第四章 第五話(1)『感染』
イーリオが怪物退治の同行を告げた時、一番驚いたのは、何故かシャルロッタだった。
まるで幼児のような、世間知らずな奇矯な振る舞いの多い彼女だが、他人を案じたり、何か不安を表に出す事は、極めて稀である。ましてやザイロウ絡みとなると、ある種の全幅の信頼をおいているような雰囲気さえある。シャルロッタに気のあるドグなどは、それを不服げにいつも見ているのだが、今回は様子が違った。
「どうして、イーリオとザイロウだけ行くの?」
胡桃のように大きな瞳に、心細げな色を湛えて、請うような眼差しをイーリオに向ける。
顔を間近まで寄せ、こすり合わさんばかりだ。
あ、こんちくしょう! と、ヤキモキしながら睨むドグだが、レレケからすると、イーリオとシャルロッタは、恋人というよりも、兄妹のようだな、と感じられた。互いを替えの利かない信頼で結びつけ、それに家族のように呼吸の合う所など、まさに兄妹そのもののように感じられる。
「ここで手をこまねいていたら、君やレレケ達まで襲われるかもしれないだろう? そうならないように、待つよりは、こちらから反撃に出るんだ。見境なく人を襲う動物には、怯えこそ一番危険なんだよ」
錬獣術師として、野生動物にも深く接してきたイーリオならではの発言だ。だが、そんな理屈はシャルロッタには通じない。
「駄目だよ、行っちゃあ。とっても嫌な予感がするの。だから駄目。ここに居て」
こんな彼女は初めてだ――。
イーリオに懐く事はあっても、聞き分けのない初心な恋人のような我が侭を言う事など、今まで一度たりともなかった。だが、だからと言って、彼女の言葉に頷く訳にはいかない。「大丈夫」と優しく宥めながら、シャルロッタをレレケやリッキーに預け、イーリオはカレルのもとへとザイロウを伴って向かった。
後ろから「行っちゃ駄目」と言うシャルロッタの声が響いてくる。
どうしたんだろう? 今まで、一度たりともこんな事はなかったのに。あの 氷の皇太子から襲撃を受けた際にも、こんな哀願する姿は見せなかったというのに。
困惑に後ろ髪を引かれながら、足早にイーリオは歩を進めた。
やがて、モンセブールの市門の前に着く。
そこには、カレルを含めて六人の騎士と、彼らの鎧獣が待機し、指揮官であるカレルの指示を聞いていた。
――と、カレルが松明に照らされたイーリオの姿を認め、露骨に不愉快な表情を表して、睨みつける。
数刻前までとは違い、濃霧もかなり薄らぎつつあるので、近付くイーリオに気付けたのだろう。
「何故、貴様が来る?」
取りつく島もないカレルの態度に、イーリオは戸惑った。
「いや……その、僕も怪物を探すのを手伝おうかと……」
「貴様の手は借りん。大人しく部屋に戻っていろ、リッキー」
「そう言われても――って、ええ?」
振り返ると、イーリオの後方には、金魚の糞のように貼り付いているリッキー達四人の姿がいた。
「え? 教会で待っているはずじゃあ?」
「ジャックロックもこの調子だしな。そーするつもりだったんだがよ。コイツが行くって聞かねーモンだからさ。だったら皆で行くかってハナシになっちまったんだよ」
そう言って、リッキーはシャルロッタを前に突き出す。
「駄目だよ、イーリオ。一人で行っちゃあ」
「シャルロッタ……」
やはり様子がおかしい。それとも、彼女だけが感じとれる危険信号のようなものがあるのだろうか。とはいえ、はいそうですかと彼女らをここに居させるわけにはいかない。それはカレルにしても同じであったろう。険しい眉間を更に寄せ、呆れ気味に嘆息する。
「……全く、貴様という奴は、どこまで愚かなのだ。鎧獣の使えん騎士など、筆の使えん絵師のようなものではないか。まるで役に立たん」
「そーゆーオメーはどーなんだよ? 鎧獣は?」
嘲るように片頬を笑いの形に変え、カレルは己の体をずらした。体の陰になっていた存在が、イーリオ達の目にも映る。
白と黒。
モノクロームの野生。白の衣に、黒点の梅花紋。
全長の割に不釣り合いなほど太くて長い――いや、大きいと言っていい尻尾に、寒冷地に適応した、分厚く、豊かな毛皮。
