第三章 第六話(2)『地下室』
気付けばそこは、地下室のようであった。
獣油の生臭さが漂うランプに照らされた部屋は薄暗く、地下室特有の換気の悪さで空気が淀んでいる。石壁造りの部屋のあちこちには、趣味の悪い奇妙なオブジェが並んでいた。拷問用の器具。かといって、それ専門の部屋というわけではなさそうな、統一性のなさ。おそらく、部屋の主の趣味なのだろう。そう、レレケは判断した。
手足は椅子に縛られ、身動きは取れない。身に着けていた外套や帽子は剥ぎ取られ、所持していた短筒をはじめ、獣使術用の道具類一式全てが奪われ、部屋の隅にある木机の上に置かれてある。手も足も出ないとは、まさに今の状態の事だ。
この部屋に来るまで、頭には布包みを被せられていたが、今はそれを剥がされている。目の前にいるのは、そのような部屋の景色と、男性が二人、女性が二人であった。女性は、先ほど知人であったトルベン卿を殺害したらしい、女殺し屋の二人。
一方、男の内、片方には面識がない。身なりは豪奢で、一目で貴族だとわかるのだが、その趣味は決して良いものとは言えなかった。原色に原色を重ねたような、毒々しい色遣いの上下に、統一感のない異国趣味のアクセサリーでその身を飾っている。年齢は五十代と言った所か。年甲斐のない格好に、男の半生が透けて見えるようだ。
一方、もう一人の男は、フードに顔が覆われていて判別出来ないものの、そこからチラつく皮肉っぽい笑みに、レレケはその正体をはっきりと感じとっていた。
「スヴェイン、久しぶりですね」
男はフードをゆっくりと外すと、その素顔を露にした。
波打った黒髪。白皙無髭の細面に、髪と同じ、艶めいた黒い瞳。レレケが知っていた頃よりも、幾分か逞しさを増したような風貌だが、人を食ったような微笑みは今も変わらない。
「何年振りだろう。四年? いや、もっとになるか?」
その顔を見て、疑問は確信に、いや、現実に変わった。忘れていた名前。忘れようとしていた姿。それが、予期せぬ形で目の前に表れた今の心中を、どう整理していいかわからない。その動揺が、顔に出ていたのだろう。スヴェインは見透かしたようにレレケに近寄り、その頬に手を沿えた。その行為にレレケが嫌悪感を感じるのも、全て分かった上で、この男はやっているのだ。
「どうした? 久々の再会じゃないか。そう恐い顔をせず、もっと久闊を叙しても良いんじゃないか? それとも、かつての恋人の顔に、過去の思い出が蘇ったか?」
スヴェインの言葉に反応したのは、レレケではなく、むしろ背後に控える中年貴族と女達であった。
「司祭様。やはりその女は、貴方の……?」
中年貴族の問いかけに、スヴェインは薄く笑って答える。
「案ずるな。彼女は、私の〝濁世だった名残〟だ。今は神女様に仕える司祭である事は、お前達も分かっているだろう?」
だが中年貴族を含む三人は、不安げな顔を隠そうとしない。それもそうだ。尊崇すべき司祭なる男が、誰も知らない過去を認めたのだから。同時に、もしこの場に、数日前のマクデブルク砦襲撃の際、一連の戦いの後の敵の場に居た者がいたら、声を上げて驚いた事だろう。あの時、ベネデットなるジャコウウシの鎧獣騎士と話していたのも、このスヴェインという男だったからだ。
「何故、トルベン様を殺したの?」
レレケのきつい眼差しを、スヴェインは平然とした顔で受け流す。
「邪魔だったからさ。〝私たち〟にとって」
「〝私たち〟? 貴方、今何をやっているの? それにその女……」
「彼女らは私の優秀な助手だよ。君は気付いたらしいが、獣使術の習得も早くてね。勿論、君ほどではないが」
「質問に答えてないわよ。それに、私を捕まえて、一体何をするつもり?」
「おいおい、一度にそう、いくつも尋ねないでくれ給え。――そうだな、順を追って答えていこう。黒母教は知っているだろう?」
「貴方と、貴方のお母様が信仰していた教義ね」
「よく覚えていたね。そうだ。その黒母教のとある組織に、今私は所属している。何をしているかまでは答えられんが、君にとって無関係ではない話だよ」
「司祭様!」
スヴェインの話に、思わず口を挟もうとする二人の女殺し屋。だがスヴェインは、柔らかな動作で、それを制した。
「大丈夫だよ。ここは私に預け給え」
再びレレケに向き直り、話を続ける。
「君を捕らえた理由は一つだ。不本意な形ではあったが、今この時、この場で君と再会したのも運命。黒母オプス様の導きによるものだ。どうだろう? 君の力で、私の手伝いをしてくれんかね? 何を為そうとしているかは、その返事次第で答えてあげよう」
「かつての恩人を殺し、今こうやって私を縛り上げている貴方を信じて、ですか?」
「それだけ覚悟をもって行っている事柄だと察してくれ給え」
「もし断ったら?」
「それは聞くだけ野暮というものだろう。でなければ、君を縛り付けたりはしない」
断れば死。つまりはそういう事だ。簡明で慈悲の欠片もない答えが、今のスヴェインの現状を物語っていた。
「私に関係のある事って言ったわね?」
「それは答えられん。とはいえ、それではあまりに一方的すぎるか……。そうだな、君の兄上にも関わる事だ、とだけ言っておこう」
兄の? そこでどうして、兄が出てくる?
