第三章 第五話(3)『騎士団堂』
騎士団堂に着いたイーリオは、思わず息を呑んだ。
詰所というよりも、貴族の館、いや、城と言っていいくらいの豪壮さ。堂の天辺には、盾の枠取りに剣を持った獅子に、二の数字が描かれた弐号獣隊 の隊旗と、隊の象徴である炎の紋様が印された旗が翻っている。
中に入れば、尚の事驚くような景色。表門を兼ねた第一営舎をくぐれば、広い中庭。そこでは、数十人単位の集団となった若い男女が、訓練らしい事を行っている。向かって左が、イーリオが見た事もない大きさの鎧獣厩舎。時折、豹やピューマの鎧獣が出入りしている。
リッキーが近くの者に声をかけ、自分達の鎧獣をそこに預ける。ザイロウとカプルスも同じだ。
見た所、騎士以外にもたくさんの人間がいるようだ。この隊だけで、一個の騎士団にさえ思えてくるほどの偉容を感じたイーリオは、視線をきょきょろ動かしながら、終始圧倒されっぱなしだった。
そんなイーリオの仕草を見て、リッキーは嬉しそうだった。
「どーだ。スゲーだろ?」
イーリオは頬を紅潮させている。
「はい! こんな凄い建物、初めて見ました……!」
そうだろうそうだろうと頻りに頷くリッキー。覇獣騎士団である以上、街を歩けば、市民が憧れの眼差しを送ってくるのは常で、賞賛されるのには慣れているはずなのに、どうもイーリオに褒められるのは、かなり嬉しい事らしい。自分の弟に「兄ちゃんすげー」と言われているような気分になるのだろうと、マテューは胸の内で考えていた。
鎧獣を預けた一行は、まずはマクデブルクでの一件を報告するため、弐号獣隊の隊長、主席官の元へと向かっていった。
「その、どんな人なんですか?」
「なんつーかなー、一言で言うと、カミナリ親父だ」
「カミナリ親父? 恐い人……、なんですか?」
「恐いっつーかなぁ……。恐いというより、デケぇ人だな。何もかも」
傍らでマテューが吹き出す。
「そうですね。確かにデカい人だ。大きいというんじゃなく、デカい、ですね」
「おおよ。デッケぇんだよ。マジで」
「そんな、体の大きな……?」
「うーん、まぁ、体もデケぇんだが、それよりも違うとこがデケぇんだよ。だからカミナリ親父なんだ」
「実際、次席官は主席官を〝オヤジ〟なんて呼んでますしね」
「ま、会えばわかる。そう固くなんなイーリオ。恐ぇ人じゃねーからよ。……多分な」
最後の一言に、イーリオは逆に緊張感を増大させられながら、気付けば、いかにもといった巨大な扉を前にしていた。どうやらここが隊長の部屋らしい。
扉を叩き、「入ります」と声を出すリッキー。
重々しい扉の向こうに、逆光でシルエットとなった、オーク材の広い机と、そこに座る人影があった。
「リッキー・トゥンダー次席官、ならびにマテュー・ヨアヒム騎兵長、ただいま巡検任務より帰還いたしました」
いつになく格式張った口調のリッキーに、否が応にも緊張の水位をあげてしまう。
「おう! リッキー、マテュー、ご苦労だったな!」
その瞬間、イーリオは気付いた。
成る程、確かにデカい。
頭にガンガン響いてくる。その声が。
デカいというのは声の事か――。
そのシルエットは、動きまで騒々しく音をたて、のしのしとこちらに歩み寄る。
体格も大きい。身長は六フィート半はゆうにあるだろう。だがそれ以上に、横幅も大きい。太いというのではない。ガッシリとした肉厚に、隊服ごしでもわかる筋肉質な体。まるで雷神の彫像のようだ。それに、厳めしい顎髭。赤味がかった金髪に、琥珀色の瞳。彫りも深く、眉毛まで厳めしい。年の頃は四十後半か、五十代前半といったところか。
絵に描いたような、騎士団の長。
両手を後ろに組み、胸をそらして目の前に立たれると、その迫力に圧倒されてしまう。
「この少年は?」
そこで、マテューが一礼をする。
