第四章 第三話(1)『狼煙』
饐えた匂いがした。
聖堂の荘厳さにはまるでそぐわない、野生の獣じみた生臭い匂い。
それは、ステンドグラスの明かりしかない、薄暗い聖堂の影に隠れた鎧獣達のものでは、当然なかった。体内構造が通常の動物とはまるで異なる人造生物の鎧獣には、臭気など殆ど発生しないからだ。
それは数ヶ月、いや、数年は洗浄していない、人体の放つ悪臭だった。
嗅ぎ慣れたと言えないその汚臭の元に、男は思わず顔をしかめる。
「よゥ、ひ、ひさ、久々、だなァ」
強いどもり口調に、ローブの隙間から見えるボロ雑巾のような上下。
男の前に立った、悪臭の元である人物は、どこからどう見ても薄汚い乞食にしか見えなかった。だが、その態度はどこか不遜。己の身なりなどまるで意に介さず、むしろ堂々とした素振りさえある。
「何が久しぶりだ。先月も集まったじゃないか」
別の男が声を出す。男は、かつてメルヴィグ王国のマクデブルク砦を襲撃した、ベネデットだった。
今は顔を隠すフードも被っておらず、顎から口にかけて密生している、濃い髭も露になっていた。
「あ、あん時は、ぜ、全員じゃ、な、な、なかった、じゃ、ね、ねえか」
「カッ。今だって十三人、全員じゃあるまい。デヴリムが居らんわ」
広い堂内。高い天井には、ステンドグラスが輝いており、白い石壁を、幾重にも照らし出していた。その場に居るのは、十二人の男女。体にローブを纏っているが、顔は見せている。
年齢、性別、まるでバラバラの十二人だが、彼らの纏うローブだけは、黒灰色で統一されていた。
ベネデットの言葉に、乞食のような男が鼻をスンスンと鳴らして答える。まるで薄汚い野良犬のようだ。
「へ、へへへ。ど、どうだろうなァ。ほ、ほ、本当に、十二人かねぇ」
乞食のような人物の匂いに顔をしかめた男が、場を仕切るように言った。
「二人ともそのくらいにしろ。それより今回集まったのは、計画の進行について、再度調整をするためだ。余計な言動は謹んでもらおう」
男の顔は美女のように整っている。乞食のような男とはまるで対照的だ。
そう、この人物は先だってイーリオ達と遭遇した、黒獣の鎧獣の主、その人である。
「ちょっと待て、ファウスト。それよりもだ。何でお前がこの計画を仕切っている? お前は序列で言えば、第四。第二のロドリコ殿や第三のラウラ殿ならまだしも、第四、それも新参者のお前が、我々、灰堂騎士団の指揮をふるうのは、納得がいかんのだがなぁ」
ベネデットが、美貌の貴公子――ファウストに向かって、露骨な反感を表す。
「私が本計画の要たる役割を担っているからだと、前にも言ったであろう」
「その計画とて、俺達は全貌を聞いてないのだぞ。全て承知の上ならまだしも、何も知らんままで、指図されるのは我慢ならんがな」
「全容を承知しているのは、教皇様と総長のみだ。私とて、全てを把握しているわけではない。指揮する立場上、他の〝使徒〟よりかは、多少知っているだけだ」
「し、し、神女さ、様は、ご、ご存知、な、ないのか?」
「神女様は、当然全てご承知の上だ」
「カッ! なら、尚の事、お前に指図されるのは信用ならんって事だ。全てを把握してないような指揮官に命じられる作戦ほど、危険なモノはないしな。そうだろう? ジョバンナ?」
今度は別の男に声をかける。問われた男は、己のモミアゲを指でなぞっており、まるで話など聞いてないようだった。
「おい、聞いてるのか?」
「いちいちうるさいなぁ。俺は何でも構わんさ。それより早く終わらせてくれ。ハニー達が、俺の帰りを待っているんだ」
小うるさげに言い捨てると、再び己の髪をいじりだす。にべもないジョバンナの態度に、ベネデットは眉をしかめ、今度は別の人物に聞いた。
「モニカ、お前さんはどうなんだ?」
問われたのは、乞食のような男と同程度の身長しかない、幼げな女性。見た目も十代にしか見えない容姿だが、黒尽くしの髪飾りに、黒い口紅、磁器人形のような血の気のない肌は、まるで幼い魔女のようであった。
「私は、別に構わない。ファウスト様なら……」