予期せぬ答えに、レレケは必死で考えを巡らす。だが待て。確かトルベン様は、兄の〝事件〟について、必死で調べていた。そもそも今日訪ねたのも、その件について何かしら進捗があったかを聞こうとしたからだ。
そのトルベン様を、スヴェインは殺害した。正確には、彼が〝助手〟と呼ぶ女を使って殺したのだと思われる。兄の〝事件〟を探るトルベン様を殺したという事は、少なくとも、スヴェインらにとって、それがよろしくない事と判断されたからだ。
「どういう事……? まさか貴方は、兄の〝事件〟に関わっているって事なの? だから、トルベン様を殺した……?」
「さすが、物わかりがいいな」
「茶化さないでください。そこまで聞いただけでも充分です。貴方のお父様を裏切り、親友である兄も裏切り、更にその事件の犯人かもしれない貴方に、どうして私が協力すると思うんです?」
怒りを含んだ目で、レレケはスヴェインを睨んだ。
「誤解しないでくれ。私は件の出来事には直接関わりがないよ。今回のトルベン卿殺害も、いわば不幸な巡り合わせというべきものなんだ。事件を探るあまり、彼は知るべきでない所にまで、足を踏み込んでしまった。止せばいいのに、それを使って我々を脅したものだから。仕方なく、というわけさ」
「よくもそんな事が言えたものですね。人一人を殺めておいて」
「君も存外つまらない事を言うなぁ。年月の隔たりは、かくも人を味気ないものにさせてしまうのかな? 君も私も、争いの道具である鎧獣を生み出す錬獣術師じゃないか。自分が生み出した鎧獣で、一体今まで、どれだけの命を奪ってきたと思うんだい? それを今更、人一人の命を奪ったくらい、どうという事はないじゃないか」
己の放つ言葉が、どれだけ螺子の外れた台詞であるか、この男はわかっているのだろうか? いや、分かっているはずだ。スヴェインとはそういう男だ。この人の前では、狂気も正気もない。あるのは一つ、純粋とも言える、学術的探求のみ。――の、はずだった。だが今はどうだ? この男の為そうとしている事が何かはわからないが、とても学問に関わる事だとは思えない。
「それで私が納得するとでも?」
「そういう所は変わらないね。まぁいいさ。それだけ君の力は、私にとって――いや、我々にとって、魅力的だという事さ。私と父を除けば、唯一人、獣使術の達人と言える君の能力を、それだけ高く評価していると思ってくれ給え」
断れば死――。だからといって、この男の誘いに乗る事など、とうてい出来るわけがない。それを許せる自分でもない。
「まぁ、いきなりで君も少々混乱している事だろう。だから少しだけ、考える時間をあげようじゃないか。我々がここを発つまでの、ほんの少しだけ、だがな。それまでに色良い返事をくれる事を期待しているよ」
そう言ってスヴェインは身を翻し、他の三人と共に部屋を退出しようとした。その背に、レレケが声をかける。
「待って。一つだけ答えて。貴方は兄の〝事件〟を、どこまで知っているの?」
スヴェインは悪戯っぽい笑みを浮かべて、少しだけ振り返る。
「全て、さ」
「兄は、無実なの?!」
「おいおい、一つだけじゃないじゃないか。……まぁいい。無実かどうかは、私に答えられる事ではないな」
「どうして?!」
「どうして? この世に罪のない者なんているかね? 人は皆、生きる為に何かの命を奪う。まことに人の生とは罪深いものさ。ましてや生命をもてあぞぶ、錬獣術師や騎士といった人種は言わずもがな、だな」
芝居がかった言い草。大仰な言動。
ああ、嫌だ。その口調は、まるで自分を見ているようで。
扉は閉じられ、仄暗い部屋に、レレケ一人が取り残された。
ここがどこかは、わからない。




