第三章 第六話(1)『黒母教』
錬獣術師トルベン・ナウマン殺害は、異例の早さで王都近衛兵らの知る事となった。
トルベンの屋敷は、決まった時間に顔馴染みの行商の男が訪ねる事を日々の通例としており、その日も、いつものように件の行商が屋敷を訪れた。だが、行商が屋敷の扉を叩こうが、声をかけようが、静まりかえって誰も出てこない。今まで、行商の男がこの時間に訪ねて、誰も用人が出てこなかった事など一度たりともなかった。不審に思った行商は、出入りの人間として長年懇意にしていた気安さもあって、屋敷内に足を踏み入れると、彼は今までの人生で、最も衝撃的な場面に出くわしてしまう。無断で立ち入った屋敷の中、そこにあったのは用人の姿だった。だが、彼の知っている姿ではない。血だまりに倒れ伏した惨憺たる死体。見るも無惨に変わり果てた屋敷の人間が横たわっていた。それも幾人も。行商は魂を消さんばかりに驚き、急いで近くの近衛兵舎に駆けこんだ。ちなみに、この場合の近衛兵とは、壱号獣隊の事ではなく、王都の警護を専らとする、一般の兵員達の事だ。
ここで不審なのは、行商が通報してから近衛兵が着くまでの時間である。後に行商は、「まるで事件が起こる事を知っていたかの様だった」と述懐するように、知らせを待っていたかのように、近衛兵はありえぬほどの迅速さで現場に急行。弐号獣隊 にいるイーリオ達が、ドグの知らせを受け、リッキー、マテューと共に屋敷に行った時には、現場はすでに取り仕切られており、足を踏み入れられない状況だった。
だが、同行したマテューが、国家騎士団の権限で現場の話を聞くと、幸か不幸か、現場の死体の中にレレケらしき人物はない事が分かった。
だが、問題が一つあった。
トルベン卿本人の殺害現場に、事もあろうに、漆号獣隊の隊章の切れ端が落ちていたというのである。
こうなってくると、話は厄介だ。とってつけたような覇獣騎士団による事件関与の疑い。しかも、その証拠物は、昨今あまり噂がよろしからぬ漆号獣隊のものである。無論、ドグとシャルロッタが現場を見たという証言がある。それによれば、どうも漆号獣隊に関わりのある者ではなさそうな人物達が、犯人のようでもあった。となると、話は簡単だ。
「おそらく何者かが、我が覇獣騎士団の者による犯行だと、示したい、そういう事でしょうね」
一連の出来事をリッキーに報告したマテューが、イーリオらと共に騎士団堂に戻って来たのが、午後五時過ぎ。冬のレーヴェンラントでは、既に暗闇に近い刻限である。
付け加えて言うならば、レレケ達があの時あの場に居合わせた事は、全くの偶然であり、犯人の女達にとっても、予想外だったのだろう。もし、レレケらがあの場に居合わせなければ、犯行は漆号獣隊の誰かが行ったという事にされ、議会も巻き込んだ、大仰な事件になった事は想像に難くない。その意味では、ドグとシャルロッタという証人は、この国の大事を救ったとも言えた。
となれば、犯人達がレレケを生かしておく必要はなく、一緒に殺されるのが、当然であろう。なのに、レレケの死体はない。この場合、犯人の足取りは杳としてしれないが、レレケは、少なくとも、まだ生きている可能性が高かった。
「じゃあ、レレケは捕まったって事?」
レレケの安否が気になるイーリオではあるが、闇夜の暗さがあっては、どうしようもない。ランプを片手に広大な王都を捜索するのには、限界があった。
「おそらくそうでしょうね……。何故、捕らえたのか、理由まではわかりませんが」
場所は騎士団堂のリッキーの居室。既に、王宮に出向いたジルヴェスター主席には報告の人員を飛ばしてある。おそらく、遅くないうちにこちらに戻ってくるだろう。というのも、事はただの殺人・誘拐事件などではない。覇獣騎士団を標的にした、悪辣な工作である可能性が高いからだ。どういう事かと言うと、近衛兵団の周到すぎる手際の良さが、その答えである。
まるで、待っていたかのような、いや、おそらく殺人の報告がある事を待っていたのは確実な近衛兵の対応。あらかじめ事が起こるのをわかっていて、証拠をでっちあげ、すぐに覇獣騎士団の内部犯行を喧伝しようとした節がある。つまり、内部の裏切り者、または国内にあって害しようとした者がいるのは、覇獣騎士団ではなく、近衛兵団の中にいる事が予想された。となれば、事は一筋縄ではいかない可能性が高い。リッキーやマテューが慎重になるのも当然だと言えた。
だが、そういった事情など関係なく、じっと考えている面々に対し、ドグはただ一人、苛立ちを募らせていた。彼は煩悶する。自分が。自分があの時、レレケを見捨てたんだ、と。あの時、時間稼ぎすべきは、彼女ではなく俺だった。にもかかわらず、俺は我が身可愛さに、レレケを取り残してしまった……。その負い目が、彼のいつもの勢いを封殺してしまっていた。
ただ、この連中から離れようかと考えていたのも確かだ。自分とは関係ない。そうだ、俺はそもそも、こいつらと違い、誰にも頼らず、たった一人で生きてきたんだ。つい最前も、そうしようかと考えていた矢先の出来事だ。なら丁度いいじゃないか。レレケがどうなろうが俺の知った事ではない。これを機に、こいつらとは、別れる――。そんな考えも沸き起こった。
本当にそれでいいのか?