どこか粘質的な響きを含んだ呟きは、聞く者に悪寒を感じさせるものがあった。
聞く人間を間違えたと思ったベネデットは、再度別の人間に聞こうとするが、それより先に、堂内の祭壇近く、そこにある椅子に腰をかけた男が、ベネデットの言葉を遮るように立ち上がった。位置で言えば、皆に背を向けた格好であったが、そのままの状態で言った。
「私が任命したのだ。ファウストこそ、この計画を取り仕切るに相応しいと」
その男の挙動は威圧的で尊大。
この場の異様な面々の誰よりも、存在感を放っていた。
それはまるで、一国の君主のようでさえあった。
十一人が、全員、彼の方を向く。
「この計画には、何よりもファウストが必要なのだ」
「し、しかし、総長。ファウストは、灰堂騎士団の鎧獣を持たない、言わば余所者です。そのような男が、必要だなどと――」
ベネデットの反論に答えたのは、先ほどの黒い磁器人形、モニカであった。
「灰堂騎士団の鎧獣じゃないのは、私も一緒……。ラウラ様や、デヴリムだって同じ」
光を持たない、死人のような瞳で睨みつけるモニカ。亡者の嫉妬は底が知れない。
「いや、お前さん達は特別じゃないか。俺が言ってるのはそういう事じゃなくてだ……」
「そういう事。アンタが言ってるのは」
モニカの言葉は、凍てついた切っ先のように、相手の言語を奪ってしまう。
「灰堂騎士団の生え抜きである、ベネデットの気持ちも判らんでもないがな。だが、案ずるな。ファウストは必ずやってくれる。何かあった時には、全てこの私が責任をとる。だから彼の指揮のもと、計画完遂まで、一致団結してくれぬか」
総長と呼ばれた男が言うと、ここにいる全員が、まばらではあったが、それぞれ間を置いて首を縦に振った。やがて、頷いていないのは、ベネデットだけになった。仕方なく、彼も一同にならって、総長の言葉に首肯する。
それら一同の姿を見て、ファウストは話をはじめた。
「それでは本題に戻るぞ……。まず、皆も聞き及んでいると思うが、レーヴェンラントの〝協力者〟の始末の件だが、動いていたのは、やはり陸号獣隊 であった。これを突き止める事は成功し、小煩い錬獣術師も始末出来たが、その後、スヴェイン司祭の手落ちで、予定に修正が必要となった」
「司祭の手落ち? ホントかしら? アぁタの手落ちじゃないのかしらね?」
ベネデットとは異なる声。口調は女のものだが、声も声の主も、どう見ても男のもの。それも大柄な体をした、禿頭の厳めしい男だ。ローブの首元から少し窺える肌には、アクティウム文字の刺青が覗き見える。
だが、ファウストはその言葉を無視し、話を続けた。
「当初は、この後、〝目標〟への接触を開始するはずだった。だが、レオポルトの密命を帯びた使者が、昨日、王都を発ったとの知らせが入った。おそらく、〝目標〟接触への邪魔となるはずだ。そこで、まずは急ぎ、この使者数名を我々の手で消してもらいたい」
今度は禿頭の男の横にいる、異様なほど長身の男が声を発した。その男の年齢は、六〇を超えているだろう。薄い頭髪に、長い髭。そのどれもが真っ白で、体型は、ローブごしでもわかるほど、糸杉のように細かった。
「使者ごときに、我々〝使徒〟を使うのかね?」
「これは、ガエタノ老の言葉とは思えませぬな。油断や侮りは、策を弄するに、命取りになりかねませぬ。如何なる時にも万全を期すは、当然の事ではありませぬか」
「ひょっ、言うてみたまでじゃ。――で、その使者とやらは如何なる手合いじゃ?」
「密命なので少数ですが、一団を率いるは、かの〝炎の音撃〟、弐号獣隊のリッキー・トゥンダー」
その名前に、ベネデットが片眉を吊り上げた。そう、数日前、彼はマクデブルクでリッキーと、矛を交えていたからだ。
ファウストは続ける。
「同行する一人には、あのゴート帝国の〝氷の貴公子〟ティンガル・ザ・コーネを退けたという、銀狼の鎧獣騎士と、その仲間がいる。こいつはまだ年端もいかぬ子供らしいが、あの〝氷の貴公子〟を相手取ったほどだ。見た目や年齢で油断は出来ぬ。だが、それよりも厄介なのは、その者らに同行するのが、スヴェイン司祭の妹弟子にあたるレレケなる女だ。こやつは、如何にも下町くさい名前を名乗っているが、本名をレナーテ・フォッケンシュタイナーという。ああそうだ。二年前の、あのクラウス・フォッケンシュタイナーの妹よ」
