第三章 第五話(終)『女暗殺者』
その頃、レレケら三人は、彼女の知人の家へと到着していた。家といっても、個人宅にしては大きい。錬獣術師というからには工房も兼ねているのだろう。
少し感慨にふけるような思いにとらわれつつ、彼女は玄関の前に立ち、ドアノブに手をかけようとする。
その時、いきなりドグが、彼女の手を遮った。
驚くレレケだが、いつになく険しい顔のドグを見て、ただ事ではないと察知する。
「どうしました?」
「……わかんねぇ。……わかんねぇけど、ここはやべぇぜ。なんつうか、そんな気配がある」
騎士として、長く鎧獣騎士になっていると、その鎧獣の性質がうつってしまう人間がいるという。学術的、医学的な根拠はないのだが、そういう症例は、決して少なくないらしい。
ドグの場合もそうだった。彼自身、難しい話はよくわからないし、そういう事例を他人から聞いたわけではない。だが、カプルスの獣能が、己の身にも染み付いているいるような感覚に陥る瞬間が、今までにも多々あった。彼は単純に、カプルスと長くいる内、ちょっとした能力紛いのモノが身に付いたんだろうと、独自にそう解釈していた。
この場合もそうである。
レレケがドアノブに手をかけた瞬間、第六感のようなものが、彼に警告を訴えた。
「とにかくやべぇ。こっから入るのは――危険だ。裏口とか、そういうのはねぇのかよ?」
危険、という言葉に、にわかに緊張感が走る。
「裏口ならこっちです」
レレケは建物を回り込むように移動する。中に居る人物に思いを巡らし、彼女の足は、自然速くなってしまう。
建物の裏口からそっと入り、様子を伺いながら、屋敷の中へと侵入する三名。傍から見れば、どう見てもコソ泥の類いにしか見えないだろうが、ドグはいたって真剣だ。それにここにきて、レレケもまた、気持ちの半分では彼の言葉を信じる気になっていた。
確かに雰囲気が妙だ。静かすぎる。生活空間特有の、空気が動いた気配がなく、息が詰まるような張りつめた感覚がある。静かすぎて、外の音が谺してくるくらいだ。だが心のもう半分では、それを疑う気持ちもあった。気のせいじゃないだろうか。ドグにそう言われ、自分までもが感化されたのかも。だが、その考えはすぐに否定された。
裏口から廊下を渡り、居間へと続く角を曲がろうとすると、角の向こうに、人間の手が床を這っていた。
息を呑む三人。
緋毛氈の絨毯で、最初はよくわからなかったが、それは、倒れた人だった。
鼻をつく匂い。
血だまりを残して、うつ伏せに人が死んでいた。
声をあげそうになり、己の口を両手で塞ぐレレケ。ドグの顔も青ざめている。一人シャルロッタのみ、不愉快そうに眉をしかめているだけだった。
「これは……」
「シッ! 声を大きくするな。気配はまだ、消えちゃいねぇ」
ドグは死体を超え、更に先へと進む。レレケはその死体に顔を寄せ、それが自分の知人でないと知り、一安心した。だが、ドグは気配がまだあると言った。ならば、安心などしてる場合ではない。すぐにドグの後を追う。
居間には誰もいない。
だが、途中の部屋では、召使いらしい人間が、喉を裂かれて亡くなっていた。
もがき苦しんだ様子はなく、おそらく声を上げる暇もないまま、絶命したのだろう。死体に触れると、まだ暖かかった。死後まもなくといった所だ。とすると、これを行った犯人はまだ屋敷にいる可能性が高い。
レレケは声を潜めながら、二人に相談した。
「犯人はまだ屋敷にいる可能性が高いです。このまま進むのは危険だと思われますので、ここは私の術を使いましょう」
「おぅ、そうだったな。あんたには、あの動物もどきの術があったんだ」
「獣使術です。名前ぐらい覚えて下さいね」
レレケは短筒を出そうと、懐に手を入れた。
その矢先――、
ガタン!