同時に、反論が脳裏をよぎる。こいつらと別れて――いや、レレケを見捨てて、自分は去るべきか? 去る事が出来るのか?
卑怯? ああそうだ。
俺は卑怯だ。俺はもともと盗賊なんだ。卑怯で結構。何が悪い?
違う。そうじゃない。卑怯とか、そういう問題じゃない。
助けられて……誰かに守ってもらって……自分は何食わぬ顔でそいつを見捨てて生きるのか?
それでいいのか?
「どうした? ドグ?」
心配そうな顔のイーリオが、こちらを見ている。いや、見ているのはここに居る全員だ。やめろ。そんな目で俺を見るな。
「何でもねえよ」
青ざめた顔で、ドグは視線をそらす。直視出来ない。イーリオが続けて言う。
「君のせいじゃない」
うるせえ。ああ、そうだ。俺のせいじゃない。仕方なかった。仕方なかったんだ。あの時その場に居たら、誰だって逃げるに決まってる。本当にそうだろうか? イーリオなら、逃げるだろうか? この馬鹿みたいにお人好しで世話好きのガキなら、あの時、逃げただろうか。
椅子に腰をかけたまま、拳を握りしめる。
「シャルロッタだけでも助かったんだ。ドグはよくやってくれたよ」
黙れ。それ以上何も言うな。俺はどうでもいい。俺なんかどうでもいい。違うだろ。そうじゃないだろ。お前らが心配すべきはレレケの身だ。あいつを案じてやれ。俺はあいつを見捨てて、これからも見捨てようとしてるクズなんだ。俺の親父と同じ、最低の下衆野郎なんだ。
「そうですよ。貴方がいたから、シャルロッタは助かった。そんなに責任感じないで」
「うるせえ!」
何故、叫ぶ? 責任? そんなもの感じちゃいない。俺に責任なんかあるもんか。
「俺のせいだよ! 俺があいつを見捨てたんだ!」
そうだ。俺のせいだ。
俺の責任だ。
「ドグ……」
「俺があいつを助ける。俺の力で助ける」
立ち上がるドグを、イーリオは呼び止めた。
「何処へ行くんだ?」
「カプルスを連れて探す。カプルスなら、夜目も効く」
「無茶だよ。ここは鎧獣を連れるの禁止だって知ってるだろ? まずは攫った奴らの居場所を突き止めて――」
「んな悠長な事言ってる場合じゃねえだろ! こうしてる間にも、あいつが殺されちまってるかもしれねぇんだぜ!」
目を合わせずに反論するドグに、いつの間にかリッキーが側に近付いていた。その肩に手を置く。
「……何のつもりだよ? こんな時でも教師ヅラしようってのか?」
情けないくらいに女々しい威嚇。自分でもそれがはっきりわかっていた。リッキーは肩に置いた手を翻し、ドグの片頬を打った。
吹き飛ぶドグ。
開いた口が閉じれないイーリオとマテュー。
「グチグチ言ってんじゃねぇ! クソチビ。てめーが責任感じてよーが感じてなかろーが、ンな事ァ、どーでもいいんだよ。頭を冷やして考え直せ」
はたかれた際に口の中を切ったのだろう。端から血が出ている。
「てめぇ……!」
「怒られたかったんだろ? 怒られて楽になりたかったんだろ? だったら今ので満足か? 満足したらさっさと頭を絞れ。考えろ。今お前がすべき事は、ウジウジとグチる事じゃねぇ。レレケを攫った野郎共の居場所を突き止めるために、ないアタマを絞る事だ。まずはそれが、男の責任の取り方ってモンだ」
「うるせえ……! 黙れよ」
「うるせえ。黙るのはオメーだ。いいか、オメーとシャルロッタの嬢ちゃんだけなんだ、その場に居たのは。だったらオメーらのハナシが一番の頼りなんだよ」
「大丈夫かい? ドグ君。行いはともかく……次席官の言ってる事は確かです。何か手がかりになるような事はありませんか? 特徴とか?」
頬をさすりながら、ドグは立ち上がる。殴られた事。言いたい放題言われた事に、普通ならこの場を蹴って出て行くところだが、今、そんな気はおきなかった。むしろ心のどこかでは、すっきりしたような、ショックのような、二律背反する気持ちがあった。
「思い出せっつっても、もう全部言ったぜ……見た事ねえ銀色のメガネと、黒っぽい灰色のローブの女共。……待てよ……」
「何かありますか?」
「その錬獣術師を殺した方の女だけど――」
「祈るような仕草をしてたっていう?」
「ああ。そいつのやった動作、ちょっとだけ覚えてる……。なんつうか、両手を前に――」
「こんな感じ」
ドグの言葉を継ぐように、シャルロッタが仕草を真似してみた。両手で何かを掬うように、頭を下げる。
「そうだ。そんな感じだ」