これまでの経緯を、彼が説明しはじめた。リッキーが言うよりは遥かに分かり易いからだろう。リッキーなら、変な擬音や横道に逸れる発言も多くなるのだが、マテューなら、端的に要点だけをかいつまんで話してくれる。途中、リッキーが寄り道をしたせいで砦への到着が遅れたくだりのところや、レレケを間違って捕縛したあたりでは、思わずリッキーが「バカっ余計な事言うんじゃねえ」と、小声で牽制するも、マテューはそ知らぬ顔でスラスラと報告を続けた。
「……以上です」
マテューの報告が終わると、虎髭の主席官は、「成る程」と頷いた。続けて、誰に言うともなく、
「爆弾を仕掛けた馬車、砦への夜襲、それに牛の鎧獣騎士の部隊か……。確かに軽視できん話だな」
「ッス。メルヒオールのヤツも言ってました。見た目はゴート帝国っぽかったけど、どうにもクセぇって」
「ふむ。事情はわかった。この件は、儂から陛下に、すぐお伝えしよう。――それよりも、だ」
ギロリと、虎髭の目が、リッキーを睨む。
「は、はい?」
「リッキー! 貴様という奴は、何度言ったらわかるッ! 次席官ともあろう者が、隊規を乱すような行いをしてどうするッ!! 本来、範となって、衆の戒めとならん身が、己がそれを守らんとは、全くもって、貴様は……! そもそも、その格好からしてチャラチャラしおってからにッ!!」
部屋が震えるかと思った。
実際、窓ガラスがびりびりと震動している。
雷が落ちるとは、まさにこの事だろうと、イーリオは思った。自分が怒られているのではないが、傍にいる己まで身が竦んでしまいそうなほどの大音量である。
「い、いやですね、なんつーか、寄り道したっつーのも、人助けなわけですし――」
「言い訳をするなッ!!」
特大の雷。
書棚から本が落ちた。
音量だけで物理的に物が落ちる事ってあるんだ、と、イーリオは目を見開いて驚く。
「主席官のお怒りはごもっともですが、実際、次席官の道草のお蔭で、あの襲撃に会えたのも事実です」
マテューのとりなしに、リッキーが思わず「おお……」と呻く。
「ま、誤認逮捕をしたのは、かなりどうかと思いますが――」
「おまっ、余計な事言うな」
「けれども、結果だけなら良い成果を得たのかもしれません。このイーリオ少年にとっても」
そこで虎髭が、厳つい目をイーリオに移す。
思わず体を硬直させてしまう。
虎髭はイーリオに一歩で歩み寄り、その顔を凝視した。
「名は、イーリオ……」
「イーリオ・ヴェクセルバルグです。ゴートに住む錬獣術師ムスタ・ヴェクセルバルグの息子です!」
「ふむ、ムスタ卿か。会った事はないが、その名は聞いた事がある。成る程。良い面構えをしておるな。それで、イーリオ少年、君は何が目的でこの阿呆に弟子入りしたんだ?」
そこでイーリオは、これまでの己の身に起こった出来事を説明した。マテューがさっき話したのは、あくまで襲撃事件に関する事で、イーリオの事までは言及していない。元々、イーリオ自身の口から話させようという、彼なりの配慮なのだろう。リッキーとマテューは、あらかた話を聞いていたが、虎髭の主席官には、かなり驚くような内容だったらしい。リッキーらもそうだったが、初めて鎧化した時に、ゴゥト騎士団の鎧獣騎士相手に勝ちを得た事や、特にティンガル・ザ・コーネを退けた辺りでは、大きな呻き声で、しきりと感心していた。そして、黒騎士と戦うという今の目的を語った際、彼はまじまじとイーリオの顔を見つめた。笑いはしない。むしろそれまで以上に感心するような表情だ。
「事情は相わかった。今時にしては、かなり気骨のある少年ではないか!」
「ええ。次席官も、そこが気に入ったんでしょう」
「うむ! 儂も気に入ったぞ!! おお、儂が名乗っておらんかったな! これは失礼をした!」
「い、いえ、そんな事は――」
「うむうむ。謙虚な姿勢も尚良い! どこぞの阿呆に見習わせたいくらいだ!」
ジロリとリッキーを睨み、リッキーは思わず視線を外す。
「改めて、儂は、ジルヴェスター・フォン・ヴァッテンバッハという。この弐号獣隊 の主席官をしておる!」
ジルヴェスターはイーリオの二倍の面積はありそうな、大きく分厚い手を差し出した。ほんの少し、おずおずと己の手を出して握手を交わすと、思った通り、物凄い握力で上下に揺さぶられた。
