第四章 第二話(4)『近衛兵団長』
列星卓の間の閉じられた入口に、慌ただしいノックが響いた。続いて断りを入れる間もなく扉が開かれ、厳めしい面構えの男が入ってきた。
「陛下、ここにおわしましたか」
身長はそれほど大きくない。だが、筋肉質で堅太りの体型は、己が鍛錬を誇示しているかのような印象の男。年の頃はジルヴェスターと同年代であろうか。王の前なので帯剣はしていないものの、身なりから察するに、近衛兵団の人間であるようだった。
「フォルカー兵団長か。如何した?」
「ジルヴェスター殿、私は陛下に直接具申しておるのだ。貴殿は口を挟まんでもらおう」
不愉快げに言い捨てると、フォルカーは部屋に居る面々を不審気に眺めまわした。
「陛下、トルベン卿の事件について、急ぎお耳に入れたき儀がございます。どうぞお人払いを」
「ああ。それなら無用だ。この者らはボクの知人で、事件の第一発見者だ。気兼ねなく申すが良い」
「この者らが……」
フォルカーは、意外というよりも、不愉快の上に不快さを重ねたような表情をした。
「なれど――」
「ボクがいいと言っている」
レオポルトがピシャリと言い放つ。表情は穏やかだが、有無を言わさぬ断言。フォルカーは渋々といった態で、報告を続けた。イーリオ達からすると、別に同席などせずとも良いのだが、何とも言えないレオポルトの迫力に呑まれる形で、そのまま部屋に居続ける事になった。
「しからば申し上げます。件の殺害事件の犯人を、つい先ほど我々近衛兵団が捕らえました」
誇らしげに胸を張り、どうだと言わんばかりの表情で、ジルヴェスターとリッキーを交互にチラリと見る。何処の国でもよくある事だが、いわゆる騎士団に対する勝手な妬みと対抗心というやつである。
鎧獣を扱えず、騎士になれない〝普通〟の騎士達は、どれだけ功績をあげようとも、世間の耳目は集まり難い。そういった〝普通〟の騎士達は、どうしても騎士に対して憧れと同等か、それ以上の妬みや嫉みを抱いてしまいがちであり、メルヴィグ王国の彼らも、ご多分に漏れずそのような意識を強く持っていた。
「犯人を捕まえた、だと?」
「はっ、現場にあった遺留品から辿り、我が団員達の捜査によって捕らえましてございます」
我が団員、のあたりを強調して告げる言葉に、彼の稚拙さが伺い知れるようであった。驚いたのは、レオポルトとジルヴェスターを除く全員である。まさか、もう灰堂騎士団に辿り着いたとでもいうのであろうか。しかし、レオポルトとジルヴェスターは判っていた。彼らには昨夜の出来事も、黒灰色の殺人者、それにスヴェインの事も知らされていない。ましてや事件の背後に黒母教の影が存在する事など、知りようはずもない。そんな彼らが犯人を捕まえた、という事は――。
「犯人は覇獣騎士団、漆号獣隊の隊員の一人でございます。我々が、その犯人より聞き出した所によれば、殺害は、隊長であるカイ・アレクサンドル王子の命によって、行われたとの由」
「そんな!」
思わず立ち上がるイーリオ。
余所の国。他人事であると思ってはいたが、こうもあからさまに偽証を突きつけられては、抗議も言いたくなる。
「イーリオ君。落ち着きたまえ」
穏やかだが、底震いする、有無を言わさぬ迫力を持った声で、ジルヴェスターが嗜めた。さすがにあの音量を持った声なだけに、イーリオ程度の挙動を止めるのは、雑作もなかった。
ジルヴェスターの後を継いだのは、レオポルトだった。
「ほう。我が覇獣騎士団が、高名なトルベン卿を手にかけたと?」
レオポルトは、目を細め、その輝きの中に、氷のように冷めた色を浮かべる。
「お疑いは致し方なき事と存じます。天下に聞こえた我が国の国家騎士団が、何ゆえあって、国の宝たる錬獣術師を害するとは。私も今もって信じられぬ心持ちでございます。なれど、信じ難き事であれ、本人が既に白状しておる事にございますれば、これは紛れもない事実」
――どの口が、我が国の国家騎士団などと言うか。
イーリオをはじめ、その場に居る全員が、いけしゃあしゃあと弁舌逞しいこの男の言葉に、白々しい思いを抱いていた。だが、当の本人は、そんな風に思われてるなどまるで気がつくはずもなく、己が語る事件の真相を朗々と続けた。
「かくなる上は、事件の更なる真相を究明致すべく、我々、近衛兵団は、カイ王子のいらっしゃる、東方への出立を整えましてございます。この後、速やかに出立致しますれば、カイ王子の身柄を確保し、陛下の御許にお連れあそばしましょう」
「出立の準備だと?」
「はっ。左様で」
「それは誰の許しあっての事だ?」
「は? 許し……ですか?」
怪訝な表情をするフォルカー兵団長。だが、ここまできても、彼は主たる国王の声音の変化に、まるで気付いていなかった。
「この痴れ者!!」
突然の叱責に、フォルカーは、全身をバネ人形のように硬直させる。
よく通るレオポルトの声なだけに、怒りを含んだ時の迫力は、ジルヴェスターやリッキーとはまた違った意味で、場を占有する力を持っていた。いや、場を支配するという意味では、レオポルトの方が遥かに上であったろう。それこそが、彼を無二の君主たらしめる資質の一つであるのだから。
「誰の許可あって、勝手にカイの捕縛を決めた?」
「そ、それは、犯人の自供が――」
「たわけ者! そのような稚拙な策に乗りおって! 我々は既に、確たる証拠と共に、別の主犯を特定しておるわ。貴様の知り得ぬ情報も含めてな」
「な、んなっ……」
絶句する近衛兵団長。
「貴様の語った犯人とやらは、どういうつもりか知れぬが、真っ赤な偽物よ。そのような嘘に踊らされた挙げ句、軽々に兵を動員して王族を捕縛するだと? 貴様はこの国に内乱を起こそうとでもいうのか?!」
内乱、という言葉に、たちまちフォルカーの顔は青ざめる。言葉を忘れたかのように、頬を揺らしながら首を左右に振った。
「近衛兵は、ただちに武装を解き、出立を撤回。その漆号獣隊 を騙る不届き者の身柄も、即刻、ジルヴェスターに引き渡すがよい」
「そ、それは陛下」
「二度言わせるな。然る後、一連の騒ぎに関わった近衛兵全てに対して、追って沙汰を下す。わかったな?」
ぐうの音も出ないとは、このような時に使うのだろう。そう言って憚りないほど、狼狽し、情けない顔をするフォルカー。入室時の威勢はどこへやら、堅太りの体を、まるで萎んだ風船のように縮めて、「はっ」とだけ復唱する。
「何をしておる。早く行け」
再び「はっ!」と言うと、フォルカーは足をもつれさせるように、部屋を退出していった。
穏やかで気さくな初見の姿からは、想像もつかない程の威圧感。
成る程。先ほど事件のことを話す時もそうだったが、レオポルト王とは、如何なる人物であろうか、よく判るというものだ。
穏やかで好ましい貴公子たる顔もあれば、深い洞察力を持った賢者の如き顔もある。そうかと思えば、音に聞こえた稀代の騎士を伺わせる、猛々しい顔も見せる。これほどでなくば、ジルヴェスターやイェルク、ヴィクトリアといった一癖も二癖もある騎士達を率いる人物足り得ないのだろう。