彼女は見ていたのだ。言わなかったのは、聞かれなかったから。それに、彼女の話は要領を得ない。だがこの場合は違った。シャルロッタの再現してみせた仕草を見て、マテューは目を見開く。
「それは……黒母教の祈りですね」
「黒母教?」
「内洋海付近で流行っている一つの神を信仰する宗教です。全身を黒い衣服でそろえる事から、別名〝黒の教団〟とも呼ばれています。〟〝黒き母〟、女神オプスを崇め、厳格な教えで有名で、レーヴェンラントでも最近、よく見かけますよ。寺院だって、いくつも建ってますし」
「て事ぁ、アレか? その黒母教の人間が、トルベン卿を殺して、レレケを攫ったって事か?」
「黒母教の人間か、それともその信者か……。黒母教を信仰してる殺し屋、なんていうのもありえますね。そうなると絞りきれませんが……そう言えば、黒母教に過激な集団がいましたね。確か、ナーデ派とか呼ばれている連中で、エール教を目の敵にしているとか。その一派は、黒いローブではなく灰色のローブをまとう事で知られてます」
マテューの説明を聞き、全員が思った。そのナーデ派という連中が、あやしい、と。
「灰色のって、そいつらじゃねーか? 特徴も合うぜ」
「待って下さい。灰色のローブなんて、珍しいものではありません。灰色のローブに、黒母教の祈りなんて、確かに怪しいと言えば怪しいですが、それだけで断定するには、まだ材料が少なすぎます。それでは何も絞りきれてないのと同じですよ」
「けど間違ってたにしても、その黒母教の連中を探るのも悪かねーんじゃねーか?」
「探るってどうやるんですか? この王都に、一体どれだけ黒母教の寺院があるか知ってるんですか? その全部をあたって手がかりが出る確証はありませんよ。それに黒母教やナーデ派に直接関わりのないごく普通の信徒はどうなります? それにまで捜索の範囲を広げたらキリがありません」
手当たり次第に片っ端から捜索するしか方法はなさそうだが、それではレレケの身の保証はないに等しい。何かそれ以上の手がかりはないものか――。全員が悩ましげに唸っていた時、ドグはふと気付いた。そうだ。ようはレレケの居場所を探せばいいんだ。それだったら――!
「イーリオ、ザイロウを使うんだ」
「え?」
「ザイロウは狼だぜ。アイツの鼻なら、レレケの居場所を探せるんじゃねえか?」
知られている通り、狼と犬は近縁中の近縁。更にその嗅覚の鋭さは、犬のそれよりも遥かに優れている。ならば、その嗅覚を頼って、レレケを探そうというドグの提案は、決して間違いではない。どころか、猫科猛獣主体の覇獣騎士団では思いつかない事だ。
「成る程、そうだ……。確かにそうですね。いいかもしれません」
マテューが強く相槌を打ち、ドグは自分の思いつきを強くした。
「どうだ、イーリオ? 出来るのか?」
ザイロウの嗅覚で、レレケを探す――。鎧獣は武具であり、騎士にとっての相棒である。その意識のあまり、本来の〝獣〟としての能力や習性は忘れてしまいがちだが、騎馬の代わりに鎧獣を使うように、鎧獣を一個の生き物としてその能力に頼る事も、決しておかしい事ではない。問題は、〝狼〟であるザイロウが、犬のように探索してくれるかどうか。
「ザイロウを……。出来るかどうかはわからないけど……。でも、街中をザイロウを連れて歩く場合、どうする? 弐号獣隊 の人についてきてもらうの?」
「それなら心配いりません。早速、今晩にでも捜索するのであれば、私が同行しましょう」
「オレも行くぜ」
マテューとリッキーの返事で、為すべき事は決定した。先ほどまでの取り乱した自分など、この際どうでもいいと腹をくくったドグは、すぐに鎧獣厩舎に向かうよう、イーリオを促した。向かう途中、ドグに向かってリッキーが言った。
「それでいいんだよ」
笑いもせず、励ましたりもしない。無論、謝ったりなどするわけがない。だが、今のドグには、それが心地よかった。何も返事はしなかったが、応えるべきは言葉ではない。行動だと、既に分かっている。
鎧獣厩舎へ行った五人。イーリオは、ザイロウにレレケの匂いのありそうな荷物を嗅がせると、まるで万事了解していたかのように、ザイロウは先導するように歩みを進め出した。シャルロッタも同行をねだった事で、シャルロッタを含めた五人は、彼女以外、それぞれの鎧獣を連れ、夜の王都へと繰り出していった。




