いていた。
「……!」
全員が絶句した。
このような生き物、見た事がないからだ。
イーリオが思わずレレケを見るも、彼女も首を左右に振る。
彼女とて驚いていた。錬獣術の聖典の一つ、『万獣の庭園』でも、このような猛獣の記載はないはず。いや、確実にない。
紛れもなく〝怪物〟。
暗喩でも異称でもなく、字義通りそのままの意味において、それは間違いなく、〝怪物〟であった。
全員が呆然となった僅少の空白を突き、怪物が再び突進をかける。
放たれた矢のような鋭さで、直線上にカレルを捉えて。
ライオンや虎を超える巨塊が、計り知れぬ勢いで突っ込むのだ。いかな覇獣騎士団の鎧獣騎士とて、怯んでしまったのか、誰も割って入らない。いや、彼らは瞬時に気付いたのだろう。この化け物の猛威は、鎧獣騎士の膂力をも凌ぐと。だからといって、自分達の上官を見殺しにするというのか。
しかし、狙われた本人は、迫り来る破壊の権化を前に、薄く――笑っていた。
怪物が飛来するより前に、阿吽の呼吸で、カレルの背後に立つ彼の愛獣〝ベルヴェルグ〟。
目の前に迫るその寸暇――。
「白化!」
白煙なのか、それとも衝突の土煙なのか――。
濛と沸き立つ粉塵は、視界を隠し、判別が出来ない。
イーリオは固唾を飲む。
だが、リッキーや伍号獣隊よりも、誰よりも状況を理解していたのは、当の怪物であった。
相手の喉笛を、体ごと引き千切る――。必殺の一撃。
「狩れた――? そう思ったか?」
巨躯はすぐさま翻り、声のする方に体を向ける。
だが、土煙は未だ視界を遮っている。いや、霧なのか。
「さすがに怪物というだけはある。凶々しいのは姿のみでなく、動きや勢いも、鎧獣騎士を凌ぐとは……。まったくもって、度し難いな」
カレルの声だけが響く。
ゆっくりと晴れる土煙。先ほどまでの位置にカレルと雪豹の姿はない。数瞬の間で鎧化し、躱したのだ。
白と黒。モノトーンの騎士が姿を見せる。
雪豹の鎧獣騎士。
長い尾をしならせて、直刀の武器授器を、泰然と構える。
身に纏う防具の授器は、白地に金縁の覇獣騎士団ならではのもの。だが、そこに描かれるのは、戦いの中にあってさえ涼やかさを感じさせる、浅葱色の紋様。象るは菖蒲。紋様を描けるのは、部隊の中でも次席以上とされている。それはつまり、次席以上こそが、部隊を率いるに足る実力を有しているという証明。
五騎の獅子を率いる、白毛の人獣騎士。
伍号獣隊 次席官 カレル・フォン・ロートリンカスの鎧化。
豹頭人身。
雪豹騎士ベルヴェルグ。
怪物が怒りに満ちた声を、喉の奥から震わせると、反対に、カレル=ベルヴェルグが、高らかに言い放った。
「古より、妖怪変化の退治は、騎士が為すものと決まっている。ならば我が剣をもって、怪物なるを調伏してくれよう! いくぞ! ベルヴェルグ!」
カレルの宣言が合図となり、六騎と一体は、互いに向かって一斉に躍りかかった。
――全く、何がチョーブクだ。芝居じゃねーっつの。
見ていたリッキーは、呆れ気味に嘆息したが、それ以上に人獣騎士となったカレルの実力は、彼自身がよく分かっている。
本来、種の実力で言えば、部下たるインドライオンやピューマの方が上位にあたる。だが、彼のベルヴェルグは、その規格から外れた強さを持つ。それはリッキーのジャックロックとて同じであった。いや、覇獣騎士団上位、席官以上の持つ鎧獣は、どれも黒騎士や百獣王の鎧獣同様、通常の強さの順列には当て嵌まらない。〝特級〟と呼ばれる種類の鎧獣であった。