何かが倒れるような音。
続いて、人らしき声。
目を合わせるドグとレレケ。
術を使ってる場合でないと判断したレレケは、急いで音の方へと向かう。ドグとシャルロッタも追いかける。
音がしたのは居間を抜けた先――錬獣術工房だ。
物陰に身を潜め、三人は中をそっと覗く。
鎧獣を精製するための、巨大な容器が立ち並び、部屋の外に居てもはっきりわかるほどの、鼻を突くような薬品臭が充満している。ドグは思わず、鼻をつまんだ。人一倍嗅覚の良いと自負する彼にとって、この匂いはたまらない。一応、匂いを遮断するような造りにはなっているのだが、それにも限界はある。
顔をしかめながらも部屋の中をぐるりと見ると、容器の向こうに、人影が動いているのが分かった。
話し声も聞こえる。
「貴様……! やはり貴様らがあれを!」
レレケはその男の声に聞き覚えがあった。
彼女が尋ねてきた目的の、錬獣術師だ。
何が起こっているのか確認しようとした時、男の声は、肉の裂ける嫌な音に掻き消されてしまった。そして、ガラスの割れる音。道具類が落ちる音。男が倒れたのだ。レレケらの居る位置からでも、はっきりわかるほど、喉から鮮血を吹き上げて倒れ込む男。道具類が机から落ちる事で、男の反対側も見てとれた。
そこには、黒灰色のローブを頭からすっぽりと被った、女が立っていた。ローブの前がはだけ、今、殺人に使ったであろう、短剣が握られている。顔はよくわからない。いや、わからないというよりも、きわめて奇妙だった。女の目の辺りは、銀色の遮光器のようなもので全て覆われていたからだ。鼻と口元はわかるが、目線を隠されたような女の顔は、不気味としかいいようがない。その女は、自らが手を下した男を前に、祈るような仕草をしていた。はっきりとはわからない。
殺された男を見て、これは由々しき事態だと察したドグは、急いでここを出ようと二人の方を振り返る。二人も頷くが、レレケはともかく、シャルロッタの動きは緊張感が無い。人の死体を見ても、年頃の女の子のような悲鳴もあげないばかりか、今何が起こっているかさえ、理解していないように思えた。
それが災いした。
立ち去ろうと、抜き足で歩いていたのだが、シャルロッタが、思わず扉に体をあずけてしまう。
ギィィ。
小さな、だが三人にとってはどんな音量よりも響く音。
蒼白になるレレケとドグ。シャルロッタは、「あ、やってしまった」ぐらいにしか表情が動いていない。
振り返ると、こちらに顔を向けた、女殺人者。
気付かれた。
ドグは叫んだ。
「逃げろ!!」
急ぎ、駆け出す三人。女の靴音も響いている。
追いつかれたらどうなる?
女一人なら、ドグでも勝てるかもしれないが、相手は一人で、この屋敷の人間を皆殺しにしていった人物だ。騒ぎにもなってないところを見ると、相当腕がたつと見て良い。ならば、レレケとシャルロッタ二人を庇いながら戦うなんて、ドグにはかなり無理があると言ってよかった。
ここは何が何でも逃げなければ!
そう思いながら走るドグであったが、そもそもその考え自体が、大きな誤算だった事を、彼はすぐに知る事になった。
通路を走り抜け、居間を抜けようとした時、前方の扉が、勢いよく蹴破られた。予測外の出来事に、三人は思わず足を止める。扉の先には、後を追う女と、同じ格好の女が、もう一人立っていた。
――一人じゃなかったのか……!
読み違え。完全な誤算。殺人者が一人である理由は別にない。これだけ広い屋敷だ。不意な犯行ではなく、計画だてて殺人をしようというなら、数人がかりで襲うのは当然の事であろう。その考えに、咄嗟に至らなかった自分に、ほぞを噛む思いのドグ。
目の前の女が、血曇りをした短剣を閃かす。後ろの女も、既に追いついていた。前後の挟撃。まさに絶対の窮地。カプルスがいればどうとでもなるが、不運にも、先ほどリッキーに預けてしまっている。
――畜生! あのクソ赤頭!
心中、罵ったところでどうしようもない。それに、鎧獣を預けたのは、別にリッキーが悪い訳ではない。いや、そもそもこんなことに巻き込まれた事自体、自分らしくない行動と選択の結果だ。その結果、今まさに、自分は今までにない窮地に追いやられている。
迫る二本の凶刃。
その時だった。不意にレレケが素早く言い放った。
「ドグ君! 私が擬獣を出します。その隙に、君はシャルロッタを連れて、逃げて!」
突然の発言に、ドグは驚く。
しかし、レレケに迷いはない。ドグも一瞬狼狽えたが、その時、何故か前後の女殺人者が、レレケの言葉に予想外の動揺を示したのだ。いきなり声を出したからか? 違う。そういう類いの人間たちではない。身なりの異様さも然りながら、どう見てもその動きは、訓練された機械的な鋭さがあった。つまり、殺人を生業とする人間達だ。その殺し屋とも言うべき女達が、何故かレレケの言葉に狼狽する。理由はまるでわからない。
だが、千載一遇のチャンスだった。
レレケは素早く短筒を出し、中に神之眼を放り込む。