「この阿呆は、見た目も素行もはなはだ問題があるが、鎧獣騎士としての実力だけは、大したものがある。こいつで良ければ、存分に教わるが良い! そのうち儂も教えてやろう!」
「あ、ありがとうございます」
己の手をさすりながら、イーリオは大きく頭を下げる。
「なに、この阿呆が迷惑をかけた礼だ。むしろ君の連れにも、会っておきたいところだがな」
「その……、リッキーさんですが……、確かに最初は、僕らも面食らいましたし、迷惑をかけられたのかもしれません」
「うん?」
「けれど、ここに来るまで、獣騎術を丁寧に教えてくれたのは確かですし。何より、あの砦襲撃の際、敵を取り逃がしてしまったのは、僕らの不用意な行いのせいです。だから、阿呆というなら、それは僕の事で、リッキーさんは悪くないと思います」
思わぬイーリオの擁護に、リッキーは言葉をなくした。マテューも「イーリオ君……」と、驚いている。
「何と……! 何と真っ直ぐな言葉よ!! 儂は感動したぞッ!!」
ジルヴェスターは、本当に目を潤ませていた。何とも感情の起伏が激しい人物のようだ。
「……まぁ、その戦いにイーリオ君達が出たのも、次席官が無理矢理巻き込んだからなんですけどね」
「おまっ! 丁寧に突っ込むな……!」
そんなマテューとリッキーのやり取りも耳に入っていないようだ。ジルヴェスターは、再びイーリオの両手を握る。
「己の振る舞いに潔白である事は、騎士として当然の美徳である! それを君は、物怖じもせず、堂々と振る舞ってみせるとは! その年で、いや、騎士になってわずか数日で、君は既に、騎士としての立派な徳を備えておるなッ! いやはや、全くもって近年稀に見る見込みのある若人よ……! うムッ! 決めたぞッ!」
「な、何をですか……、主席官?」
「イーリオ君! 君さえ良ければ、この弐号獣隊 に入らんかねッ!!」
全員が驚く。いや、約二名は呆れる。
「勿論、為さねばならん事があるのはわかっとるッ! だが、君の目的が達せられた後、もし君さえ良ければだが、我が弐号獣隊 に入ってくれッ! いや、君のような若者こそ、入るべきだッ! どうだろう?!」
虎髭に覆われた巨大な顔が、鼻先すれすれまで迫ってくる。
すごい迫力だ。
「か……考えて、おきます……」
「うむうむ! そうだろう! 己の身の振り方を、そう易々とは決められんからなッ! よッく、考えてくれ! 色良い返事を待っておるぞッ!」
何とも強引な人だ、と、イーリオは呆気にとられていた。
「さて、それではマテュー、お前はイーリオ少年にここを案内しておいてくれ。それと、彼らの今日の宿泊の手配も頼むぞ」
「畏まりました」
「儂はこれから、急ぎ陛下の元へ出向く。リッキー!」
びくん! と体を仰け反らすリッキー。
「お前はここで、儂が帰ってくるまで、いつもの〝アレ〟をしておけ!」
「え?! いつもの? 帰ってくるまで……って、マジっすか?!」
「馬鹿もん!!」
今日一番、一際大きな雷が落ちた。
イーリオは、唖然となる。本だけでなく、花瓶まで倒れたからだ。
「イーリオ少年やマテューが取りなしてくれた事とは話が別だッ! 騎士は騎士! 守るべき節度というものがあるッ! お前はそれを己の胸に刻み込むべく、ここで罰を受けよッ! 分かったな!!」
「ふゎぁい……」
しぼんだような声で、リッキーは渋々受け入れた。
これ以上ここに居ては、どのような形で巻き込まれるかわからないと感じたマテューは、イーリオを促し、その場を辞した。リッキーには少し気の毒な思いがしたが、イーリオもマテューに続く。
部屋を退去した後、イーリオは聞いた。
「罰って……?」
「まぁ、そんな気にしないでください。罰といっても、大した事はないですよ。隊長は、あの見た目どおり、いわゆる〝頭の中まで筋肉が詰まっている〟という方ですから。騎士団堂に戻ってくるまでずっと腕立て伏せしてろ、とか、そんなのですよ」
充分大した事のある罰の内容に、やはり何だか申し訳ない気分になるイーリオだった。