ジャガーより体は小さいが、気品さえ感じる猫科の優美さは息を呑むほど。
雪豹。
本来は高地や高山に棲息する、寒冷にも適応した猫科の中型猛獣。
覇獣騎士団の白に金縁の授器とも相まって、実に美麗な姿をしている。そして彼の鎧獣のみ、浅葱色の紋様が授器に施されていた。
「何でオメーの〝ベルヴェルグ〟は何ともねーんだよ?」
こちらは不愉快な形に片頬を歪ませるリッキー。彼は不倶戴天の仲間、カレルの愛獣〝ベルヴェルグ〟の何ともない様子に、不公平だと言わんばかりの視線を投げた。優越感に浸った表情のカレルに対し、レレケもリッキー同様、その姿に驚く。
「カレル次席官様。貴方の鎧獣は、何ともないと?」
騎士団長の妹という事もあり、レレケに問いかけられると、カレルはすぐに居住まいを正す。その露骨なまでの生真面目さは、彼ら伍号獣隊、いや、南方気質ならではというところだろう。
「ええ。私とこの五名の鎧獣は何ともありません。そういえば……確か レレケは、錬獣術師でしたよね? この異常、次々に部隊の鎧獣が倒れていく原因について、何か分かったりはしませんか?」
一瞬、レレケは己の見解を話すべきか迷った。病の症状のようであるとは言えるが、実際、それぐらいしか言い様がないからだ。中には嘔吐する鎧獣も数体いる様から、通常の野生動物であれば、集団食中毒とでも言えるところだ。しかし、これは人造生物鎧獣の話である。ネクタルしか食さない鎧獣が、どうやって食中毒をおこそうと言うのか。第一、鎧獣が中毒をおこしたなど、それこそ聞いた事がない。
「すみません……。私にも原因は……」
彼女の残念な返事に、落胆の色を表すカレル達。レレケは凝と、彼らの鎧獣を見つめた。ふと、気になる事を尋ねる。
「貴方がたの鎧獣は、夜の分のネクタルを摂ったのですか?」
「いや……、我々の鎧獣は、時間をずらして摂るつもりだったので、まだ摂ってません。まぁ、怪物が出ているこの状況に、食事も何もありませんが。――それはその……ネクタルが原因だと?」
「いえ、それは……分かりません……。ちょっと気になったもので」
実際、レレケには分からなかった。
仮に、ネクタルに何か原因があったとして、ザイロウの事はどう説明するか? イーリオの鎧獣、ザイロウは、皆と同じにネクタルを摂っている。しかもネクタルを多量に必要とするザイロウなだけに、他の鎧獣の何倍もの量を摂取している。にも関わらず、ザイロウはまるでいつもの通りだ。
だが、ジャックロックやカプルス、伍号獣隊の苦しげな鎧獣達の姿は、どう見ても中毒症状に近い。それとも、寄生虫か何かか……? いや、それならもっと有り得ない。ネクタルにはカテキンのように、ある種の抗菌作用があり、それを食し、全身に行き渡らせている鎧獣は、獣であるのに、寄生虫や雑菌が繁殖し難いのだ。
とすれば、やはり経口感染が原因……?
レレケが思案に暮れていると、イーリオはカレルの元へ近付き、怪物捜索を手伝いたいと告げた。ひいては、自分も伍号獣隊に協力したい、と。
「申し出は有り難いが、君らは客人だ。何も我々に恩義がある訳でもなし、むしろ怪物の襲撃があった場合に備え、自分らの身の安全に努めていた方が良いように思うぞ」
「ですが、こういう場合、〝待ち〟の姿勢になっては、逆に危険になる事が多いと思います。人の味を覚えた獣が相手なら尚の事。状況が状況です、自分の身を守るという意味でも、むしろお力になれればと思うのですが」
普段ならイーリオの協力など、別に借りるまでもないと判断するだろう。
しかし、今は違う。
二○騎以上連れた伍号獣隊の内、動ける者はここにいる六名のみ。
「まぁ、人手はあった方が助かるか……。恥ずかしい話ではあるがな」
自分達が武功の誉れ高い国家騎士団であるという矜持が、言葉の端から滲み出ていた。
だが、そんなカレル自身の誇りなど、この現状を打開するのに、何ら寄与しないという事は、本人が一番よく分かっていたのだろう。それゆえ、彼はイーリオの申し出を受け容れた。
その一事だけを以てしても、カレルがただの騎士でもなければ、繊弱な貴族でもない、非凡な指揮官、有能な戦士であるという事がうかがえた。