一同の空気が、微かにがざわめいた。
「しかもこの女、スヴェイン司祭と同じく、獣使術を使えるらしい。つまり、我々の手の内が、この女には通用せぬかもしれんという事だ」
「なるほどのう。それは如何にも厄介じゃ。早々に消しておくにこした事はない」
「そ、そ、その任、オ、俺に、やらして、く、くれねぇか?」
言葉とは真逆の、堂々とした手つきで挙手をする、乞食じみた男。
「ラフ・ラーザ、お前が行ってくれるか」
「お、おう。〝毒〟をするんなら、ど、ど、ど、〝毒〟のへ、平気な、オ、オ、俺の、〝クダン〟む、向きだ」
ラフは黄色く汚れた乱杭歯を気にもせず、笑みの形で大きく口を歪めた。
「俺も行くぜ」
ベネデットが同行を申し出た。
「お前も行ってくれるのか? それは有り難いが……どういう風の吹き回しだ?」
「カッ、お前さんの為じゃない。そのリッキーって覇獣騎士団の野郎は、この間、殺り損ねちまったからな。今度こそすっきりさせたいだけよ」
「よし。では、その使者の始末は〝第九使徒〟ベネデット・コンパーニと、〝第十二使徒〟ラフ・ラーザに任せた。次にもう一つの懸案事項だが――」
ファウストが話を続けようとすると、そこへ、どこから表れたのか、今まで居なかった、十三人目の影が、ぬたりとして、姿を見せた。
それも、皆のいる中央に、突如としてである。
「そこから先は、私が話そう」
天井から降りて来たのでも、皆の輪を潜って来たのでもない。まるで、最初からそこに居たかのような、ごく自然な振る舞いでさえあった。
「デヴリム――いつこっちへ?」
「見ての通り今よ」
皆と同じようにローブをまとっているが、その顔は異様であった。まるで目を患った病人が、両目を布で覆うように、彼の両目は、銀板のようなモノで覆い隠されていた。その形状は、さながら、王都でトルベン・ナウマンなる錬獣術師を殺した、女殺人者達の銀眼鏡とよく似ていた。だが、大きく違うのは、眼鏡の形になっておらず、しかもその中央には、大きな一つ目の紋様が描かれている点だ。まるで、その一つ目の印しが、己の目でもあるかのように。
デヴリムの姿を見たラフが、濁った笑い声を喉の奥で鳴らす。
「ゲッ、ゲ、ゲ、ゲッ。オ、俺の言った通り、や、やっぱり、十三人、そ、そ、揃ったじゃねえか」
デヴリムが、顔の向きをラフの方に傾ける。
「相変わらず、そのナリの割に、大した〝鼻〟だ」
「あ、あんたのに、に、匂いは、わかり辛ぇがな。で、で、でも、俺の鼻は、ご、誤摩化せねぇぞ」
ラフは、ニヤニヤと汚らしい笑みを、ベネデットの方に向ける。この中で唯一人、ラフだけがデヴリムの存在を感知していたのは事実だ。それがどうしたと言うような表情で、顔を背けるベネデット。
「ゴート帝国の方だが――」
話を元に戻すように、デヴリムはファウストに顔を向けた。
「先ほどファウスト殿が言ったように、〝氷の皇太子〟ハーラルが、不測の事態となり、〝北〟の支援が望み辛くなった」
「あら、そんなに重体なの?」
今度はモニカとは違う、別の女の声。娼婦のような巻き毛に、淫婦のような肢体。紫の紅をひかれた唇は、まるで毒々しい蜘蛛のような――そんな女。
「腕を骨折したらしいが、それくらいで傷は何ともない。問題は皇太子の気概よ。ティンガルでの負けを食ったのが、よほど衝撃だったらしい。宮殿内に引きこもり、誰とも会わんようになった。出征どころの騒ぎではない」
「〝氷の皇太子〟などと言われようが、所詮は子供か」
ベネデットが侮蔑混じりの嘲りを口にした。
「そう? 可愛いとこあるじゃない。一度の負けでヘコんじゃう王子様なんて。そそられちゃうわ」
娼婦のような女が、毒気混じりの艶笑を浮かべる。見ていたベネデットが、女の色香に生唾を呑み込むと、モニカと呼ばれた黒尽くめの幼げな女性が、侮蔑に片頬を歪める。
「そこでだ。ハーラル皇太子の奮起を促す為、我々の誰かがゴートに赴き、彼の国の〝黒衣の魔女〟と共謀し、働いてもらいたい」
