第三章 第六話(終)『貴族邸潜入』
ザイロウの嗅覚は、さすがと言うしかなかった。狼の鼻の良さは、犬よりも優れているという。ましてや古代種、大狼のそれは、ヤード単位で距離があっても、鋭敏に嗅ぎ分けられる能力を持っている。白銀の体毛を悠然とたなびかせ、まるで導き手のように、イーリオ達をある方向へと案内した。
ザイロウはザイロウで、何を言われずとも、〝匂い〟で事情を察していた。己の〝主人〟が、自分に何を求めているかという事が。
ザイロウは思っていた。〝このひと〟は変わっている、と。
誰かの為に献身的になるのは、君子としての資質に必要なものとも言えるし、帝家鎧獣である自分の駆り手としては、認めるべき部分であると言えた。だが、それ以外は至って平凡。戦闘センスが高いわけでもなければ、知識が人並みはずれているわけでもない。戦いに勝ちをおさめてこれたのは、〝ザイロウ〟の能力の非凡さ故である。それだけなら何も思わない。だが、そんな平凡な騎士のイーリオが、戦いになると何かが違った。一戦闘一戦闘ごとに、鎧獣騎士としての戦い方を、ザイロウの駆り手としての要領なようなものを、おそるべき早さで吸収していった。それは才能であろうか? それとも物覚えがいい? いや、違う。何かが特段、優れているというわけではない。一つ挙げるなら、彼にはあるクセというか、気質のようなものがあった。それが何かは、ザイロウにはまだはっきりとわからない。だがそれゆえに、〝このひと〟は今まで、勝ちを得てこれたのだけは確実だった。
それに比べると、旅を共にする大山猫の主人は分かり易い。カプルスは言っていた。言っていたといっても、種族が違うのだから、言葉が交わせるわけではない。お互いを察する本能のようなもので、そう感じただけだが、それでも外れてはいないだろう。
いわく、ドグには才能がある、と。野性的な資質が〝カプルス〟と向いているのだろうが、それ以上に、ドグには猫科の鎧獣騎士としての才能があった。それゆえ自分は、この人について行こうと決めたのだと言う。ザイロウも、その通りだと思った。猫科動物の特徴。即ち、天然の狩猟者であるという事。ドグにはそれがあった。
その狩猟者であるドグは、緊迫した面持ちで、イーリオの隣に居る。
夜が深い色で空を染め上げ、幾万もの星々が虚空に瞬いていた。だが、まだ深更には早い刻限だ。街の至る所で、明かりが灯り、ところどころの居酒屋では、様々な男女が、歌い、飲み、騒いでいる。しかし、一歩薄暗い路地に入れば、そこは石畳の大都会。いくら治安の良い王都といっても、この時間になれば、立ち入るのも憚られるような闇夜がそこかしこに横たわっていた。
そんな路地裏を物ともせず、銀狼の導きにそって、一同はひたすら突き進んで行く。
やがてザイロウは、鼻を嗅ぐ音を強め、ある場所で足をピタリと止めた。地面に向けていた鼻面を上げ、前方をしっかりと見据える。
「どうだ?」
イーリオが首筋の毛皮を撫でながら、ザイロウに聞く。ザイロウは鼻先をイーリオに押し当て、ここがそうだと示してやった。
高い板塀。夜なのではっきりとはわからないが、おそらく中は、広い中庭があるのだろう。その場所に覚えがあったのはマテューだ。
「ここは、リッペ卿の屋敷ですね」
リッキーも相槌を打つ。だが、その顔はどこか渋い表情をしていた。
「そーだそーだ。あの悪趣味なオッサンの屋敷だ」
悪趣味とは何の事かはわからないが、続いたマテューの言葉は、五人の今夜の捜索を進展させるには充分な情報だった。
「確かリッペ卿は、熱心な黒母教の信徒ですよ。先だっても、国王陛下に入信を勧めて、しばらくお近づきが禁じられてましたしね」
ザイロウの嗅覚を信じ、今の一言を裏付けとするなら、まさにこの場所こそあやしい。そう、イーリオとドグは確信した。早速にでも調べたいところだが、マテューが待ったをかけた。
「踏み込む気ですか? ここは貴族の屋敷ですよ?」
「貴族だろうが裸族だろうが知った事かよ。ザイロウが教えてくれたんだ。早くしねぇと、レレケの身が危ねぇ」
焦りを含んだドグの声。先ほどまでの取り乱しようを思えば、そうなるのも無理はないと思えた。
「君の気持ちはわかりますがね。でも、ここにもし居なかったらどうなります? はい、ごめんなさいでは済みませんよ。仮にも貴族の屋敷です。確たる証拠もなしに屋敷に踏み込んでおいて、謝って済む問題ではありません」
「ザイロウの鼻がここだって言ったんじゃねぇか。あんただって言ったろう? ザイロウの鼻は頼りになるって」
「ええ。でも、それが証拠になるとは言ってません。それに百歩譲って、ここにレレケさんが捕らえられているとしましょう。屋敷のどこか、居場所はわかるんですか? この広い屋敷ですよ。我々が乗り込んできたと〝敵〟が知った途端、相手はレレケさんの身柄を逃がすかもしれません。そうなったら、結局見つからないのと同じです。いいですか、今日のところは、あやしい場所を見つけたという事で、一旦引き返すんです。明日から証拠を固めて、改めて踏み込むのが最良でしょう」