巻き起こる煙。煙の中から、乳白色の大蛇が一匹、表れた。大蛇は生まれ落ちた瞬間に、すぐさま出口側の女殺人者に襲いかかる。思わぬ反撃に、女は大蛇を避けるため、その身を崩してしまう。
「ドグ君!」
レレケの叫びに、ドグは閃くように反応した。躊躇いは死を招く。そんな瞬間だった。
ドグはシャルロッタの手を引き、出口へと駆け出す。駆け出しながら、レレケに問う。
「レレケ! あんたは?!」
振り返りは出来なかった。振り返れば、それで動きが出遅れてしまう。だがそれでも、横切りながら視界の隅で、ドグは確かに見た。
レレケが微笑むのを。
私は大丈夫。
そう言ってるようだった。
駆けながら、ドグは叫ぶ。
「レレケ!」
足は止めない。いや、止められない。今の自分には、シャルロッタを連れて逃げるだけで精一杯だったからだ。彼は必死で足を動かし、建物の外へと飛び出た。そのまま、雑踏へ飛び込み、無茶苦茶に逃げて行く。気配が消えるまで。安心出来るまで。だがそれは思いもよらず、すぐに訪れた。敵の気配は追ってこない。どうやら上手く逃げ切れたようだ。
一安心した事で、手を引っ張って連れていたシャルロッタの無事を確かめるため、彼女の方を見る。彼女も息を切らして汗だくだ。
「ねえ……レレケは……?」
彼女の問いかけに、言葉を詰まらせる。
見捨てた。
自分はあの時、レレケを見捨てて、シャルロッタを助けた。シャルロッタだけを――。
「ねえ、ドグ……レレケは……?」
胡散臭い身なりに言動だが、どうにも人に信頼されてしまう、どこか憎めない人の良さを持ったレレケ。そんな彼女を、自分は見捨てた。
レレケは言った。ドグを仲間だと。でも彼は、それを心の中で笑った。彼女は笑わなかった。微笑みはしたが、嘲笑ではない。自分は違う。だから、見捨てた?
仲間だって――?
そうだ。仲間なんかじゃない。あんな奴、どうなろうが知った事じゃない。自分はこんな事に巻き込まれて、いい迷惑なんだ。被害者なんだ。それに――
「ドグ?」
拳を握りしめる、ドグ。
――畜生っ!
彼はシャルロッタの手を再び掴み、再度駆け出した。
必死で探す。
建物を。
イーリオ達が向かった、騎士団堂を。
殺されるのかと思いきや、レレケは刃を突きつけられ、脅される格好で、詰問を受ける状態になっていた。咄嗟に大蛇の擬獣を出したまでは良かったが、女殺人者は、最初こそ怯んだものの、すぐに落ち着いて大蛇の首を刈り、レレケの短筒を奪い取った。こうなると、どうしようもない。それでもと、必死で助かる術を探そうと策を巡らす彼女に、刃を向けた女の一人がおもむろに口を開く。
「お前も……獣使術が使えるのか?」
お前も?
どういう意味だ? 獣使術は、自分と師匠のホーラー以外、使える人間はもういないはず。そう、〝もう〟いない。
そこでレレケは気付いた。さっきこの女達の動きが鈍ったのは、レレケの叫びに驚いたからではない。レレケの言った、擬獣という言葉に驚いたのだ。そして、その後出した大蛇の擬獣にも。それで、ドグとシャルロッタは逃げおおせる事が出来たのだ。
更にレレケは気付く。
この女達の正体は分からないが、女達の影に居る者の存在について。それが誰であるかは、彼女にとって明白だ。
自分と師匠以外で、獣使術に反応する人間は、数える程しかいない。それに、この状況で、取り逃がしてしまうほど狼狽えるという事は、ただ知っているというだけではない。
「貴女達、獣使師ね……?」
女達の動揺が、目に見えて広がった。
当たりだ。間違いない。ここにきて、レレケは全てを理解した。数日前のマクデブルク砦の襲撃。爆発する馬車。どれも考えてみれば、容易い答えだったのだ。いや、そんな事など、考えもつかなかった。まさか、〝あの人〟が、こんな事に手を染めるなんて――。
「スヴェイン、ね」
二人の女殺人者は、今までにないくらい、狼狽を露にする。
「貴様……、何故、その名を……?!」
短剣を突きつける。喉元に刃が食い込む。だが、殺せない。殺せる訳がない。〝その名〟を知っている自分を、このまま放っておく訳にはいかないだろうから。そう、レレケは考えた。
「私を、〝彼〟に会わせなさい」
「何?!」
「彼に会えば、彼は全て答えてくれるわ。それともいいの? 貴女達の〝師匠〟の、元・恋人を、殺してしまっても?」
空気が凍る。息が詰まったのは、命が天秤にかけられているレレケではなく、生殺与奪を握る、殺人者の方だった。天秤のもう片方にあるのは、おそらく今の状況よりも大事な、ある者の存在。それが重しとなって、大きく傾いでいる。答えはすぐに出た。短剣の切っ先が少し緩む。レレケの命は、まだ生存を許される方に傾いたようだった。
三人の女達は、一人の男の存在を秤に、運命を奪い合うかのようだった。
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