「〝使徒〟が子供の世話をするってのか?」
「そうだ。俺はこの見た目だし、それに、これから南に向かわねばならん。誰かが俺の代わりに行ってもらいたい」
デヴリムが、己の目に装着した銀製の目隠しをコツコツと叩く。
一同は押し黙る。
どちらが己にとって旨味のある状況かを、胸の内で推し量っているからだ。やがて、娼婦じみた女が、「アタシが行こうかしら」と声を出した。
「その皇太子の坊やに会ってみたいしね」
「いや、その任、俺が行こう」
女の台詞を遮るように、横にいた男が立候補する。
「ロドリゴ……、〝第二使徒〟のアンタが、わざわざ出向くの?」
「お前はスヴェイン司祭と〝毒〟の生産をせねばならんではないか。それに相手はあのティンガル・ザ・コーネだ。ファウストは離れられんし、ギレットに向く任務ではない。後の連中もそれなりの役割があろう。暇なのは、総長と俺くらいのものだ。なぁ、総長殿」
男の遠慮ない物言いに、苦笑いの息を漏らす〝総長〟。だが、皆が〝総長〟にだけは改まった態度を取るのに対し、彼だけは、まるで同僚のような気安い言動をしており、それを誰も咎めはしなかった。
彼だけだからだ。
この中で唯一人、〝総長〟にこのような口振りを許されているのは。
ロドリゴと呼ばれた男は、短くクセのついた黒髪に、黒い瞳をした、彫りの深い顔をしていた。肌は精悍に浅黒く日焼けし、頑健さを伺わせる逞しい顎は、歴戦の強者といった風情であった。
「では、決まりだな……、ファウスト殿」
デヴリムがファウストに話の水を向ける。ファウストも承知したように、短く頷いた。
「それでは、議題はこれにて終了だ。これより、最後の準備と、最初の狼煙を行う。総長様、お願い致します」
総長が立ち上がり、振り返る。
撫で付けた黒髪。エキゾチックな顔立ちに、形良く整えられた、濃い口髭。三つボタンの上着を、粋に着こなしている。
「灰堂騎士団、十三使徒よ。今までよくぞ雌伏の時を耐えてくれた。これから我々、灰堂騎士団は、歴史の表舞台に立つ事となる。それは即ち、我らが黒き母、女神オプスの元に、世界が一つとなるという事でもある。この場所に刻む爪痕は、その第一歩!」
堂内に響き渡る朗々とした声を張り上げ、総長は片足を大きく踏みならした。
「皆に告げよ! 今より行うは、埋伏の終焉であり、戦いの嚆矢である! 一同、始めよ!」
総長の掛け声と共に、全員が一斉にローブを脱ぎ捨てる。
すると、それぞれの背後に身を潜めていた巨獣達が、のそり、と姿を現した。それぞれバラバラの種だが、皆一様に、黒灰色の授器を身に着けていた。背後に立った鎧獣を確認すると、全員が声を揃えて叫んだ。
「白化!」
アクティウム王国北端、ジュリア市街にあるサン・トリエステ大聖堂が、一瞬の内に破壊された知らせは、瞬く間に大陸全土に広まった。
大聖堂は、エール教の教会の内、最も由緒と歴史のある建造物の一つであり、エール教を信仰する者にとっては、聖地とも呼べる場所であった。
堅牢で広大な大聖堂が、まるで爆発でもあったように、一瞬の内に破壊し尽くされたのである。目撃した街の住民によれば、破壊したのは、数体の鎧獣騎士であったという。
だが、聖地とも呼べるこの街には、守護する鎧獣騎士も相当数配備されているはずだった。それもアクティウム王国国家騎士団、腕利きの者達が、である。しかしそれらの者達は皆、大聖堂と同じく、一瞬の内に殺害されてしまったらしい。
どのような鎧獣騎士であったか、情報が何故不確定なのかは、無理もない事だった。話を広めた住民は、街の外縁部にいた者か、からくも逃げ出した者に限られ、卑近で見た者は、全員街に閉じ込められたからだ。
この事件より後、この街は黒母教の過激派、ナーデ教団の支配下に置かれる事となった――。
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★灰堂騎士団
黒母教を祀る謎の騎士組織。
この十三人には、十三使徒と呼ばれる灰堂騎士団の中枢を担う者たちである。