だからか。シャルロッタが着いてくるのに、マテューやリッキーが反対しなかったのは。と、イーリオは気付いた。成る程、二人は大人だ。こうなる事が予想されていたに違いない。けれども、それで引っ込みがつくドグではなかった。
「ようは、ここにレレケがいるかどうか、分かりゃあいいんだろ?」
「ええ。でも、今すぐに、屋敷の人間に気付かれずにそれを探る方法はありません」
「そうでもねえ」
不審がる四人の前で、ドグは懐から小さなアクセサリーのようなものを取り出す。細長い、棒のようなそれは、人差し指ほどの大きさをしている。
「それは?」と、訪ねるイーリオ。
「こいつぁ、カプルスの呼び笛だ。今から俺一人で、この屋敷に忍びこむ」
「え?」
「これでも俺は、盗賊だぜ。相手に気付かれずに潜入するなんざ、お手の物だよ。そんで、もしレレケが見つかったら、この呼び笛でカプルスを呼ぶ。こいつは、離れていても動物にだけ聞こえるように出来てて、吹けば必ずカプルスは気付いて、俺のもとに来てくれる。そう、仕込んであるんだ。そんでカプルスが屋敷に向かえば、それが合図だ。皆で一斉に踏み込んでくれりゃあいい。反対に、笛を吹かずに俺が戻って来たら、レレケは居なかったって事だ。これならわざわざ、証拠固めなんてまどろっこしい方法はいらねぇぜ。どうだ?」
ドグの提案は、真っ当な風に言っているが、イーリオには無謀にしか聞こえなかった。マテューも同じように感じたのだろう。イーリオの考えを代弁するかのように問い質す。
「貴方が捕まった時はどうなるんですか? 我々はそれに気付けませんよ。それに、どれくらい潜入するつもりですか? その間、我々を待たせておくという事ですか?」
「ずっと待つ必要はねえさ。一時間待って帰ってこなかったら、俺を見捨てて帰ってくれ。俺が捕まった時も同様だ。ま、そんなヘマはしねぇさ。これでも俺は、音に聞こえた〝山猫〟のドグだ。こんな屋敷に忍び込むくらい、わけねぇぜ」
そんなに有名でもなければ、盗賊としてのドグの腕前を知る者はいない。確実とはほど遠い策。何より、それを言うドグの声がいささか気負い過ぎに感じられた。当然、マテューは却下する腹積もりだったし、イーリオとて承服しかねた。だがそれを言う前に、リッキーが口を開く。
「出来んのか?」
「当然だっつってんだろ」
「焦ってねーな?」
目を合わせるドグ。リッキーも、鋭い目でドグから目を離さない。
「……さっきのは済まねえ。今は頭も冷えてる。今の、このクソ寒さよりも、ずっと冷めきってるぜ。だから、大丈夫だ」
「ちょっと、次席官」
「男がやるっつってんだ。俺はコイツが本気なのか自棄なのかを確かめてんだ」
「自棄なんか起こしてねぇよ」
ドグは今までにないほどに、真っ直ぐな目でリッキーの目を見た。獲物を見つけた狩人の目。視線を逸らさず、殺気ではない何かを宿している。それに対し、リッキーはただ、頷いた。
「よし、一時間だぞ。それ以上は待たねーからな」
ドグも頷き返す。すぐさま己の外套を脱ぎ、身軽になった。
騎士は、例外なく薄着である。鎧獣騎士になるには、厚手の衣服は邪魔でしかなく、また、綿や絹で織られた衣類では、鎧化しても、反応が伝わり辛い事が多かった。そのため、例外なくほぼ全ての騎士は、鎧化時の同期を最も高めるとされる、アムブローシュの出す糸で紡がれた衣服を着用する事が多く、リッキーら覇獣騎士団の隊服は当然の事ながら、イーリオの服も、ドグの格好も、実はアムブローシュ製の繊維で出来た衣類であった。そのため、寒い地域や冬になった場合、騎士の殆どは、薄手のアムブローシュ糸製の衣服の上から、厚手の外套を羽織り、寒さを凌ぐようにしていた。
ちなみに、覇獣騎士団の隊服は、さすがに国家騎士団の正式な衣服であるため、通常のアムブローシュ製のものよりも縫合や仕立てが良く、夏服ならば涼しく、冬服ならば暖かく作られている。
「リッキーさん、どうして?」
止めないんですかという言葉を出す前に、リッキーがイーリオの目に、射竦めるような眼差しを向けた。思わず言葉を呑み込んでしまう。
「今のドグにあんのは、無謀さじゃねえ。分かんねーか?」
「どういう意味……?」
「だからオメーは、まだまだなんだ」
それが己に足らない〝何か〟を指摘しているのだと気付いたが、明瞭に答えを与えてくれはしない。イーリオも、リッキーの言う意味が何を指しているのか、わからなかった。
そうこう言ううちに、ドグは「じゃあな」と一言残し、屋敷の方へと消えて行った。晴れ渡った闇夜の中、塀を軽々とよじ上る姿が、うっすらと確認出来たが、それまでだった。
後は、ドグを待つしかない――。
期待なのか不安なのか、それともその両方なのか。渾然とした思いで王都の路地裏から、黒夜の闇を見つめる四人の姿があった。
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